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第五話 アリシアの事情
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アリシアは俯いたまま黙っていた。
それをまた黙って見つめていたラフィンドルは、ドラゴンの大きな身体をもて余すかの様に小さく揺する。戸惑った時に表れる彼の癖であった。
「どうしたのだアリシア? 具合でも悪いのか?」
「いえ、そんなことはないです……」
「ふむ、ならばどうして黙っている? 家に帰るのが嬉しくはないのか? 俺への捧げ物になる必要はないと言っておるのだぞ?」
「…………」
どうにも困ったと、ラフィンドルは目の前にいる若い娘を見て思う。人間の考える事はよく分からぬと。
するとアリシアがぽつりと言った。
「家は、私の家は、ここでは駄目なのでしょうか……」
「どういう意味だね?」
ようやくまともに話そうとしてくれたアリシアの言葉であったが、ラフィンドルには残念ながらその意味が分からない。
「なんか私……さっきラフィさまに、もう花嫁である必要はないって言われて……そしたら、その時……分かってしまったのです」
「何がだい?」
「あの……このまま、生きて帰るより……死んでしまったほうがいいなって……」
どうせ帰っても自分の居場所はもう無いのだから。
ロマーダ伯爵家を継ぐために、姉のメリーザとブロイドは婚約してしまった。
だけど正統継承者である以上は、自分はロマーダ家の当主となる責務があるのだ。そうなれば二人の未来をアリシアが奪うこととなるだろう。
ならば生きて帰っても誰も喜びはしないに決まっている。
いやむしろ、何で死んでこなかったと恨まれるに違いない──
その恨みは継母のイザーネの心を荒ぶらせ、今までよりも残酷にアリシアに対して燃え上がる。
それにラフィンドルが和平を望んでいるという証拠もないのだから、逃げて帰ってきたと責められ続けるかもしれない。
そしてまた運命に翻弄されながら、悲しい思いをして生きていくのだ……そうやって生きていくことに、今さら何の意味がある?
アリシアはラフィンドルにそこまでの事情を話すと、ぽたりと一粒だけ涙を落とした。
「そうか……」
ラフィンドルには人間の事情を同じ様に共感することは出来なかった。
彼はドラゴンなのであるから、それは無理からぬことである。
しかし、アリシアが落とした一粒だけの涙はラフィンドルの心をやけに強く締め付けた。
たった一粒の涙がどうしてこうも悲しいのだろうかと。
この千二百年、もはやこの世界の歴史にも例えられそうな長い年月の間には、アリシアよりも哀れに死んでいった者たちなど掃いて捨てるほどもいた。
むろんそんな事に一々心が揺さぶられる事も当然なかった。
それなのに、何故こうも心が痛い……
ラフィンドルはそんな自分の心の動きに首を傾げた。
そしてその理由を探ろうとしたのだが──その思考よりも早く感情が、自分でも思いがけないことを口走らせてしまう。
「ならば、本当に俺の花嫁になるがいい」
言ったそばからラフィンドルは狼狽する。なぜそんな事を言ったのか自分でも理解が出来ない。
「あっ、いや、これは違うのだ、すまぬアリシア、嫌なことを言った……」
「嫌なこと? そんなことありません」
アリシアは真っ直ぐにラフィンドルの目を見て願った。それはさっきまでの暗く沈んだ瞳でではなく、光の宿った瞳でである。
「本当によろしいのでしたら、どうか私を花嫁としてラフィさまのお側においてください。そしたら私……」
言葉につまるラフィンドルであった。しかし否と言うには遅すぎた。冗談で流せる重さでもない。
思いがけない言葉といえども一度相手に渡してしまったのなら、それはもう受け取った相手のものだろう。
もはやラフィンドルに出来ることは、その言葉に責任を持つことだけなのである。
「そうだな……うん、よいよ。末長く側にいておくれ」
「あ、ありがとうございます、ラフィさま」
アリシアがそう感謝してもう一度落とした涙の粒は、岩肌の水晶に反射する光のように綺麗だった。
それをまた黙って見つめていたラフィンドルは、ドラゴンの大きな身体をもて余すかの様に小さく揺する。戸惑った時に表れる彼の癖であった。
「どうしたのだアリシア? 具合でも悪いのか?」
「いえ、そんなことはないです……」
「ふむ、ならばどうして黙っている? 家に帰るのが嬉しくはないのか? 俺への捧げ物になる必要はないと言っておるのだぞ?」
「…………」
どうにも困ったと、ラフィンドルは目の前にいる若い娘を見て思う。人間の考える事はよく分からぬと。
するとアリシアがぽつりと言った。
「家は、私の家は、ここでは駄目なのでしょうか……」
「どういう意味だね?」
ようやくまともに話そうとしてくれたアリシアの言葉であったが、ラフィンドルには残念ながらその意味が分からない。
「なんか私……さっきラフィさまに、もう花嫁である必要はないって言われて……そしたら、その時……分かってしまったのです」
「何がだい?」
「あの……このまま、生きて帰るより……死んでしまったほうがいいなって……」
どうせ帰っても自分の居場所はもう無いのだから。
ロマーダ伯爵家を継ぐために、姉のメリーザとブロイドは婚約してしまった。
だけど正統継承者である以上は、自分はロマーダ家の当主となる責務があるのだ。そうなれば二人の未来をアリシアが奪うこととなるだろう。
ならば生きて帰っても誰も喜びはしないに決まっている。
いやむしろ、何で死んでこなかったと恨まれるに違いない──
その恨みは継母のイザーネの心を荒ぶらせ、今までよりも残酷にアリシアに対して燃え上がる。
それにラフィンドルが和平を望んでいるという証拠もないのだから、逃げて帰ってきたと責められ続けるかもしれない。
そしてまた運命に翻弄されながら、悲しい思いをして生きていくのだ……そうやって生きていくことに、今さら何の意味がある?
アリシアはラフィンドルにそこまでの事情を話すと、ぽたりと一粒だけ涙を落とした。
「そうか……」
ラフィンドルには人間の事情を同じ様に共感することは出来なかった。
彼はドラゴンなのであるから、それは無理からぬことである。
しかし、アリシアが落とした一粒だけの涙はラフィンドルの心をやけに強く締め付けた。
たった一粒の涙がどうしてこうも悲しいのだろうかと。
この千二百年、もはやこの世界の歴史にも例えられそうな長い年月の間には、アリシアよりも哀れに死んでいった者たちなど掃いて捨てるほどもいた。
むろんそんな事に一々心が揺さぶられる事も当然なかった。
それなのに、何故こうも心が痛い……
ラフィンドルはそんな自分の心の動きに首を傾げた。
そしてその理由を探ろうとしたのだが──その思考よりも早く感情が、自分でも思いがけないことを口走らせてしまう。
「ならば、本当に俺の花嫁になるがいい」
言ったそばからラフィンドルは狼狽する。なぜそんな事を言ったのか自分でも理解が出来ない。
「あっ、いや、これは違うのだ、すまぬアリシア、嫌なことを言った……」
「嫌なこと? そんなことありません」
アリシアは真っ直ぐにラフィンドルの目を見て願った。それはさっきまでの暗く沈んだ瞳でではなく、光の宿った瞳でである。
「本当によろしいのでしたら、どうか私を花嫁としてラフィさまのお側においてください。そしたら私……」
言葉につまるラフィンドルであった。しかし否と言うには遅すぎた。冗談で流せる重さでもない。
思いがけない言葉といえども一度相手に渡してしまったのなら、それはもう受け取った相手のものだろう。
もはやラフィンドルに出来ることは、その言葉に責任を持つことだけなのである。
「そうだな……うん、よいよ。末長く側にいておくれ」
「あ、ありがとうございます、ラフィさま」
アリシアがそう感謝してもう一度落とした涙の粒は、岩肌の水晶に反射する光のように綺麗だった。
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