家に帰りたい狩りゲー転移

roos

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5章

(13)プロトタイプ

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 俺の掌にはすっぽりと小さな雀が収まっている。指の間に浅く食い込む小さな足は、爪が鋭いのに意外と痛くない。息をするたびに擦れる雀のお腹は温かく、ずっと撫ででいられそうなほど触り心地もよかった。

 ペットのいないこの世界で、アニマルセラピーは貴重である。しかし、俺の頭は信じられない現象を目の当たりにしたばかりで爆発しそうだった。

 無機物から生まれた生命。『瞋恚』では魂のオーラを感知できないが、この雀は確かに生きている。

 この光景を古代エジプトの錬金術師が見たら泣いて喜んだだろう。素材さえあれば、自分の望むものへ物質を作り替えることができるのだから。

 俺は深呼吸をして、頭の中に溢れかえる情報を整理した。

 細菌によって遺伝子を改造され、ドラゴンとなった生物たち。
 その細菌に対抗するべく生み出された菌糸。
 そして、命の形を自由自在に変えてしまうダアトという物質。

 これら全てが、旧人類によって造られた。滅びの運命から抗うために。

 話が壮大すぎて、俺はまだ実感が持てなかった。

「……レオハニーさん。この雀に自我はあるんですか?」
「さあ。雀にしては警戒心が薄いから、親に何も教わっていない子供のようだと思うよ」
「じゃあやっぱり、生きてる、んですよね」
「これを命と呼んでいいのか私には分からないけれど、NoDが生きていると思うのなら、間違ってはいないと思うよ」

 雀は撫でられているうちに心地よくなってしまったのか、俺の手に身を預けて目を閉じていた。俺が手を止めても動く気配がなく、完全に眠ってしまったらしい。

 俺は雀を起こさないように慎重に背中から力を抜いて、レオハニーへ囁くように問いかけた。

「レオハニーさん。ダアトとは一体、なんなんですか」
「菌糸よりも、より命の根幹に近い物質。既存の言葉で言えば、賢者の石に近いかな」

 レオハニーは襟のボタンをきっちりと締め直しながら無感動に言う。そして、忌々し気に眉を顰めながらこう続けた。

「浦敷博士はドラゴン毒素に対抗するために菌糸を作ってきたけれど、その副産物として、形がないはずの魂に実体を与えてしまった。彼らは自覚もなしに、神の領域に踏み込んでしまったんだ」
「……はは、確かにこれは、神の領域だ。人間が入っていいところじゃない」

 ゆっくりと胸を上下させる雀を見下ろしながら、俺は力なく笑うしかなかった。

 冷たい夜風がビーツ公園に吹きつけ、月が雲に呑み込まれる。人工的な灯りのないオラガイアは、月明かりが消えてしまえば瞼を下ろしたように真っ暗だった。その闇は隣の人の輪郭すら見分けがつかないほど深く、俺は無性に手のひらの小さな命に縋りたくなった。

「この力を見るたびに、命とはなんなのかを考えさせられる」

 闇の向こうで、レオハニーの指先で光が赤く灯る。生爪から切り出したような小さな溶岩の塊が、俺たちの間にささやかな温もりをもたらした。

 レオハニーは赤い光に睫毛を反射させながら微睡むように語った。

「ダアトの力は、機械仕掛けの世界にとっては喉から手が出るほど画期的な技術だった。だが、シモンはダアトの技術を残せば旧人類と新人類の間で争いが起きると予見していた。だからNoDの第一号体を完成させた後、ダアトの研究については秘匿し続けることにした」

 肉体を失った人々にとって、ダアトはまさに夢のような代物。しかし現実世界に置いて行かれた人々からすれば、仮想世界の人々は侵略者である。

 だから、たとえ機械仕掛けの世界から永遠に人間らしく生きる道を奪い去ることになったとしても、シモンの判断はある意味で正しかったと言える。

 しかし、とレオハニーは続ける。

「シモンが死に、弟子だった私も病で亡くなったことで、ダアトの研究成果はそのまま闇に葬られるはずだった……なのに、死んだはずの私は、第一号体として目覚めてしまった」
「第一号体って、シモンが死に際に作ったNoDだよな。それじゃあ、レオハニーさんも俺たちと同じ……」

 尻すぼみになりながら驚愕の声を上げた時、雲に隠れていた月明かりがビーツ公園に差し込んだ。同時に、レオハニーの手元に浮かんでいた溶岩の灯りが消え、青ざめた彼女の顔がはっきり見えるようになる。

「……そう。私はNoD第一号体。君たちの原点でもあり、プロトタイプでもある」

 壊れかけの噴水から漏れる水音に掻き消されそうなほど、彼女の声は小さかった。

 レオハニーの『転生した』という言葉の意味を、俺はようやく理解できた気がする。彼女は俺と同じNoDでありながら、オリジナルの魂を移植された人間だ。自我データを貼り付けただけの俺たちとは違う。

「最初は、何が起きたのか全く訳が分からなかった。シモンが死んだ後の人生が夢だったのかと思ったよ。でも、仮想世界にいるはずのベートの姿を研究所で見つけて、すぐにダアトの研究が奪われたのだと悟った。ベートは私の死後、死体から魂を引き出してNoDに移せるかどうか、私に無断で試したんだよ」

 死者を弄ぶ卑劣な実験の胸糞悪さに、俺は吐き気を覚えた。それでもレオハニーは淡々と語り続ける。

「結果は見事成功。私は世界初の転生者として、五百年以上も他人の体で生きながらえることになった」
「五百年……」
「純粋なダアトのみで作られたこの身体には死の概念がない。ダアトの素材になる物質が残っている限り、私の意志に関わらず何度でも再生し続ける。いつまでも終わりがなくて、気が狂いそうだった」

 終わりの見えない人生は、俺の想像を絶する苦痛だったのだろう。額を押さえながら項垂れるレオハニーは憔悴していて、普段の毅然とした佇まいからかけ離れていた。

 死の記憶を持つ俺も、見方を変えれば長い歳月を生きてきたようなものだ。しかし俺の人生には必ず終わりがあった。悲劇的だろうが幸福であろうが、周囲と同じように年を取り誰かと共に生きることができた。

 対してレオハニーは、見た目も老いず、怪我を負っても死ぬことはなく、事情を知らぬ者からすればドラゴンよりも恐ろしい化け物だ。その苦しみを分かち合える人もほとんどいなかったであろうことは、レオハニーの語り口から容易に察せられた。

「ずっと、一人で耐えてきたんですか……」
「NoD以外の人間は、あっという間に死んでしまうからね。私もこの身体になるまで、人の寿命がこんなに短いとは思いもよらなかった」

 レオハニーは儚く笑いながら、月明かりを慈しむように顔を上げた。整えられた横顔は彫刻のようで、初対面の時とほとんど印象が変わらない。

 ダアトの力なら顔の造形を変えられそうだが、俺にはそれが作られたものではなく、生まれながらのレオハニーの姿のように思えた。

 彼女の身体は、シモンが隠し通したかった秘密そのもの。バルド村でレオハニーは『私のせいで大勢の運命を変えてしまうから、誰の責任も取りたくなくて、極力人との接触を避けてきた』と言っていた。今ならその気持ちが痛いほど理解できる。

 彼女は転生した後もなお、シモンの遺言を守ろうとしていた。その遺言を破ってでも、俺に真実を話してくれたのだ。

 俺は目の奥が絞られるような感覚に耐えるよう、ぎゅっと強く目を閉じた。

「……ベートは、どうやってダアトの存在に辿り着いたんでしょうね」
「……シモンは研究の合間に、機械仕掛けの世界と連絡を取り合っていた。メールのやりとりはすぐに消されていたから、私でも確認できなかったけれど、何度か浦敷博士の名前を見かけたことがある」
「じゃあ、浦敷博士が、シンビオプロジェクトのメンバーに情報を共有してしまった?」
「あるいは、ベートがメールのやり取りを盗み見た」

 言葉の端々に煮え繰り返るような怒りを滲ませて、レオハニーは吐き捨てた。彼女はきっと、シモンの秘密が破られた責任は浦敷博士にもあると考えているのだろう。

 ニヴィの記憶で、ベート・ハーヴァーは浦敷博士を裏切ったと言われていた。浦敷博士にダアトの研究がどこまで共有されていたかは知らないが、ベートはシモンの研究成果を使って、現実世界への侵攻を画策したのは確かだ。

 無機物からいくらでも生物を生み出せるダアトは、すでにトゥアハの手に渡っている。彼らが大量のNoDを生み出して機械仕掛けの門を開くのも時間の問題だ。

 これまでは水面下で行われてきた浦敷博士とベートの戦いも、ダアト教が壊滅的被害を受けたことで一気に表面化するだろう。

 大量のNoDと、それに対抗する現実世界の人々の衝突。大規模な戦争が起きるのは必至であった。
 
「……この戦争は、止められないのか?」
「武器が変わっただけで、この世界でも戦争の勝利条件は変わらない。大きく分けて三つ、片方を降伏させるか、互いに疲弊して休戦するか、全て殺し尽くすか」

 レオハニーは呆れたように息を吐き、肩をすくめながら続けた。

「いくらでも自我データを複製できる機械仕掛けの世界は、不死身の大国だ。彼らが肉体を手に入れてしまったら、現実世界の人々に勝ち目はなくなる。だから、取るべき選択肢は一つだけ」
「……機械仕掛けの世界を、滅ぼすのか?」

 門を開けられるのは鍵者のみ。そしてレオハニーはバルド村で、共に機械仕掛けの門を破壊しようと話を持ちかけてきた過去がある。

 レオハニーは唇を振るわせながら、決意を込めた眼差しを俺に向けた。

「旧人類は肉体を捨てた時にすでに滅んだんだ。死者は死者らしく、眠っているべきだった。浦敷博士もシモン博士も、NoDを生み出すべきではなかった……っ」

 喉を押し潰してしまいそうなほど嗚咽を堪えて、レオハニーは俺を──浦敷博士をきつく睨みつけた。

 死んだ人間は、生き返るべきではない。どんな理由があっても、その自然の摂理は守られるべきだろう。

 それでも。

「俺は、そうは思いません」

 はっきりと告げた俺に、レオハニーは目を丸くする。そして浦敷博士ではなく俺自身に、炙るような殺意が向けられた。

 断頭台の上に立たされたような緊張感で、一気に俺の全身から汗が噴き出る。喉から迫り上がる吐き気を堪え、俺はレオハニーから目を逸らすことなく言葉を紡ぐ。

「俺は、たとえ自然の摂理を破壊することになるのだとしても、生き返ってほしい人がいます。俺が殺してしまったニヴィには、もっとシャルと話してあげられる時間を用意したい。生きる希望を失ったシュイナさんに、もう一度ロッシュさんを会わせてあげたい。ドミラスだって、後もう少し死ぬのが遅ければ、アンジュに会えたかもしれないのに……」

 全て叶いもしない願望だ。瀕死に陥っていたハインキーを助けられた成功体験が、俺にこんな妄想の余地を与えて余計に苦しめてくる。今もまだ、ロッシュやドミラスを生き返らせる方法があるんじゃないかと諦めきれない。

 レオハニーは俺の思考を見透かしたように、弱々しく苦笑した。

「考えるのは自由だよ。だけどそれを実現させてはいけない。この世界が滅びてしまったのも、全ては人間の欲望のせいだ。放射能で汚された世界を元に戻せたらと、人の手に負えない領域に無闇に踏み込んだからドラゴンが生まれた。大人しく滅びれば良かったのに、ドラゴン化に抗おうとしたから、禁断の技術まで手に入れて、また戦争が起きようとしている。ここで止めなければ──」
「──また、大勢死ぬと?」

 言葉を引き継ぐと、レオハニーは押し黙り、目を伏せた。自分の発言の矛盾に、レオハニー自身も漠然と気づいているのだろう。

 人類が滅びようと、生き延びようとしても、人が死ぬことに変わりはない。レオハニーはおそらく、現実世界と機械仕掛けの世界との戦争の火種を撒いてしまった負い目があるのだ。

 薄れていくレオハニーの殺意を感じ取りながら、俺は緩く息を吸った。

「レオハニーさん。シモン博士がダアトを発明してしまったのは、NoDで現実世界の人々を守るためだったはずです」
「……分かっている。君に言われるまでもない」

 レオハニーの目に剣呑さが戻り、再び空気が張り詰める。俺は息苦しさを吹き散らすよう、声に力を込めた。

「終わったことを蒸し返しても意味はないんでしょうけど、俺は、死んでしまった人たちが積み上げてきた過去を否定したくありません」

 俺たちはいつだって生き残るのに必死で、その時に最善だと思ったことを選ぶしかなかった。浦敷博士たちも、新人類を捨てた仮想世界の人たちも、人類を存続させる方法が違っただけで、悪役らしい悪人なんていなかったはずだ。

「誰だって死にたくないと思う権利があります。言い換えれば、レオハニーの言う通り、自分や他人が死んでしまえばいいと願うのも自由です。その上で俺は、やっぱりどちらの世界も滅びるべきじゃないと断言したい」
「君は、憎くないのか? こんな世界を生み出した浦敷博士が、あの世界が」

 僅かに声を荒げただけだというのに、レオハニーから放たれる怒りは足がすくむほど強烈だった。彼女は俺が気圧されたのを見て、噴水から立ち上がりながらなおも続ける。

「勝手にこの世界に放り出されて、鍵者の使命を押し付けられて何度も死んだ。その上で、この世界を守りたいと言える?」
「ええ、何度でも言いましょう。貴方が納得できるまで」
「っなぜ君は、そんなに他人に優しくしようとする!」
「優しいわけないじゃないですか。俺は極めて利己的ですよ」

 俺は悠然と立ち上がり、胸の中で荒れ狂う怒りを引っくるめて、レオハニーへ笑いかけた。

「こんなくだらない戦いで、エトロの未来を潰したくないんです」

 彼女の目に、俺の顔はどう映ったのか。

 レオハニーは幽霊を前にしたように愕然として、数歩だけ後ずさった。

「……君は、本当に、機械仕掛けの世界から仲間を募れると思っているの?」
「ええ。その時にはレオハニーさんも一緒に、機械仕掛けの世界へ来て欲しいと思ってます」
「……どうして」

 額を押さえながら呻くレオハニーに、俺は両手を差し出した。そこには言い争いの最中でも穏やかに微睡む雀がいる。

「門を破壊したかったのなら、貴方は氷の一族を殺して、遺跡を破壊し尽くせばよかったんです。レオハニーさんにはそれだけの力がある。なのにそれをしなかったのは、シモン博士のためではないんですか?」

 レオハニーは無言で眠る雀を見下ろした。それから恐る恐る白い手が持ち上がり、雀の頭を優しく撫でる。寝ぼけた雀は、無防備な顔のまま気持ちよさそうにレオハニーの手に擦り寄った。

「……リョーホ。君がもし、ダアトの力を持っていたとして、目の前でエトロが死んだら、どうする?」

 水面を揺らすような穏やかな声に、俺はしばし悩んでからこう答える。

「ダアトは使いません。この力では、魂まで再現できない。都合の良い自我データは、オリジナルとは全くの別人だ」

 自我データはあくまでデータでしかない。機械仕掛けの世界に逃げた人々も、当人たちに自覚がなくとも、肉体を持っていた頃とは違う。俺が死の記憶を取り戻しても討滅者シキにはなれなかったように。

 レオハニーは俺の答えをゆっくりと飲み込むと、遅咲きの桜のような柔らかな笑みを見せた。

「それを聞いて安心した」

 レオハニーは雀から手を離し、指に残った熱を逃さないように手を握りしめた。

 俺は微笑ましくてつい頬を緩めながら、雀が寒くないように優しく包み込んだ。

「では、明日も早いのでそろそろ寝ます。おやすみなさい、レオハニーさん」
「……ああ」

 くるりと背を向け、寝静まった大聖堂の方へ足音を殺して歩き出す。月明かりが顔を出しているうちに、早く皆のところに行きたい。雀を寝かせるベッドはその後に考えよう。

 取り止めのない思考を巡らせていると、背後で聞き逃してしまいそうなほど小さな声がした。

「嫌じゃないの?」
「……何がですか?」

 レオハニーは聞かれていると思わなかったようで、足を止めて振り返る俺に驚いていた。あっと口を開けてる彼女の言葉をじっと待っていると、レオハニーは視線を俯け、躊躇いがちに教えてくれた。

「私は、君の大嫌いなベートの義理の娘だ。それに、右も左も分からない君に、鍵者として目覚めて欲しいからと、危険な狩人の道を進めたんだ。私も結局、君を利用していた裏切り者なのに……」

 言われてみればそうである。
 門を破壊するために鍵者の力を欲していたレオハニーは、俺が鍵者として目覚められるように守護狩人になれと発破をかけてきた。思えば、高冠樹海で俺をドラゴンから助けたのも、そういった下心があってこそだったのだろう。

 だが俺は、不思議とレオハニーに騙されたとは感じなかった。

「俺は全く気にしていませんよ。狩人の道を進めてくれたのは、むしろ感謝しているぐらいです」
「……どうして」
「だって俺、優柔不断じゃないですか。レオハニーさんがあそこで俺に狩人の道を示してくれなかったら、ここまで強くなれませんでした。そりゃあ、エトロに比べたら関わった時間が全然少ないですけど、俺にとって貴方は、周りに誇れる立派な師匠ですよ」

 途端、レオハニーの瞳が大きく見開かれ、青ざめた唇に血が通った。金色に輝く三日月が彼女の白い頬を暖かく照らし、じわじわと目尻に光を集める。

 俺はそれ以上見てはいけないような気がして、また彼女に背を向けた。

「あまり夜更かししてはダメですよ。レオハニーさん」
「ああ、気をつけるよ。……おやすみ。リョーホ」

 付け足された優しい声に、俺はむず痒い心地を堪えきれずに笑ってしまう。それから、周りも暗いから大丈夫だろうと、少しだけ歩調を弾ませた。

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