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第16話 「裁きの光」
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朝は、王都の屋根の上で薄く震え、鐘の音が一枚ずつ空から剥がれ落ちるみたいに広がっていった。
私とカイルは王宮南階の古井戸の前で一度だけ立ち止まり、背中の呼吸を合わせる。胸の内側、革袋の密書は私の心臓の速さを写し、指先に小刻みな震えを渡してくる。震えは恐怖じゃない。速度だ、と昨夜の自分に言い聞かせた言葉が、もう一度、骨の中で鳴る。
「行こう」
「うん」
王宮の門は“流行り病の封鎖”の札がまだ掛かっていたが、門番の目はもう“読む目”に変わっていた。
魚市場、粉屋街、祈祷堂、井戸端――夜のうちに貼った写しが、人の舌に火を移してしまったからだ。
行列は整列ではなく、合意の形を取って伸び、民が自分の足で王宮へ向かっている。老婆は杖で地面を二度叩き、子どもは両手をつないで文字を口にし、男は顎に手を当て、女は背筋を伸ばす。
誰も退かない。
誰も騒がない。
“読む人間”の歩き方で、門を潜る。
大広間前の廊下は、朝の光で白く満ちていた。
衛兵の列は厚いが、槍の穂先は上を向いたまま。
エリオットが角の影から現れ、目だけで合図を送る。
「半分は遅らせた。残りは“見ているだけ”だ」
「ありがとう」
「礼はあとだ。――王は出る。病という札は、宰相の机に隠された」
宰相。
第一王子。
石の廊下に立つ、二つの影の長さは、昨夜より短い気がした。
扉が開く。
大広間は、私が知る“宮廷”よりも、ずっと静かだった。
王が玉座に座る。年老いた背は少しだけ曲がり、しかし目は曇っていない。
第一王子は右手に。宰相は左手に。
彼らの背後に、いくつかの旗と、いくつかの舌。
私とカイルは中央へ進み、距離を測る石の模様の上で足を止めた。
「名を」
王の声は大きくないのに、広間にいる全員の喉の上を軽く撫でていった。
「アメリア=レオンハルト。……そして、“今の名”はミリア。市井で字を教え、火を守った者です」
背筋が、言葉に合わせて立つ。
私は懐から青い封蝋の紙束を取り出し、高く掲げた。
二頭の獣と王冠――王家の紋章が、朝の光を硬く返す。
「殿下は」
王の視線がカイルへ移る。
カイルは一礼して、剣を持たない両手を前に出した。
「第二王子、カイル・アルフォード。……ただし、今は“この人の証を、王に届ける手”として立ちます」
宰相が一歩、前に出た。
薄い笑み。唇の端に砂糖をつけたみたいな甘さ。
「王よ、彼らは市井を扇動し、虚偽の文書をもって王威を試みる者です。王都の乱れの元を、ここで正すべきで――」
「“明朝に弁明を”と書いて、夜に扉を破った舌が、何を言うの」
自分の声が先に飛び出していた。
広間の空気がわずかに揺れる。
宰相の目が私の胸の革袋を一秒だけ測り、それから王へ戻る。
「王よ、彼女は感傷を教義に変える娘です」
「違います。――記録を持つ娘です」
私は封を切った。
紙の音が、広間に散る。
父の字。マリウスの筆跡。倉庫台帳の数字。印章の癖。行幸の割表。
先王アードリックの銀板に刻まれた短い文――“影で国を動かした舌を、光で止めよ。王は、民の前で舌を持つ”。
一行、一行、呼吸を置いて読み上げる。
「三日前、倉庫街から“祭礼準備”の名目で夜に動かされた武器と火薬。台帳の隅の同じ誤字。――この筆圧、宰相の書記のものです」
紙を掲げ、王の席に近い文官へ渡す。
文官は眼鏡を少し押し上げ、筆圧と癖を確かめ、うなずく。
「行幸の割。第一王子の随行に“偶然”重なる衛兵の配置。門の開閉表の書き換え。――この書式、第一王子側の書記官の定型です」
別の文官が受け取り、顔色を変えずに頷く。
「そして、レオンハルト家への“明朝に弁明を”の呼び状と、同じ夜の王都衛兵の出立命令。――命令書の印章は宰相印ですが、印璽の傷の位置が違う」
宰相の頬が、薄く引きつった。
第一王子が唇を噛み、怒りで紅潮させた顔をなんとか“高貴な不快”に見せようとする。
私は続ける。
「レオンハルトの書斎から見つかった“鍵合わせ”は、王宮南階の古井戸にある木箱と重なりました。――中には王家の封蝋。そして、先王の銀板」
王の目が、そこで初めて動いた。
静かに、深く、ほんの少しだけ光を強くする。
私は銀板の文を読み上げ、最後に一歩、前へ出た。
「王よ。あなたは“民の前で舌を持つ”と、先王は書きました。――今、ここには民がいます。王都の通りに貼られた写しを読んだ者たち。市場で文字を追う子どもたち。粉屋街の女たち。洗濯場の手。祈祷堂の静かな目。……どうか、民の前で、この舌を光にかざしてください」
王は玉座の肘掛けに手を置き、立ち上がった。
その動作に合わせて、大広間の空気が一段、静かになる。
王は宰相を見た。
次に第一王子を見た。
最後に、私とカイルを見た。
「宰相」
王の声は低く、腹から出ていて、広間の石に吸い込まれていく。
「この印璽の癖は、汝の机でしか生まれぬ。答えよ」
宰相は一度、笑いかけた。
だが、笑いは形になる前に崩れた。
「王よ、これは誤解で――」
「誤字と誤印は、舌の癖だ」
王は遮らなかった。ただ、言葉を重ねた。
「癖は、隠せぬ」
第一王子が一歩前へ出る。
「父上、“陰謀”など――」
「“未遂”は、誰の舌で計画された」
王の目は、揺れなかった。
第一王子は言葉を探し、探せず、唇の内側を噛んだ。
沈黙。
沈黙は、光の中で形を持つ。
そのとき、背後の扉が開き、民が大広間の周囲に静かに入ってきた。
衛兵は止めない。
エリオットが廊下の端で片手を上げ、老婆が杖で一度、床を叩く。
子どもが私の板の写しを胸に抱えて、文字を追う。
“未遂”。
“舌”。
“影”。
王はゆっくり頷くと、手を横に振った。
衛兵が動く。
宰相の前に二人。
第一王子の背に二人。
鎧の音は小さく、しかし決定的だった。
「宰相、職を解く。――取り調べに付せ」
「王よ!」
宰相の声に、初めて“人間の”高さが混じった。
「王よ、私は王国のために――」
「王国は舌ではない。人だ」
王の言葉は短く、刃でなく杭だった。
第一王子が叫ぼうとして、叫べなかった。
声は出るのに、意味が出ない。
彼は振り返り、宰相を見、王を見、民を見、そして、床を見た。
足が、自分の重さを思い出したのだ。
アルヴィンは――すでに広間の端に連れてこられていた。
手には縄。
顔は無表情。
私を見ると、微かに眉を動かした。
怒りでも、悔いでもない。
ただ、疲れ。
私は目を逸らさずに言う。
「あなたは宰相の舌で人を切った。――だから、拘束される」
「……君は、やはり、強くなった」
「私一人で強くなったんじゃない」
王がカイルへ視線を移す。
「カイル・アルフォード。――民は汝を王として見ている。舌は裁かれ、秩序は正されねばならぬ。王冠は、汝の頭を待つ」
広間の周囲で、小さな波が起きた。
民はざわめく。
“王”。
“新しい”。
“正しい”。
私の胸の革袋が、そこでもう一度、硬く合図を送る。
カイルは一歩、前に出た。
そして、首を横に振った。
「王よ。俺は“王でなくていい”」
王宮の石が、その言葉の意味を確かめるみたいに、音を飲み込んだ。
カイルは続ける。
「俺は“人として世界を見たい”と出て、“王子である俺を隠さない”と戻った。――今、王冠をかぶるより先に、やらねばならないことがある。舌で火を作った仕組みを、仕組みの側から解くことです。王冠は道具だ。道具を持つ前に、火の片付けを終わらせたい」
王は黙っていた。
私の喉に、熱いものが上った。
“王でなくていい”。
“王でなくてはならない夜”。
昨夜の会話が、広間の真ん中で別の形を取って立っている。
王はやがて小さく息を吐き、口角をわずかに上げた。
「よい」
その一語が、城の梁に染み込んでいく。
「王冠は逃げぬ。――ただし、汝は逃げるな。仕組みの中に立て。舌の場所に立て。民の前に立て」
「はい」
王は玉座へ戻り、民へ向き直る。
「聞け。――夜の“未遂”は、舌で作られた。舌は裁かれる。印は改められる。書記は交代させる。行幸の割は公開する。衛兵の出立記録は市井の掲示に写す。王宮の扉は、昼に開く」
文官が一斉に筆を走らせる。
その音が、蜂の羽音みたいに広間に満ちる。
老婆が涙を拭き、子どもが板の写しを抱きしめ、男が息を吐き、女が肩を落とす。
エリオットは壁にもたれて、目を細めた。
笑うと目が消えるはずなのに、今は消さない。
目はある。
見届ける目だ。
私は密書を両手で抱え、胸に戻した。
父の字は、紙の上で、今日ようやく仕事を終えた顔をしている。
“王に届けよ”。
届けた。
でも、ここが終わりじゃない。
紙の仕事の後には、人の仕事がある。
式次第は短く、残酷ではないが厳密だった。
宰相は衛兵に引かれ、第一王子は自室に軟禁され、再調査のための官吏が名を読み上げられる。
アルヴィンは拘束されたまま、視線だけで私に礼をした。
私は礼を返さない。
彼が誰に礼をしているのか、私にはまだ測れないからだ。
裁きは舌でなく、日数で行われる。――それを、今は信じる。
広間が少しずつ空になり、光の角度が変わった。
王は玉座の横に座を移し、静かに言った。
「アメリア=レオンハルト」
「はい」
「汝の父は、良き“記録の人”であった。……汝は、良き“声の人”だ」
胸に温度が移る。
「ありがとう、ございます」
カイルが私のほうへ半歩寄り、誰にも聞こえないくらいの声で言った。
「言っただろ。“王でなくてはならない夜”が来たら剣を持つ、と。――今日は“舌の夜”だった。君の夜だ」
「うん。……でも、明日も書くよ。紙は、火より長く燃えるから」
「俺は、“火を焚べる人”でいる」
大広間を出ると、外の石段に陽が落ちていた。
民が階段の影で水を分け合い、蜂蜜パンをちぎり、声を低く交わす。
誰かが私の名を呼んだ。
「せんせいミリア!」
振り向くと、あの子がいた。“お”の尾っぽを、昨日より滑らかに描ける子。
私は笑って膝をつき、手を広げた。
「満点。……蜂蜜パンは半分ね」
「ぜんぶ!」
「半分」
笑いが弾ける。
それは“勝利”の笑いではなく、“始まり”の笑いだった。
石段の上から、老婆が杖で二度、地面を叩く。
「襟、立ってるかい」
「はい」
「なら、帰って、また明日」
帰る場所は、庵だけじゃない。
市場、粉屋街、洗濯場、祈祷堂、井戸端。
“読む人たち”のいる場所すべてが、私の帰る場所になりはじめている。
王冠は逃げない。
舌は、光で止まる。
火は、回して強くなる。
結び目は、軽いから毎日結び直せる。
その全部を胸に、私は石段を降りた。
背後で、王宮の鐘が一度鳴った。
裁きの光は、昼の真ん中で燃え、影を薄くした。
けれど、影は消えない。
だから、明日も火を守る。
紙を張る。
言葉を選ぶ。
“王でなくていい”と笑う彼と、“王でなくてはならない夜”に剣を持つ彼と、同じ歩幅で。
そして、私はもう一度、胸の革袋に触れた。
父の字はここに。
私の舌はここに。
――裁きの光は過ぎた。
これから、日常の光で、世界を温め直す番だ。
私とカイルは王宮南階の古井戸の前で一度だけ立ち止まり、背中の呼吸を合わせる。胸の内側、革袋の密書は私の心臓の速さを写し、指先に小刻みな震えを渡してくる。震えは恐怖じゃない。速度だ、と昨夜の自分に言い聞かせた言葉が、もう一度、骨の中で鳴る。
「行こう」
「うん」
王宮の門は“流行り病の封鎖”の札がまだ掛かっていたが、門番の目はもう“読む目”に変わっていた。
魚市場、粉屋街、祈祷堂、井戸端――夜のうちに貼った写しが、人の舌に火を移してしまったからだ。
行列は整列ではなく、合意の形を取って伸び、民が自分の足で王宮へ向かっている。老婆は杖で地面を二度叩き、子どもは両手をつないで文字を口にし、男は顎に手を当て、女は背筋を伸ばす。
誰も退かない。
誰も騒がない。
“読む人間”の歩き方で、門を潜る。
大広間前の廊下は、朝の光で白く満ちていた。
衛兵の列は厚いが、槍の穂先は上を向いたまま。
エリオットが角の影から現れ、目だけで合図を送る。
「半分は遅らせた。残りは“見ているだけ”だ」
「ありがとう」
「礼はあとだ。――王は出る。病という札は、宰相の机に隠された」
宰相。
第一王子。
石の廊下に立つ、二つの影の長さは、昨夜より短い気がした。
扉が開く。
大広間は、私が知る“宮廷”よりも、ずっと静かだった。
王が玉座に座る。年老いた背は少しだけ曲がり、しかし目は曇っていない。
第一王子は右手に。宰相は左手に。
彼らの背後に、いくつかの旗と、いくつかの舌。
私とカイルは中央へ進み、距離を測る石の模様の上で足を止めた。
「名を」
王の声は大きくないのに、広間にいる全員の喉の上を軽く撫でていった。
「アメリア=レオンハルト。……そして、“今の名”はミリア。市井で字を教え、火を守った者です」
背筋が、言葉に合わせて立つ。
私は懐から青い封蝋の紙束を取り出し、高く掲げた。
二頭の獣と王冠――王家の紋章が、朝の光を硬く返す。
「殿下は」
王の視線がカイルへ移る。
カイルは一礼して、剣を持たない両手を前に出した。
「第二王子、カイル・アルフォード。……ただし、今は“この人の証を、王に届ける手”として立ちます」
宰相が一歩、前に出た。
薄い笑み。唇の端に砂糖をつけたみたいな甘さ。
「王よ、彼らは市井を扇動し、虚偽の文書をもって王威を試みる者です。王都の乱れの元を、ここで正すべきで――」
「“明朝に弁明を”と書いて、夜に扉を破った舌が、何を言うの」
自分の声が先に飛び出していた。
広間の空気がわずかに揺れる。
宰相の目が私の胸の革袋を一秒だけ測り、それから王へ戻る。
「王よ、彼女は感傷を教義に変える娘です」
「違います。――記録を持つ娘です」
私は封を切った。
紙の音が、広間に散る。
父の字。マリウスの筆跡。倉庫台帳の数字。印章の癖。行幸の割表。
先王アードリックの銀板に刻まれた短い文――“影で国を動かした舌を、光で止めよ。王は、民の前で舌を持つ”。
一行、一行、呼吸を置いて読み上げる。
「三日前、倉庫街から“祭礼準備”の名目で夜に動かされた武器と火薬。台帳の隅の同じ誤字。――この筆圧、宰相の書記のものです」
紙を掲げ、王の席に近い文官へ渡す。
文官は眼鏡を少し押し上げ、筆圧と癖を確かめ、うなずく。
「行幸の割。第一王子の随行に“偶然”重なる衛兵の配置。門の開閉表の書き換え。――この書式、第一王子側の書記官の定型です」
別の文官が受け取り、顔色を変えずに頷く。
「そして、レオンハルト家への“明朝に弁明を”の呼び状と、同じ夜の王都衛兵の出立命令。――命令書の印章は宰相印ですが、印璽の傷の位置が違う」
宰相の頬が、薄く引きつった。
第一王子が唇を噛み、怒りで紅潮させた顔をなんとか“高貴な不快”に見せようとする。
私は続ける。
「レオンハルトの書斎から見つかった“鍵合わせ”は、王宮南階の古井戸にある木箱と重なりました。――中には王家の封蝋。そして、先王の銀板」
王の目が、そこで初めて動いた。
静かに、深く、ほんの少しだけ光を強くする。
私は銀板の文を読み上げ、最後に一歩、前へ出た。
「王よ。あなたは“民の前で舌を持つ”と、先王は書きました。――今、ここには民がいます。王都の通りに貼られた写しを読んだ者たち。市場で文字を追う子どもたち。粉屋街の女たち。洗濯場の手。祈祷堂の静かな目。……どうか、民の前で、この舌を光にかざしてください」
王は玉座の肘掛けに手を置き、立ち上がった。
その動作に合わせて、大広間の空気が一段、静かになる。
王は宰相を見た。
次に第一王子を見た。
最後に、私とカイルを見た。
「宰相」
王の声は低く、腹から出ていて、広間の石に吸い込まれていく。
「この印璽の癖は、汝の机でしか生まれぬ。答えよ」
宰相は一度、笑いかけた。
だが、笑いは形になる前に崩れた。
「王よ、これは誤解で――」
「誤字と誤印は、舌の癖だ」
王は遮らなかった。ただ、言葉を重ねた。
「癖は、隠せぬ」
第一王子が一歩前へ出る。
「父上、“陰謀”など――」
「“未遂”は、誰の舌で計画された」
王の目は、揺れなかった。
第一王子は言葉を探し、探せず、唇の内側を噛んだ。
沈黙。
沈黙は、光の中で形を持つ。
そのとき、背後の扉が開き、民が大広間の周囲に静かに入ってきた。
衛兵は止めない。
エリオットが廊下の端で片手を上げ、老婆が杖で一度、床を叩く。
子どもが私の板の写しを胸に抱えて、文字を追う。
“未遂”。
“舌”。
“影”。
王はゆっくり頷くと、手を横に振った。
衛兵が動く。
宰相の前に二人。
第一王子の背に二人。
鎧の音は小さく、しかし決定的だった。
「宰相、職を解く。――取り調べに付せ」
「王よ!」
宰相の声に、初めて“人間の”高さが混じった。
「王よ、私は王国のために――」
「王国は舌ではない。人だ」
王の言葉は短く、刃でなく杭だった。
第一王子が叫ぼうとして、叫べなかった。
声は出るのに、意味が出ない。
彼は振り返り、宰相を見、王を見、民を見、そして、床を見た。
足が、自分の重さを思い出したのだ。
アルヴィンは――すでに広間の端に連れてこられていた。
手には縄。
顔は無表情。
私を見ると、微かに眉を動かした。
怒りでも、悔いでもない。
ただ、疲れ。
私は目を逸らさずに言う。
「あなたは宰相の舌で人を切った。――だから、拘束される」
「……君は、やはり、強くなった」
「私一人で強くなったんじゃない」
王がカイルへ視線を移す。
「カイル・アルフォード。――民は汝を王として見ている。舌は裁かれ、秩序は正されねばならぬ。王冠は、汝の頭を待つ」
広間の周囲で、小さな波が起きた。
民はざわめく。
“王”。
“新しい”。
“正しい”。
私の胸の革袋が、そこでもう一度、硬く合図を送る。
カイルは一歩、前に出た。
そして、首を横に振った。
「王よ。俺は“王でなくていい”」
王宮の石が、その言葉の意味を確かめるみたいに、音を飲み込んだ。
カイルは続ける。
「俺は“人として世界を見たい”と出て、“王子である俺を隠さない”と戻った。――今、王冠をかぶるより先に、やらねばならないことがある。舌で火を作った仕組みを、仕組みの側から解くことです。王冠は道具だ。道具を持つ前に、火の片付けを終わらせたい」
王は黙っていた。
私の喉に、熱いものが上った。
“王でなくていい”。
“王でなくてはならない夜”。
昨夜の会話が、広間の真ん中で別の形を取って立っている。
王はやがて小さく息を吐き、口角をわずかに上げた。
「よい」
その一語が、城の梁に染み込んでいく。
「王冠は逃げぬ。――ただし、汝は逃げるな。仕組みの中に立て。舌の場所に立て。民の前に立て」
「はい」
王は玉座へ戻り、民へ向き直る。
「聞け。――夜の“未遂”は、舌で作られた。舌は裁かれる。印は改められる。書記は交代させる。行幸の割は公開する。衛兵の出立記録は市井の掲示に写す。王宮の扉は、昼に開く」
文官が一斉に筆を走らせる。
その音が、蜂の羽音みたいに広間に満ちる。
老婆が涙を拭き、子どもが板の写しを抱きしめ、男が息を吐き、女が肩を落とす。
エリオットは壁にもたれて、目を細めた。
笑うと目が消えるはずなのに、今は消さない。
目はある。
見届ける目だ。
私は密書を両手で抱え、胸に戻した。
父の字は、紙の上で、今日ようやく仕事を終えた顔をしている。
“王に届けよ”。
届けた。
でも、ここが終わりじゃない。
紙の仕事の後には、人の仕事がある。
式次第は短く、残酷ではないが厳密だった。
宰相は衛兵に引かれ、第一王子は自室に軟禁され、再調査のための官吏が名を読み上げられる。
アルヴィンは拘束されたまま、視線だけで私に礼をした。
私は礼を返さない。
彼が誰に礼をしているのか、私にはまだ測れないからだ。
裁きは舌でなく、日数で行われる。――それを、今は信じる。
広間が少しずつ空になり、光の角度が変わった。
王は玉座の横に座を移し、静かに言った。
「アメリア=レオンハルト」
「はい」
「汝の父は、良き“記録の人”であった。……汝は、良き“声の人”だ」
胸に温度が移る。
「ありがとう、ございます」
カイルが私のほうへ半歩寄り、誰にも聞こえないくらいの声で言った。
「言っただろ。“王でなくてはならない夜”が来たら剣を持つ、と。――今日は“舌の夜”だった。君の夜だ」
「うん。……でも、明日も書くよ。紙は、火より長く燃えるから」
「俺は、“火を焚べる人”でいる」
大広間を出ると、外の石段に陽が落ちていた。
民が階段の影で水を分け合い、蜂蜜パンをちぎり、声を低く交わす。
誰かが私の名を呼んだ。
「せんせいミリア!」
振り向くと、あの子がいた。“お”の尾っぽを、昨日より滑らかに描ける子。
私は笑って膝をつき、手を広げた。
「満点。……蜂蜜パンは半分ね」
「ぜんぶ!」
「半分」
笑いが弾ける。
それは“勝利”の笑いではなく、“始まり”の笑いだった。
石段の上から、老婆が杖で二度、地面を叩く。
「襟、立ってるかい」
「はい」
「なら、帰って、また明日」
帰る場所は、庵だけじゃない。
市場、粉屋街、洗濯場、祈祷堂、井戸端。
“読む人たち”のいる場所すべてが、私の帰る場所になりはじめている。
王冠は逃げない。
舌は、光で止まる。
火は、回して強くなる。
結び目は、軽いから毎日結び直せる。
その全部を胸に、私は石段を降りた。
背後で、王宮の鐘が一度鳴った。
裁きの光は、昼の真ん中で燃え、影を薄くした。
けれど、影は消えない。
だから、明日も火を守る。
紙を張る。
言葉を選ぶ。
“王でなくていい”と笑う彼と、“王でなくてはならない夜”に剣を持つ彼と、同じ歩幅で。
そして、私はもう一度、胸の革袋に触れた。
父の字はここに。
私の舌はここに。
――裁きの光は過ぎた。
これから、日常の光で、世界を温め直す番だ。
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命を狙われ、家は「魔女の血」と噂される中、美咲は社畜仕込みの“段取り力”と現代知識で必死に状況を整理しながら生き延びようとする。
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契約結婚のはずが、気づけば王族すら跪いていました
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――名ばかりの妻のはずだった。
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それが彼の第一声だった。愛の欠片もない契約。そう、リリアはただの「飾り」のはずだった。
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それは、神代より伝わる失われた魔法【王威の審判】。
それは“本来、王にのみ宿る力”であり、王族すら彼女の前に跪く絶対的な力――。
気づけばリリアは貴族社会を塗り替え、辺境伯すら翻弄し、王すら頭を垂れる存在へ。
「これは……一体どういうことだ?」
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婚約者を姉に奪われ、婚約破棄されたエリーゼは、王子殿下に国外追放されて捨てられた先は、なんと魔獣がいる森。そこから大逆転するしかない?怒りの
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王宮の広間は、冷え切った空気に満ちていた。
玉座の前にひとり、少女が|跪い《ひざまず》ていた。
エリーゼ=アルセリア。
目の前に立つのは、王国第一王子、シャルル=レインハルト。
「─エリーゼ=アルセリア。貴様との婚約は、ここに破棄する」
「……なぜ、ですか……?」
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彼女の問いに、王子は冷然と答えた。
「貴様が、カリーナ嬢をいじめたからだ」
「そ、そんな……! 私が、姉様を、いじめた……?」
「カリーナ嬢からすべて聞いている。お前は陰湿な手段で彼女を苦しめ、王家の威信をも|貶めた《おとし》さらに、王家に対する謀反を企てているとか」
広間にざわめきが広がる。
──すべて、仕組まれていたのだ。
「私は、姉様にも王家にも……そんなこと……していません……!」
必死に訴えるエリーゼの声は、虚しく広間に消えた。
「黙れ!」
シャルルの一喝が、広間に響き渡る。
「貴様のような下劣な女を、王家に迎え入れるわけにはいかぬ」
広間は、再び深い静寂に沈んだ。
「よって、貴様との婚約は破棄。さらに──」
王子は、無慈悲に言葉を重ねた。
「国外追放を命じる」
その宣告に、エリーゼの膝が崩れた。
「そ、そんな……!」
桃色の髪が広間に広がる。
必死にすがろうとするも、誰も助けようとはしなかった。
「王の不在時に|謀反《むほん》を企てる不届き者など不要。王国のためにもな」
シャルルの隣で、カリーナがくすりと笑った。
まるで、エリーゼの絶望を甘美な蜜のように味わうかのように。
なぜ。
なぜ、こんなことに──。
エリーゼは、震える指で自らの胸を掴む。
彼女はただ、幼い頃から姉に憧れ、姉に尽くし、姉を支えようとしていただけだったのに。
それが裏切りで返され、今、すべてを失おうとしている。
兵士たちが進み出る。
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必死に抵抗するも、力は弱い。。
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カリーナが、微笑みながらシャルルに腕を絡め、勝者の顔でこちらを見下ろしているのを。
──すべては、最初から、こうなるよう仕組まれていたのだ。
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