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第2話 青白い閃光と冤罪の夜
しおりを挟むその日の大広間は、いつも以上にきらびやかだった。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアには、魔光石がいつもより多くはめ込まれていて、細かい光の粒が雨みたいに降り注いでいる。
壁には各家の紋章旗がずらりと並び、床の大理石は、鏡のように人の姿と光を映していた。
魔術実演会――年に一度、王宮に魔導師団や各家の魔術師が集まり、自慢の魔術を披露する日。
表向きは「魔術技術の発展と交流のため」。
実際は、貴族たちが自分の家の力とコネを見せつけ合う、格付けショーみたいなものだ。
「……なんで私もここにいるのかしら」
壁際の席に座りながら、リリアは小さくため息をついた。
視線を前に向ければ、壇上ではすでにひとりの魔術師が、炎を操る見事な術を披露している。
赤い炎が空中で舞い、花の形になり、観客から拍手が起こる。
周囲の貴族たちは、華やかな笑い声とともにワイングラスを傾けていた。
ミーナは少し離れた侍女用の位置で、心配そうにこちらを見ている。
「お嬢様、顔が完全に“早く帰りたい”って書いてます」
合間に近づいてきたミーナが、銀盆を持ちながら小声でささやく。
「帰れるならとっくに帰ってるわよ……。私なんて、ただ座ってるだけの飾りでしょう?」
「飾りも必要なんですよ、この人たちの世界では。ほら、“王太子殿下にはちゃんと婚約者がいますよ、安心してください”っていうアピール」
「言い方が生々しい」
苦笑しながらも、リリアは胸のあたりを押さえる。
今日のドレスは深い青。宝石みたいに光るシャンデリアの下では悪くないはずだ。
失敗のしようがないはずの“座っているだけの役目”――だった。
「続いては、王宮魔導師団団長、グレゴール殿による高位魔術の実演でございます!」
司会の声が響く。
場の空気が一段階高揚し、歓声があちこちから上がった。
リリアは心のどこかを切り離すようにして、半ば機械的に拍手を送る。
その時だった。
「それと――特別企画として、本日はもうお一方、壇上にお上がりいただきます」
司会の男が、妙に芝居がかった笑みを浮かべて、客席に視線を向けた。
「王太子殿下のご婚約者、リリア・エルネスト公爵令嬢にも、軽い魔術を披露していただきましょう!」
一瞬で、空気が固まった。
「…………え?」
自分の名前が呼ばれても、リリアの思考は数秒遅れてしか動かなかった。
周囲から、ざわめきが広がる。
「まあ、王太子妃殿下候補の魔術、お目にかかれるなんて」
「どの程度の腕前かしらね」
好奇と期待と、少しの意地悪な色が混ざった視線が、一斉にリリアに刺さった。
(聞いてない。そんな話、誰からも……)
喉がきゅっと締め付けられる。
息の仕方を一瞬忘れたみたいに、胸が痛んだ。
隣の席から、レオンハルトが立ち上がる気配がする。
彼は微笑みながら、こちらに手を差し出した。
「リリア。少しだけ、皆の期待に応えてくれるかい?」
「……殿下、私は、その……」
声が震える。
どうにか拒否しようとしても、言葉にならない。
司会が、さらに煽るように続けた。
「ご安心ください、リリア様。簡単な魔術で結構です。光を灯す程度の、ほんのささやかなものを」
たかが光。
それくらいなら、子どもでもできる。
――王宮の人たちは、そう思っている。
「大丈夫だよ」
耳元に、レオンハルトの声が落ちてくる。
「君の魔術は、“弱い”と言われるほど危険じゃない。暴走の心配はないさ」
それは、励ましのつもりだったのかもしれない。
けれど、リリアには、胸にナイフを押し当てられたみたいに感じられた。
(弱いから大丈夫、って……)
それでも、断るという選択肢は、この場の空気には存在しない。
リリアは立ち上がり、引きつった笑みを顔に張り付けた。
「……光を、一つだけ。よろしければ」
「おお、拍手を!」
司会の声に応じて、会場に軽い拍手が広がる。
その中を、リリアは静かに壇上へと歩いた。
膝が少し震えていた。
◇
壇上から見下ろす大広間は、普段の何倍も広く感じられた。
シャンデリアの光。魔光石のつぶつぶした光。
何十、何百という人の視線。
その全部が、リリアの一挙手一投足に貼り付いている。
(落ち着いて。いつもの、あの小さな光。大丈夫、何度も練習してる)
手のひらに、そっと意識を集中させる。
光の魔術――手のひらの上に、小さな光球を生み出すだけの、初等魔術。
リリアが王宮で許された、数少ない“安全だとみなされた魔術”だ。
「リリア様、どうぞ」
司会が一歩下がる。
リリアは前を向き、ゆっくりと両手を胸の前で組んだ。
深呼吸。
魔力の流れをイメージする。
身体の奥、心臓の少し下のあたりから、温かいものが手のひらに降りてくる感覚。
(大丈夫。私は、これしかできないけど……これくらいなら、失敗したことなんて一度も――)
その瞬間だった。
何かが、ひっかかったような感覚があった。
いつもの、素直な魔力の流れとは違う。
足元の床から、逆流みたいな冷たい感触が駆け上がってくる。
(……え?)
考えるより早く、魔力が勝手に膨れあがった。
「――っ!」
手のひらから、制御不能な光が噴き出す。
青白い閃光が、会場全体を飲み込んだ。
シャンデリアの魔光石が一斉に悲鳴を上げるようにきしみ、
壁に埋め込まれた魔光石が過剰反応を起こして、連鎖するように光を放つ。
ぶわっと、空気の圧が変わった。
熱くも冷たくもない、ただ鋭い“力”の波が、会場中を駆け抜ける。
「きゃあっ!」
「まぶしっ……!」
悲鳴とざわめきが重なる。
グラスが床に落ちる音。椅子が倒れる音。
閃光の中で、リリアは立っているのがやっとだった。
自分の中の魔力が、まるで誰かに掴まれて振り回されているみたいに暴れている。
(なに……これ……私、こんな……出してない……!)
「魔力暴走だ! 全員、魔力遮断障壁を張れ!」
誰かの怒鳴り声が聞こえた。
王宮魔導師団の団長、グレゴールのものだ。
すぐに、別の魔力の波が上書きするように広がっていく。
透明な壁のような感覚が何重にも張られ、閃光は徐々に収まっていった。
光が完全に消えたとき、会場中に残ったのは、うっすらとした青い残光と、焦げた匂いだった。
床には、割れたグラスとこぼれたワイン。
壁の魔光石のいくつかは、ひびが入って淡く煙を上げている。
幸い、誰かが大怪我をした様子はない。
それでも、パニックになりかけた空気は、まだざわざわと揺れていた。
「お、おい、今のは……」
「誰の魔術だ?」
「まさか、あれが――」
視線が、一斉に壇上へ向く。
そこには、膝をつきながら、必死に呼吸を整えようとしているリリアの姿があった。
「……違う……私、こんなつもりじゃ……」
声が震える。
自分の手のひらは、微かに痺れていた。
そこへ、誰かの叫び声が、やけにクリアに響いた。
「リリア様の魔術から始まりました! 私、見ていました!」
その声が、空気に火をつけた。
「やはり……!」
「王太子殿下の婚約者が、魔力暴走……?」
「危険すぎるのでは……」
ひそひそという音が、耳にまとわりつく。
「待ってください!」
グレゴールが前に出て、手を上げる。
「まだ断定はできん! 魔力の流れを解析せねば――」
「でも、最初に光ったのは、確かにリリア様の手元でしたわ」
甘い声が、その言葉を遮った。
カトリーナだった。
さっきまで観客席にいたはずの彼女が、いつの間にか前列に出ていた。
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「以前から、“魔力の制御が苦手”だと、ご本人もおっしゃっていましたもの。ねえ、リリア様?」
リリアの胸がぎゅっと掴まれた。
(言った。確かに、言った。
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でも、あれは……)
自虐混じりの冗談として言った言葉。
それを、こんな形で突きつけられるなんて、想像していなかった。
「わ、私は……確かに、制御は得意じゃないわ。でも、今のは――」
必死に言い訳を探すように口を開こうとした、そのとき。
「リリア」
レオンハルトの声が、会場に落ちた。
彼は壇上に上がり、リリアのそばまで歩いてくる。
その顔は、普段と同じように整っていて、微笑みも崩れていない。
けれど、瞳の奥の色が読めない。
「殿下……! あれは、私の魔力じゃ――」
「落ち着いて」
レオンハルトは静かに言う。
「まだ何も決まっていない。今は、感情的に弁明するよりも、きちんと調査を待つほうが得策だ」
その言葉は正しい。
正しいけれど――リリアが欲しかったのは、今この場での“正しさ”ではなかった。
(違うって言ってほしかった。
“リリアじゃない”って、あなたの口から――)
「殿下。リリア様を、あのままには――」
グレゴールが何か言いかけたが、その前に、別の男の声が割り込んだ。
「ひとまず、本日の会はここまでといたしましょう」
王国宰相、オズワルド・カイン。
灰色の髪をきっちり撫でつけ、冷静な目をした男が、前に出る。
「皆さま、本日はお足元の悪い中……いえ、途中でこのような事態となり、申し訳ありません。
しかし、ご安心ください。王宮魔導師団が責任を持って原因を究明いたします」
丁寧な口調で頭を下げながら、その視線はリリアをじっと射抜いていた。
「リリア嬢」
「……はい」
「あなたの魔力が今回の事象と関わっているかどうか、慎重に調査する必要があります。
つきましては、調査が終わるまでの間、部屋で謹慎していただけますか」
謹慎――それは、やんわりとした軟禁宣言だ。
「違うんです。私は、あんな魔力の出し方をした覚えはなくて――」
「分かっています。あなたの弁明も、しかるべき場でうかがいましょう」
オズワルドは微笑んだ。
その笑みには、慰めも、信頼も、何もなかった。
ただ、「手続き通りに進めましょう」と言う役人の無機質さだけ。
「殿下も、それでよろしいですね?」
レオンハルトは一瞬だけ黙り込み、それから小さく頷いた。
「……ああ。国としても、感情ではなく事実に基づいて判断する必要がある」
「殿下……!」
リリアは彼を見上げる。
助けを求めるように。
何か一言、「彼女を信じる」と言ってほしくて。
けれど彼は、その視線から目をそらした。
「リリア。疲れているだろう。今日はもう、部屋で休みなさい」
優しげな声音。
けれど、“信じている”という言葉は、その中にはなかった。
足元がぐらりと揺れるような感覚。
リリアは、崩れないように必死に姿勢を保ちながら、小さく頭を下げた。
「……承知しました」
◇
部屋に戻されたリリアの扉は、内側からも外側からも、重く閉ざされた。
鍵のかかる音が、やけに大きく響く。
「お嬢様!」
ミーナが駆け寄り、リリアの肩を支える。
さっきまでなんとか保っていた足の力が、一気に抜けた。
「ミーナ……私、やってないの。あんな魔力の暴走、本当に知らない。
いつもの光を出そうとしただけで――」
「分かってます。お嬢様がわざとあんなことするわけないです。
私だって、そばで見てて……なんか、変な気配、しました」
「変な……?」
「お嬢様の魔力の流れとは別に、床のほうから、なんというか……冷たいものが」
やっぱり。
あの瞬間、確かに感じた――足元からの逆流。
誰かが仕掛けた、としか思えない。
けれど今、それを言っても、きっと信じてもらえない。
「ミーナ。……外の様子は?」
「皆バタバタしてます。“暴走”だの“原因究明”だの。
宰相様の命令で、しばらくお嬢様の部屋には私以外入れないようにって」
「それって、優しさじゃなくて、監視よね」
「ですね」
ミーナは苦い顔をした。
「でも、私がいます。絶対に一人にはしませんから」
「……ありがとう」
本当は、一人になりたい気持ちもあった。
誰の視線も、声も、何もない場所に逃げ込みたい。
布団をかぶって、全部なかったことにして眠ってしまいたい。
でも、それをしたところで、現実は消えない。
「少し、休んだほうがいいです」
「ええ……」
ベッドに腰を下ろし、靴を脱ぐ。
ドレスのまま横になると、背中に沈み込む柔らかさがやけに冷たく感じられた。
「ミーナ」
「はい?」
「もし、私が……本当に、“ここにいてはいけない人間”なんだとしたら、どうしよう」
「そんなわけないじゃないですか」
ミーナは即答した。
「ここにいていいかどうかを決めるのは、お嬢様自身です。
王宮とか、宰相とか、そんなの関係ないです」
「でも……」
「でももヘチマもないです。……って言いたいですけど」
言い淀み、ミーナは悔しそうに唇を噛んだ。
「現実問題として、権力はめちゃくちゃ関係してくるんですよね……くそ……」
「ミーナ、言葉」
「今くらい許してください」
ふたりで、かすかに笑う。
笑いながら、リリアの目にはじわりと涙がにじんだ。
「ミーナ」
「なんです?」
「……もし、私が本当に、ここからいなくならなきゃいけなくなったら、そのときは――」
「そのときはそのときです」
ミーナは遮った。
「まだ起きてもいない最悪を、今から想像して体力削るのやめましょう。
起きたら、そのときに全力で抗いましょう。ね?」
「……うん」
返事をしながらも、不安は消えない。
それでも、ミーナの言葉は確かに、今にも崩れそうな心をつなぎ止めてくれていた。
「じゃあ、外の様子をもう少し見てきます。何かあったらすぐ戻ってきますから」
「気をつけて」
ミーナが部屋を出て行き、再び扉が閉まる。
今度は鍵はかからなかった。
けれど、見えない鎖が部屋の周りに巻きついている気がした。
◇
夜になっても、眠気は来なかった。
ベッドに横になったり、起き上がって部屋の中を歩き回ったり、窓の外を眺めたり。
落ち着かない心が、身体までソワソワとさせる。
いつの間にか、外はすっかり暗くなっていた。
王宮の庭には魔術灯が点々と灯り、遠くで夜番の兵の足音が微かに響いている。
扉の向こうから、かすかな声が聞こえたのは、そんなときだった。
「……聞いた? 今日の暴走」
「聞いた聞いた。こわ~い」
侍女たちの、気の抜けた声。
休憩中なのか、扉の近くで立ち話をしているらしい。
リリアは思わず、息を潜める。
「やっぱりリリア様が原因なんでしょ?」
「みんなそう言ってるよ。“王太子妃になるには不安が大きすぎる”って」
「でもさ、替わりはいるんでしょ? 前から有力候補って噂の……ほら、北方の伯爵家の」
「ああ、あの方ね。魔力も血統も完璧~ってやつ。
“最初からそっちにしとけばよかったのに”って皆言ってる」
「かわいそうだけどさ、王太子殿下も大変だよね。
婚約者が暴走持ちなんて、イメージ最悪じゃない?」
「ねー。あたしだったら速攻で婚約解消してるわ」
笑い声が、夜の廊下に軽く響く。
リリアは、ベッドの縁をぎゅっと掴んだ。
指先が白くなる。
(分かってる。噂話だって分かってる。
でも……)
胸の中に、針を一つずつ刺されていくみたいな痛み。
“替えの婚約者候補”“最初からそっちにしとけばよかった”。
一言ごとに、自分の存在が薄くなっていくようだった。
「……殿下は、どう思ってるのかしらね」
「そりゃあ……“国のために最善を選ぶ”ってタイプでしょ? 顔見れば分かる」
「確かに~」
最後にまた笑い声がして、足音が遠ざかっていく。
扉の向こうの気配が完全に消えるまで、リリアは動けなかった。
「…………」
胸が痛いのか、頭が痛いのか、もう分からない。
枕に顔を押しつけても、涙は出てこなかった。
悲しいというより、ただただ、空っぽに近かった。
(“替え”がいる。
私じゃなくてもいい。
“王太子妃”という枠に、誰かがはまっていればいいだけ――)
頭の中で、そんな言葉がぐるぐると回る。
自分が特別でないことなんて、とっくに知っていた。
公爵家の娘であること。婚約者が王太子であること。
自分を形作っている要素は、ほとんど全部“外側”のものだ。
それでも、心のどこかで信じたかった。
――レオンハルトにとっての私は、“枠”ではなく、“リリア”なんだと。
その、薄氷みたいな願いが、今、音を立ててひび割れていく。
耐えきれなくなって、リリアは立ち上がった。
ふらふらとした足取りで、窓辺に向かう。
夜風を少し入れたくて、窓の鍵を外し、少しだけ開けた。
冷たい空気が、肌に触れる。
庭の魔術灯が、点々と小さな光の島を作っていた。
その間を、兵士たちの影がゆっくりと歩いていく。
ふと――庭の一角で、違和感が光った。
「……え?」
目を凝らす。
噴水のそば。普段は夜に人が近づかない場所のはずだ。
そこに、うっすらと浮かび上がるような光の模様が見える。
魔光石の光とは違う。
もっと冷たくて、青白くて、幾何学的な――魔術陣だ。
大きさまでは分からない。
けれど、あの模様の一部には、昼間感じた逆流のような、嫌な気配があった。
(なに、あれ……)
目を凝らした瞬間、
その光はふっと消えた。
まるで、見られていることに気づいて、姿を隠したみたいに。
「気のせい……じゃない、よね」
胸の奥で、寒気が走る。
青白い光。暴走した魔力。
噴水のそばに浮かんだ魔術陣。
点と点が、まだ線にはなっていない。
でも、直感だけが、しつこく警鐘を鳴らしていた。
(私、本当に……ただの失敗で、冤罪をかけられているだけじゃない。
もっと、嫌な意図が――)
そこまで考えて、リリアは首を振った。
確証もない。
今、ここで騒いでも、誰も信じてくれない。
「……もし、あれが本当に何かの仕掛けだったとしても」
唇を噛んで、小さく呟く。
「今の私は、“魔力暴走を起こした王太子の婚約者”で、“謹慎中の容疑者”なのよね」
悔しさが、喉の奥に詰まる。
でも、その悔しささえ、まだちゃんと燃え上がれずにいる。
ただ、じわじわと心が削られていく感覚だけが、確かだった。
夜風がカーテンを揺らす。
青白い閃光の残像は、まだまぶたの裏に貼り付いたまま――
リリアの長い夜は、そこから始まった。
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