彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 彼は重げに腰を上げた。振り落とされたネコは不貞腐れて外へと帰ってしってしまう。
「お願いします、3人分」
「分かりました。今ちょっと、連れの子に伝えてきますね」
 菖蒲は屋敷を出ていった。その間に銀灰が風呂から上がる。彼の着るものはこの屋敷にある。
「今日は泊まっていくでしょう?」
「う、うん。そうするっす」
「ここに居ろとは言わないけれど、銀灰くん。帰ってくるところはここにあるからね」
「うん。オレっちは杉染台にも帰れるっすから」
 彼女は寝間着を渡すと居間の奥の部屋に引っ込んだ。杉染台にも帰れるという返答はいくらか彼女を安心させる。柘榴も杏も、彼を歓迎するだろう。そのことを銀灰本人も忘れていはいないのだろう。このことに安堵するのだ。
 極彩は片付けておいた押入れの布団一式を畳へと放った。そう長いことしまっていたつもりはないけれど、押入れの匂いが染みついている。


 翌日、一度帰った菖蒲が極彩に乞われてふたたび屋敷を訪問した。淡藤が昼過ぎにやってくる。そのために彼は昼前にやってきた。銀灰は眠そうに欠伸をしている。
「早めに来てしまってすみませんね。朝餉は済ませましたか。便利屋でいくつか軽めのものを買ってきたのですが」
 菖蒲は買物袋を渡した。握飯と菓子麺麭がいくつかと、紙容器の甘い飲み物が入っている。持ってきた本人は真っ先に珈琲牛乳を手に取ったが、眠そうな銀灰を目の当たりにするとそれを勧めた。
「ありがとうございます。わざわざ、朝餉まで気を遣っていただいて……」
「いいえ、いいえ。早い時間帯にお邪魔してしまいましたからね。どうぞ召し上がりながら」
 それから彼は本題に入るとばかりにしかつめらしい顔をした。
「今後を決める、大切な話がありましてね。こちらは極彩さんはすでに知っているのですが……」
 菖蒲は縹の決めた後見人が誰で、どういう人物か、そして縹のいう後見人制度というのがとどのつまりは養子縁組であることなどを語った。そしてそうならざるを得なかった経緯もまた付け加えた。つまり縹が頼った後見人というのは君の親の仇のさらに親であり、そうでなければならない理由は二公子が君のいとこ或いは義理の姉を狙っているからであるが、君が同意するのなら君は親の仇と義理の兄弟になるというようなことを、菖蒲は容赦なく説いた。そこには誰かに対する忖度も斟酌しんしゃくもない。
 銀灰は飯を食う手を止め、自分が握飯を持っていることも忘れた様子で固まっていた。極彩はそれを苦々しげに横目で捉える。
「非常に難しいお話だと思います。すぐに決められることでもないでしょう」
 徐ろに銀灰の目が伏せられていく。そのまま俯いた。
「親父の言うことは、それなりに聞いてきたつもりなんす。でも縹サンについては、生前だけじゃなくて、遺言の何ひとつきけちゃいないんすよ、まだ……」
 菖蒲の少年を見る眼差しは先程とは打って変わって哀れみを帯びている。
「オレっち……」
 そこからが続かない。彼自身の望まない返答をしそうである。
「銀灰くん」
「今日はこのことをお耳に入れておいてほしかった、それだけです。あまり悠長にしていられないのもまた事実ですが、結論をこの場で出してしまうのは危険です。よく寝て、よく食べてから考えてください」
 そうして菖蒲は帰っていった。銀灰は茫然として握飯を宙に残している。
「無理に食べなくてもいいのよ」
 話しかけると我に帰ったらしい。びくりと肩を跳ねさせた。
「だ、大丈夫、食べられるっすよ。あっはっは。びっくりしちゃって……」
「びっくり、しちゃうよ」
 彼の眉がほんの一瞬だけ痙攣した。眼球が光り輝き、顔を背けられてしまう。
「これからまた別のお客さんが来るから、奥の部屋で紅といてくれるかな」
「うん」
 買物袋を持って、銀灰は紅のいる奥の部屋へと移る。紅は知人の息子に対しても相変わらず無表情のままで、銀灰も父親の知り合い相手にに遠慮がちな態度をみせていた。
 やがて淡藤がやってくる。
「長らくすみません」
「いいえ。お元気そうでよかったです」
 草履を揃えるために背を向けた淡藤に声をかける。まだ表立って天晴組としての活動ができないらしく、羽織はない。
「そういえば、外に子供がいましたよ。お知り合いですか。最近あまり見ない、なかなか古風な風体の……」
 居間に案内したときの、ほんの世間話のつもりだったのだろう。しかし極彩には、古風な風体の子供に思い当たる節がある。
「ひとりで、ですか」
「そうです。近所のわらべでしょうか。広い庭が羨ましかったのかもしれませんね」
 淡藤は呑気にそう話を纏めた。彼は居間へ、極彩は茶を淹れに一旦台所へと別れた。
「姫様」
 盆を持って居間へ戻ると、好きに腰を下ろしていた淡藤は庭の方を眺めていた。
「はい……?」
 湯呑を差し出すまで、彼は黙っている。妙な緊張感があった。何か重大なことでも打ち明けそうな空気である。極彩は身構えた。
「先程お話した童が、今、そこを通りましたよ」
「え」
 彼女は庭を向いた。縁側のほうへ寄って、周辺を見渡す。子供の姿はない。
「どうですか」
「きっと庭を通り抜けていったのでしょう。まったく迷惑な話です」
 淡藤は不思議そうに彼女を見ていた。
「ご機嫌斜めですか」
「いいえ、そんなことは。どうぞ本題へ移ってくださいませ」
「承知しました……ですが、誰かお連れの方が?」
 彼は静かに極彩の隣にやってきた。口元に袖を寄せ、声を潜める。
「玄関先でよろしければ、そちらになさいますか」
 淡藤は至近距離から極彩を瞥見する。
「こちらから無理な依頼をしている身ですからね。信用します。姫様と、そのお連れ様を」
 だがその連れの正体は、二公子を襲撃し処された人物の息子であるのだから、楽観的なものである。
「では本題なのですが、この屋敷ではないところに住むことは可能ですか」
「例の任務で、ですね」
 彼は頷いた。
「そうです。梔子くちなしさんという方は不言通りの外れに住んでいることにしたいので。この屋敷は広すぎて、この経歴の女性が済むにはいくらか不自然です。ご安心ください。仮住まいの近隣住民は天晴組で組んでおります。女性芸子も動員したりして。何かあれば護衛は務まりますでしょう」
 極彩は隣室に目を遣った。その意図を淡藤は察したらしい。
「紅さんはこのままこちらで過ごしていただけると幸いです」
「断った場合は」
「こちらも様々な展開を考慮してのご提案です。梔子さんという方にもし疑惑の目が向いたとき、新居ですといつでも切り捨てが可能なわけです。周辺に役者を揃えておけますから。しかしこちらの屋敷ですと。今つけている天晴組の護衛は門にしか置けませんから、紅さんと……―お連れ様も巻き込まれることがないとはいえませんね。危険な目に遭わせないよう。最優先の行動はしますけれど、それはあくまで、梔子さんという方に対してですからねぇ……それ以外の方となると、三の次あるいは四の次……」
 淡藤は顎に触れてわずかばかり首を傾げた。
「切り捨てるというのは、疑惑の目を向けた者のことをいうのですね?」
 彼は澄んだ眼をして極彩の鋭い視線を受け止めた。
「或いは、梔子さんを。場合によっては、ですが……」 
「そのときには、紅も……」
「何を聞き、何を見ているのか分からない以上は、こちらにとっても火種となるでしょうね」
 それは意図してなのか否か、脅迫めいている。
「では、考えておきます」
「脅しの形をとってしまっていることについては、すまなく思います」
 淡藤は腰をずらして身体の向きを変えると頭を低くする。
「いいえ。そういう仕事なのでしょう」
 極彩は虚ろに答える。それは呆れでも諦めでもあった。
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