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「で、でも女性の方がオタクはなびいたりするんじゃないですか、俺がもし小森会長とやらの立場なら、女の人に来てくれるほうが嬉しいなぁ」
「私のような奴に言うな、それが仕えるのは愛嬌のある女だけだ」

「いやいや、黒髪ロングで落ち着きのある女性ってのは男にズドンと来るもんすよ、それに先輩はシルエットだけなら美少女に見えなくもないじゃないっすか」
「み、妙なことを言うな遠州、私は行かんぞっ、それからシルエットだけならとかいうなっ」

「でも、髪の毛で顔が隠れて実際シルエットだけみたいなもんじゃないっすか、ヤンデレ井戸娘って感じの」
「うるさいうるさい、いかないったらいかないぞ私はっ」

 そうして、霧ヶ峰先輩は怒鳴り散らした後、ドタバタと走り慣れていないであろう不細工な走り方で部屋から逃げて行ってしまった。
 そんなに嫌なものかと室内を見渡すと、漫画を描く花屋敷さんとそれに興味津々の美琴さん、こんなキラキラとした雰囲気の二人を見ず知らずの男が住むアトム荘になんか行かせられない。

 そう思った俺は、大学近くにあるアトム荘に一人で向かうことにした。

 木造住居というのは温かみがあっていいとは言うが、こうも年季の入った物件となるともはや事故物件とかそういうものにしか見えない。俺も初めて来た時はとんでもないところに来てしまったと後悔したものだ。
 だが、アトム荘の大家さんはとてもやさしいおばあちゃんで、事あるごとに親身に接してくれているおかげで、居心地としては申し分ないところだ。
 アトム荘の思い出はそこそこに、俺は小森という名字を探しながらアトム荘を散策していると、自宅から三軒隣に小森という表札がかけられていることに気づいた。

 よもや小森会長とやらが本当にいたのかと嫌な予感を感じながらインターフォンを鳴らした。運のいいことにご在宅だったようで扉がゆっくり開かれた、かと思うとその扉は半開きのまま停止した。ドアチェーンを掛けているという防犯意識の高さぶりに監視していると、そしてその隙間から声が聞こえてきた。

「誰だ?」

 低く、それでいて癖のある声は一度聴いたら忘れられないほどに特徴的で耳に残るものだった。

「えっと、あの、遠州って言います」
「知らん名だ、新聞なんて今どき誰も読まんぞ、帰れっ」

「いや、勧誘とかじゃなくてそこにある大学の箱庭サークルについて色々話したいことがあってきたんです」
「箱庭サークルだと?」
「はい」

 箱庭サークルという言葉に敏感に反応した様子、なにやら脈ありな様子に少しだけ期待していると、扉の向こう側でかすかな笑いが聞こえてきた。

「ふはははは」
「え?」

「ふっはっはっはっはっ」
「あ、あの、突然どうしたんすか?」

「・・・・・・バカバカしい、帰れ三下」
「え?」

「帰れといっているっ」
「いや、でも小森桐人さんって人が箱庭サークルの会長だって」

「なっ、なぜ俺の名をっ、しかも名誉ある役職まで知っているとはっ」
「良かった、小森会長なんすね」

「い、いやそんなことより帰れと言っているだろうがこのリア充めが」
「リア充?」
「俺は二度とあんな場所にはいかない、あんなリア充どもがあふれ、電波の届かない場所には行きたくないっ」

 なにやらぶつぶつ言いつつ、扉を閉めようとしてきた、そんな小森会長の引きこもりムーブに、すかさず閉まる扉に足を突っ込みそれを阻止した。

「なにぃっ、扉が閉まらんっ」
「いやあの、一つだけいいですか会長?」

「なんだ貴様、まさかスタン」
「いやあのぉっ、箱庭サークルにもうリア充どもはもういませんよっ」

 俺の言葉にしばらく沈黙が続いた後、小森会長が口を開いた。

「そ、それは本当か?」
「はい、箱庭サークルは廃部を宣告されて、サークルにいたほとんどの人たちはやめて行ったんですよ」

「なんだとっ、では箱庭サークルはもうっ」
「いえ、廃部になるはずだったんすけど、何とか立て直してゼロからのスタートということで少人数ながら復活しました」

「ゼロからのスタート?」
「はい」
「・・・・・・」

 しばらくの沈黙の後小森会長は「足をはずせ」と静かに言い放ち、その言葉を信じて俺は足を引いた。するとゆっくりと扉が閉まり、チェーンを外す音が聞こえてくると、すぐに扉が開かれた。ようやく姿を現してくれた小森会長は、ぼさぼさに伸びた長髪と長身のまるで巨人のような人だった。
 黒いロングTシャツにスウェットのズボンというインドアな格好をさらす小森会長は、少し真剣な面持ちをしていた。

「あなたが小森会長ですか?」
「そんな事よりも若いの、本当に箱庭サークルがゼロからのスタートになったというのは本当なのか」

「はい」
「小鳥遊とかいういけ好かないやつはどうした?」

「いません」
「じゃあお前は一体誰だ?」

「俺は一年の遠州です、入学してすぐに箱庭サークルに入ったんです」
「そうか、で、お前はいわゆる同志なのか?」

 どのあたりまでが同志と呼べるかはわからないが、こういう言葉を口にするっていうことは、この人もサブカル方面に詳しい人なのだろう。

「まぁそうなると思います、アニメとか漫画好きですし、会長もそうですよね?」
「して遠州よ、今日は何の用で来た?」

「実は小森先輩が箱庭サークルの会長だと聞いてきたんです」
「それは誰に聞いた?」

「霧ヶ峰って人です」
「霧ヶ峰、知らない名だな、そんな奴がどうして俺の名を、まぁいいとりあえず話を聞こうじゃないか」

 どうやらガミネ先輩は認識されていないらしい、だとするとあの人は一体どこで小森会長の情報を仕入れたのやら。つくづく謎の多い人だな。まぁ、知り合って間もないから謎が多いのは当たり前だろうけど。

「聞いてくれるんですね」
「あぁ、お前の言う通りなら今一度愛しの箱庭サークルへと戻るべき時が来たというわけだ」

「その口ぶりだとあなたが会長ってことで間違いないんですか?」
「あぁそうだ、裏番ならぬ裏会といったところだろうか、まぁ、実質箱庭サークルの会長は俺のようなものだった」

「へぇ」
「あの小鳥遊とかいうやつも俺の前では、頭が上がらないといったところだったな」

「そうだったんすか」
「あぁ、俺が本当の会長だからな、そう俺が会長だっ」

 何か変なスイッチでも押してしまったのかもしれない。とにかく、変なテンションになった小森会長はすこし震えながらどや顔していた。

「そうすか、で、会長は今休学中なんですよね」
「あぁ、イギリスに行くという名目でここに引きこもっている」

「イギリス?」
「まぁ、ネトゲで本当にイギリスに行っているからな、あながち間違いでもないがな、がははははっ」
「・・・・・・」

 俺はバカみたいなことを言う会長に限りなく冷たい視線を送ると、会長は笑うのをやめて咳ばらいを一つして見せた。

「ま、まぁいい、久々に大学行くとするか遠州とやら」
「は、はい」

 そうしてあっさりと説得することができた俺は、会長と共に再び箱庭サークルへと戻ってきた。

 戻ってきて早々、会長はあたりをきょろきょろと見渡した後、俺に先に入るように促してきた。何もそんなに心配する必要もないだろうと、あきれ半分で俺は部室に入った。
 部屋には、さっきまでいたはずの花屋敷さんや美琴さんの姿がなく、机の上には飲み干されたコップとお菓子の袋が散乱していた。そんな、もぬけの殻状態の室内に会長は恐るおそる何かを確かめるかのように入ってきた。

「お、おぉ、なんということだ遠州」
「え、何のことですか?」

「あいつらがいないぞ」
「あいつらとは」

「決まってるだろう、鼻がもげるような香水やタバコの匂いをまき散らし、猿のようにうるさいやつらの事だ、分かるだろっ」
「まぁ、分かりますけど」

「いやぁ、あいつらがいないのは何とも心地のいいことだなぁ」
「そうですよね」

 会長はその細長い体をくるくると回しながらまるで劇団員のように鼻歌を歌いながら室内を練り歩いた。

「それにしても、ここは今お前だけなのか?」
「いえ、このほかに三人会員がいますよ」

「ほぉ、性別はどっちだ」
「全員女性です」

「女性だと?」
「はい、そうっすけど」

「ちなみにその女性たちはいわゆる同志か?」
「同志だとおもいますよ」

 会長の言う同志っていうのはいわゆるアニメとか漫画とかゲームが好きな人たちの事だろうけど、どうにも会長が女性という言葉を口にするたびに動揺しているのが気になった。

「ふむふむ、ち、ちなみにだが遠州、まさか君がこの物語の主人公だなんて言わないだろうな」
「え、なんすか急に」

「なんすかも何も、残りの会員と思われる女子三人がお前の手中にあるなんてことはないのかと聞きたいんだっ」
「は?」
「まさか、もうすでにハーレムを形成していて俺は置物会長として呼ばれたなんてことはないだろうなと聞いてるんだ、もしそんなラブコメをするための生贄になってくれだなんて言うのであれば俺は俺は・・・・・・むむ、何やら手首や首もとがかゆくなってきたぞ」

 そうして会長は首を掻きむしり始めた。その様子は脱皮寸前の虫のようで気味が悪かった。

「大丈夫ですよ、別にそんな感じじゃないっす」
「本当だな?」

「ほ、本当っすよ、あと俺二次元にしか興味ないっすから、ほら会長もそうじゃないっすか?」
「・・・・・・嘘だな」

 ひどく冷たい目で見つめてくる会長に思わず寒気を感じていると、会長は俺につかみかかってきた。

「なんすかいきなり?」
「本当は三次元も食っちゃいますっていう、いわゆるロールキャベツ男子だろ、なんかそんな匂いがぷんぷんするぞ、いや、お前からはそんな味がするっ」

 会長は舌をべろべろと出しながら気味の悪い表情で迫ってきた。どこかで見覚えのある動きに思わず口角が緩んだが、こうして実際にやられると相当気持ちが悪いというのは現実世界での難儀なところだろう。

「いやいや、ロールキャベツ男子ってまた、古臭いことを」
「古くても何でもいい絶対そうに違いない、そうなんだろう遠州っ、俺をだまそうっていうんだろっ」

「いや、違いますよ」
「じゃあ、お前の性癖を言え、もちろん二次元的観点からのものだ、女性のパーツだけ答えるようなやつは認めんぞ」

「き、急に何言ってるんですか先輩」
「言えっ、さもなくば貴様を同志と認めない、とにかくお前の二次元における性的趣向を述べろっ」

「いや、まだあったばかりの人にそんなことを言うなんてのは、いささか無理があるっていうかなんて言うか、ねぇ」
「ダメだ言えっ、言わないと俺はまた引きこもり生活に戻る」

「いやでもっ」
「分かった、お前とはここまでのようだ遠州」

 そうして会長は部屋から出て行こうとし始めた。そんな会長の行動に逃してはならないと思った俺はすぐに会長の腕をとっつかまえた。細く筋張った腕は今にも折れてしまいそうなほど華奢であり、そんな腕に思わず寒気がした。

「い、言いますからちょっと待ってください」
「・・・・・・性癖を、言って同志と、認めたり」

 妙な歌を詠みあげた会長は振り向くことなく大きな背中で語っていた。

「じゃ、じゃあ行きますよ」
「うむ」

「表向きは幼馴染の美少女ヒロインに好意を抱いています」
「ほぉ」
「ですが、実はそのヒロインの母親にひかれていくというかなんて言うか・・・・・・」

 沈黙が空間を支配し、全身の血液が顔面に集まってしまっているんじゃないかと思えるほどの熱を感じていると、目の前の会長はいつの間にか俺の方を向いており、仏のような顔をしながら俺の肩に手を置いてきた。

「続けろ」
「え、あの、もういいじゃないっすか?」

「続けろ」
「・・・・・・な、なんつーか、母親として生きてきた人がまた一人の女性の姿に戻る的な、でも母親としての心もあってというか、つまりどこか女神的な姿がそこにはあって、俺はそういう人が好きっていうか、も、もういいっすよねっ」

 もはや俺はどうしてこんな事を言っているのだろうかと自暴自棄になっていると、目の前の会長が今度は慈愛に満ちた笑顔で微笑みかけてきてくれていた。

「疑ってすまなかったな遠州、俺がどうかしていたようだ」
「い、いえ、信じてもらえたなら、それでいいっす」

 果たして、今俺が言った狂った言葉のどこにどうした認められる要素があったのかはわからないが、結果オーライならいいとするか。

「あぁ、信じるとも、お前と俺は今日から固く結ばれた兄弟だ」
「兄弟?」
「あぁ兄弟だ」

 そういって会長は俺を強く抱きしめてきた。今日会ったばかりだというのにこんなにも濃密なコミュニケーションはおかしなことに思えたが、なんとなくうまくいきそうで良かった。
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