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7章
(5)地下シェルター
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地下に続く階段を黙々と降る。フットライトで照らされた足元は朧月のように弱々しく、現実味がない。天井の蛍光灯からは時折火花が散り、言い知れぬ焦燥感を募らせた。
やがて階段が途切れ、暗く開けた空間がアンリたちを出迎えた。
これまでの人工的な区画と違って、その部屋は荒野を連想させるほどに野生的だった。天井や壁は鍾乳洞のように激しい凹凸にまみれ、地面には墓標のようにドラゴンの骨が突き立っている。骨の隙間にはキノコライトが群生しており、白乳色の光によって、室内に濃淡が浮かび上がっていた。
部屋の真っ正面には、円形の象牙色の扉が鎮座していた。巨大なドラゴンの肋骨に包まれた扉の中心には、ヨルドの海底遺跡と同じ構造をした、頑丈そうなハッチが備え付けられていた。
「これが機械仕掛けの門、でいいんだよね?」
グレンが確認すると、宇田芸は困ったように笑った。
「正確には、遺跡の扉、かな。機械仕掛けの門はこれよりもっと薄っぺらいの」
言いながら、宇田芸は象牙色の扉へ両手を押し付ける。すると、宇田芸の指先に淡く白い光が灯った。彼女の中に継承された、鍵者の菌糸が扉と呼応しているのだろう。
菌糸と扉が何度か白く瞬いた後、分厚いハッチの奥で鍵が開かれる音がした。自動的にハンドルが回り、さび付いた音を立てながらハッチが手前へと開かれていく。
「もうすぐだよ」
平坦な宇田芸の声が、大袈裟なぐらいに空気を震わせる。それとほぼ同時に、完全に開かれた扉の奥が露わになった。
無数のコードが波打つリノリウムの床。コードの収束点には人間サイズのガラス管が佇んでいた。内部には青く輝く球体が浮かんでおり、不規則に上下に揺らめいては公転していた。ガラス管から伸びた太いコードを辿っていくと、真っ白な冷気を纏ったポッドが整然と並べられら区画が視界に入る。ポッドの表面には『氷晶』とはまた別の、氷属性の菌糸模様が刻まれていた。
狩人の世界とは一線を画す異様な光景である。旧世界の異物に触れてきたアンリ達は、顔色を変えずに内部へと踏み入った。武涛と宇田芸もそれに続き、ハインキーたちも強張った表情で進み出た。グレンだけは口を押さえたまま呆然と立ち尽くしていたが、やがて意を決したように、足早に皆の後を追いかけた。
埃でくぐもった空気を切り開くように、アンリ達は施設内を歩き回る。内装は違うものの、建物の構造自体は海底遺跡と同じだ。ものの数分で、機械仕掛けの門がある制御室を発見することができた。
「なんなの、これは……」
モニターだらけの制御室に入るなり、グレンは目を丸くしながら口元を押さえた。ドーム状の制御室には、あいも変わらず壁から天井にかけて、大小さまざまなモニターがびっしりと張り付いている。
「ヨルドの里と同じだな」
「こっちの方が古いんだけれどね」
アンリの呟きに宇田芸は微笑むと、迷いのない足取りで制御室の中央にある一際大きなモニターへと歩み寄った。宇田芸の掌がモニターに触れると、ぶぅんと重低音を響かせながら電源が入る。遅れて制御室の床に白い光の線が迸り、部屋の外へ一瞬で駆け抜けていった。その光は遺跡の中央に鎮座していた謎の青い球体へ収束すると、施設全体へとエネルギーを拡散した。
頭上の照明に明かりが灯る。そして、宇田芸がモニターから手を離せば、真っ白な画面がアンリ達の顔を照らし出した。画面の中にじっと目を凝らすと、薄っすらとだがパズルのピースが見えた。
「またパズルか」
肩をすくめながら呟くと、宇田芸と武涛、ツクモまで驚愕の表情でアンリを振り返った。
「アンリ、見えるの!?」
「そんなに驚くことじゃないだろ。かなり薄っすらとだけど見えるよ。ヨルドの里の時よりは見えやすい気がするけど」
宇田芸にそう答えると、彼女は武涛と顔を見合わせてから他の面々へと質問した。
「ほ、他の人はどうなの?」
「ちょっとしか見えないし!」
「俺は画面が光っていることしか分からん」
「俺達三人もだ」
シャル、クライヴ、ハインキーたちの順で返答があり、最後にシュレイブが無言でぶんぶんと首を横に振る。宇田芸は眉間に小さな皺を刻みながら、制御室の後方に立っていたグレンへと目を向けた。
「グレンはどう?」
「さっぱり。本当にパズルがあるの? ただの光る板じゃない」
グレンに至っては、画面の中にパズルがあるという発想すら抱いていないようだ。旧人類の技術に触れていない人間からすれば、この画面が液晶だとか、触れば画面の映像が連動するという事すら知らないのだから、むしろ普通の反応であった。
ツクモは顎に手を当てながら思案すると、赤い瞳を緩く細めながら宇田芸たちへ向き直った。
「ほぼ感覚的な話になりますが、リョーホと共にいた時間が長い人ほどパズルを認識できているような気がします」
「確かに。どんな器にも適合できる鍵者の菌糸が、他の人間にも移ったんでしょうか?」
「マガツヒの胞子で病が広がるのだ。それと同じ原理かもしれんな」
菌糸は寄生した生物の呼吸を利用して、胞子を空中に振りまいている。通常、その胞子が別の生物の体内に入っても、抗体に無力化されて根を張ることはない。影響があったとしても、せいぜい花粉症と同じアレルギー反応が出るだけだ。
だが鍵者の胞子であれば、抗体をすり抜けて原住の菌糸と共生してもおかしくない。
しばしの間思考を巡らせた後、武涛は厳めしい顔つきを強張らせながら、そっと宇田芸を見下ろした。
「……宇田芸、やはりもう少し待ってみてはどうだ」
「いい。マガツヒ復活まで時間がないから。藍空さんも言ってたでしょ。別の方法を探す時間はないって」
宇田芸は淡々とした口調で言い、無表情でモニターへと向き直った。ほんの一瞬、宇田芸の口端が震えたのをアンリは見逃さなかった。
指先が画面をなぞるたびに、パズルのピースが寄り集まり、隙間なく空白を埋めていく。すべてのピースが当てはまると、画面の中央に黒々とした鍵穴が表示された。
ここに指を差し込めば、宇田芸の体内にある鍵者の菌糸が提出され、認証が完了する。機械仕掛けの門が開かれ、テララギのサーバー内へ飛び込めるのだ。
「宇田芸、本当にいいんだな」
すぐ隣で、武涛が静かな声音でそう訊ねる。
宇田芸は息を止めると、目尻を歪めながら吐き出すように笑った。
「いんです。今なら胸を張って言えますよ。こういう時のために私はあの日を生き抜いたんだって!」
ああ、とアンリは声もなく息を吐いた。
「薄々気づいてたけどさ……死ぬんだろ。鍵者以外の人間が門を開けたら」
核心に触れると、旧人類の二人がゆっくりとアンリを振り返る。無理やり笑顔を取り繕った宇田芸の顔は、ソウゲンカを殺して回っていた昔のアンリと瓜二つであった。
「……生きる理由が欲しかったんじゃない。命を懸ける理由が欲しかったんです」
宇田芸は声を震わせながらモニターから離れ、正面から向かい合うようにアンリの方へと一歩進み出た。
「相談してほしかったとか、もっと別の方法があったかもしれないとか、そんなお為ごかしはいりません。合理的に生きましょう。姥捨て山と同じ、赤子の人身御供と同じです。私達はほんのちょっとの幸運で、余生を過ごしただけの老人です」
「だから、生き残るのは諦めるって?」
腕を組みながらニヒルに笑いかけると、宇田芸は初めてアンリの表情を見た。そして、さっと顔を青ざめる。宇田芸の瞳に反射したアンリの顔は、薄暗いせいでよく見えなかった。
アンリはそれをどこか冷めた気持ちで眺めながら、強い口調で言葉を紡いだ。
「リョーホもエトロも諦めなかったのに。何百年も生きたお前たちは、その程度の結論しか出せないのかよ」
宇田芸の視線が逸れ、アンリの後ろを滑っていく。見なくとも分かる。アンリの後ろに控える他の狩人たちも、アンリと同じ顔をしているだろう。
みるみる蒼白になっていく宇田芸。こんな状況になるまでこちらの気持ちも推し量れないとはほとほと呆れる。あるいは、仮想世界という閉じられた世界で、何百年も同じ人間と関わることしかできなかった弊害なのかもしれない。
外部から新しい常識を取り入れる機会がなければ、身内だけの集団はどうしても極端な思想へと偏りがちだ。旧人類たちが相談もせずに自己犠牲の道を選んだのも、自分たちは間違っていないと言う強烈な思い込みが、長い時間をかけて刷り込まれてきた結果であろう。
アンリは後ずさる宇田芸に追いすがり、彼女の手首をつかみ取った。指先が余るほど華奢な手首は、武器を持とうとするだけでも折れてしまいそうだ。旧世界では身体を鍛える必要すらなかったのだと生々しく実感する。
戦いとは無縁の世界で生まれたはずの女性が、死人のような目つきでアンリを見上げる。
「……一人死ぬだけで、大勢が助かるんです。離してください」
「嫌だね。胸糞悪いのは嫌いなんだよ」
振り払おうとする腕を押さえつけながら、アンリはモニターの前から宇田芸を引きはがす。
「前々から思ってたんだよね。旧人類ってどうして、自分たちのことは二の次なんだろうってさ。俺達に協力するのも、ヨルドのご先祖様との約束を守るため。終末の日を止めたいのも、世界を壊してしまった償いのため。なにもかも新人類のためだ」
言葉を重ねるほどに、宇田芸の表情が次々に歪んでいく。涙を堪えるあまり、笑っているように目じりが窄まり、唇の下に皺が寄った。
ヨルドの海底遺跡を見て、旧人類たちから旧世界の生活がどんなものだったかを聞いて、アンリは何度も考えた。現実世界に拘らなければ、旧人類たちは仮想世界で、もっと発展した文明を築けたのではと。現実世界に干渉されない、ゴモリーからも完全に隔離された完璧な理想郷も創造できたのではないか?
街を横断する鉄の乗り物。空を飛ぶ鳥のような機械。天にも届きそうな建物群。遥か彼方にある月面基地。アンリにとって、どれもこれも空想上のものでしかなかったのに、彼らは菌糸能力も存在しない世界で実現させてきた。ならばこの数百年で、これ以上の空想を実現させられないわけがない。
なのに、彼らはそうしなかった。
「お前たちは、自分たちの将来を少しでも考えなかったのかよ」
創造のない人生は死んでいるようなものである。いつだったかドミラスが言っていた。時々彼の助手の真似事をさせられていたアンリは、その言葉の真意を上手く図れずにいたが、旧人類たちを見ているうちに理解できた。
死ぬ準備をしている人間は、文明の発展に寄与しない。停滞した文明は何も生み出さない。目の前で宇田芸たちが息をして、脈を動かしていようが、死人が応答してくれるだけの墓参りと同じだ。
「こんなもの全然嬉しくない。生きてる連中に失礼だ」
怒気を孕んだ声で静かに告げると、宇田芸の目じりから二筋の涙があふれ出た。途端、真横から無骨な手がアンリの腕を掴む。視線を辿れば、険しい表情の武涛がアンリを見下ろしていた。
「……予め断っておこう。俺は君たちを侮辱したいわけじゃない。だけど俺たちは、もう十分に生きた。生きているだけで幸せなんだと、仮初の世界で十分に味わいつくした。だからといって、無意味に命を散らしたくはないのだ。死んでいった仲間たちのために、意味のある死を迎えたいんだ」
アンリの腕を掴む手に力が籠った。皮膚が圧縮される感覚が骨まで伝わるが、不思議と痛みがない。武涛は半ば目を伏せ、遠くへ思いをはせるように顎を上向かせた。
「俺は戦場で、もう助からない仲間を介錯した。生きていて欲しいという思いと、これ以上苦しませたくないという思いは両立する。病床の人間にも同じことが言えるだろう。投薬すれば延命できる。しかし副作用でこの上ない苦しみを味わうことになる。はたして、どちらが幸せなのか」
「……生きていて欲しいと思うのは、俺のエゴだって言いたいの?」
武涛は黙した。いつものアンリなら、怒鳴りつけるなり、殴り掛かるなりしてその根性を叩き直してやろうとしただろう。だが、武涛の瞳には年輪の如く人間離れした文様が浮かび上がっており、時間の乖離を否応なく見せつけられた。
「誰かのために死ねる。こんなに幸福なことはない。……独善的な思想だとは自覚しているよ。五百年前の俺が聞いたら全力でぶん殴りに来るだろうさ。だけど分かってくれ。五百年は、俺達には長すぎたんだ」
武涛の手がアンリの腕から離れる。アンリは言葉を失ったまま、離れていく武涛の手を見つめた。そして、あっさりとした口調でこう切り返した。
「なら、あと数十年ぐらい生きてもどうってことないだろ?」
その言葉を聞いた瞬間、武涛と宇田芸は豆鉄砲でも食らったような顔で凝視してきた。いかにも血が通った人間らしい反応で、アンリはつい笑ってしまう。その脳裏では、レオハニーに言われた言葉が何度も反響していた。
──身体に負担をかけるから、三十歳を迎える前に天命が来るかもしれない。
先月に誕生日を迎え、今年で二十三歳。レオハニーの見立て通りであれば、残された時間はあと七年。時間を浪費する暇も、誰かを見殺しにする時間ももったいない。だからといって、余命僅かだからと死を選ぶ気は毛頭なかった。
アンリは宇田芸を突き飛ばすと、律儀に鍵穴を表示したまま待機していたモニターへ近づいた。
「アンリ、何をするつもりだ!」
武涛の声を無視し、背負っていたリョーホの太刀を引き抜く。そして太刀を水平に構え、鍵穴に向けて思い切り突き刺した。
やがて階段が途切れ、暗く開けた空間がアンリたちを出迎えた。
これまでの人工的な区画と違って、その部屋は荒野を連想させるほどに野生的だった。天井や壁は鍾乳洞のように激しい凹凸にまみれ、地面には墓標のようにドラゴンの骨が突き立っている。骨の隙間にはキノコライトが群生しており、白乳色の光によって、室内に濃淡が浮かび上がっていた。
部屋の真っ正面には、円形の象牙色の扉が鎮座していた。巨大なドラゴンの肋骨に包まれた扉の中心には、ヨルドの海底遺跡と同じ構造をした、頑丈そうなハッチが備え付けられていた。
「これが機械仕掛けの門、でいいんだよね?」
グレンが確認すると、宇田芸は困ったように笑った。
「正確には、遺跡の扉、かな。機械仕掛けの門はこれよりもっと薄っぺらいの」
言いながら、宇田芸は象牙色の扉へ両手を押し付ける。すると、宇田芸の指先に淡く白い光が灯った。彼女の中に継承された、鍵者の菌糸が扉と呼応しているのだろう。
菌糸と扉が何度か白く瞬いた後、分厚いハッチの奥で鍵が開かれる音がした。自動的にハンドルが回り、さび付いた音を立てながらハッチが手前へと開かれていく。
「もうすぐだよ」
平坦な宇田芸の声が、大袈裟なぐらいに空気を震わせる。それとほぼ同時に、完全に開かれた扉の奥が露わになった。
無数のコードが波打つリノリウムの床。コードの収束点には人間サイズのガラス管が佇んでいた。内部には青く輝く球体が浮かんでおり、不規則に上下に揺らめいては公転していた。ガラス管から伸びた太いコードを辿っていくと、真っ白な冷気を纏ったポッドが整然と並べられら区画が視界に入る。ポッドの表面には『氷晶』とはまた別の、氷属性の菌糸模様が刻まれていた。
狩人の世界とは一線を画す異様な光景である。旧世界の異物に触れてきたアンリ達は、顔色を変えずに内部へと踏み入った。武涛と宇田芸もそれに続き、ハインキーたちも強張った表情で進み出た。グレンだけは口を押さえたまま呆然と立ち尽くしていたが、やがて意を決したように、足早に皆の後を追いかけた。
埃でくぐもった空気を切り開くように、アンリ達は施設内を歩き回る。内装は違うものの、建物の構造自体は海底遺跡と同じだ。ものの数分で、機械仕掛けの門がある制御室を発見することができた。
「なんなの、これは……」
モニターだらけの制御室に入るなり、グレンは目を丸くしながら口元を押さえた。ドーム状の制御室には、あいも変わらず壁から天井にかけて、大小さまざまなモニターがびっしりと張り付いている。
「ヨルドの里と同じだな」
「こっちの方が古いんだけれどね」
アンリの呟きに宇田芸は微笑むと、迷いのない足取りで制御室の中央にある一際大きなモニターへと歩み寄った。宇田芸の掌がモニターに触れると、ぶぅんと重低音を響かせながら電源が入る。遅れて制御室の床に白い光の線が迸り、部屋の外へ一瞬で駆け抜けていった。その光は遺跡の中央に鎮座していた謎の青い球体へ収束すると、施設全体へとエネルギーを拡散した。
頭上の照明に明かりが灯る。そして、宇田芸がモニターから手を離せば、真っ白な画面がアンリ達の顔を照らし出した。画面の中にじっと目を凝らすと、薄っすらとだがパズルのピースが見えた。
「またパズルか」
肩をすくめながら呟くと、宇田芸と武涛、ツクモまで驚愕の表情でアンリを振り返った。
「アンリ、見えるの!?」
「そんなに驚くことじゃないだろ。かなり薄っすらとだけど見えるよ。ヨルドの里の時よりは見えやすい気がするけど」
宇田芸にそう答えると、彼女は武涛と顔を見合わせてから他の面々へと質問した。
「ほ、他の人はどうなの?」
「ちょっとしか見えないし!」
「俺は画面が光っていることしか分からん」
「俺達三人もだ」
シャル、クライヴ、ハインキーたちの順で返答があり、最後にシュレイブが無言でぶんぶんと首を横に振る。宇田芸は眉間に小さな皺を刻みながら、制御室の後方に立っていたグレンへと目を向けた。
「グレンはどう?」
「さっぱり。本当にパズルがあるの? ただの光る板じゃない」
グレンに至っては、画面の中にパズルがあるという発想すら抱いていないようだ。旧人類の技術に触れていない人間からすれば、この画面が液晶だとか、触れば画面の映像が連動するという事すら知らないのだから、むしろ普通の反応であった。
ツクモは顎に手を当てながら思案すると、赤い瞳を緩く細めながら宇田芸たちへ向き直った。
「ほぼ感覚的な話になりますが、リョーホと共にいた時間が長い人ほどパズルを認識できているような気がします」
「確かに。どんな器にも適合できる鍵者の菌糸が、他の人間にも移ったんでしょうか?」
「マガツヒの胞子で病が広がるのだ。それと同じ原理かもしれんな」
菌糸は寄生した生物の呼吸を利用して、胞子を空中に振りまいている。通常、その胞子が別の生物の体内に入っても、抗体に無力化されて根を張ることはない。影響があったとしても、せいぜい花粉症と同じアレルギー反応が出るだけだ。
だが鍵者の胞子であれば、抗体をすり抜けて原住の菌糸と共生してもおかしくない。
しばしの間思考を巡らせた後、武涛は厳めしい顔つきを強張らせながら、そっと宇田芸を見下ろした。
「……宇田芸、やはりもう少し待ってみてはどうだ」
「いい。マガツヒ復活まで時間がないから。藍空さんも言ってたでしょ。別の方法を探す時間はないって」
宇田芸は淡々とした口調で言い、無表情でモニターへと向き直った。ほんの一瞬、宇田芸の口端が震えたのをアンリは見逃さなかった。
指先が画面をなぞるたびに、パズルのピースが寄り集まり、隙間なく空白を埋めていく。すべてのピースが当てはまると、画面の中央に黒々とした鍵穴が表示された。
ここに指を差し込めば、宇田芸の体内にある鍵者の菌糸が提出され、認証が完了する。機械仕掛けの門が開かれ、テララギのサーバー内へ飛び込めるのだ。
「宇田芸、本当にいいんだな」
すぐ隣で、武涛が静かな声音でそう訊ねる。
宇田芸は息を止めると、目尻を歪めながら吐き出すように笑った。
「いんです。今なら胸を張って言えますよ。こういう時のために私はあの日を生き抜いたんだって!」
ああ、とアンリは声もなく息を吐いた。
「薄々気づいてたけどさ……死ぬんだろ。鍵者以外の人間が門を開けたら」
核心に触れると、旧人類の二人がゆっくりとアンリを振り返る。無理やり笑顔を取り繕った宇田芸の顔は、ソウゲンカを殺して回っていた昔のアンリと瓜二つであった。
「……生きる理由が欲しかったんじゃない。命を懸ける理由が欲しかったんです」
宇田芸は声を震わせながらモニターから離れ、正面から向かい合うようにアンリの方へと一歩進み出た。
「相談してほしかったとか、もっと別の方法があったかもしれないとか、そんなお為ごかしはいりません。合理的に生きましょう。姥捨て山と同じ、赤子の人身御供と同じです。私達はほんのちょっとの幸運で、余生を過ごしただけの老人です」
「だから、生き残るのは諦めるって?」
腕を組みながらニヒルに笑いかけると、宇田芸は初めてアンリの表情を見た。そして、さっと顔を青ざめる。宇田芸の瞳に反射したアンリの顔は、薄暗いせいでよく見えなかった。
アンリはそれをどこか冷めた気持ちで眺めながら、強い口調で言葉を紡いだ。
「リョーホもエトロも諦めなかったのに。何百年も生きたお前たちは、その程度の結論しか出せないのかよ」
宇田芸の視線が逸れ、アンリの後ろを滑っていく。見なくとも分かる。アンリの後ろに控える他の狩人たちも、アンリと同じ顔をしているだろう。
みるみる蒼白になっていく宇田芸。こんな状況になるまでこちらの気持ちも推し量れないとはほとほと呆れる。あるいは、仮想世界という閉じられた世界で、何百年も同じ人間と関わることしかできなかった弊害なのかもしれない。
外部から新しい常識を取り入れる機会がなければ、身内だけの集団はどうしても極端な思想へと偏りがちだ。旧人類たちが相談もせずに自己犠牲の道を選んだのも、自分たちは間違っていないと言う強烈な思い込みが、長い時間をかけて刷り込まれてきた結果であろう。
アンリは後ずさる宇田芸に追いすがり、彼女の手首をつかみ取った。指先が余るほど華奢な手首は、武器を持とうとするだけでも折れてしまいそうだ。旧世界では身体を鍛える必要すらなかったのだと生々しく実感する。
戦いとは無縁の世界で生まれたはずの女性が、死人のような目つきでアンリを見上げる。
「……一人死ぬだけで、大勢が助かるんです。離してください」
「嫌だね。胸糞悪いのは嫌いなんだよ」
振り払おうとする腕を押さえつけながら、アンリはモニターの前から宇田芸を引きはがす。
「前々から思ってたんだよね。旧人類ってどうして、自分たちのことは二の次なんだろうってさ。俺達に協力するのも、ヨルドのご先祖様との約束を守るため。終末の日を止めたいのも、世界を壊してしまった償いのため。なにもかも新人類のためだ」
言葉を重ねるほどに、宇田芸の表情が次々に歪んでいく。涙を堪えるあまり、笑っているように目じりが窄まり、唇の下に皺が寄った。
ヨルドの海底遺跡を見て、旧人類たちから旧世界の生活がどんなものだったかを聞いて、アンリは何度も考えた。現実世界に拘らなければ、旧人類たちは仮想世界で、もっと発展した文明を築けたのではと。現実世界に干渉されない、ゴモリーからも完全に隔離された完璧な理想郷も創造できたのではないか?
街を横断する鉄の乗り物。空を飛ぶ鳥のような機械。天にも届きそうな建物群。遥か彼方にある月面基地。アンリにとって、どれもこれも空想上のものでしかなかったのに、彼らは菌糸能力も存在しない世界で実現させてきた。ならばこの数百年で、これ以上の空想を実現させられないわけがない。
なのに、彼らはそうしなかった。
「お前たちは、自分たちの将来を少しでも考えなかったのかよ」
創造のない人生は死んでいるようなものである。いつだったかドミラスが言っていた。時々彼の助手の真似事をさせられていたアンリは、その言葉の真意を上手く図れずにいたが、旧人類たちを見ているうちに理解できた。
死ぬ準備をしている人間は、文明の発展に寄与しない。停滞した文明は何も生み出さない。目の前で宇田芸たちが息をして、脈を動かしていようが、死人が応答してくれるだけの墓参りと同じだ。
「こんなもの全然嬉しくない。生きてる連中に失礼だ」
怒気を孕んだ声で静かに告げると、宇田芸の目じりから二筋の涙があふれ出た。途端、真横から無骨な手がアンリの腕を掴む。視線を辿れば、険しい表情の武涛がアンリを見下ろしていた。
「……予め断っておこう。俺は君たちを侮辱したいわけじゃない。だけど俺たちは、もう十分に生きた。生きているだけで幸せなんだと、仮初の世界で十分に味わいつくした。だからといって、無意味に命を散らしたくはないのだ。死んでいった仲間たちのために、意味のある死を迎えたいんだ」
アンリの腕を掴む手に力が籠った。皮膚が圧縮される感覚が骨まで伝わるが、不思議と痛みがない。武涛は半ば目を伏せ、遠くへ思いをはせるように顎を上向かせた。
「俺は戦場で、もう助からない仲間を介錯した。生きていて欲しいという思いと、これ以上苦しませたくないという思いは両立する。病床の人間にも同じことが言えるだろう。投薬すれば延命できる。しかし副作用でこの上ない苦しみを味わうことになる。はたして、どちらが幸せなのか」
「……生きていて欲しいと思うのは、俺のエゴだって言いたいの?」
武涛は黙した。いつものアンリなら、怒鳴りつけるなり、殴り掛かるなりしてその根性を叩き直してやろうとしただろう。だが、武涛の瞳には年輪の如く人間離れした文様が浮かび上がっており、時間の乖離を否応なく見せつけられた。
「誰かのために死ねる。こんなに幸福なことはない。……独善的な思想だとは自覚しているよ。五百年前の俺が聞いたら全力でぶん殴りに来るだろうさ。だけど分かってくれ。五百年は、俺達には長すぎたんだ」
武涛の手がアンリの腕から離れる。アンリは言葉を失ったまま、離れていく武涛の手を見つめた。そして、あっさりとした口調でこう切り返した。
「なら、あと数十年ぐらい生きてもどうってことないだろ?」
その言葉を聞いた瞬間、武涛と宇田芸は豆鉄砲でも食らったような顔で凝視してきた。いかにも血が通った人間らしい反応で、アンリはつい笑ってしまう。その脳裏では、レオハニーに言われた言葉が何度も反響していた。
──身体に負担をかけるから、三十歳を迎える前に天命が来るかもしれない。
先月に誕生日を迎え、今年で二十三歳。レオハニーの見立て通りであれば、残された時間はあと七年。時間を浪費する暇も、誰かを見殺しにする時間ももったいない。だからといって、余命僅かだからと死を選ぶ気は毛頭なかった。
アンリは宇田芸を突き飛ばすと、律儀に鍵穴を表示したまま待機していたモニターへ近づいた。
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食っていくのがギリギリの冒険者ユリナは同じ境遇の友達3人と、先輩冒険者ジュリアから率のいい仕事に誘われる。それが罠と気づいたときには、絶対絶命のピンチに陥っていた。
もうあとがない。そのとき起死回生のスキルオーブを手に入れたはずなのにオーブは無反応。『』の中には何が入るのだ。
ギリギリの状況でユリアは瀕死の仲間のために叫ぶ。
ユリナはスキルを手に入れ、ささやかな幸せを手に入れられるのだろうか。
やさしい異世界転移
みなと
ファンタジー
妹の誕生日ケーキを買いに行く最中 謎の声に導かれて異世界へと転移してしまった主人公
神洞 優斗。
彼が転移した世界は魔法が発達しているファンタジーの世界だった!
元の世界に帰るまでの間優斗は学園に通い平穏に過ごす事にしたのだが……?
この時の優斗は気付いていなかったのだ。
己の……いや"ユウト"としての逃れられない定めがすぐ近くまで来ている事に。
この物語は 優斗がこの世界で仲間と出会い、共に様々な困難に立ち向かい希望 絶望 別れ 後悔しながらも進み続けて、英雄になって誰かに希望を託すストーリーである。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2巻決定しました!
【書籍版 大ヒット御礼!オリコン18位&続刊決定!】
皆様の熱狂的な応援のおかげで、書籍版『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』が、オリコン週間ライトノベルランキング18位、そしてアルファポリス様の書店売上ランキングでトップ10入りを記録しました!
本当に、本当にありがとうございます!
皆様の応援が、最高の形で「続刊(2巻)」へと繋がりました。
市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です!
【作品紹介】
欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。
だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。
彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。
【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc.
その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。
欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。
気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる!
【書誌情報】
タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
ご購入はこちらから:
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/
楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
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