疫病神娘は幸せになりたいだけなのに

ささ

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前編

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 あらかた採掘され尽くしたと放置されて久しい鉱山から貴重な鉱石『エンジェルマイト』を掘り出し、たった二代で伯爵まで上り詰めた成り上がり貴族のリートベルフ家。
 美しい令嬢が18になったことで結婚相手探しが本格化し、毎夜盛大な夜会が執り行われ、静かな領地は明かりと話し声の絶えない場所に変わっていた。

「は~……」

 その被害を受けているのは言うまでもなく使用人たち。
 中でも『疫病神』である私サニィは他の使用人たちからもこき使われ、ここ数日ずっと寝不足だ。磨いたばかりの窓に映る濃い隈とやつれた自分の姿にため息しか出ない。

「ちょっと、何休んでるのかしら疫病神?」

 声のした方を見れば毒々しい深紅の派手なドレスを身に纏ったこの家の一人娘、アンジェリカが立っていた。
 シャンデリアの明かりを照り返す艷やかな彼女の髪と、痛みきってバサバサの私の髪。正反対のそれは血の繋がりを証明するように同じ色で、余計に私の惨めさを引き立てている。
 薄藍色の瞳はまるで虫けらでも見るように歪んでいた。

「あいかわらずひっどい顔ねぇ。うちの評判を落としかねないからもう少しまともな顔になりなさいな」
「無理です。……普通の人間には」

 皮肉を込めてそう言うと、彼女はその整った顔をさらに歪めて嘲笑する。

「そうよねぇ、疫病神には無理だったわ。ま、せいぜい仕事はちゃんとなさい?」
「わかっています……」
「ならいいわ。それじゃあね~」

 けたけた笑いながら立ち去る彼女が完全に見えなくなった後。私はバケツの水にボロ雑巾を叩きつけた。

 認めたくないがアンジェリカは私の血縁者――従姉に当たる。彼女の父親、リーフベルト伯爵の弟が私の父だった。整った容姿を持ちながら、面倒事は全て兄に押し付け遊んでばかりいたという父。しかも不幸体質の持ち主で、厄介事を起こしては家に迷惑をかけるため『疫病神』と呼ばれ家族たちから煙たがれていたそうだ。
 そんなある日、事件が起こる。屋敷の中で飛び抜けて美人だった侍女が子供を産んだのだ。しかも父親が『疫病神』だと主張。
 この国では未婚の男女が子供を作るなんてご法度。事件が公になることを恐れた伯父は赤子を養子にして、疫病神と侍女を家から追い出した。

 最初は父母から受け継いだ優れた容姿のせいかそれなりの高待遇を受けていた赤子――私だけど。不幸体質まで受け継いだとわかった途端手のひらを返された。以降養子とは名ばかりの、奴隷同然の扱いを受けることになる。
 部屋は厩舎横の物置倉庫。食事は1日2回、パンと水だけ。服は母が来ていたボロボロの侍女服1枚と、アンジェリカのお下がりの趣味悪いワンピースが1枚。
 どれだけ働いても給金はもらえない。衣食住与えてやっているんだからいいだろうってスタンス。
 後に聞いた話だけど、私を引き取ったのは見た目が良くて金になると思ったかららしい。それを聞いても「やっぱりか」しか思わなかった。

*・*・*

「はー! やっと終わり」

 招待客がすべて帰ったあと。ひとり厨房に残り大量の皿やグラスを洗い終えた頃には、日付が変わって1時間ほど経っていた。
 夏といってもずっと水仕事していたせいで手が氷のように冷たくなっている。
 従姉とその家族たち、そして私に全仕事を押し付けサボってる他の使用人たちは今頃温かいベッドで夢の中だろう。
 ……想像したら洗いたての皿を床に叩きつけたい衝動に駆られるけど、遠い日に聞いたありがたい言葉を思い出してぐっと我慢する。

《いいですか、神様は常に全てを見ています。良い行いをすれば幸福になり、悪い行いをすれば天罰が下るでしょう》

 13年前。5歳になったアンジェリカに洗礼を施すため、屋敷に神官さんが呼ばれてきた。そのときついでに厄払いしてもらえと私も会わされたのだ。
 神官さんは私を見てひどく驚いた様子の後、そのお言葉をくれた。
 子供ながらにひどく胸に刺さった言葉。今がどんなに辛くとも、いつかきっと幸せになれる。あいつらに天罰が下る――そう考えればどんなに辛くても耐えられた。それだけが心の支えだった。

(神様、見ていますか? 今日も私頑張りました)

 星が瞬く夜空に向かってお祈りする。すっと心が軽くなるけど肉体的な疲労は消えない。今にも倒れそうな足取りでようやく小屋にたどり着き、干し草のベッドに横たわろうと思って……ぴた、と静止する。
 私の寝場所には先客がいた。典雅な衣装に身を包み、シルクハットを顔に被せた――どう見ても貴族っぽい人が。

(え……えええ)

 帽子が邪魔で顔は見えないけど屋敷の人ではないだろう。と、いうことは招待客? 夜会ではアルコールも振る舞われていたし、酔っ払って入ってしまったのかもしれない。
 ……とりあえず、どうしよう。起こしても家の人を呼んでも面倒事が起きる予感しかしない。特に後者は貴族を誑かして私が連れ込んだことにされそうだ。
 ちら、と相手を見る。

(起こそう)

 まだ穏便に終わる可能性が高い方を選んだ。
 しかし邪魔なシルクハットを持ち上げたところで、私はまた固まる。隠れていたのは目を奪われるほどに綺麗な男性だったから。
 踊るように跳ねた濃紺の髪と同色のまつ毛、高く通った鼻……全てが上品で、彫刻品のように整っている。

(美形ってこういうのを言うんだ……)

 顔を合わせる異性は豚のような体型の伯父とむさ苦しい怠慢コックくらい。美形どころか歳の近い男性の顔を見ること自体初めてで目が離せない。
 そうしてまじまじ見つめていると、不意に瞼が開いた。……月を閉じ込めたような銀の瞳とばっちり目が合う。
 その中に一瞬、見えるはずのものが見えた気がしたけど、

「ごごご、ごめんなさいっ!」

 私は持ったままのシルクハットで顔を覆い隠してすごい速さで後ずさった。
 貴族男性の寝顔を下女が見つめるなんて不躾もいいところだ……心臓が飛び出しそうなくらい早鐘を打っている。
 必死に言い訳を考えていると干し草の擦れる音がした。どうやら起き上がったらしい。それからぎぃ、と木の軋む音と共に足音が近づいてくる。
 足音がすぐ前で止まっても、私はまだ動けない。どくどくと早い鼓動の音を聞きながら、シルクハットを掴む手に力を込める。

「失礼」

 温かい手が私の手に触れた。
 驚いてシルクハットを離すと、それは彼の手に渡り、そして頭に乗る。まるでそこが定位置であるかのように恐ろしく絵になっていた。

「おや」

 またしても見惚れてしまった私は、そこでようやく片手が自分の手を掴んだままであることに気付く。

「あの……えっと」
「随分と冷たい手をしていますね」

 そう言ってぱちんと指を鳴らす。その瞬間。オレンジ色の柔らかな光が弾け、春の陽気のような温もりが私の手を包み込んだ。

「! 魔法使い……?」
「ええ、申し遅れました麗しいお嬢さん。俺の名はシルヴィオ。魔法を嗜む奇人です」

 帽子を持ち上げ恭しく礼をするその姿はすごく様になってるけど、奇人って自称するものだっけ……?
 でも今は別のことが気になった。

「あの、もしかして……視えているんですか?」
「なにがですか?」
「本当の私が……です」

 でなければ、『麗しい』なんて言葉はお世辞でもでないだろう。
 シルヴィオ様は愉快そうに目を細める。

「もちろん。それはそれは美しい令嬢の旦那探しと聞いてホイホイつられてきましたが、いたのは醜いカマキリ顔の子豚ではありませんか。そんな醜女に周りの男性たちは喜々として求婚を申し込んでいる……中々に恐ろしい光景でした」

 私は心底驚いた。
 素行に問題ありすぎた父だけど、夜会ではひっきりなしに令嬢から声をかけられるような美形だったらしい。母も侍女の中では1番の美人だったとか。
 対して伯父は豚のような体型に寒そうな頭。その上政略結婚した夫人もカマキリ顔で……その二人から生まれたアンジェリカは、見事二人の悪いところを寄せ集めたような大変残念な容姿をしていた。
 一方従妹の私は父と母のいい部分だけを受け継いだようで、私が実子だと間違われ褒められる事故が多発。怒り狂ったアンジェリカは金に物を言わせて魔法使いを雇い、私と彼女の容姿を取り替える魔法を掛けてしまった。

 と言っても精神を入れ替えるようなすごい魔法じゃない。あくまでそう見せてるだけで、魔力を持った者には真実が見えてしまうらしい。
 だけどそれ自体希少なのでこれまでバレることはなかったのだ。

「これほどひどい扱いを受けながら、あなたはなぜ耐えているのですか?」

 不意にシルヴィオ様が腰をかがめ、顔を近づけてくる。
 銀の瞳に映るのは本当の私。醜くない自分。彼にはそれが見えている。
 ……そう思ったら急に自信が湧いてきた。

「神様が見ていてくれるからです」
「はい?」
「良い行いをすれば幸福になり、悪い行いをすれば天罰が下る。……私はそう信じているんです」
「……なるほど、いい心がけですね。貴女はきっと幸せになれるでしょう」

 そう言って頭を撫でてくれた。
 心だけでなく身体まで軽くなった気がする。これも魔法使いの力?

「あの、ところでどうしてここに……? ここ、私の部屋なんですけど」
「さあどうしてでしょう。導かれてしまったのでしょうか」

 よくわからないことを言いながらくるりと背を向け、彼は木の扉に手をかけた。

「いつまでもお嬢さんのお部屋にお邪魔するわけにはいきません。これで失礼いたしましょう」

 何事もなかったのはよかったけど、ちょっと残念に思うのはどうしてだろう。

「そうだお嬢さん、せっかくですので名前をお伺いしても?」
「サニィです」
「あなたにあった可愛らしいお名前だ」

 扉が開き、出て行く間際にもう一度振り返る。

「そうそう、私はこうも呼ばれているのですよ。『ホルムルンドの黒神』と」

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