20 / 20
第20話 自由の証明、そして新しい未来
しおりを挟む冬が終わる瞬間は、派手じゃない。
雪が「終わります」と宣言するわけでも、空が一気に青くなるわけでもない。
ただ、ある朝。
吐く息が白くなりにくくなって、土の匂いがほんの少し勝つ。
その小さな変化が、春の入口だ。
辺境の春は遅い。
でも、遅い分だけ、確かだ。
生き残った者の春は、軽くない。
軽くないから、眩しい。
魔獣の群れを退けたあと、砦はしばらく沈黙していた。
木槌の音も、笑い声も、最初は遠慮がちだった。
皆、自分がまだ生きていることに慣れていなかったのだと思う。
生き残るって、勝利というより“受け取ってしまった責任”に近い。
でも、時間は火をくれる。
火は心を戻す。
暖炉の前に集まり、湯を飲み、傷を縫い、亡くした者の名を呼び、黙祷をした。
その繰り返しの中で、人はまた暮らしへ戻っていった。
ノアの指には弓弦の痕が残っていた。
赤く擦れて、皮膚が固くなる。
彼はその指を見せて笑った。
「これ、俺の勲章。痛いけど、嫌いじゃない」
エリナは救護所の棚をきっちり整え、薬草を分類し、干し方まで改良していた。
小さな背中が頼もしくなっている。
彼女はふっと目を上げて、セラフィナに言った。
「次は…もっと早く、止血できるようにする」
その「次」が怖いのに、準備する言葉が出る。
それが強さだ。
アイリスは炊き出し鍋の前で、時々泣きながら笑っていた。
泣くのは悪いことじゃない。
泣いても動ける人が、この砦を支えている。
「お嬢様、春ですよ。春って、こんなに匂いがするんですね」
彼女はそう言って、薪と土と湯気の匂いに鼻をくすぐらせた。
セラフィナは、その匂いの中に立っていた。
自分が追放されたとき、ここは“捨て場所”だった。
今は、家だ。
家という言葉に、温度がある。
そして――王都にも、ようやく風向きが届く。
春が来るより少し前。
商人が持ってきた紙束に、王都の印が押されていた。
辺境の交易が国庫を支え始めたこと。
周辺領の圧力が抑えられたこと。
砦が“防衛の要”として評価されたこと。
言葉はいつも遅い。
王都の理解は、雪解けより遅い。
でも遅れてでも届いたという事実が、ひとつの証明だった。
追放したのは“災厄”ではなく、国を支える才能だった。
そう気づいたとき、王都の顔色は変わる。
変わった顔色の中心にいるのは、アレクシスだ。
彼は北から帰還していた。
帰還、という言葉は立派なのに、彼の顔には立派さがなかった。
代わりにあるのは、痛みを知った人間の影。
彼は王都で責任と向き合う道を選んだ――と、報告書は淡々と書いていた。
責任。
その単語をセラフィナはしばらく眺め、紙を畳んで箱にしまった。
あの手紙をしまった箱と同じ箱。
王都を、自分の中心からどかす箱。
「お嬢様、読みました?」
アイリスが覗き込む。
「読んだ」
「……殿下、どうするんですかね」
「どうもしない」
セラフィナは即答した。
冷たく言うのではない。
自然にそうなる。
今の自分は、そこに時間を割かない。
「彼の後悔がどう転がろうと、それは彼の物語よ」
そう言った瞬間、胸の奥で何かが静かに落ち着いた。
かつての自分なら、彼の物語に巻き込まれていた。
“婚約者”という役目が、物語の中心に自分を縛り付けた。
でも今は違う。
今は、自分の物語の中心に、自分がいる。
春の朝。
砦の上へ登ると、空が薄桃色に染まっていた。
朝焼けが、雪の残る山の稜線をゆっくり舐めるように照らす。
冷たい空気が肺を満たし、胸が少し痛い。
痛いほど、生きている実感がする。
王都の宝石は、美しい。
でも宝石は、誰かが磨かなければ光らない。
ここで見る朝焼けは違う。
誰も磨いていないのに、勝手に眩しい。
眩しさに、言い訳がない。
下を見れば、市の煙が上がっている。
薪を焚く煙。
パンを焼く煙。
湯を沸かす煙。
それが空へ伸びて、朝焼けの色に溶けていく。
ノアが走っていた。
子どもたちと一緒に、雪解けの水たまりを避けながら、笑いながら。
エリナがその後ろで、薬草籠を抱えて小走りしている。
アイリスは洗濯物を干しながら、鼻歌を歌っていた。
鼻歌は上手くない。
でも、上手くないからこそ、暮らしの音だ。
そして、隣に立つ影。
カイルだった。
頬の傷は薄く残り、肩の古傷が天気で少し疼くのか、彼は肩を軽く回した。
無駄のない動き。
剣を握る人の体。
「……綺麗だな」
彼がぽつりと言う。
朝焼けを見ているのか、煙を見ているのか、分からない。
でもその曖昧さが、今は心地いい。
カイルはしばらく黙っていた。
沈黙が苦しくない。
沈黙が、二人の間で温度を持つ。
そして低い声で言った。
「ここは、お前が作った」
その言葉に、セラフィナの胸が少し熱くなる。
熱くなるのは嬉しいからだけじゃない。
重いからだ。
“自分が作った”という言葉は、誇りと同時に責任を連れてくる。
セラフィナは小さく息を吸った。
冷たい空気が胸に満ち、痛いほど生きている。
そして、ゆっくり首を振った。
「違う」
カイルが横目でこちらを見る。
眉がほんの少しだけ上がる。
驚きというより、確認。
セラフィナは続けた。
今まで、こういう言葉を言えなかった。
自分の功績を誰かと分けるのが怖かった。
分けたら、また奪われる気がした。
王都ではそうだった。
成果はいつも、誰かのものになった。
でもここは違う。
「私たちが作った」
その言葉が空へ溶けた瞬間、
胸の奥で、氷の箱が完全に割れた気がした。
割れて、冷たい水が流れ出て、代わりに温かいものが満ちる。
自由。
それは追放されたから得た自由じゃない。
誰かの物語から降りて、自分の物語を生きる自由。
カイルは短く笑った。
笑い方が相変わらず不器用で、でも確かに柔らかい。
「……そうだな」
たったそれだけ。
でもそれが、告白よりも深い。
セラフィナは、朝焼けをもう一度見た。
眩しくて目が痛い。
目が痛いほど、未来がある。
王都も変わるだろう。
アレクシスは責任と向き合うだろう。
ミレイユも、たぶん、自分の足で立ち始めるだろう。
でも、それは彼らの物語だ。
セラフィナの物語は、ここにある。
雪が溶け、土が匂い、煙が空へ伸びる場所。
誰かの拍手じゃなく、誰かの生きる音が響く場所。
彼女は、風を吸い込んだ。
冷たいのに、痛いのに、心地いい。
「行こう」
セラフィナが言うと、カイルは頷いた。
「仕事だ」
その返事が、何より嬉しかった。
日常が続くということ。
続く日常を、自分たちで作れるということ。
砦の階段を降りながら、セラフィナは思う。
自由は、宣言じゃない。
証明だ。
毎日の選択で、積み上げるものだ。
そして彼女は今、確かにそれを持っている。
88
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
【完結】断罪された悪役令嬢は、本気で生きることにした
きゅちゃん
ファンタジー
帝国随一の名門、ロゼンクロイツ家の令嬢ベルティア・フォン・ロゼンクロイツは、突如として公の場で婚約者であるクレイン王太子から一方的に婚約破棄を宣告される。その理由は、彼女が平民出身の少女エリーゼをいじめていたという濡れ衣。真実はエリーゼこそが王太子の心を奪うために画策した罠だったにも関わらず、ベルティアは悪役令嬢として断罪され、社交界からの追放と学院退学の処分を受ける。
全てを失ったベルティアだが、彼女は諦めない。これまで家の期待に応えるため「完璧な令嬢」として生きてきた彼女だが、今度は自分自身のために生きると決意する。軍事貴族の嫡男ヴァルター・フォン・クリムゾンをはじめとする協力者たちと共に、彼女は自らの名誉回復と真実の解明に挑む。
その過程で、ベルティアは王太子の裏の顔や、エリーゼの正体、そして帝国に忍び寄る陰謀に気づいていく。かつては社交界のスキルだけを磨いてきた彼女だが、今度は魔法や剣術など実戦的な力も身につけながら、自らの道を切り開いていく。
失われた名誉、隠された真実、そして予期せぬ恋。断罪された「悪役令嬢」が、自分の物語を自らの手で紡いでいく、爽快復讐ファンタジー。
【完結】ワーカホリック聖女様は働き過ぎで強制的に休暇を取らされたので、キャンピングカーで静養旅に出る。旅先で素敵な出合いもある、、、かも?
永倉伊織
ファンタジー
働き過ぎで創造神から静養をするように神託を受けた聖女メルクリースは、黒猫の神獣クロさんと一緒にキャンピングカーで静養の旅に出る。
だがしかし
仕事大好きワーカホリック聖女が大人しく静養出来るはずが無い!
メルクリースを止める役割があるクロさんは、メルクリースの作る美味しいご飯に釣られてしまい、、、
そんなこんなでワーカホリック聖女メルクリースと愉快な仲間達とのドタバタ静養旅が
今始まる!
旅先で素敵な出会いもある、、、かも?
デブだからといって婚約破棄された伯爵令嬢、前世の記憶を駆使してダイエットする~自立しようと思っているのに気がついたら溺愛されてました~
トモモト ヨシユキ
ファンタジー
デブだからといって婚約破棄された伯爵令嬢エヴァンジェリンは、その直後に前世の記憶を思い出す。
かつてダイエットオタクだった記憶を頼りに伯爵領でダイエット。
ついでに魔法を極めて自立しちゃいます!
師匠の変人魔導師とケンカしたりイチャイチャしたりしながらのスローライフの筈がいろんなゴタゴタに巻き込まれたり。
痩せたからってよりを戻そうとする元婚約者から逃げるために偽装婚約してみたり。
波乱万丈な転生ライフです。
エブリスタにも掲載しています。
追放された引きこもり聖女は女神様の加護で快適な旅を満喫中
四馬㋟
ファンタジー
幸福をもたらす聖女として民に崇められ、何不自由のない暮らしを送るアネーシャ。19歳になった年、本物の聖女が現れたという理由で神殿を追い出されてしまう。しかし月の女神の姿を見、声を聞くことができるアネーシャは、正真正銘本物の聖女で――孤児院育ちゆえに頼るあてもなく、途方に暮れるアネーシャに、女神は告げる。『大丈夫大丈夫、あたしがついてるから』「……軽っ」かくして、女二人のぶらり旅……もとい巡礼の旅が始まる。
【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜
Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。
役立たず聖女見習い、追放されたので森でマイホームとスローライフします ~召喚できるのは非生物だけ?いいえ、全部最強でした~
しおしお
ファンタジー
聖女見習いとして教会に仕えていた少女は、
「役立たず」と嘲笑され、ある日突然、追放された。
理由は単純。
彼女が召喚できるのは――タンスやぬいぐるみなどの非生物だけだったから。
森へ放り出され、夜を前に途方に暮れる中、
彼女は必死に召喚を行う。
呼び出されたのは、一体の熊のぬいぐるみ。
だがその瞬間、彼女のスキルは覚醒する。
【付喪神】――非生物に魂を宿らせる能力。
喋らないが最強の熊、
空を飛び無限引き出し爆撃を行うタンス、
敬語で語る伝説級聖剣、
そして四本足で歩き、すべてを自動化する“マイホーム”。
彼女自身は戦わない。
努力もしない。
頑張らない。
ただ「止まる場所が欲しかった」だけなのに、
気づけば魔物の軍勢は消え、
王城と大聖堂は跡形もなく吹き飛び、
――しかし人々は、なぜか生きていた。
英雄になることを拒み、
責任を背負うこともせず、
彼女は再び森へ帰る。
自動調理、自動防衛、完璧な保存環境。
便利すぎる家と、喋らない仲間たちに囲まれた、
頑張らないスローライフが、今日も続いていく。
これは、
「世界を救ってしまったのに、何もしない」
追放聖女の物語。
-
《完結》悪役聖女
ヴァンドール
ファンタジー
聖女になり、王妃となるため十年間も教育を受けて来たのに蓋を開ければ妹が聖女の力を持っていて私はには聖女の力が無かった。そのため祖国を追放されて隣国へと旅立ったがそこで……
婚約破棄された公爵令嬢は虐げられた国から出ていくことにしました~国から追い出されたのでよその国で竜騎士を目指します~
ヒンメル
ファンタジー
マグナス王国の公爵令嬢マチルダ・スチュアートは他国出身の母の容姿そっくりなためかこの国でうとまれ一人浮いた存在だった。
そんなマチルダが王家主催の夜会にて婚約者である王太子から婚約破棄を告げられ、国外退去を命じられる。
自分と同じ容姿を持つ者のいるであろう国に行けば、目立つこともなく、穏やかに暮らせるのではないかと思うのだった。
マチルダの母の祖国ドラガニアを目指す旅が今始まる――
※文章を書く練習をしています。誤字脱字や表現のおかしい所などがあったら優しく教えてやってください。
※第二章まで完結してます。現在、最終章をゆっくり更新中です。書くスピードが亀より遅いので、お待たせしてすみませんm(__)m
※小説家になろう様にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる