12 / 20
第12話:王家の使者の言葉
しおりを挟む侵入者は、血まみれではなかった。
泥だらけでもなかった。
鎧も着ていない。
剣も抜かない。
代わりに、彼は“礼儀”をまとっていた。
城の中庭。
赤い空の下、黒い石畳の上に、白い術式の残光がまだ漂っている。
レオニスの近衛たちが半円を描いて囲み、槍先が揃う。
魔族の兵士たちの呼吸は重く、怒りが空気をざらつかせる。
その中心で、男は外套の埃を払うように袖を払った。
黒いローブ。
胸元に金糸の刺繍――王家の紋。
顔は整っている。
整っているのに、人間味が薄い。
目が、冷たい。
「魔王城にお邪魔をいたしました。失礼の段、どうかお許しを」
声は柔らかい。
言葉は丁寧。
でも温度がない。
湯気のない紅茶みたいに、香りだけが残って中身が空っぽだ。
レオニスが一歩前へ出た。
槍が音を立てる。
「許すわけねぇだろ! 勝手に裂け目開けて侵入してきて! 使者だと? 使者なら門を叩け!」
声がでかい。
今日もでかい。
でも今日は、そのでかさが盾になる。
男は眉ひとつ動かさない。
笑みだけを浮かべる。
「門を叩いて通されるのであれば、そう致しました。しかし我々は――“急ぎ”でしたので」
急ぎ。
その言葉の裏にあるのは、正当性ではない。
暴力の言い訳だ。
アリアは中庭の端、離れの結界の内側に立っていた。
ミリィが肩に手を置き、ヴァルグリムが少し前に立つ。
セフィラはどこかにいる気配だけがする。影みたいに。
アリアは男の胸元の紋を見た瞬間、心臓が凍った。
王家。
人間界。
あの夜会。
拍手。拍手。拍手。
処刑の合図。
耳の奥で、拍手が鳴り始める。
現実の音ではない。
記憶の音だ。
それなのに、現実より大きい。
男が視線を滑らせ、アリアを見つけた。
見つけた瞬間、目が細くなる。
ああ、この目。
クラウスと同じ種類の目。
人を見ていない。
“機能”を見ている目。
「……アリア・エルヴェイン嬢」
名を呼ばれた。
名を呼ばれただけで、体が硬直する。
名前が鎖になる。
人間界に繋がってしまう。
「王家より、正式に“帰還”を求めます」
帰還。
帰る、ではない。
帰還。
帰還は命令だ。
戦場からの帰還のように、役目を終えた兵の帰還。
個人の意志じゃない。
アリアの視界が狭くなる。
世界が筒になる。
男の口元だけが見える。
口元が動いて、丁寧な言葉が刃になる。
「貴女は王国の重要資産であり、管理下に置かれるべき存在です。……今は異常事態。魔王の庇護下にあることは理解しますが、国家の都合が優先されます」
重要資産。
管理下。
国家の都合。
胸の奥が熱くなる。
熱いのに動けない。
熱は燃料なのに、体は氷だ。
拍手が、また大きくなる。
夜会の貴族たちの笑い声が混ざる。
扇の陰の囁き。
「平凡だ」
王太子の声が、耳に刺さる。
「君は平凡だ」
平凡。
平凡なのに資源。
平凡なのに爆弾。
矛盾が胸の中で暴れる。
男はさらに丁寧に言った。
「もし帰還を拒まれるなら――我々は“封印”の手続きを進めます。貴女の意思を尊重したい。ですから、どうか賢明な判断を」
尊重。
尊重の形をした脅し。
賢明。
賢明の形をした服従。
アリアの指先が震えた。
震えが広がり、肩が固まる。
息が浅い。
浅い息が、熱を増やす。
――また裂け目が。
恐怖が恐怖を呼ぶ。
絶望が魔力になる。
その瞬間、前に影が出た。
ルシフェルだった。
黒い外套が揺れる。
風が吹いたわけではないのに、彼が動くと空気が動く。
彼はアリアの前に立つのではなく、アリアと使者の間に“境界”を作るように立った。
背中が大きい。
でも大きさは威圧じゃなく盾だった。
ルシフェルは静かに言った。
「彼女はここで生きている」
短い。
でもその短さが、刃より強い。
「お前たちの所有物ではない」
所有物。
その言葉を、ルシフェルがはっきり否定した。
否定されると、胸の奥の氷が少しだけ割れる。
割れたところから、息が入る。
男は笑みを深くした。
「……魔王が、人間を庇うのですか」
嘲り。
嘲りを、丁寧な口調で包む。
最悪のやり方だ。
「人間は脆い。騙しやすい。利用しやすい。貴方ほどの存在が、そんな存在に情を――」
「黙れ」
ルシフェルの声は低かった。
低いのに、空気が震えた。
石畳が微かに鳴った気がする。
男は眉を上げる。
怯えていない。
怯える必要がないと思っている顔。
王家の権威を盾にしている顔。
「これは王家の正式な要請です。魔王といえど、国家間の条約――」
そこで、ルシフェルの瞳が変わった。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
夜の底の瞳が、獣の色になる。
黒の中に金が走る。
捕食者の光。
「踏み越えるな」と言う光。
アリアは息を呑んだ。
怖い。
でも怖さの中に、救いがある。
自分のために怒っている。
自分のために牙を剥いている。
その事実が、胸を痛める。
レオニスが槍をぐっと握り直した。
兵士たちの魔力が、空気を震わせる。
戦場の匂いが濃くなる。
セフィラの声が、どこからともなく落ちた。
「使者。あなたが今立っている場所は、魔王の城です」
男は視線を巡らせた。
セフィラを探す。
見つけられない。
影に話しかけられているみたいな顔になる。
「……脅しですか」
「事実です」
淡々とした声。
事実で殴る声。
男は笑みを崩さないまま、アリアへもう一度視線を向けた。
「アリア嬢。貴女は理解しているはずです。貴女の力が、どれほど国に必要か」
必要。
また必要。
必要という言葉は、鎖だ。
必要と言われるたび、自由が減る。
アリアの胸の熱が跳ねた。
跳ねた熱が、喉を焼く。
また裂け目が――そう思った瞬間、アリアは土の冷たさを思い出そうとした。
闇の庭。
黒い土。
ひんやりした香り。
育つ光。
息を吸う。
吐く。
浅い。
まだ浅い。
男が、柔らかい声で追い打ちをかける。
「貴女が戻れば、家も守られます。母上も安心する。貴女が拒めば、家は――」
家。
母。
父。
言われた瞬間、胸が痛む。
痛むのに、怒りが湧く。
それを盾にするな。
母の涙を、武器にするな。
アリアの目の前が白くなりかけた。
熱がぐつぐつと煮える。
絶望が燃料になる。
このままだと、また壊れる。
その時、ルシフェルの声が、少しだけ柔らかくなった。
「アリア」
名前。
錨。
鎖じゃない名前。
ここで呼ばれる名前。
アリアは、その一音で呼吸を取り戻した。
ほんの少しだけ。
ルシフェルは使者に向けて言った。
「帰れ」
一言。
命令。
でもそこには、無駄な威圧がない。
ただの結論。
男は肩をすくめるふりをした。
「魔王が拒むなら、我々は次の手続きを――」
「次はない」
ルシフェルの瞳が再び獣の色を帯びる。
今度は一瞬じゃない。
ほんの少し長い。
長い分、空気が凍る。
レオニスが吠えた。
「聞こえたか! 帰れ! 次は俺が踏む!」
「踏むな。殺すな」
ルシフェルが低く言う。
レオニスが悔しそうに歯を食いしばる。
「でも……!」
「殺せば、向こうの口実になる」
統治者の顔。
戦略の顔。
魔王の顔。
男は、そのやり取りを見て、笑みを少しだけ薄くした。
王家の権威が万能ではないと、理解した顔。
「……分かりました。本日は引きます。ですが、アリア嬢」
男は丁寧に頭を下げる。
下げ方が綺麗すぎて気持ち悪い。
「貴女の“帰還”は必ず必要になります。力は、国が手放しません」
その言葉を残し、男は術式の光を足元に広げた。
白い円が回り、黒い空に繋がる。
裂け目がまた口を開ける。
去り際に、男はルシフェルへ視線を向けた。
「……魔王。人間を庇うとは。ずいぶんと、変わった」
嘲り。
最後まで嘲り。
ルシフェルは返さなかった。
返さない代わりに、瞳が獣の色のまま、男を見送った。
使者が消える。
裂け目が閉じる。
空の黒い傷が、ゆっくりと縫われていく。
中庭の緊張が、少しだけ緩んだ。
レオニスの兵たちが息を吐く。
ミリィが肩を落とす。
ヴァルグリムが静かに周囲を確認する。
アリアは動けなかった。
拍手がまだ耳の奥で鳴っている。
笑い声がまだ喉に刺さっている。
父の沈黙が背中を押さえつける。
王太子の「平凡だ」が胸を抉る。
身体が硬い。
視界が狭い。
息が浅い。
ルシフェルが、振り返った。
獣の色が、少しずつ夜の底へ戻っていく。
戻りながらも、彼の目は揺れていた。
怒りと、焦りと、心配が混ざって揺れている。
「……大丈夫か」
大丈夫。
その言葉に、アリアは反射で頷きそうになった。
でも頷いたら、また自分を殺す。
怖いと言え、と言ってくれた人がいる。
アリアは震える息で、やっと言った。
「……怖い」
声がかすれた。
でも言えた。
ルシフェルの肩が、ほんの少しだけ落ちた。
落ちたのは、安心ではない。
ようやく本音が聞けた安堵。
「……そうか」
それだけ。
抱きしめない。
近づきすぎない。
距離を守ったまま、受け止める。
それが、今のアリアにはちょうどいい。
王家の使者の言葉は、まだ耳に残っている。
「力は国が手放しません」
でもそれ以上に、ルシフェルの言葉が胸に残った。
「彼女はここで生きている」
「お前たちの所有物ではない」
生きている。
所有物ではない。
その二つが、アリアの中の裂け目に、細い糸を通し始めていた。
10
あなたにおすすめの小説
七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす
蒼月よる
ファンタジー
七日後、この港に神罰が落ちる。
追放された元観測士イオナだけが、その事実を知っていた。
しかも災害は自然現象ではない——誰かが、意図的に引き起こそうとしている。
港の上層部はすでに手を打っていた。「下層区画を緩衝被害区として切り捨てる」秘密契約。被害を最小限に見せかけ、体制を守る冷徹な計画だ。
イオナは元護送隊長ガルム、荷運び組合長メラとともに動き出す。
犯人を暴き、証拠を公開し、住民を逃がし、工廠を止める——すべてを七日で。
被害を「選ぶ」管理か、全員を「残す」運用か。
追放観測士の、七日間の港湾カウントダウン・サスペンス。
この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。
・世界観・設定の管理補助
・プロット段階の壁打ち
・作者による執筆後の校正
異世界で魔法が使えない少女は怪力でゴリ押しします!
ninjin
ファンタジー
病弱だった少女は14歳の若さで命を失ってしまった・・・かに思えたが、実は異世界に転移していた。異世界に転移した少女は病弱だった頃になりたかった元気な体を手に入れた。しかし、異世界に転移して手いれた体は想像以上に頑丈で怪力だった。魔法が全ての異世界で、魔法が使えない少女は頑丈な体と超絶な怪力で無双する。
幼子家精霊ノアの献身〜転生者と過ごした記憶を頼りに、家スキルで快適生活を送りたい〜
犬社護
ファンタジー
むか〜しむかし、とある山頂付近に、冤罪により断罪で断種された元王子様と、同じく断罪で国外追放された元公爵令嬢が住んでいました。2人は異世界[日本]の記憶を持っていながらも、味方からの裏切りに遭ったことで人間不信となってしまい、およそ50年間自給自足生活を続けてきましたが、ある日元王子様は寿命を迎えることとなりました。彼を深く愛していた元公爵令嬢は《自分も彼と共に天へ》と真摯に祈ったことで、神様はその願いを叶えるため、2人の住んでいた家に命を吹き込み、家精霊ノアとして誕生させました。ノアは、2人の願いを叶え丁重に葬りましたが、同時に孤独となってしまいます。家精霊の性質上、1人で生き抜くことは厳しい。そこで、ノアは下山することを決意します。
これは転生者たちと過ごした記憶と知識を糧に、家スキルを巧みに操りながら人々に善行を施し、仲間たちと共に世界に大きな変革をもたす精霊の物語。
続・無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……✩✩旅を選んだ娘とその竜の物語
タマ マコト
ファンタジー
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……の第2部
アストライア王国を離れ、「自分の人生は自分で選ぶ」と決めたエリーナは、契約竜アークヴァンとともに隣国リューンへ旅立つ。肩書きも後ろ盾もほぼゼロ、あるのは竜魔法とちょっと泣き虫な心だけ。異国の街エルダーンで出会った魔導院研究員の青年カイに助けられながら、エリーナは“ただの旅人”として世界に触れ始める。
しかし祭りの夜、竜の紋章が反応してしまい、「王宮を吹き飛ばした竜の主」が異国に現れたという噂が一気に広がる。期待と恐怖と好奇の視線に晒され、エリーナはまた泣きそうになるが、カイの言葉とアークヴァンの存在に支えられながら、小さな干ばつの村の水問題に挑むことを決意。派手な奇跡は起こせない、それでも竜魔法と人の手を合わせて、ひとつの井戸を救い、人々の笑顔を取り戻していく。
「竜の主」としてではなく、「エリーナ」として誰かの役に立ちたい。
そう願う彼女と、彼女に翼を預けた白竜、そして隣で見守る青年カイ。
世界の広さと、自分の弱さと、ほんの少しの恋心に揺れながら──
“旅を選んだちょっと泣き虫で、でも諦めの悪い娘とその竜”の物語が、本当の意味で動き出していく。
悪役令嬢の私が姫に転生した件 ――それはいいのですが、なぜ魔王城に幽閉から始まるのですか?
しばたろう
ファンタジー
アウレリア王国の未来を憂い、改革を進めようとした結果、
「聖女いじめ」の汚名を着せられ断罪された悪役令嬢アレイシア。
絶望の末に命を落とした彼女は、気がつくと百年後の世界で、
同国の王女エリシアとして生まれ変わっていた。
だが平穏はなく、彼女は魔王に攫われ、魔王城に囚われの身となる。
毎日続く求婚と恐怖――しかし前世の記憶を取り戻したエリシアは、
魔王の語る「経済による世界支配」という理知的な思想に耳を傾ける。
武力ではなく、政治と経済で世界を変えようとする魔王。
その冷静で非情な正論に、かつて同じ理想を抱いた彼女は――
魔王の妻になるという、思いもよらぬ選択を下す。
これは、断罪された悪役令嬢が、
今度こそ世界の在り方そのものに手を伸ばす物語。
イジメられっ子世に憚る。
satomi
ファンタジー
主人公須藤正巳はぼんやりと教室で授業を受けていた。その時、突然教室中に物凄い量の光が…。 正巳が属する2-C全員が異世界転移することとなってしまった。 その世界では今まで正巳が陰キャとして読み漁ったラノベともゲームとも異なり、レベルがカウントダウン制。つまりレベル999よりレベル1の方が強い。という世界だった。 そんな中、クラスのリーダー的陽キャである神谷により全員で教室の外に出ることに。 いきなりドラゴンに出会い、クラスの全員がとった行動が『正巳を囮にして逃げること』だった。 なんとか生き延びた正巳は、まず逃げた連中へ復讐を誓う。
神様、ありがとう! 2度目の人生は破滅経験者として
たぬきち25番
ファンタジー
流されるままに生きたノルン伯爵家の領主レオナルドは貢いだ女性に捨てられ、領政に失敗、全てを失い26年の生涯を自らの手で終えたはずだった。
だが――気が付くと時間が巻き戻っていた。
一度目では騙されて振られた。
さらに自分の力不足で全てを失った。
だが過去を知っている今、もうみじめな思いはしたくない。
※他サイト様にも公開しております。
※※皆様、ありがとう! HOTランキング1位に!!読んで下さって本当にありがとうございます!!※※
※※皆様、ありがとう! 完結ランキング(ファンタジー・SF部門)1位に!!読んで下さって本当にありがとうございます!!※※
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる