「地味で役立たず」と言われたので村を出たら、隣国で神扱いされました ──ヒトとして愛を掴みます──

タマ マコト

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第12話「贖いのいらない救い」

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 夜の底が、ゆっくり白む前。
 ユリウスの家の寝室は、火の名残と果汁の乾いた香りが混ざっていた。窓の外では雪が音を消し、室内の息だけが世界の輪郭を作っている。

 寝台の脇に椅子を引き、私は腰を下ろす。背筋はまっすぐ、膝は揃えて、掌は膝の上。背後でミーナが息をひそめ、戸口にはレオンが立つ。彼は目だけで廊下と外の気配を往復させて、私に「ここにいる」を送ってくる。ユリウスの母は椅子を抱くように両腕をめぐらせ、指の白さに力の居場所を迷わせていた。

「話します」

 私はユリウスの耳もとに落ちる高さで、はっきりと言う。
 言葉は剣じゃない。椅子。座るための、板と脚。

「私は、あの夜の私を否定しません」

 空気が少し動く。火の名残が喉の奥を通り、胸の前でほどけた。

「あの夜、私は“痛いね”と言った。傷が閉じないのに、慰めだと笑われるのを知りながら、それでも“あなたの恐怖はここにいていい”と言った。——その私を、私は否定しない。だから、贖うことはしません。贖わない代わりに、“関係を作り直す”ことをします。あなたと、あなたの恐怖と、私たちのあいだの道を、作り直す」

 母が細く息を呑む。レオンは瞬きもせず、廊下の影と交互に私を見た。ミーナは背中に手を当てたまま、体温で“うん”と返事をくれる。

「やり方は、三つ。
 一、呼吸。三で吸って、六で吐く。恐怖は息を短くするから、わざと長くする。私が数える。
 二、触れ方。肩甲骨の内側に、薄い布を置くみたいに。押さない。持ち上げない。“ここにいるよ”の重さだけ。
 三、言葉。“痛い”“怖い”“悔しい”を、禁じない。言う。言って、そこに椅子を置く」

 私は母に顔を向ける。

「お母さんも、一緒にやってください。私ひとりでは“灯”が風で揺れる。あなたの手が“柱”になります」

 母は膝の上で重ねた手をほどき、ためらう指先を見つめた。指は器用さを覚えているのに、罪悪感という重い糸が絡まっている。私はその糸を切らない。ほどくのは彼女の手だ。背中にミーナの掌、戸口にレオンの目、屋根の上に雪。全部が、ほどくための“静けさ”を作っていく。
 
 母が問う
「……できますか」

「できます。うまくなくていい。ただ、そこにいて。“ここにいるよ”を、手で言って」

 母は頷き、椅子を立つ。寝台の左側、ユリウスの肩甲骨の内側に、指を二本分の幅でそっと触れた。押さない。置くだけ。指の震えが、布一枚の厚みに変わる。

「ミーナ、右側お願い。レオン、外の音を薄くして。誰か来たら、足音だけでわかるように」

「了解」

 レオンの声は低く短く、廊下の吸音に馴染む。
 私はユリウスの手元に視線を落とし、名を与える儀式を始めた。

「親指は、勇気。人差し指は、指し示す。中指は、中心。薬指は、約束。小指は、秘密。……秘密は守る。約束も、守る。——私は“贖わない”けど、約束は守る。ここにいる」

 三で吸い、六で吐く。
 呼吸のわずかな引き潮に合わせて、肩の筋肉が緩む音が、皮膚ごしに伝わってくる。母の指の力が抜け、彼女自身の呼吸がそれに引かれて深くなる。ミーナが右手の平で、私の声の拍に合わせる。

「ユリ」

 名を呼ぶ。呼び捨てにはしない。
 昔と同じ、少し柔らかい高さで。

「あなたの中の“恥ずかしさ”は、いていい。あの夜、あなたが言えなかった言葉も、いていい。“言えなかった自分”は、ここに座っていい。——私はそれを赦さない。赦さないけど、追い出さない。座る椅子を渡す」

 言葉に、火が寄ってくる。火は静かに、炉の中で形を変える。
 私はさらに低い声で続けた。

「覚えてる? 収穫歌。圧搾機小屋の裏で、子どもたちが適当に声を合わせてた、あの半端な歌。『赤い林檎と青い空、木箱は四つ、君の手は二つ』——あれ。歌、好きだったよね」

 母の指がぴくりと震える。ミーナが笑いを飲み込み、鼻で小さく鳴る。レオンが戸口で目を細め、遠い音をひとつだけ切る。

「歌は“記憶の地図”になる。村全体の。
 ユリウス、あなたが初めて圧搾機を押した年の秋、林檎籠を落としかけて、私たちが笑いながら『赤い林檎は逃げ足が速い』って勝手に歌詞を足した。覚えてる?」

 沈黙が、わずかに色づく。
 私はその色の変化を急がない。呼吸を数え続け、触れ方を保ち、言葉の椅子を増やす。

「怖さは消さない。怖さの椅子を、灯に近く置くだけ。——怖いね。いまも、ずっと」

 そのときだ。
 閉じた瞼が、雪の枝の芽みたいに震えた。
 湿った痛みが喉から鼻へ抜ける、ほとんど聴き取れないほどの音。まつげの影の下で、口唇が乾いた紙のように少しだけ動く。

「……あ、かい……り……ん……ご……」

 母が、椅子の背を握りしめる。
 ミーナが「ユリ」と小さく呼ぶ。レオンが戸口から半歩だけ体を傾け、空気の通り道を広げる。

 私は急がない。
 声の高さを一段落とし、記憶の芯を掬い上げる。

「『赤い林檎と青い空、木箱は四つ、君の手は二つ』
 『青い空と白い雪、木箱は空に、君はここに』」

 私は、歌は下手だ。旋律は半分崩れている。だけど、いい。崩れているから“ここ”にしかない。
 ユリウスの喉が、ひくりと動く。
 次の拍で、彼の声が、擦れた紙の裏側から滲む。

「……赤い……りんごと……あおい……そら……」

 母の涙が落ちる音が、布に吸われた。
 ミーナが笑いながら泣く。
 レオンが、はっきり息を吐いた。短い、安堵の一拍。その音に廊下の空気が従い、外の雪が“静かさの形”をひとつ増やす。

「うまい。——続けよう」

 私は歌わない。ユリウスに歌わせる。歌は彼の口の中で、彼の体温で、彼自身の灯になる。
 母の指が、彼の背に乗ったまま、そっと拍を取る。押さない。置く。
 呼吸は深さをひとつ増し、眠りの波に“帰り道のうねり”が混ざった。

「お母さん、“痛い”を言って」

 私は振り返らずに言う。
 母は一度だけ肩を震わせ、声にした。

「痛い。恥ずかしい。怖い。……でも、いま、嬉しい」

「全部、いていい」

 私はユリウスの耳もとで囁く。

「怖いは椅子に座って、嬉しいは椅子の足元に毛布を敷く。——それで、いい」

 歌の断片が、部屋の隅と隅を渡っていく。
 圧搾機小屋の影、木箱の木目、果汁の粘り、秋の冷たい指。村全体の記憶装置が、ゆっくり回転を思い出す。

 ユリウスの瞼はまだ重い。けれど、その重さは“外へ向かう重さ”になってきた。
 私は椅子の脚を心の中で確かめ、掌の温度を微調整する。渡しすぎない、引っ込めすぎない。境界線を指先で撫で続ける。

「今日は、ここまで」

 言うと、母が一瞬だけ顔を上げた。もっと、と言いかけて、飲み込む。私は首を振る。灯は大きくしすぎると風を呼ぶ。
 ミーナの「うん」が背中で温度を作る。レオンが短く「交代の見張り」と呟き、戸口で位置を変えた。

「また来る。約束は守る。——贖いじゃなくて、約束で」

 私は立ち上がりかけ、ふ、と視界が近づいた。
 床板の木目が一瞬だけ濃くなり、音が遠くなる。息の数が指から滑り落ちる感覚。私はすぐ座り直し、呼吸を三つ整える。大丈夫。灯は揺れただけ。消えていない。

「……リセル?」

 ミーナが覗き込む。
 私は笑って、掌を握って開いた。親指、人差し指、中指——。

 その瞬間、右手の先端で、音のない波が広がった。
 親指と人差し指の間、そして薬指の腹へ、じわりと痺れが滲む。豆粒が、今度は小石に。感覚が一枚、薄紙の向こうへ下がる。

「大丈夫。今日はここまで」

 私は立ち上がり、母の手を握った。彼女の指は温かい。指の形が、私の指の中で少し曖昧になる。輪郭が、音量を下げるみたいにぼやける。

「ありがとう」

 母は深く頭を下げ、泣き笑いの顔で言う。「……贖いはいらない。約束を、ください」

「はい」

 廊下に出ると、冷たい空気が肺を洗った。レオンがすぐ横に並び、歩幅を合わせる。

「指先」

「ちょっと、鈍い。すぐ戻る」

「記録する」

「うん、記録する」

 雪の匂いが濃くなり、遠くで鈴が一度だけ鳴る。
 私はノートを取り出そうとして——右手の先に、また小さな波が走るのを感じた。
 指先が、さっきよりさらに、静かだ。

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