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15 お姫様と綺羅様
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「嫌ですわ、絶対に嫌ですお父様。私は出ません」
少女は甲高い声を張り上げた。
「我が儘を云うなエリザベス。これもすべてサマセット家のためなのだ」
しかし父親もひるむ様子は無い。
「お父様は恥ずかしくないのですか。ブランドルに狗のように易々と尻尾を振って」
「ヴァレンシュタインに金を払って以来の我がサマセット家の伝統だ。チャールズにもクロムウェルにもビスマルクにもそうしてきた。ヴィルヘルムはこれで二回目だ。誰にへつらってでも生き残る、それがフランダースの地を治めるサマセット家だ。むしろ誇りだ」
「世間でサマセット家がなんと呼ばれているのか知っているのですか。リールの風見鶏ですよ」
「それがどうした。たとえミカドやスルタンがやってきても先頭で靴を舐めてやる」
「私は嫌です。自分の家がそんな恥知らずな一族だなんて。敵に媚びを売るだなんて」
「つべこべ云わずに支度をせんか。お前もサマセット家の娘ならブランドルの将校の一人や二人たらし込め」
云うだけ云うと伯爵は足早に部屋を去って行った。残されたエリザベスはベッドに倒れ込んで泣き崩れた。
「なんだか色々大変ですねぇ伯爵家って」
窓の外で一部始終を盗み聞きしていた朱音は小声で話した。
「まあ確かにこれならこっそり入って正解でしたね」
中と外の様子に気を配りながら洋一が続ける。サマセット家の屋敷に着いたら、綺羅は勝手知ったる様子で裏の森に回って垣根の切れ目から入っていった。
「だろう、メアリーに教えてもらったんだ。こっそり抜け出すのにちょうどいいって」
そして今度はこっそり入るのに使わせてもらった。夕闇に紛れてバルコニーに登るのは本当にどうかと思うが、率先して綺羅が登るので続かざるを得ない。
「そろそろかな。ちょっと挨拶してくる。呼んだら来てくれ」
そう云うと、止める間もなく綺羅は窓の前に立っていた。
枕を涙で濡らしながら、エリザベス・サマセットは己の無力を嘆いていた。
結局貴族の娘は誰かの道具でしかない。何をすることも許されず、家のためにどこかに嫁いで子を産んで何者にもなれないまま消えていく。そこに自分は全くない。
好きなように生きればいい。
かつてそういった人が居た。異国から来たその人は、誰よりも美しく誰よりも強かった。
自分はそうするつもりだし、リズもそうすればいい。楽しいよ。そういってあの人は笑った。
そういえば、ココ・シャネルみたいになりたいといっても否定しなかったのはあの人だけだった。リズの作った服はかわいいと思う。いっそリズ・サマセットになってしまえばいい。
ごめんなさい。やっぱり私は貴方のように強くなれなかった。リズはリズになれなかった。枕に顔を埋めて、彼女は嗚咽を押し殺した。
コツコツと窓が叩かれたのはそんなときだった。鳥にしてはおかしな刻限だった。あるいは物の怪の類いかもしれない。いっそその方が良いだろうか。そう思ってエリザベスは顔を上げて、息を呑んだ。
「おお、神よ」
ベッドから転がるようにして窓に寄り、鍵を開ける。バルコニーには誰よりも美しく、誰よりも強い異邦人が、そこに居た。
「ケイラ、ケイラなの? どうして、これは夢なの?」
夢なら覚めないでほしかった。目の前の人は、思い出よりも更に美しくなっていた。
「やあリズ。すっかり綺麗になった」
しかし紅宮綺羅の指は確かにエリザベスの髪をなで上げる。エリザベスは綺羅の胸に飛び込んだ。
「どうしたんだいリズ。泣き顔は君には似合わないよ」
顔を埋めながらエリザベスはこれから行われることを伝えた。出たくもない、屈辱的な舞踏会のことを。
「お願いケイラ、私をここから連れ出して。私をリズにして!」
無理な願いに、綺羅はエリザベスの涙を拭った。
「残念ながら私は神ではないよ。自分のこともままならないちっぽけな存在だ」
「嘘、その格好を見れば判る。ケイラ、貴方本当にパイロットになったのでしょう。誰もが絶対に無理だと云っていたのに、本当になってしまった」
目の前に不可能を可能にしてしまった人を前にしては、自分がやるべきことをやっていない、ちっぽけな人間に思えてしまう。
「そうだなぁ、今の私にできることは限られてる。それでも、今晩だけなら、君の願いを叶えてあげる。かわいいリズにかける、ささやかな魔法さ」
そう云って綺羅はエリザベスの瞳を覗き込む。
「その代わり、約束してくれ。リズはリズの力でリズになるんだ。強大な現実に比べて、自分の力はあまりにも小さい。けど、どんな小さなことでもいい。リズはリズを掴むんだ。どんなに強い向かい風も、ここの中の小さな炎はけして消すことはできない」
エリザベスはうなずいた。ああ、この人はやはり、リズの聖人様なのだ。この世の人ではない。
「さあ中に入ろう。魔法は君の協力が必要なのだ。おっと」
そこで初めて綺羅は洋一たちの方を向いた。
「紹介するよ。私の、そうだな魔法使い見習いたちだ」
奇妙な紹介に面食らったが恭しく礼をする。
「魔法はみんなの力を合わせなくてはね。リズ、君の裁縫の腕はまた上がったかな」
一体どんな『魔法』を手伝わされるのだろう。皆目見当が付かないまま洋一はエリザベス嬢の部屋にお邪魔した。
少女は甲高い声を張り上げた。
「我が儘を云うなエリザベス。これもすべてサマセット家のためなのだ」
しかし父親もひるむ様子は無い。
「お父様は恥ずかしくないのですか。ブランドルに狗のように易々と尻尾を振って」
「ヴァレンシュタインに金を払って以来の我がサマセット家の伝統だ。チャールズにもクロムウェルにもビスマルクにもそうしてきた。ヴィルヘルムはこれで二回目だ。誰にへつらってでも生き残る、それがフランダースの地を治めるサマセット家だ。むしろ誇りだ」
「世間でサマセット家がなんと呼ばれているのか知っているのですか。リールの風見鶏ですよ」
「それがどうした。たとえミカドやスルタンがやってきても先頭で靴を舐めてやる」
「私は嫌です。自分の家がそんな恥知らずな一族だなんて。敵に媚びを売るだなんて」
「つべこべ云わずに支度をせんか。お前もサマセット家の娘ならブランドルの将校の一人や二人たらし込め」
云うだけ云うと伯爵は足早に部屋を去って行った。残されたエリザベスはベッドに倒れ込んで泣き崩れた。
「なんだか色々大変ですねぇ伯爵家って」
窓の外で一部始終を盗み聞きしていた朱音は小声で話した。
「まあ確かにこれならこっそり入って正解でしたね」
中と外の様子に気を配りながら洋一が続ける。サマセット家の屋敷に着いたら、綺羅は勝手知ったる様子で裏の森に回って垣根の切れ目から入っていった。
「だろう、メアリーに教えてもらったんだ。こっそり抜け出すのにちょうどいいって」
そして今度はこっそり入るのに使わせてもらった。夕闇に紛れてバルコニーに登るのは本当にどうかと思うが、率先して綺羅が登るので続かざるを得ない。
「そろそろかな。ちょっと挨拶してくる。呼んだら来てくれ」
そう云うと、止める間もなく綺羅は窓の前に立っていた。
枕を涙で濡らしながら、エリザベス・サマセットは己の無力を嘆いていた。
結局貴族の娘は誰かの道具でしかない。何をすることも許されず、家のためにどこかに嫁いで子を産んで何者にもなれないまま消えていく。そこに自分は全くない。
好きなように生きればいい。
かつてそういった人が居た。異国から来たその人は、誰よりも美しく誰よりも強かった。
自分はそうするつもりだし、リズもそうすればいい。楽しいよ。そういってあの人は笑った。
そういえば、ココ・シャネルみたいになりたいといっても否定しなかったのはあの人だけだった。リズの作った服はかわいいと思う。いっそリズ・サマセットになってしまえばいい。
ごめんなさい。やっぱり私は貴方のように強くなれなかった。リズはリズになれなかった。枕に顔を埋めて、彼女は嗚咽を押し殺した。
コツコツと窓が叩かれたのはそんなときだった。鳥にしてはおかしな刻限だった。あるいは物の怪の類いかもしれない。いっそその方が良いだろうか。そう思ってエリザベスは顔を上げて、息を呑んだ。
「おお、神よ」
ベッドから転がるようにして窓に寄り、鍵を開ける。バルコニーには誰よりも美しく、誰よりも強い異邦人が、そこに居た。
「ケイラ、ケイラなの? どうして、これは夢なの?」
夢なら覚めないでほしかった。目の前の人は、思い出よりも更に美しくなっていた。
「やあリズ。すっかり綺麗になった」
しかし紅宮綺羅の指は確かにエリザベスの髪をなで上げる。エリザベスは綺羅の胸に飛び込んだ。
「どうしたんだいリズ。泣き顔は君には似合わないよ」
顔を埋めながらエリザベスはこれから行われることを伝えた。出たくもない、屈辱的な舞踏会のことを。
「お願いケイラ、私をここから連れ出して。私をリズにして!」
無理な願いに、綺羅はエリザベスの涙を拭った。
「残念ながら私は神ではないよ。自分のこともままならないちっぽけな存在だ」
「嘘、その格好を見れば判る。ケイラ、貴方本当にパイロットになったのでしょう。誰もが絶対に無理だと云っていたのに、本当になってしまった」
目の前に不可能を可能にしてしまった人を前にしては、自分がやるべきことをやっていない、ちっぽけな人間に思えてしまう。
「そうだなぁ、今の私にできることは限られてる。それでも、今晩だけなら、君の願いを叶えてあげる。かわいいリズにかける、ささやかな魔法さ」
そう云って綺羅はエリザベスの瞳を覗き込む。
「その代わり、約束してくれ。リズはリズの力でリズになるんだ。強大な現実に比べて、自分の力はあまりにも小さい。けど、どんな小さなことでもいい。リズはリズを掴むんだ。どんなに強い向かい風も、ここの中の小さな炎はけして消すことはできない」
エリザベスはうなずいた。ああ、この人はやはり、リズの聖人様なのだ。この世の人ではない。
「さあ中に入ろう。魔法は君の協力が必要なのだ。おっと」
そこで初めて綺羅は洋一たちの方を向いた。
「紹介するよ。私の、そうだな魔法使い見習いたちだ」
奇妙な紹介に面食らったが恭しく礼をする。
「魔法はみんなの力を合わせなくてはね。リズ、君の裁縫の腕はまた上がったかな」
一体どんな『魔法』を手伝わされるのだろう。皆目見当が付かないまま洋一はエリザベス嬢の部屋にお邪魔した。
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