異世界に転生したら人生再スタート、追放された令嬢は恋と復讐で輝きます

タマ マコト

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第9話 同じ速度の呼吸

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 夜になると、城は静かになる。
 静かになるのに、私は落ち着けない。

 昼間の私は動ける。
 帳簿を見て、倉庫の穴を探して、やることを積み上げていれば、頭の中の雑音が止まる。
 “役に立つ”という実感が、心の底に重石みたいに沈んでくれて、浮上してくる不安を押さえ込んでくれる。

 でも夜は違う。

 暖炉の火は優しい。
 ぱちぱちと薪が爆ぜる音は、子守唄みたいに穏やか。
 毛布も厚い。
 風は石壁の外で唸っているだけ。

 なのに心は冷える。

 冷えるのは、空気じゃない。
 “ここにいていい理由”が見えなくなるからだ。

 部屋の天井を見つめる。
 暗い木の梁がうっすら浮かぶ。
 目を閉じる。

 ——閉じた瞬間、前世が戻ってくる。

 電気のついたワンルーム。
 白い壁。
 コンビニの弁当。
 誰にも見られていないのに上がる口角。

 喉の奥が痛い。
 息が浅くなる。

 私は布団から起き上がった。
 眠れないとき、ベッドは檻になる。

 外套を羽織って、そっと部屋を出る。
 廊下は薄暗い。
 火皿の灯りが揺れて、影が長く伸びる。

 足音を立てないように歩く。
 でも石の床は、私の気配をすぐに反響させる。

 コツ、コツ。

 その音が、王宮の回廊の大理石を思い出させて、胸がきゅっとなる。
 違う、ここは王宮じゃない。
 わかっているのに、身体が覚えている。

 廊下の突き当たりに窓がある。
 私はそこに辿り着き、窓枠に背中を預けて、膝を抱えた。

 冷たいガラスが頬に触れる。
 外は真っ暗で、星がちらちら見える。
 辺境の星は多い。
 多すぎて、逆に孤独になる。

「……私、結局また……」

 声が漏れる。
 誰に聞かせるでもない声。

「役に立たないと捨てられるのかな」

 言葉にした途端、胸が痛くなる。
 痛いのに涙が出ない。
 泣けない癖は、まだここにいる。

 私は指先を握りしめた。
 爪が掌に食い込む。
 痛みがあると、少しだけ現実に戻れる。

 ——ヴァルクは「客として扱う」って言った。
 客は役に立たなくても追い出されないって。
 わかってる。わかってるのに、信じられない。

 信じると、壊れる気がする。
 信じた瞬間に裏切られたら、今度こそ終わる気がする。

 だから私は、信じないために頑張る。
 頑張って役に立って、追い出される理由を潰す。

 ……それ、前世と同じだ。

 気づいた瞬間、背中が冷たくなる。
 同じループ。
 私はまた、同じところに戻るの?

 息が苦しい。
 肩が上がる。
 オルフェオの言葉が耳の奥で鳴る。

 ——緊張すると肩が上がる。
 ——壊れそうなのは、壊れたくないからだ。

 壊れたくない。
 生きたい。

 でも、生きるってどうやるんだろう。
 “役”じゃなくて、自分のままで。

 窓の外で風が強く吹いた。
 木の枝が窓を叩く。
 トン、と鈍い音。

 その音に混じって、別の音がした。

 足音。

 重い足音。
 迷いのない足音。

 私は顔を上げた。
 廊下の暗がりから、ヴァルクが現れる。
 肩に薄い上着を羽織って、髪が少し乱れている。
 寝起きなのかもしれない。
 それだけで、彼も人間だと感じてしまう。

 ヴァルクは私を見る。
 何か言うかと思った。

 でも言わない。

 彼は私の隣まで来て、少し距離を空けて、壁にもたれた。
 腕を組むでもなく、偉そうに立つでもなく、ただそこにいる。

 沈黙。

 沈黙が、怖くない。

 私の呼吸が荒いのを、彼は指摘しない。
 泣いてないことも、震えていることも、言葉にしない。

 代わりに——同じ速度で呼吸を始めた。

 吸って。
 吐いて。
 吸って。
 吐いて。

 不思議だ。
 その呼吸が、私の呼吸に少しずつ近づいてくる。
 合わせようとしているんじゃない。
 ただ、隣にいることで、自然に同じテンポになる。

 私は膝を抱えたまま、窓の外を見た。
 星の光が、少しだけ柔らかく見える。

「眠れないのか」

 ヴァルクが、ぽつりと言った。
 声は低い。
 眠そうで、それでも起きている声。

「うん」

「……そうか」

 それだけで終わる。
 慰めも、説教もない。
 それが逆に救いだ。

 私は言葉を探した。
 言いたいことは山ほどある。
 でも言葉にすると、自分が崩れそうで怖い。

「……ヴァルク」

「なんだ」

 彼の返事は短い。
 短いから、私の言葉を邪魔しない。

「私……」

 喉が痛む。
 言え。
 言わないと、また一人で溺れる。

「私、また同じことしてる気がする」

 ヴァルクは顔を向けない。
 でも耳はこっちを向いているのがわかる。

「役に立たないと捨てられるって思って……
 それで頑張って……
 頑張ってるうちに、自分がどこにいるかわからなくなる」

 言い終えた瞬間、胸が痛い。
 痛いのに、少しだけ軽い。
 言葉にしたからだ。

 ヴァルクはしばらく黙っていた。
 沈黙が長い。
 でもその長さが、逃げている長さじゃない。
 考えている長さだ。

 そして、ぽつりと落とす。

「君はどうしたい」

 その質問は、鎖を外す鍵みたいに静かだった。

 “何ができる?”じゃない。
 “どう役に立つ?”じゃない。
 “どうすれば許される?”でもない。

 どうしたい。

 私は息を呑んだ。
 その問いは、王宮では一度も聞かれなかった。
 前世でも、ほとんど聞かれなかった。

 どうしたい。

 聞かれた瞬間、答えが怖い。
 答えた瞬間、責任が自分に戻る。
 でも、責任が自分に戻ることこそ、生きることだ。

 私は震える指で膝を抱き直し、声を絞り出した。

「……生きたい」

 言葉が、空気に触れて震える。
 恥ずかしいくらい単純な願い。

「ここで、自分のままで」

 自分のままで。
 それがどんな形か、まだわからない。
 でも言ってみたかった。
 言ってみないと始まらない。

 ヴァルクは、頷いた。

 大きくもなく、小さくもなく。
 ただ一回、確かに。

 その頷きが、抱擁より温かかった。

 抱きしめられると、私は依存してしまう気がする。
 救われたくなってしまう。
 救われることに慣れたくなる。

 でも頷きは違う。
 “君の選択を認めた”という合図だ。
 救うんじゃなく、隣に立つ合図。

 私は喉の奥が熱くなるのを感じた。
 泣けないのに、熱い。
 それでも、胸の中の氷が少し溶ける。

「……俺は」

 ヴァルクが言いかけて、少しだけ迷うように沈黙した。

 迷うヴァルクを見るのは珍しい。
 彼はいつも決める側の男だ。
 剣を抜く時も、命令する時も、迷いがない。

 でも今は、迷いがある。
 言葉を選んでいる。

「俺は、客として扱うと言った」

「うん」

「客は——」

 彼は少し眉を寄せた。
 言い慣れていない言葉を出す時の顔。

「客は、捨てない」

 短い。
 不器用。
 でも、確かに言った。

 捨てない。

 その言葉が胸に落ちた瞬間、
 私はやっと気づく。

 私が怖かったのは、捨てられることじゃない。
 捨てられる前に、自分から自分を捨ててしまうことだ。

 “役に立つ私”だけを残して、
 “本当の私”を置き去りにしてしまうこと。

 ヴァルクの言葉は、私のその癖を止める柵になった。
 優しい柵。
 逃げないための柵。

 私は小さく息を吐いた。
 肩が少しだけ落ちる。

「……ありがとう」

「礼はいらない」

「いるよ。私は言いたい」

 そう言うと、ヴァルクは鼻で笑った。
 笑ったのかどうか、微妙なライン。
 でも空気が少し柔らかくなる。

 風がまた吹く。
 窓が少し震える。
 寒いはずなのに、私はさっきほど冷えていない。

 隣で、ヴァルクが壁にもたれたまま言う。

「眠れないなら、起きてればいい」

「……それ、解決じゃないよ」

「解決じゃなくて、今を越える」

 今を越える。
 その言葉が、妙に現実的で、現実的だから信じられた。

 人生は、いつも“解決”できない。
 でも“越える”ことはできる。

 私は星を見上げて、頷いた。

「……うん。今を越える」

 その時、私の呼吸がヴァルクと完全に同じになった。
 吸って。
 吐いて。
 吸って。
 吐いて。

 それだけで、世界が少しだけ静かになる。
 孤独が、薄くなる。

 私はまだ壊れそうだ。
 でも壊れそうなのは、壊れたくないから。

 そして今夜は、
 壊れたくないと願える隣に、誰かがいる。

 それだけで、私は少しだけ生きられる。
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