彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 ウサギは自身を抱き上げているのが、人間の界隈ではどういう立場にあるのか、知る由もなければ、理解する能もなかった。上等な衣に包まれた腕を蹴っている。恐れを知らない。
「抱っこは嫌い?」さ
「野生では食べられる側ですから、持ち上げられときは捕食されるときなのでしょう……」
 毛物相手にも無礼討ちをしそうな気性である。極彩は口を挟んだ。しかしそう口添えたところで納得するのであろうか。
「どうしたの、彩。嫉妬してるの? 彩のことも抱っこしてあげようか」
 天藍は白い尨毛を置いた。わずかな間、隙ができる。その頭に鈍器を振り下ろしたらこの身の行く末はどうなるのだろうか。そうするためにこの地に来たはずであった。けれども二公子では意味がない。目的を果たしたとはいえない。
 一瞬、極彩は我が身が可愛くなった。そのために躊躇いが起こった。二公子で妥協して、故郷のために一矢報いればよかったのだ。
「いいえ、わたしは結構です」
「抱っこじゃなくて、また抱いてあげようか。そうすれば、変な気も起こさなくなるんじゃない」
 寒い。彼女の顔は青褪めていく。殺気など、大して湧かなかった。湧かなかったからこそ戸惑った。
「遠慮しないでよ。オレは忙しいけど、惚れた女を後回しにするほど無能じゃない。夏虫くんにそうとう打ちのめされたんだろう? どんな作品ができているのか、気にならないでいられないな」
 二公子の足元では白い毛の塊が跳ねていた。一度降ろした獣をまた抱き上げ、牢の中を見回した。
「こういう場所でっていうのも悪くないな。そう思わない? 彩。同意以外は許さないよ」
「お風邪を召してしまいます……」
 極彩は実際、寒くなってしまった。足が動かない。爪先の感覚はなかった。かろうじて口が動く。
「それが精一杯の拒絶の言葉かい」
「……"娘"の前ですから」
 "娘"は人間社会の権力者の腕を必死に蹴っている。
「なるほど、一理ある。教育上よくないな。確かに虐待だよ」
 二公子は暴れている小動物を放した。
「ごはんは食べた?」
「いいえ。食欲がなかったものですから」
「君に元気になってもらいたくって、うさぎを捌いてもらったのに。無駄死になんて可哀想だよ。食べてあげて。食べなよ。食え」
 白い手袋が外される。冷気になめらかな素肌が曝された。その手は皿を拾う。そして焼かれたか煮たかした肉を摘むと、彼女のほうへ躙り寄っていった。
「食べさせてあげるよ。身体、しんどいでしょ?」
 身体は熱を帯びて痛みに疼いているが、皿を持ち、箸を握り、口へ運ぶくらいのことはできる。
「可哀想に……」
 摘んだ肉を天藍は己の口に放り込んだ。咀嚼する。そしてまた、極彩へ躙り寄る。嗜虐的な微笑を湛えて。


 格子扉が軋みながら開いた。彼女は釈放されたのだ。強い吐気を堪えた。胃酸が内容物を伴って喉元まで迫り上がってきている。
「さ、出なよ、彩。あの子畜生から保護者を奪ってしまうのもまた虐待だからね」
 吐気を抑える。
「保護者ではありません」
「保護者さ。世間で生きている大人は、クソガキの保護者になるんだよ。嫌だね! 金という税、苦痛という税、さらにはそんな責任の税を払わなければならないなんてね」
「わたしには精一杯です」
「あの山窩の子で? 捨てなよ。山窩の子より城下の得体の知れた子のほうがえらいんだよ。しかも片輪で山窩の子じゃあ、どうしたって、どっちが国力か、国の宝か、明らかだ」
 嘔吐感を呑み込む。
「わたしは紅が大事なのです」
「すでに天秤に掛けているんだね、君は。悪いやつだ」
「はい。論なく、わたしは紅が大事です」
 喋るだけの刺激でも、逆流するものが出口を探し、はち切れそうであった。咄嗟に口元を押さえた。二公子はにんまりと笑む。
「素敵だよ、君は! 素敵だよ……またすぐに会いたいけど、次の仕事があるらしいね」
「城仕えの方々ではできないことを」
「当たり前だよ。捨て駒に優秀な城仕えを据えられるわけはないでしょう? 彩、死んでもいいよ。でも、死体だけは帰ってきてね。ぐちゃぐちゃの挽き肉でもいいから。君なら。一緒につくねになろう。オレも君を犯したところを切り落として、挽き肉にするよ」
「失礼します」
 極彩は身を引き摺るようにして牢から出ようとした。暴れ回っているものを吐き出したい。しかしそれを見抜いているのか否か、二公子は彼女の粗末な衣を摘んだ。
「あ、言い忘れてた」
 青褪めた顔で振り返る。
「群青、結構壊れちゃっててさ。君と一緒に暮らしてもらうことになったから」
「……はい?」
 吐気に焦った。息を切らし、冷や汗をかく。
「群青と暮らしてね。梔子くちなしさん。君は今日から、寝取り女の泥棒猫というわけだよ。分かるね?」
 拒否できる立場にはない。
「困ります」
「困ったものだよねぇ、群青には! 一体誰が、彼にそんな酷いことをしたのだろう? 一体誰が、純情な彼の思慕を弄んだのだろう? 一体誰が? 赦せないな。彩もそう思わない?」
 極彩は目を伏せた。顔も背ける。上等な衣に胃酸をかけるわけにはいかない。
「その間、群青殿にお仕事はさせないおつもりですね」 
「させるさ。仕事をさせない? そんなのは群青を殺す行いだよ。君は酷いな。悪女の所業だよ。極悪人だ。彩、無理解は人を壊し、人を殺すよ。群青をね」
「わたしといるのは、余計に……」
 天藍は手を打ち鳴らして嗤った。
「そこまで愛されている自覚があるというわけだ?」
「……いいえ」
 愛欲ではなかろう。あの者のそれは執着だ。思いどおり手に入らないものに、収集癖を刺激されているのだ。相手に自我があることも構わず。
「頼んだよ、彩。報酬ははずむよ。オレは君を愛しているし、贔屓しているし、ぞっこん参っているんだからね。夢中なのさ、君に」
「ありがたき、幸せ……」
「そうでしょう、彩。だからオレに"親鳥されて"嬉しいでしょ? 光栄でしょ? すべて吐いちゃうなんて勿体無いことしないよね? オレの津液ごと、君の栄養にならせてくれるだろ?」
 限界だった。彼女はもう耐えられなかった。つい先程の生々しさを今現在としてふたたび味わわなければならなくなった。身体から力が抜け、膝から崩れ落ち、腹の底から濁流が生まれた。親鳥と雛鳥のようにされて受け渡されたものが、胃液を纏って叩きつけられる。
 天藍は厭うこともなくその傍に屈み、広がっていく惨物を眺めていた。脇に寄ってきた白い毛並みを撫でることも忘れない。
「彩は吐くのが趣味なんだな。いいよ、付き合ってあげよう。こんな勿体無いことをして、屠られちゃったうさぎが可哀想だろう?」
 二公子は一見して、清廉で清潔感のある身形をしていた。だが衛生観念については一線を画している。手袋のまま、おぞましいものを拾う。
「御慈悲を……」
「群青みたいに、その辺で捕まえた蜚蠊ごきぶりを食べさせられたわけじゃないじゃない。それに自分の吐いたものだよ? そこまで嫌がることじゃない。今、風月国は飽食時代で、食うに困るは浮浪者と訳分からんガキと浚いきれない貧乏人と山奥の頑固な田舎者くらいだよ? でもいつまでこんな豊かな時代が続くかは、為政者の端くれとして癪だけど、分からないな。だからお残しは赦せないよ。吹き出して残してないことにするのもね。うさぎを飼育し捌い他人、調理した人、ここに持ってきた人、彼等彼女等を雇うために税金を収めた人、その他様々に感謝して、ほら、あーんして? いただきます、でしょ?」
 苦しみの時間が再来した。帰される頃には彼女は窶れていた。
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