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思い出は忘れた頃に訪れる
#11
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静かな夜は涙を流すジョーティの来訪から始まり、初めてご来店される占い師の言葉で、私の心に穏やかさを与えてはくれません。
占い師のユーハン様と会話を続けるに当たり、万が一を考えて店の看板をCHIUSOに切り替えました。
今は私と二人でテーブル席へ移動し、軽食とお酒を運んで対話をしております。
「営業の邪魔になってしまったようで申し訳ありません」
「いえ、今晩はもうご来店もないでしょうから問題ありません」
私は自分に用意したジンのロックを口にしながら答えます。
ユーハン様は私の気が少し緩んだとお考えになったのか、改めて先程されていた話の続きをなさいます。
「チルネという方を貴方はご存知なのですね」
「はい」
「親しい方なのですか?」
「いえ、私がお世話になった貴族の方と縁のある方です」
チルネ様はシアン様と親しい獣人です。
彼は彼女を救うために様々な努力をし、私はその手助けをしたに過ぎません。
「その方は今どちらにいるのですか?」
「リュンヌのどこかとしか、詳しくは存じ上げません」
「そうですか」
私の回答に安堵したのか、ユーハン様は背もたれに体を預けます。
「それなら良かった、リュンヌ貴族の関係者なら早々手は出せないはずです」
「そうなのですか?」
「あの国の方は表向きを大切にします。領土に住む奴隷でも平民でも、所有物を他の存在に脅かされるようであれば、争ってでも許すことはありません」
「それは他国だからですか?」
「他の領土相手でも同じ事です。しかし国内では争うほどの事は滅多に起きないと聞いています」
ユーハン様の話が本当なら、チルネ様の隷属の件はかなり手のかかる問題だったようです。
「チルネという方を探している方から一通り話は聞いたのですが、理解に苦しむ内容でした」
それから姿勢を前かがみに戻し、視線をテーブルに向け胸元を探ります。
「灰皿がありますが、タバコに火をつけても良いですか?」
「もちろんです、よろしければこちらも」
私はポケットに入れていたマッチをテーブルに置き、私もタバコを取り出します。
「リモワに来てからは平和な悩みばかりでしたので、とても異質な内容に思えました」
───────
男性よりも短い髪の、まだ少女と言える年齢の客。
春先の黄昏で陰り始めた陽光を背に、室内を軽く見回している。
恋の悩みを抱えた女性が、一人で路地裏の店へ訪れるのは珍しい事ではない。
彼女も胸に秘めた熱情を落ち着けるために来た一人だろう。
「今、やってますか?」
「はい、お入りください」
少女は静かに扉を閉じ、室内が元の闇を取り戻す。
遠くに聞こえた喧騒は陽光と共に室内から去り、部屋には奇妙な仮面の男と少年のような少女が残された。
少女は店内を視線だけで見回しながら椅子へ腰掛け、正面に座る私を見て身を強ばらせる。
この仮面のせいだろう。
無機質に見える不気味な仮面は、初対面の相手には緊張を強いるものだ。
机の引き出しから紙を取り出し、空欄を埋めるように促す。
固く引き結ばれた口元を緩めず、小さく頷き返す。
ささくれの目立つ指先をペンへ伸ばし、時折悩む素振りを見せながら文字を並べていく。
走るペンの音が止まってから数秒、彼女はペンを置き紙をこちらへ押し戻す。
「拝見します」
名前はマリナ・クダ、歳は二十歳に満たないが先程見えた姿はもっと幼く見えた。
今は仕事をしていないが、接客が必要となる仕事に就きたいと考えている。
問題の悩みは「妹のチルネは何処にいるのか」とある。
───────
「先程の仮面はかなり特殊なもので、悩みの内容を理解した上で相手を見ると、それに関わる過去とその時の感情、また起こり得る少し先の事が分かります」
ユーハン様がタバコの先端で灰皿の端を二度叩き、灰を落とします。
「予知のようなものですか?」
「というより、その方にとって一番確度の高い予測という表現が近いと思っています」
「予測、ですか」
「例えば貴方の場合は……浴場で歌うように独り言を話す男性が見え、貴方が彼に不快感を抱いている事が分かりました。それから近いうちにまた貴方が浴場を利用する可能性があり、そこで同じ事が起こるであろう事が見えました」
「確かに、そうなっていた可能性が高いと思います」
「貴方の質問は『彼が何者か』でしたが、見えたものから考えると、正体より避ける方法を望んでいらっしゃるようでしたので、あのように答えました」
確かに彼の言う通りです。
質問の答えを言葉通りに答える事が占いではないようです。
仮に私が彼の持つ仮面や秘技を用いたとしても、同じように占う事は出来そうもありません。
───────
その妹と随分と前に別れたのか、断片的な物しか見えない。
ガラス越しに見える雪の積もった屋外で震える姿、床に零れた液体と滴る涙を拭く姿。
そして、胸を満たす暗い愉悦。
リモワに来てからは初めてだ、久しぶりに粘り着くような不快感を覚える。
彼女は本当に妹の行先に心当たりがないようで、これまでも情報屋や様々な伝手を頼り調べてはきたようだ。
「どうやら、貴方とお探しの方はご縁に恵まれないようです」
あってはならない、幼い少女のあんな姿を喜ぶような人とは。
「あの、この国の宰相と仲良くなるにはどうしたら良いですか?」
私の言葉に対し、紙に書かれた内容とはまるで違う事を言い出す。
「オランディに宰相はおりません」
「なら、銀の毒花と呼ばれる男性に心当たりはありませんか?」
この国に来てから同じ相談を何度も受けた。
占いに来た客の中に銀の長髪の男性を見た事がある。
一人はバーのカウンター越しに話す姿を、もう一人は船の上でタバコに火をつけながら無愛想に話す姿。
そのもう一人の相談内容で、彼が今リモワにはいない事を知っている。
「ここにはいらっしゃらないようです」
「じゃあリュンヌの貴族と親しい人は?」
話に一貫性を感じないが、彼女の中では全て繋がっているようだ。
しかし彼女は、既に今の質問の答えを持っている。
「貴方が知る事が全てです」
この答えに不服だったのか、小さく「使えないな」と呟く。
「これで最後にします」
彼女は顔を上げ、私を睨みつける。
───────
「アナスターシオ家具店の店主の名前を聞かれましたので、それを答えたところでようやく笑顔になりました」
「答えたのですか?」
「家具店の店主なら過去にご来店されましたので、名前程度なら答えても彼女の未来に影響はないようでした」
火の消えたタバコを灰皿に押し付け、ユーハン様は背もたれに身を預けます。
あの女性がシオ様のお名前を知っていた理由は彼だったようです。
「あれから『彼女に困っているからどうしたら良いか』などと相談される事が何度かありましたが、彼女は店には来ておりません」
新しくタバコに火をつけ、少し気を取り直したように話を続けます。
「話が逸れました。彼女の占いの続きですが、チルネという少女を探す理由を問うと『今の自分の不幸は妹とのバランスで成立しているから、自分の幸せのためには妹がどんな状態なのか常に知らなければならない』と、彼女なりに答えてはくれました」
自分の不幸のバランス?
ユーハン様は言葉のままに話していらっしゃるのかと思いますが、私には理解が難しいです。
「そのようなものが存在するのでしょうか?」
「タンランでも聞いた事はありません。術式と呼ばれるものに何かあるのか、それとも儀式か……」
彼女の答えに対して、ユーハン様も明確な回答は持っていらっしゃる訳ではないようです。
「どんな理由や手段であれ、彼女は妹を悪意を持って探していて、私は彼女より早くその手掛かりになる貴方を見つけました、が」
ユーハン様が吸いかけのタバコを灰皿に置き、吸殻から手を離します。
「先程の話通りなら、その少女は彼女が手を出せない場所にいるようです」
穏やかに微笑み、グラスを手にして傾けます。
喉が動き、酒を嚥下するのが分かります。
「占いで見たチルネという少女の姿は、とても見てられるものではありませんでした。どうしてもこの事を確認したくて、今日はここまで来ました」
足の不自由な彼が杖を着いて遅い時刻に地下のバーへ訪れるのは、楽な事では無かったでしょう。
それでも彼はチルネ様の安否を気遣い、自分の商売のネタを明かしてまで私に聞きに来たということでしょう。
「チルネ様はリュンヌで侯爵の元、幸せに暮らしていると思います。彼女に何かあれば侯爵が決して許すことはないでしょう」
チルネ様の隷属を解いた後の笑顔と涙は、嘘をついているように思えません。
「そうですか、それなら良かった」
グラスを置き、灰皿に置いたタバコを手にします。
「あんな姿の少女をあんな気持ちで見たくはありませんでした。彼女の理論は分かりませんが、聞かれても教える事のないようにお願いできますか?」
「はい、侯爵にも連絡をしておきます」
ユーハン様がタバコの煙を吐き出し、紫煙の香りとピアノの音が静かに広がります。
占いに来た女性はおそらくマリエッタ様と呼ばれている方でしょう。
チルネ様はユメノリア様の奴隷のルネ様と扱われているでしょうし、侯爵の連れている子犬と同一の存在とは考えている方はいないでしょう。
彼女の目的はチルネ様を探す事のようですが、王都での噂を考えるとそれだけとは思えません。
ユーハン様のお話通りなら、彼女にチルネ様の事を知らせる訳にはいかないと思いました。
占い師のユーハン様と会話を続けるに当たり、万が一を考えて店の看板をCHIUSOに切り替えました。
今は私と二人でテーブル席へ移動し、軽食とお酒を運んで対話をしております。
「営業の邪魔になってしまったようで申し訳ありません」
「いえ、今晩はもうご来店もないでしょうから問題ありません」
私は自分に用意したジンのロックを口にしながら答えます。
ユーハン様は私の気が少し緩んだとお考えになったのか、改めて先程されていた話の続きをなさいます。
「チルネという方を貴方はご存知なのですね」
「はい」
「親しい方なのですか?」
「いえ、私がお世話になった貴族の方と縁のある方です」
チルネ様はシアン様と親しい獣人です。
彼は彼女を救うために様々な努力をし、私はその手助けをしたに過ぎません。
「その方は今どちらにいるのですか?」
「リュンヌのどこかとしか、詳しくは存じ上げません」
「そうですか」
私の回答に安堵したのか、ユーハン様は背もたれに体を預けます。
「それなら良かった、リュンヌ貴族の関係者なら早々手は出せないはずです」
「そうなのですか?」
「あの国の方は表向きを大切にします。領土に住む奴隷でも平民でも、所有物を他の存在に脅かされるようであれば、争ってでも許すことはありません」
「それは他国だからですか?」
「他の領土相手でも同じ事です。しかし国内では争うほどの事は滅多に起きないと聞いています」
ユーハン様の話が本当なら、チルネ様の隷属の件はかなり手のかかる問題だったようです。
「チルネという方を探している方から一通り話は聞いたのですが、理解に苦しむ内容でした」
それから姿勢を前かがみに戻し、視線をテーブルに向け胸元を探ります。
「灰皿がありますが、タバコに火をつけても良いですか?」
「もちろんです、よろしければこちらも」
私はポケットに入れていたマッチをテーブルに置き、私もタバコを取り出します。
「リモワに来てからは平和な悩みばかりでしたので、とても異質な内容に思えました」
───────
男性よりも短い髪の、まだ少女と言える年齢の客。
春先の黄昏で陰り始めた陽光を背に、室内を軽く見回している。
恋の悩みを抱えた女性が、一人で路地裏の店へ訪れるのは珍しい事ではない。
彼女も胸に秘めた熱情を落ち着けるために来た一人だろう。
「今、やってますか?」
「はい、お入りください」
少女は静かに扉を閉じ、室内が元の闇を取り戻す。
遠くに聞こえた喧騒は陽光と共に室内から去り、部屋には奇妙な仮面の男と少年のような少女が残された。
少女は店内を視線だけで見回しながら椅子へ腰掛け、正面に座る私を見て身を強ばらせる。
この仮面のせいだろう。
無機質に見える不気味な仮面は、初対面の相手には緊張を強いるものだ。
机の引き出しから紙を取り出し、空欄を埋めるように促す。
固く引き結ばれた口元を緩めず、小さく頷き返す。
ささくれの目立つ指先をペンへ伸ばし、時折悩む素振りを見せながら文字を並べていく。
走るペンの音が止まってから数秒、彼女はペンを置き紙をこちらへ押し戻す。
「拝見します」
名前はマリナ・クダ、歳は二十歳に満たないが先程見えた姿はもっと幼く見えた。
今は仕事をしていないが、接客が必要となる仕事に就きたいと考えている。
問題の悩みは「妹のチルネは何処にいるのか」とある。
───────
「先程の仮面はかなり特殊なもので、悩みの内容を理解した上で相手を見ると、それに関わる過去とその時の感情、また起こり得る少し先の事が分かります」
ユーハン様がタバコの先端で灰皿の端を二度叩き、灰を落とします。
「予知のようなものですか?」
「というより、その方にとって一番確度の高い予測という表現が近いと思っています」
「予測、ですか」
「例えば貴方の場合は……浴場で歌うように独り言を話す男性が見え、貴方が彼に不快感を抱いている事が分かりました。それから近いうちにまた貴方が浴場を利用する可能性があり、そこで同じ事が起こるであろう事が見えました」
「確かに、そうなっていた可能性が高いと思います」
「貴方の質問は『彼が何者か』でしたが、見えたものから考えると、正体より避ける方法を望んでいらっしゃるようでしたので、あのように答えました」
確かに彼の言う通りです。
質問の答えを言葉通りに答える事が占いではないようです。
仮に私が彼の持つ仮面や秘技を用いたとしても、同じように占う事は出来そうもありません。
───────
その妹と随分と前に別れたのか、断片的な物しか見えない。
ガラス越しに見える雪の積もった屋外で震える姿、床に零れた液体と滴る涙を拭く姿。
そして、胸を満たす暗い愉悦。
リモワに来てからは初めてだ、久しぶりに粘り着くような不快感を覚える。
彼女は本当に妹の行先に心当たりがないようで、これまでも情報屋や様々な伝手を頼り調べてはきたようだ。
「どうやら、貴方とお探しの方はご縁に恵まれないようです」
あってはならない、幼い少女のあんな姿を喜ぶような人とは。
「あの、この国の宰相と仲良くなるにはどうしたら良いですか?」
私の言葉に対し、紙に書かれた内容とはまるで違う事を言い出す。
「オランディに宰相はおりません」
「なら、銀の毒花と呼ばれる男性に心当たりはありませんか?」
この国に来てから同じ相談を何度も受けた。
占いに来た客の中に銀の長髪の男性を見た事がある。
一人はバーのカウンター越しに話す姿を、もう一人は船の上でタバコに火をつけながら無愛想に話す姿。
そのもう一人の相談内容で、彼が今リモワにはいない事を知っている。
「ここにはいらっしゃらないようです」
「じゃあリュンヌの貴族と親しい人は?」
話に一貫性を感じないが、彼女の中では全て繋がっているようだ。
しかし彼女は、既に今の質問の答えを持っている。
「貴方が知る事が全てです」
この答えに不服だったのか、小さく「使えないな」と呟く。
「これで最後にします」
彼女は顔を上げ、私を睨みつける。
───────
「アナスターシオ家具店の店主の名前を聞かれましたので、それを答えたところでようやく笑顔になりました」
「答えたのですか?」
「家具店の店主なら過去にご来店されましたので、名前程度なら答えても彼女の未来に影響はないようでした」
火の消えたタバコを灰皿に押し付け、ユーハン様は背もたれに身を預けます。
あの女性がシオ様のお名前を知っていた理由は彼だったようです。
「あれから『彼女に困っているからどうしたら良いか』などと相談される事が何度かありましたが、彼女は店には来ておりません」
新しくタバコに火をつけ、少し気を取り直したように話を続けます。
「話が逸れました。彼女の占いの続きですが、チルネという少女を探す理由を問うと『今の自分の不幸は妹とのバランスで成立しているから、自分の幸せのためには妹がどんな状態なのか常に知らなければならない』と、彼女なりに答えてはくれました」
自分の不幸のバランス?
ユーハン様は言葉のままに話していらっしゃるのかと思いますが、私には理解が難しいです。
「そのようなものが存在するのでしょうか?」
「タンランでも聞いた事はありません。術式と呼ばれるものに何かあるのか、それとも儀式か……」
彼女の答えに対して、ユーハン様も明確な回答は持っていらっしゃる訳ではないようです。
「どんな理由や手段であれ、彼女は妹を悪意を持って探していて、私は彼女より早くその手掛かりになる貴方を見つけました、が」
ユーハン様が吸いかけのタバコを灰皿に置き、吸殻から手を離します。
「先程の話通りなら、その少女は彼女が手を出せない場所にいるようです」
穏やかに微笑み、グラスを手にして傾けます。
喉が動き、酒を嚥下するのが分かります。
「占いで見たチルネという少女の姿は、とても見てられるものではありませんでした。どうしてもこの事を確認したくて、今日はここまで来ました」
足の不自由な彼が杖を着いて遅い時刻に地下のバーへ訪れるのは、楽な事では無かったでしょう。
それでも彼はチルネ様の安否を気遣い、自分の商売のネタを明かしてまで私に聞きに来たということでしょう。
「チルネ様はリュンヌで侯爵の元、幸せに暮らしていると思います。彼女に何かあれば侯爵が決して許すことはないでしょう」
チルネ様の隷属を解いた後の笑顔と涙は、嘘をついているように思えません。
「そうですか、それなら良かった」
グラスを置き、灰皿に置いたタバコを手にします。
「あんな姿の少女をあんな気持ちで見たくはありませんでした。彼女の理論は分かりませんが、聞かれても教える事のないようにお願いできますか?」
「はい、侯爵にも連絡をしておきます」
ユーハン様がタバコの煙を吐き出し、紫煙の香りとピアノの音が静かに広がります。
占いに来た女性はおそらくマリエッタ様と呼ばれている方でしょう。
チルネ様はユメノリア様の奴隷のルネ様と扱われているでしょうし、侯爵の連れている子犬と同一の存在とは考えている方はいないでしょう。
彼女の目的はチルネ様を探す事のようですが、王都での噂を考えるとそれだけとは思えません。
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