【完結】陛下に愛を誓うまで

桐生千種

文字の大きさ
12 / 16
第3章 日本へ、帰る

4.それは救いの手、か

しおりを挟む
 救いの声が聞こえた。

「なにをしている」

 まるで地を這うような、恐ろしくも怒りの込められた声だった。

 けれど。

 今の私にとっては、救いだった。

「……っ!!」

 風が吹く。

 建物の中のはずなのに。

 激しく、強い風が巻き起こる。

 思わず、目を閉じた。

 カランと、音がした。

 手の中のナイフが、地面に落ちた。

 私の手を掴んでいたミーシャの手は、放れていた。

 全身から、力が抜けていく。

 ふらりと、身体が揺れる。

 けど、地面に倒れ込むことはなくて。

 覚えのある腕に、抱きとめられた。

「大丈夫?」

 その腕は、トーリャのもので。

 目を開けると、トーリャがとても複雑な表情で覗き込んできていた。

 困っているような、悲しんでいるような。

 でも、その表情はすぐに消えて。

「っ!? その血!! ケガしたの!?」

 私の手を見て、心配そうな顔をしてくれる。

「大丈夫……。私の、血じゃないから……」

 そう言うと、安心したように息をついた。

「そう……。よかった……」

 そして、トーリャは顔をあげる。

 私から視線をずらして見つめる先。

 私もその視線を辿ると、そこにはキリルが。

 剣を抜いたキリルが、壁に押しつけたミーシャの首を今にも切りつけようとしている。

「っ!!」

 その光景に、言葉がでない。

 だせない。

「ねえ……、どうして……?」

 トーリャの、呟き。

 それは、私に向けての問いかけなのか、ただの独り言なのか判断が難しい。

「どうして……、こんな……」

 その悲痛な呟きに、なにも言うことができない。

「僕、魔術のことはそんなに詳しくないけど……」

 ああ、話しかけられているんだと理解する。

「これは、人に世界を渡らせる術式だよ。代償は、血と命。僕もこれで、キミの世界に行った」

 ドキリ。

 心臓が跳ねた。

「ミーシャとしていたのは、これの相談? そんなに、帰りたかった? そんなに、この世界はキミにとってイヤな世界だった?」

 ぎゅっと、心臓がしめつけられるような気がした。

「僕じゃ、少しも……、キミがこの世界で居心地よく過ごせる力には、少しでも、楽しいと思える瞬間があるような、そんな力には、ちっともなれていなかった……?」

 ごめんなさい。

 そんなふうに、思ってしまう。

 トーリャは本当にイイ人、だから。

 いつも、無邪気な笑顔を見せるトーリャが悲しみを見せている。

「そんなにも……、そんなにも、キミが帰りたいと言うのなら……」

 ぎゅっと、掴まれた腕に力が込められる。

「僕の命を使って」

 え……?

 なにを、言い出すの……?

「今、ミーシャを失うのは、この国にとって大きな打撃になる。だから、そんなにもキミが帰りたいと言うのなら……」

 トーリャまでもが、そんなことを言う……。

「きっと、陛下もわかってくれる。だって、キミの願いだから」

 そう言って、笑ってみせる。

 そんなトーリャに、胸がぎゅっとしめつけられるみたいに痛む。

「ちが……」

 違う。

 そんなことは、望んでいない……。

「……誰かの命と引き換えにしてまで、帰りたいなんて思えない。だから、やめて……」

 そんなこと、言わないで……。

「なんだ、よかった」

 ほっと、息をついたトーリャ。

「僕、痛いのは嫌いだから、安心した。じゃあ、このまま一緒に城に戻ってくれる?」

「……うん」

 それしか、私に残された選択肢はないじゃないか……。

 行くところなんて、どこにもない……。

「陛下! ーーーーーー」

 トーリャがなにかを告げて。

「さ、戻ろっか。歩ける?」

 労わってくれる、トーリャ。

 そんなトーリャに。

「……ねえ」

 聞きたいことがある。

「1つ、聞いてもいい……?」

 ずっと、頭にひっかかっていること。

 私が、元の世界に戻るために代償が必要だとミーシャは言った。

「血と命を代償に、トーリャが私の世界に来たって言ったよね?」

「……うん。そうだね」

 トーリャは、私が聞きたいこと、わかっているのかもしれない。

「世界を渡るために、誰かの血と命を代償にしなければならないってこと……」

「うん……」

「だから、私が……、この世界に渡って来たってことは……」

 もうすでに、誰かが……。

 言葉にするのが、怖い……。

「……そうだよ」

 トーリャが、言った。

「キミの考えてること、当たってる。キミが世界を渡るのにも、代償は必要だから」

 ああ、やっぱり。

 やっぱり、そうなのだ。

 誰かの死によって、私は今ここにいる。

 これじゃあ、ますます言えなくなる。

『帰りたい』

 なんて。

 私が帰ったら、その人はなんのために……?

 なんのために、その血を流したと言うのだろう。

 なんのために、顔も知らない異世界の人間を連れて来ようとしたのだろう。

 陛下の、運命の相手だから?

「ああ、でも」

 トーリャは言う。

「キミを連れて来たのも、代償を払ったのも、僕たちが勝手にやったことだから、そのことでキミが思い悩む必要はないよ」

 そう、言うけれど。

 考えない、なんてことできるわけない。

「そんなこと、できないよ……」

 なせだろう……。

 今、自分が生きている。

 それがとても、恐ろしいことのように思えてくる。

「だって、その人は……、私がいなきゃもっと長く生きていられたはずでしょう? 払った代償分の人生、家族と笑ってすごせていたはずでしょう? なのに……」

 もう、そんな時間は戻ってこないんだ……。

「ねえ、その人はどんな人だったの? 家族は? 私が奪ってしまった時間分、なにかできること、ない?」

 償い、なんておこがましい。

 でも、なにかしたいと思う。

 思う、のに。

 トーリャの表情から伺い知れるのは、思わしくない答え。

「ごめん……」

 それが、トーリャの答え。

「僕の口からは、言えない……」

 言えない、とトーリャは言った。

 でも、知っている。

「どうして?」

 私のせいなのに。

「どうして、教えてくれないの? 私のせいなんだから、私には知る義務がある」

「僕からは、言えない。それに……」

 トーリャは続ける。

「知ればキミは苦しむ」

「それでもいい」

 構わない。

 現実から、目を背けるようなことはしたくない。

 辛い現実に直面しないように、囲われて守られるだけの人間にはなりたくない。

「そんなに、知りたい?」

 私は、頷く。

「……だって、陛下。はい、こーたーい」

「え?」

 トーリャに支えられていた身体が、ぐいと押されてトーリャの手を放れる。

 流れる景色が、地面に倒れるかもしれないと思わせる。

 けどすぐに、身体がなにかにぶつかって倒れることはなかった。

 少し、間をおいて抱きしめられる。

 ぎゅうときつく、痛いくらいに。

 でも、嫌じゃなくて。

 心地いい。

 なぜか、安心してしまう。

 この腕が、キリル・ソーンツェフのものであると、確認しなくても、わかっている。

 心地よくて、いつまでもこのままでもいい、なんて思ってしまっている私がいる。

 でも、そんなわけにはいかない。

「……あの」

 声をかけても、その腕は放れない。

 緩められることもなくて。

 ただ、抱きしめられたまま、沈黙が流れる。

 長い長い沈黙。

 じっと、動かずに、時間だけが流れる。

 静かな、静かすぎる、時間の流れ。

 そして……。

 すうっと、キリルが息を吸い込むのを感じた。

 ゆっくりと、息を吐き出す。

「あなたは……」

 キリルが、呟く。

「あなた自身が苦しむとわかっても、それでも知りたいと言うのか」

 キリルの顏は、見ることができない。

 キリルの胸に顔をうずめているから。

 声からも、キリルの感情は読み取れない。

 でも。

「知りたい、です」

 知らなきゃ、いけないと思う。

 知りたいと、思う。

「教えて、ください」

 また、沈黙が訪れる。

 なぜだろう。

 教えたく、ないと。

 そういうことなのだろうか。

 教えない、と。

 そういう、意味なのだろうか。

 けれど、教えないと言われるわけでもなく。

 かと言って、なにか話してくれるというわけでもなく。

 ただ、じっと。

 じっと、抱きしめられ続けるだけ。

 トーリャは、どうしたのだろう。

 ミーシャは、どうなったのだろう。

 そんなことを考え始めた。

 限られた視界に映るのは、薄暗い石の壁。

 あたたかくて安心する、大きな腕の中にいるのは嫌じゃないから。

 じっと、抱きしめられるだけの沈黙も苦ではない。

 苦ではないけれど。

 少しだけ、ほんの少しだけ、戸惑いがある。

 それだけの、時間が経ったときだった。

 キリルが、口を開いたのは。

「私の、母の血だ」

 なんの話だろうと、考えてしまった。

 キリルの、お母さんの、血。

 それが、一体どうしたのだろう、と。

 でも、理解できた。

 キリルのお母さんが、私をこの世界に連れて来るための代償を払ったのだと。

「どうして……?」

 口をついて出たのは、その言葉だった。

「あなたが、気に病む必要はない。母の意志だ」

 そう言うけれど。

 私には、わからない。

 どうして、そうなってしまったのか。

 どうして、キリルはそれを許したのか。

 なにも言わない私に、なにを思ったのか、キリルが話し始めてくれた。

「言っただろう。あなたは私の運命の相手だと」

 その声は、どこか切ないような気がした。

 泣いて、しまうんじゃないかと思った。

「昔から、母は言っていた。あなたを連れてくるとき、代償となるのは母自身だと。そんなことはさせないと、そんなことをするくらいならと、何度言ったかわからない。だが結局、母の言う通りになってしまった」

 私は、ただ黙って聞く。

「きっかけは、父の死だ。戦場で、父は戦死した。それ以来、母は夢を語るようになった。その血と命を代償として払い、父のもとへいくのだと」

 ぎゅっと、心臓がしめつけられるような感覚がする。

 思わず、キリルの服を握りしめた。

「それを夢に、夢を語る母はいつも笑っていた。穏やかに笑う母を見ると、私はなにも言えず、なにもできず、母の望みを叶えてやることしかできなかった。病に伏した母は、夢を語るその瞬間だけ幸福そうな顔をするから」

 胸が、どうしようもなく、苦しい……。

「だから、あなたが気に病む必要などない。たとえ、あなたがはじめから、この世界に生まれ落ちた存在だったとしても、母の命はそう長くはなかった」

 ぽんぽん、と頭に触れられる。

 まるで、慰められているようで。

 お父さんを、思い出して泣きたくなった。

 もう、会うことのできないお父さんもよく、頭をぽんぽんってしてくれていたから……。

「しかし」

 私の髪に触れながら、キリルが言う。

「あなたには、知られたくなかった」

 それは一体、どういう意味なのだろう。

「行くぞ」

 けれど、疑問を口にする前に、そう言われてしまって……。

「っ!? ちょっ……!」

 なんの前触れもなく、抱きあげられて。

 またしても、お姫様抱っこ。

 おろして、とか。

 自分で歩く、とか。

 言おうとしたけど。

 言えなくなった。

 キリルが、震えていたから。

 身体が、じゃない。

 心が。

 心が、震えていた。

 そんな気がしたんだ。

 今、この腕を放れちゃいけないと。

 そう思った。

 外に出ると、眩しかった。

 たくさんの人がいて、たくさんの松明があって。

 キリルが、なにかを話す。

 それは、この国の言葉で私にはわからない。

 なにか、指示を出しているようなキリルだけど。

 その様子は、いつも通りのようで、少し違う。

 無理をして、そう振る舞っている。

 私には、そう見える。

 その様子を見て、なぜか苦しくなる……。

 でも、どうして……?

 その謎が、解かれることはなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

真実の愛を見つけたとおっしゃるので

あんど もあ
ファンタジー
貴族学院のお昼休みに突然始まった婚約破棄劇。 「真実の愛を見つけた」と言う婚約者にレイチェルは反撃する。

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

処理中です...