桜1/2

平野水面

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出たとこ勝負

空白1

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 鬱陶しい梅雨と面倒な期末テストが終わり、校内の雰囲気は夏休みモードに突入していた。
 我が文芸部もご多分にもれず、最近の活動といえば読書ではなく夏休みの計画を練っている。
 空き教室ぶしつの雰囲気はさながら金曜日の昼休みのようなテンションだ。
 恵さんは花火大会、麗さんは山へキャンプ、亜希は海水浴、それぞれ行きたい所を言い合って盛り上がっている。
 みんなのテンションについていけない僕は、ポツンと取り残され、違う時間軸を生きているような感覚だった。
 僕が多重人格だと分かってから約一ヶ月。
 最初はギクシャクしていた僕らの関係は表面的には修復している。
 邪推かもしれないけど、なんとなく皆は僕に気を遣っているような気がした。
 僕の前で無理して明るく振るふるまっているのかなと。
 皆の優しさにありがたいと思いながらも、僕は一定の距離を置き、無言で夏休みの計画に耳を傾けていた。
 窓の向こう側の景色を眺める。
 長方形の窓枠に仕切られた青空は映画館のスクリーンのようで、真夏の群青に染まった空の下、住み慣れた街並みがゆらゆらと揺れている。
 右から左へと通過する曇の影がゆっくりと街を侵食して行った。
 普通の人なら他愛もない日常の風景にしか過ぎないと思う。
 けれど僕はこの日常をあと何度眺められるだろうか。
 いずれ人格が統合され、いつか消える僕にとって最初で最後の夏の情景になるかもしれない。
 そう思うとこの何気ない日常の風景でさえ、とても愛おしく思えた。
 僕は感傷的だった。
「ねえ、聞いてる至恩? ねえ至恩、ねえってば!」
 呼ばれて皆の顔を見る。
 恵さんは冷たい目をしていた。
「至恩のその遠くを見る目が嫌いよ。ちゃんと話を聞いていたの?」
「聴いてなかった」
「他人事じゃないの。ちゃんと聴いて」
「ごめん」
 盛り上がった空気が冷えていく感覚を覚えた。
 亜希と麗さんは首をすくめ「ふう」と溜め息を吐く。
 僕は頭を掻きながら笑って誤魔化した。
 亜希が気配りしてくれた。
「亜希たちはね、至恩くんのために話してるんだよ。ちゃんと聴いててよね」
「ごめん、もう一度聴かせてくれないかな?」
 僕は机の上に両手をついて深々と頭を下げた。
 すると頭上から麗さんの「せーの」という合図で。
「海へ行こう!」
 皆の弾む声。
 下げていた頭をゆっくりと上げて「何で」と訊ねると。
「夏の思い出をたくさん作ろうぜ」
 麗さんは言い終えてから勝ち気に「シシシ」と笑った。
 僕の勘違いに気づかせたくれたの皆の笑顔だった。
 もう皆は現実を受けとめているようだ。
 現実から逃げていたのは僕の方なのかも。
 だから僕も正面から受け止めたい。
 現実も皆の好意も。
 僕は小さく頷いて。
「うん、皆で海へ行こう!」
「やったあ!」
 皆は立ち上がってハイタッチして喜んでいた。
 僕はここに存在している。
 皆と楽しい時間を過ごしている。
 まだ僕の人格は消えてはいない。
 思い出を作る前に、皆の思い出になるにはまだ早すぎるみたい。
 僕の夏は始まったばかりだ。

    *    *

 部活が終わり校門前にいた。
「さようなら。また明日ね至恩、亜希ちゃん」
「じゃあな二人とも。気をつけて帰れよ」
「さようなら」
 恵さんと麗さんへ別れの挨拶をした。
 別れ際、恵さんが話しかけるような素振りをみせたけれど、言葉を飲み込んで結局なにも言わなかった。
 僕は気づかないふりをして亜希と一緒に下校していた。
 僕が車道側で亜希は内側を歩き、学校から自宅がある西へ向かう。
 今日は猛暑だったこともあり夕方になっても気温は下がらず、歩くだけで大粒の汗が流れ出た。
 しばらくして堤防に突き当たり、堤防の坂道を上って北に進路を変えて遊歩道を行く。
 ここは恵さんとお花見デートしたあの場所である。
 道の両端から張り出した桜の緑葉は、アーチ状の屋根のような役割を果たしていて直射日光を遮って少しだけ涼しい。
 川側から堤防へ吹き抜ける風が、汗で湿った制服のシャツを揺し、裾から入り込む風はドライヤーの弱のようなぬるさだけど、心地よく感じる。
 けれどその心地さは、すぐに不快感へと変わる。
 風は堤防の斜面に生い茂っている雑草の青臭さを運び、汗臭い僕の体をよりも、夏草の強烈な臭いが鼻をつく。
 僕の風下を歩く亜希が気になって訊ねた。
「僕は臭くないか?」
 亜希はキョトンと僕を見る。
 少しの間があって、亜希は自分のスクールバックから汗拭きシートを取り出し僕に手渡した。
 僕は亜希に背を向けてシャツのボタンを外して、体にまとわりついた汗を拭いた。
 微かに香るフローラルの匂い。
 この匂いは先月の屋上扉の前の踊り場で麗さんと二人きりの時に嗅いだ匂いと似ているような気がした。
 拭き終わったペーパーを丸めてポケットを押し込み、貸してもらった汗拭きシートを亜希に返した。
「それいい匂いするでしょ?」
「そうだね」
「麗から教えてもらったのそれ。ねえねえ、これで亜希と一緒の匂いだね。すれ違う人が亜希たちの匂いに気づいたら至恩くんと亜希は恋人同士と勘違いするかもよ」
 亜希とイヒッと笑う。
 妙な妄想をはっきり否定した。
「仲の良い兄妹に見えるんじゃないかな。仮にそうだとして、もしここに麗さんが居たら、僕らは複雑な関係になってしまう。同じ匂いだけで恋人ってのはちょっと強引だとは思わないか?」
「至恩くんの部屋に隠してあったエッチなラノベとゲームと同じ展開だね。亜希と麗、三人でそういう関係になっちゃう?」
「……あれを見たのか?」
 手痛いカウンターを食らった。
 亜希のに火を油を注いだようで高火力になって反ってきた。
 僕はまさに「飛んで火に入る夏の虫」である。
 というか隠してあったはずのエッチなラノベと、女子に見られたくない恥ずかしいゲームの存在を亜希はどうやって見つけたのだろうか。
 今さらそれを聞いても無駄だと思うが、どうしても確認しておきたいことがあった。
「か、母さんも知ってる……のか?」
「兄さんが入院中に一緒に部屋の片付けをしたから当然知ってる。兄さんの性癖をバッチリとね」
 亜希は恥ずかしがらずにVサインした。
「これは僕の趣味じゃない。バッタもん、いや、亜希のお兄さんの趣味です」
「知ってる。なら至恩くんの趣味をもっと教えて。亜希が知っているのは可愛い妹の生着替えを覗き見するシスコン&ロリコンくらいかな。エヘヘッ」
 悪戯に笑う亜希。
 汗を拭き取ったばかりの体からまた大量の汗が吹き出る。
 僕は亜希に弄り倒されている。
 もう僕のHPは0なのでここら辺で勘弁してもらいたい。
「冗談は止めてくれよ。妙な汗をかいたじゃないか」
「冗談じゃないし止めないし。でも至恩くんだけ恥ずかしい思いをするのは不公平だから亜希の性癖を教えてあげる。亜希はね、実はファザコン&ブラコンです」
「え、はあ?」
「ファザコン&ブラコン属性を持つ亜希は――至恩くんが大好きです」
 衝撃的な告白。
 吹き抜ける一陣の風が耳元でごうごうとどよめく。
 桜並木のざわめきは僕と亜希を囃し立てるような気がした。
「ええ……はあ?」
 混乱している僕がなんとか出せたのは間抜け声。
 亜希からの予想外の告白は、多重人格コピーである僕の時間を止めた。
 真夏に僅かな空白が生れた。

 
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