皇太子の溺愛

にゃこにゃこ

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「あれは、神か⋯⋯?」
 兵士の誰かが呟く。その神々しい姿に、誰もが臨戦態勢を取れなくなっていた。僕もディヴェルツェすら、戦闘を忘れるほどに。
 竜のように見えるのに、鱗はなくて、代わりに白金の毛並みに体が覆われている。その目は金色で、長い髭が揺れている。
 決して味方じゃないだろう。僕たちに対して敵意のこもった視線を向けている。
「もしかして⋯⋯」
 シェリアのつぶやきと、奴の動きはほぼ同時。しかし速さはディヴェルツェの比にならないほどで、気が付けばディヴェルツェは奴にねじ伏せられていた。
 体格は奴が圧倒しており、ディヴェルツェは抵抗らしい抵抗ができていない。
「ディヴェルツェ!」
 僕がディヴェルツェの傍に駆け寄ろうとした瞬間、奴の姿が消え、僕の後ろ側⋯⋯人間側の方に移動していた。
 目で追えなかった⋯⋯明らかに、竜の動きでもない!
「ようやく見つけた⋯⋯さぁ、帰ろう」
 優しい囁き声と共に、奴はシェリアを咥えると、凄まじいスピードでこの場を立ち去る。
 嵐が一瞬で過ぎ去ったかのような出来事だった。僕ですら、状況を把握出来ていない。奴の目的も、なぜシェリアを奪ったのかも。
 敵意はあったが、奴は僕たちを攻撃する素振りはなかった。
 その場に混乱だけを残して、あとは何も残さずに。
「一体、何が⋯⋯」
 ドンッ、と後ろから何かが倒れる音がした。ディヴェルツェだった。
 あぁそうか、お前はもう⋯⋯。
 限界を超えてなお酷使されただろうディヴェルツェは、魔術師の術から何らかの理由で逃れることが出来たのに。
 僕は混乱も奴のことも、シェリアのことも頭の隅に起き、今はディヴェルツェの傍に座り込み、その頭に手を置いた。お前と、向き合わねばならない。今だけは、そうしなければならない。
 理由は分からないけれど、奴はシェリアを害することはないという確信があった。
「カル、か⋯⋯情けないだろう」
「逝くのかい?」
「ようやく、あいつらのところに逝ける。目を閉じれば、あいつらが⋯⋯呼んでるんだ」
 死者の呼び声が聞こえるのであれば、ディヴェルツェはもう終わりだ。
「なぁカル、なんで、こんなことになったんだろうな。どこで道を、違えたんだろうな」
「あの時以外に、思いつくかい?」
 君と僕が別れた、あの日。妻子を失った君を僕が見捨てたあの日しか、思いつかない。
 それを聞いたディヴェルツェが、喉でくつくつと笑う。
「人間は嫌いだ。人間の手から竜を解放すれば、お前も戻ってきてくれると⋯⋯」
 君の願いは叶えてやれないな、ディヴェルツェ。僕はちゃんと、あいつとしたのだから。
 次第とディヴェルツェの目から生気が失われていく。
「ディヴェルツェ。僕もそう長くない、向こうで会おう」
「⋯⋯お前はまだ来るなよ」
 鼻で笑って、ディヴェルツェの首がガクンとなった。
 少なくとも、坊ちゃんが死ぬくらいには僕も死ぬ。人間には長い時間でも、僕たち竜からしたらそこそこ老い先短い方。
「カル⋯⋯」
 ラクアンが心配そうに声をかけてくれたけど、僕も覚悟はしていた。
「ディヴェルツェの死体は僕に任せてくれないかい」
「あぁ構わない。カル、それよりもシェリアが⋯⋯」
 どうするべきか⋯⋯奴には確実に敵わない。それにあんな速さで襲いかかってこられたら、僕もあの世行きだよ。
 だがシェリアを探さない訳にはいかない。害をなさないという確信はあっても、やはり心配だ。
 奴が去っていった方向は分かるが、一体どこに行ったのか⋯⋯。
「坊ちゃん、焦っても仕方がない。今は話をまとめよう。ラクアン、全員に城内待機の指示と事情聴取を。僕はディヴェルツェを弔ってくるよ」
「気をつけてな、カル」
 一回り大きいディヴェルツェの死骸は重かったが、それでも弔いたい場所があった。一度この場をラクアンに任せ、僕は1人、ディヴェルツェを背負って飛び立った。


 ☆☆☆


 そこは、既に2つの墓がある場所。ひっそりとした森の奥に、2人の魂が眠っている。元々ディヴェルツェと僕が住処としていた場所だったが、今じゃ誰も近寄らない場所になった。
 そんなに体も大きくなかった妻と、まだリムウェルよりも小さかった子供は、多分ディヴェルツェが穴を掘って弔ったんだろう。
 けど、馬鹿だなぁ。君みたいな馬鹿でかい体は、何時間かけて穴を掘ればいいやら。
 墓前に季節の花と、ディヴェルツェを横たえる。
「見てごらん、ディヴェルツェ。全く変わらないね。僕たちの家は」
 誰か使ったっていいのにね。
 あぁでも、お墓を荒らされたらたまったものじゃないね。
「空も晴れ晴れとして、こんな日はゆっくり昼寝したいものだよ」
 君もそうだろう? だって、あんなに昼寝が好きだったのに。
「なのにつれないじゃないか。最期の別れも、あまり出来なかったのに。そんな穏やかな顔してさ」
 話したいこと、謝らなければならないこと、あんな一瞬で伝えられないほどあったのに、こんなあっさり逝くなんて。
「ディヴェルツェ、妻子に会えたかい? そっちでは穏やかに暮らせそうかな?」
 たまには良いじゃないか。人間への嫌悪も、恨みも憎しみも、戦いのことも忘れて、ゆっくりしたって。
 君はもう、ひとりじゃないんだろう?
「リムウェルが大人になる頃には、僕はもう高齢の竜。動くこともままならないかもね」
 そして、そっちに行って、イレイナに会わないと。
 その時は、迎えに来てよ。僕も黄泉路を迷いたくはないからさ。
「ディヴェルツェ、僕も昼寝をしたいんだけど、まだ出来ないみたいだ。あの子を、シェリアを迎えに行かないといけないからね」
 だからさ、ディヴェルツェ。
「君はゆっくり休むといい。このお墓と住処は、僕が生きてる限り守るからさ」
 名残惜しいけど、行かなきゃいけないみたいだね。
「じゃあねディヴェルツェ、また数十年後に会おう」
 そしたらあの世で、たっぷり語ろう。
 現世の未練も、楽しかったこと悲しかったこと、憎んだこと。
 そして、話せなかったことを。
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