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社会の攪乱

一瞬にして奪われた、平穏な生活

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 校舎に入った興俄は仲間に向かって告げた。

「それぞれが人員を確保して数の報告を。こちらで適材適所に振り分ける」
「ねぇ、梶原、じゃなかった景浦がいないわ。まさかまた西の連中について行ったんじゃないでしょうね。揉めごとはもうこりごりよ」

 険しい顔で麻沙美が言う。前世での梶原景時は、義経らと共に西国で平氏討伐にあたっていた。しかし、二人の意見は常に対立しており、梶原は頼朝に義経を讒訴した。梶原景時は義経失脚の一因を作った人物だとも言われている。

「景浦は昨日から東京の様子を見に行っている。そうか、あいつはこの状況を理解していないな」
 スマホを取り出すが、圏外だ。

「情報は遮断されていたな。麻沙美、江ノ原に他の連絡方法がないか聞いてくれ」

 麻沙美が頷いて、江ノ原に話しかける。

「ちょっとだけ待ってや。俺は攻撃を受けても、ダメージコントロールができてるからな。ハード、ソフト両面の対策もしてるし。被害は最小限。すぐに使えるようになるで」

 歌うような口調で江ノ原が言った。だが、いくらこちら側が使えるようになったとしても、相手側が使えるかどうかわからない。状況は変わらないのだ。興俄は無駄だと思いつつ、梶原の存在を思い浮かべて『おい』と心の中で呼びかける。彼にこちらの状況を伝え続けてみる。するとストン、と彼の中で何かが腑に落ちた。

 それから数分後。PCの作業をしていた江ノ原が声をあげた。

「兄ちゃん、景浦さんから連絡来たで。『こちらで待機してきますので、何かありましたら呼び掛けてください』だと。これだけ世の中が混乱している状態で逐一報告してくるとは、あの人は優秀やな。まぁ、人には嫌われるやろうけど。あとこれ」

 数枚の用意をプリントアウトして興俄に手渡す。

「やはり届いたのか。これは、使える」
「どういうこと?」
 麻沙美が尋ねる。

「俺は今まで、相手の心情を読もうとしていた。読んだうえで、書き換える。それが通用しない人間には、この能力は価値がないと思っていた。だが、そうでもないようだ。心情が読めない相手には、こちらの意図を送ることができるらしい」

「じゃあ私は、離れていても貴方の意図を受け取れるの?」
「ああ。だが、俺は景浦の意図を受け取ることはできない。俺の考えがあいつに届くだけだ。江ノ原が受け取った報告によれば、現在、国内の通信がほぼ使用不可能なようだ。確認できたことは、スマホの主要基地局が故意に破壊されていることと、複数個所の海底ケーブルが切断されたこと。固定電話、光ケーブルに対しても、使用できなくなる何かを一斉に行ったみたいだな」
「じゃあ西の連中との連絡手段がないじゃない。また勝手な行動を取ったらどうするの?」
「後であいつらにも試してみるか」
 それから数時間後、興俄は、鷲に向けてこちらの意図を送ってみた。彼がそれを受け取ったかどうかは後に判明する。


 冬華たちを乗せた車は西を目指して移動していた。高速道路は問題なく通行できた。先日起こった地震の影響か通行止めになっている区間もあったが、その都度一般道を迂回すればなんとか目的地まで辿り着けそうだ。高速道路から見る風景はいつもと変わらなかった。どこまでも続く灰色の壁と、時折見える点在する建物たち。あちこちで白煙が上がっていたり、遠くでサイレンが聞こえたりはしたが、緊迫感は伝わってこない。ただ、自衛隊の車両とすれ違う頻度が多い。きっと全国各地に向かっているのだろう。

 一般道を迂回するとき、何組かの暴徒集団を見かけた。ある場所ではショッピングモールを襲撃し、また、他の場所では県庁らしき建物が襲撃されていた。何事か分からず逃げ惑う人々がいる。武器を持った男達が何かを叫びながら、人々に襲いかかっている。駆け付けた警察官と激しい衝突が起きている場所もあった。

 御堂が助けに行こうと言ったが、この状況では武器も持たない自分たちは何の役にも立たない、ただ巻き込まれるだけだろうと蒲島が言い、結局どうすることもできず、車内から見ているだけだった。他の車も止まることなく、クラクションを鳴らしながら通り過ぎている。
 戦争も、暴動も、テロも知らない冬華の目には、車窓から見た惨状は信じがたいものだった。まるでTV画面の向こうで起きているような気がした。しかし、それが今、日本中で起きている。これから、この国はどうなるのだろうと不安に襲われた。一人で行動している鷲は無事だろうかと心配する。

 車は予定した時間よりもかなり遅れて山口県に着いた。時間は夕方4時を回ったところだ。蒲島の車を降りると、バイクに乗った鷲がこちらにやって来た。彼は先に着いていたようだった。太陽の強烈な光は未だ彼女達に降り注いでいる。

「鷲くん早かったね。通行止めの箇所とかあったし、大丈夫だった?」
 冬華が言うと、

「通行止めの所は、山を越えてきたから早く着いたんだ。このバイクなら山も越えられるし。山の中には暴徒もいなかった」
 あっさりと鷲が答えた。

「あのなぁ、山を越えられたのはバイクがじゃなくて、お前がだろ。いくら高速道路が通行止めだからって、バイクで山を越える奴なんているかよ。普通は一般道を迂回するんだ。知らないのか?」
 呆れたように御堂が言う。

「でも、猪がいたよ。猪が通れるなら、バイクも通れる。鹿が崖を降りられるな、馬も降りられるみたいね」

「ああそうかい」
 これ以上は何を聞いても無駄だと思った御堂は、ぞんざいに言い放った。

「あのさ。ここって、壇之浦から離れているよね?」
 ゆかりんが聞く。途中、鷲から連絡があり、集合場所が壇之浦よりも少し東になっていたのだ。

「壇之浦にはすでに自衛隊がいた。大丈夫そうだったから、様子を見ながら少し戻って来たんだけど、ちょっと気になる場所があって。みんなに来てもらったんだ」
 
 蒲島は鷲の肩をポンと叩いた。

「まぁ無茶はするなよ。あとで落ち合おう。健闘を祈る」
「蒲島さんも気を付けてください。敵は武器を持っています。ここへ来るまでに、酷い光景を見たんです」
 鷲は自分が見た光景を話し始めた。
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