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第7話 魔力が息をする街
しおりを挟む塔の螺旋階段を降りるのは、ちょっとした冒険だった。
ぐるぐると続く石段は、上から見ても下から見ても終わりが見えない。
壁には小さな魔術灯が一定間隔で埋め込まれていて、淡い光が段差を縁取っていた。
「転ばないでくださいね、お嬢様」
「お嬢様やめてって言ったわよね、ミーナ」
「習性です。やめようと努力はしてます」
「努力見えないけど?」
「心の中ではフルマラソンしてます」
後ろからついてくるミーナの愚痴混じりの声を聞きながら、一段一段、慎重に足を運ぶ。
先頭を歩くゼフィールは、ローブの裾を片手で持ち上げて、面倒くさそうな足取りで降りていた。
眠そうな顔はいつものこととして、その背中には不思議な安定感がある。
「そんなに緊張しなくていいって」
振り返らないまま、ゼフィールが言う。
「塔の階段で転ぶと痛いだけで死にはしない」
「励ましてるのか脅してるのか分からないわね」
「現実を述べてるだけ」
そうこうしているうちに、階段がふっと終わった。
一番下の踊り場に出ると、そこには重そうな木の扉が一枚。
鉄の取っ手には、簡単な鍵の魔法陣が刻まれている。
ゼフィールが指先で魔法陣をなぞると、淡い光が走り、カチリと鍵が外れる音がした。
「じゃ、外の世界へようこそツアー、始めますか」
「ツアーなんだ……」
肩の力の抜けた宣言に、変に緊張が緩む。
扉が開く。
外の空気が、一気に流れ込んできた。
塔の中より少し冷たくて、でも乾いた風。
ほんのりと香ばしい匂いと、どこか甘い香りと、鉄のような匂いが混ざり合っている。
石畳の上に、一歩足を踏み出す。
視界が、色でいっぱいになった。
◇
魔導士の塔は、王都ルミナリアの中心から少し外れた高台に建っていた。
そこから見下ろす街は、昨日窓から見たものよりずっと“生きている”。
石造りの家々が、坂道に沿って段々畑みたいに並んでいる。
屋根の高さがバラバラで、壁の色も微妙に違って、
それぞれの家ごとに違う生活が詰まっていることが、一目で分かった。
通りには、人がいた。
大きな荷を背負った商人。
買い物籠を提げた女性。
配達用らしき箱を抱えて走る少年。
そして、その間をちょこまかと走り回る子どもたち。
空には、小さな光球がふわふわと浮かんでいた。
道の角ごとに設置された魔術灯から伸びる魔力の糸が、街全体をゆるく繋いでいる。
(……魔力が、息してる)
胸の奥で、そんな言葉がふっと浮かんだ。
王都グランツの魔力は、いつも“管理されている”感触だった。
王宮の魔光石は、定められた型の中でだけ光を放っていて、
そこから外れた魔力は“危険”として排除される。
ここは違う。
魔力が街の隅々まで染み込んでいて、
それが息をするみたいに、自然なリズムで流れている。
「うわ……」
思わず、素直な感嘆の声が漏れる。
「いいリアクション」
ゼフィールが、口の端を上げた。
「ここから下りていくと、商店街。魔道具屋も屋台も工房も、全部混ざってる」
「工房って、魔術工房?」
「そう。魔道具作ったり、魔法陣刻んだり、魔力結晶削ったり。
あとは怪しい自作魔道具売ってる場所もあるけど、それは後日な」
「怪しいって自分で言うのね」
「自覚はある」
階段を降りるような急な坂道を下りていくと、石畳の通りに出た。
通りは、朝の市場の名残なのか、まだ少し賑やかだった。
右側には、魔道具専門店。
木の看板には、杖と歯車が組み合わさったようなマークが描かれている。
店先の棚には、小さなランタン型の魔道具が並んでいた。
指でつつくと、色が変わる。赤、青、緑、黄色――
子どものおもちゃにも見えるけれど、実際には簡易照明として重宝されているらしい。
隣の棚には、掌サイズの扇風機みたいな魔道具。
魔力を流すと、羽が回って風が出る。
その横には、小さな氷の結晶が浮かんだ“冷却石”が、紐でまとめて吊るされていた。
「この辺は日用品。魔力使えない一般人でも使えるように作ってあるやつ」
「魔力を使えない人も、いるの?」
「もちろん。適性ゼロの人も普通にいる。
でも、魔道具があれば、生活の不便はある程度カバーできる」
ゼフィールが軽く説明する。
「魔力の有無で生活水準が極端に変わらないようにするってのが、ルミナリアの基本スタンス。……一応な」
「一応って?」
「まあ、現実には多少の差は出るけどさ。考え方として、って話」
店の前では、小さな女の子がランタンを両手で抱えていた。
「見て、おかあさん! これ、光の色変わるよ!」
「あら、可愛いわね。お部屋にひとつ置いてみようか」
「うん!」
女の子がランタンに魔力を流すと、中にふわっと光が灯る。
それはまるで、小さな星を閉じ込めたみたいだった。
(……たのしそう)
かつて、魔術実演会の壇上で、小さな光球を出そうとして“暴走の引き金”にされた自分の光。
ここでは、子どもの遊び道具として笑って扱われている。
胸の奥が、少し痛くて、少し温かい。
「こっちは?」
通りをもう少し進むと、今度は屋台が並んでいる場所に出た。
焼いた肉の匂い。
スパイスの香り。
甘い蜜の香り。
いろんな匂いが混ざって、腹の底を刺激してくる。
「現実的な話だけどさ」
ゼフィールが少し真顔で言った。
「逃亡生活してるとき、一番困るのは飯だぞ」
「……夢のない話ね」
「真理だから。魔法よりご飯のほうが人を動かす」
屋台のひとつでは、丸い鉄板の上で薄い生地を焼いていた。
その上に具材を乗せて、くるくる巻いて渡している。
「それ、なに?」
「クレープ。……いや、名前は店によって違うけど、中身巻いて食うやつ」
「ざっくりした説明ね」
「食えば分かる。ほら」
ゼフィールは屋台の主に何か短く言って、数枚の硬貨を渡す。
ほどなくして手渡されたのは、薄い生地で野菜と薄切り肉を巻いたものだった。
「まずはこっち。甘くないやつ」
「甘いやつもあるの?」
「デザートは後だ」
受け取ったクレープを恐る恐るかじると、
もちもちした生地と、シャキシャキとした野菜の食感と、香ばしい肉の味が口いっぱいに広がった。
「……おいしい」
「でしょ」
ゼフィールは満足そうに頷く。
周りを見れば、同じようなものを片手に歩いている人が何人もいた。
それを持ったまま、片手で魔術を使っている人までいる。
魔力で荷物を浮かせながらクレープを食べている青年もいた。
(魔力の使い方まで、なんか自由)
王宮で食事中に魔法を使おうものなら、“行儀が悪い”と怒られる。
ここでは、それが当たり前みたいに混ざっている。
「おーい、ゼフィール先輩!」
突然、前方から明るい声が飛んできた。
見ると、路地の入口に、ひとりの女性が立っていた。
肩までの長さで切り揃えられた淡いオレンジ色の髪。
瞳は明るい琥珀色。
腰には短めの杖がぶら下がっていて、黒いパンツスタイルの上から軽いコートを羽織っている。
全体的に、“動く前提”の服装。
でも、ところどころに施された刺繍が、彼女がただの職人ではなく、魔導士であることを主張していた。
「やっと降りてきたんですね! 珍しい!」
「うるさいな、お前はノエル」
ゼフィールが眉をひそめる。
「珍しいって何回言えば気が済むんだ」
「だって事実じゃないですか。塔から出てくるの年に何回だと思ってるんです?」
「ちゃんと仕事のときは出てる」
「仕事のときだけでしょー?」
ぱたぱたと近づいてきた彼女は、リリアに気づいて目を丸くした。
「わっ、新顔だ。……って、先輩にくっついてるってことは」
胸の前で手を合わせて、ぱっと笑顔を弾けさせる。
「こんにちは! ノエル・ハースって言います。ルミナリア王立魔導院所属、ゼフィール先輩の後輩です!」
「自分から“先輩の後輩”って言うの、どうなの」
「事実は事実ですから!」
ノエルは人懐っこい笑顔でリリアに手を差し出した。
「で、お名前は?」
「あ、えっと……リリア。リリア・エルネストです」
思わずその手を握り返していた。
ノエルの手は、少し固くて、温かい。
指先に、魔力を扱う人特有の“使い込まれた感じ”があった。
「リリアちゃん、ね。よろしく!」
「“ちゃん”……」
「嫌でした?」
「いえ、その、久しぶりで」
「久しぶり?」
王宮では、“リリア様”、“リリア殿”。
婚約者になってからは、“王太子妃殿下候補”。
“ちゃん”付けされることなんて、ほとんどなかった。
ノエルの距離の詰め方は、唐突で、でも不思議と嫌ではない。
「先輩、その子が噂の“国境で拾った人”ですか?」
「拾ったって言うな。語弊がある」
「じゃあなんて言えばいいんです?」
「……まあ、拾ったで合ってるけど」
「合ってるんだ」
ノエルはけろっと笑うと、リリアの顔を覗き込んだ。
「ルミナリアは初めて?」
「はい。……というか、国境を越えること自体が初めてです」
「そっか。じゃあいろいろカルチャーショックですね」
「カルチャー……?」
「文化の衝撃ってやつです。
“なんだこの食べ物!”とか“なにこの魔道具!”とか“なんで子どもが普通に魔法撃ってるの!?”とか」
ノエルが指さすほうを見ると、路地の向こうで、まさにその光景が繰り広げられていた。
小さな男の子が二人、向かい合って立っている。
片方が手のひらを突き出すと、その前に小さな光の球がぽんっと現れた。
「ほら! ちゃんと出せるようになっただろ!」
「すごい! ぼくもやる!」
もう片方の子どもも必死に真似しようとしている。
彼の手のひらには、うっすらと、弱々しい光が灯りかけては消えていた。
「でも、あんまり無茶すると怒られるわよー!」
少し離れたところから、エプロン姿の女性が声をかける。
「魔力はちゃんとコントロールして使いなさーい!」
「はーい!」
そのやり取りが、あまりにも普通の日常の一部みたいで、リリアは呆然と立ち尽くしてしまった。
(子どもが……遊びみたいに、魔法を)
王宮で魔力を扱うのは、魔導師か、選ばれた貴族だけ。
子どもが人前で魔法を使えば、“危ないからやめなさい”と怒られる。
ここでは、“危ないからちゃんとコントロールしなさい”と教える。
使うこと自体を否定しない。
(ここでは魔力は、縛る鎖じゃなくて――)
胸の中で、言葉が形になる。
(羽みたいなんだ)
あたり前のように“背中に生えているもの”。
それで空を飛ぶかどうかは本人次第だけれど、
少なくとも、最初から引きちぎられたり、縛られたりはしない。
「すごい顔してる」
ゼフィールが横でぼそっと言った。
「そんなに変?」
「いや、いい顔。新しいもの見たときの顔」
「先輩、分かるんです?」
「塔から出ないけど、出たときはちゃんと見てる」
「塔から出ないって自分で言った」
ノエルがすかさずツッコミを入れる。
リリアは、とりあえずクレープをもうひと口かじった。
口の中に、現実的な味が広がる。
それが、ふわふわした感覚を少し落ち着かせてくれた。
「このあと、どうします?」
ノエルが、期待に満ちた目でゼフィールを見る。
「せっかくだから、魔術工房とかも見せてあげましょうよ。
あたしの友達のとこ、見学歓迎ですよ」
「お前の友達、爆発させがちじゃなかったっけ」
「最近は安定してます!」
「“最近は”って情報、信用していいのか微妙だな」
「じゃあ、比較的安全なほうにします」
そんな物騒な相談をしながら、三人は通りを歩き出した。
◇
路地裏に入ると、表通りとはまた違う匂いがした。
油と鉄と、焼けた魔力の匂い。
狭い通りの両側には、小さな店や工房がぎっしり詰まっている。
「ここら辺が、“魔術工房エリア”って感じですね」
ノエルが説明する。
ある工房の扉は半開きになっていて、中からはガンガンと金属を打つ音が聞こえてきた。
奥では、大きなハンマーを振るう職人が、真っ赤に焼けた金属の棒を叩いている。
その背後には、温度調整用の火の魔法陣が刻まれた炉があった。
別の工房では、机の上に広げた羊皮紙に魔法陣を描いている若者たちがいた。
細い筆で一筆ごとに魔力を流し込んでいるのが分かる。
線が光り、一定のリズムで脈打っている。
さらに別の店では、小さな結晶を削っている女性がいた。
削られた微細な結晶の粉は、瓶に集められて、色とりどりに並べられている。
“増幅用”“安定用”“属性変換用”と、ラベルが貼られていた。
「魔力を“どう使うか”を考える場所の集合体、って感じね」
リリアがぽつりと言うと、ノエルが嬉しそうに頷いた。
「そうそう! 魔力そのものより、どう活かすかが大事。
だから、魔力がめちゃ強い人もいれば、ほとんどないけどアイデアで勝負してる人もいます」
「アイデアで勝負……」
「“魔力はあるけど使い道が分からない人”を、こっちの世界では“もったいない”って言います」
「もったいない、か……」
王宮では、“魔力はあるけど扱いが難しい人”は、“危険”と見なされた。
封じる対象であって、活かす対象ではない。
その価値観の違いが、リリアの胸にじわじわ染み込んでいく。
「そうだ。せっかくだから、ちょっと寄っていいですか?」
ノエルが、ひとつの工房の前で足を止めた。
扉の上には、小さな看板が掲げられている。
『ノット完全合法・ほぼ安全・たまに便利魔道具工房』
「名前が既に不安なんだけど」
「大丈夫です。“ほぼ”安全です」
「“ほぼ”の部分が一番怖いのよ」
「ちょっと顔出すだけですから!」
ノエルは遠慮なく扉を開けた。
「お邪魔しまーす!」
「ノエル、勝手に客を連れてくるなっていつも――」
中から現れた男が、途中で言葉を切る。
ボサボサの茶色の髪。
片方の耳にだけピアス。
エプロンには何かのインクやら油やらの染みがびっしり。
その視線がリリアに向きかけたところで、ゼフィールがさりげなく前に出た。
「今日は見るだけ。爆発させるなよ」
「なんでまず“爆発”前提なんです?」
「前科があるからだろ」
「それは過去の話です!」
いつの間にか始まっている会話に、リリアは少し笑ってしまった。
工房の奥には、見たこともない形の魔道具が並んでいた。
丸い箱にボタンがいくつもついたもの。
魔力を通すと、中からメロディーのような音が流れ出す。
手のひらサイズの球体。
転がすと、床に小さな光の軌跡が残る。
そして――
「これ、なに?」
リリアが目を留めたのは、腕輪の形をした魔道具だった。
銀色の細い輪に、小さな魔力結晶がひとつ埋め込まれている。
「それか。簡易浮遊補助」
工房主の男が答える。
「足に負担かかってるときに、これつけて魔力流すと、体重がちょっとだけ軽くなる。
怪我人とか荷物持ちの人向け」
「へえ……」
「お嬢様の靴擦れ用に一個買ってきましょうか?」
ミーナが即座に提案してきた。
「ちょっと待って。私の靴擦れ、バレてる?」
「バレバレです。歩き方が痛そうです」
「……そんなに?」
人に見られること前提の歩き方しかしてこなかった自分の足が、今は“ただの足”として悲鳴を上げている。
「ゼフィール先輩、買ってあげてくださいよ。保護対象なんでしょ?」
「お前、人の財布をなんだと思ってる」
「最強魔導士の財布なら、ちょっとくらい」
ノエルと工房主に責められて、ゼフィールは盛大にため息をついた。
「はあ……一個だけだからな」
「やった!」
「ちょっと、いいのよそんな……!」
「いいから。うちの塔までたどり着けずに足潰されるほうが面倒だし」
理由がひどい。けれど、ありがたい。
腕輪を受け取って、言われたとおりに足首の少し上あたりにつける。
そこに軽く魔力を流すと、身体がふっと軽くなった気がした。
「……歩きやすい」
「でしょ」
ノエルが満足そうに頷く。
「こういうのが、“魔力が生活に溶け込んでる”ってやつですね」
「ほんとに、そうね」
魔力は、ここでは“生きるための道具”であり、“日々をちょっと楽にするための工夫”でもある。
王宮の魔力とは、根本から用途が違っていた。
◇
工房を出て少し歩いたところで、ノエルがぽんと手を叩いた。
「そろそろ休憩しません? いいカフェがあるんですよ」
「お前、仕事は」
「午前中に片付けました!」
「絶対半分くらい残ってる顔してるけど」
「心外!」
そんなやり取りをしつつ、三人と一人(ミーナは陰の護衛兼付き添い状態)は、小さなカフェに入った。
石造りの壁に、木の扉。
扉の上の小さな看板には、カップと魔法陣が描かれている。
店内は、落ち着いた空間だった。
木のテーブルと椅子。
棚には本や、観葉植物や、小さな魔道具が飾られている。
カウンターの上では、魔力で湯気を保温しているポットが並んでいた。
「いらっしゃい」
カウンターの奥から、落ち着いた雰囲気の店主が顔を出す。
ゼフィールを見ると、少し眉を上げた。
「珍しいな。塔から降りてきたのか」
「今日何回言われるんだろう、その台詞」
「事実だろ」
ゼフィールは慣れた感じで、窓際のテーブルに腰を下ろした。
リリアたちも、その向かいに座る。
「なんにする?」
「おすすめは?」
「ここのハーブティー美味しいですよ。あと、甘いお菓子も!」
ノエルが食いつき気味に言う。
「じゃあ、そのハーブティーと……甘いのを少し」
「了解。こっちはいつものだな」
店主がカウンターに戻り、手際よく飲み物の準備を始める。
テーブルの上に、小さな沈黙が落ちた。
外の喧騒は、窓越しに少しだけ聞こえる。
笑い声、足音、遠くの呼び声。
ここは、街の音と切り離された、小さな島みたいな場所だった。
「……どう?」
沈黙を破ったのは、ゼフィールだった。
「さっきから、“どう?”ってよく聞くわね」
「新しいもの見たときの反応見るの、けっこう好きなんだよ」
ゼフィールは窓の外をちらりと見てから、リリアに視線を戻す。
「ルミナリアの街。
さっき一通り歩いてみて、なにか思ったことある?」
改まって聞かれて、リリアは少し考える。
目に入ってきた光景を、一つずつ頭の中で並べ直す。
魔道具店。
屋台の匂い。
路地裏の工房。
子どもたちが遊びで使っていた光の魔法。
それらを全部まとめるように、胸の奥から言葉が浮かんできた。
「……魔力が、普通に息してる」
「息?」
「うん。
王宮の魔力って、いつも“誰かに握られてる”感じだったから。
上から管理されて、“ちゃんとしていなさい”って、常に監視されてるみたいな」
自分でも驚くくらい、するすると言葉が出てくる。
「ここは、魔力が街の中に染み込んでいて、
誰かに“許された”からじゃなくて、“そこにあるから”使われてる感じがしたの。
それが、なんか……羽みたいだなって」
「羽?」
ノエルが身を乗り出す。
「うまい例えですね!」
「うまい?」
「うまいです。メモります?」
「メモらなくていいわよ」
頬が熱くなって、リリアはマグの縁を指でなぞる。
「王宮では、魔力は“縛る鎖”だった。
強ければ強いほど、危険視されて、管理されて、枠にはめられて。
弱ければ弱いで、価値がないって笑われて」
そこまで言って、さすがに胸が苦しくなって言葉が途切れた。
タイミングよく、店主が飲み物とお菓子を運んできてくれる。
「お待たせ」
テーブルの上に置かれたのは、湯気の立つハーブティーと、小さな焼き菓子の盛り合わせだった。
ハーブティーからは、少し柑橘系の香りと、甘い花の匂いが立ち上っている。
焼き菓子は、ナッツ入りのクッキーや、小さなパウンドケーキが数種類。
「いただきます」
マグを両手で包み、その温かさを掌に感じながら、一口飲む。
優しい味が、喉を通って、胸のあたりに溜まっていく感じがした。
「こっちは、鎖じゃなくて羽か」
ゼフィールがぼそっとつぶやく。
「悪くない違いだね」
「でも、怖くないんですか?」
リリアは思わず問い返していた。
「だって、さっき見た感じだと、子どもも大人も、みんな普通に魔法を使ってる。
暴走したり、事故が起きたりするかもしれないのに」
「怖いよ?」
ゼフィールはあっさり認めた。
「魔力は便利だけど、危険でもある。
だから、“ちゃんと教えよう”って発想になる。
触っちゃダメ、って取り上げるんじゃなくて、“こうすれば安全だよ”って教える」
「……“危ないから使うな”じゃなくて、“危ないから正しく使え”?」
「そんな感じ」
ゼフィールはマグをひと口飲んだ。
「ルミナリアの価値観は、大ざっぱに言うと“身分より能力・努力”。
貴族か平民かより、“何ができるか”“何をやってきたか”のほうが評価されやすい。……建前じゃなくて、実際に」
「実際に?」
「もちろん完全に理想通りってわけじゃないけどさ。
でも、魔導院の試験も、王宮の魔導師団の採用も、身分より点数が優先される。
だから、農家出身でも優秀なら宮廷魔導師になれるし、逆に貴族でも落ちるときは普通に落ちる」
「……すごい」
本心から出た感想だった。
「グランツ王国も、“能力主義”を掲げてはいるけど、現実には家の格が優先されることが多いから。
王宮の魔導師団に入ろうと思ったら、まず家柄の選定からだった」
「王宮って、やっぱりそうなんだ」
ノエルがクッキーをかじりながら言う。
「こっちは逆に、家柄だけで入ってきた人は、だいたい現場で潰れます」
「ノエル、言い方」
「事実ですよ?」
ノエルは悪びれず笑う。
「努力しないと、魔術ってすぐサボるんですよ。
“ちゃんと構文組んでくれないと動かないんですけど?”って顔してくる」
「魔術に顔はないわよね?」
「イメージの話です!」
リリアは思わず笑ってしまった。
王宮で“魔術の話”といえば、会議室で真面目な顔をした大人たちの会話だった。
そこに笑いが混ざる余地なんて、ほとんどなかった。
ここでは、魔術が生活の中の普通の話題として扱われている。
「リリア」
ゼフィールが、ふっと真面目な声にトーンを落とした。
「王宮での君の立場。……窮屈だった?」
「……窮屈じゃなかった瞬間を、あまり思い出せない」
自分でも驚くくらい、すぐに答えが出た。
「もちろん、楽しいと思ったこともあった。
舞踏会で綺麗なドレスを着たり、庭園を眺めたり、
レオンハルト殿下と将来の話をしたり……」
そこまで言って、言葉が少し詰まる。
「でも、“リリア”として見てもらえた記憶は、あんまりないかもしれない」
マグの中の水面が、少しだけ揺れた。
「“王太子妃候補”。
“公爵家の娘”。
“魔力の弱い婚約者”。
そういうラベルのほうが、いつも前に出てた気がする」
言葉を口にするたびに、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
「私がどうしたいかとか、どう感じているかとか、
そういうのは、会話の最後の端っこに、飾りみたいにくっついてくる程度で」
「“飾り”か」
ゼフィールの声が低くなる。
「君が逃げてきたの、分かるよ」
「……分かる?」
「責任放棄とか、裏切りとかじゃなくて、
“そこにいたら自分が壊れる”って感覚、分かる」
ゼフィールの灰色の瞳が、真っすぐこちらを見ていた。
いつもの眠たげな膜が少し剥がれて、中の芯が覗いている。
「ここではさ」
彼は静かに言う。
「誰かに許可を取らなくても、“生きたい”って言っていい」
その言葉は、ハーブティーよりもずっと強い熱を持って、リリアの胸に落ちてきた。
「“王太子の婚約者だから”とか、“公爵家の娘だから”とかじゃなくて。
“私として生きたい”って言っていい。
それがわがままだって言うやつがいたら、俺はそいつのほうをぶっとばしたくなる」
「物騒」
ノエルが小声で突っ込む。
けれど、その目はどこか嬉しそうだった。
「……本当に?」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。
「“生きたい”って言って、いいの?」
「いい」
ゼフィールは即答した。
「こっちは、“そう言わないと始まらない”って考える人間が多いから」
ノエルも頷く。
「生きたいって思ってくれたほうが、私たち魔導士としても嬉しいです。
そのほうが、“じゃあどうやって生きるか”って魔法で一緒に考えられるから」
胸の奥で、小さな“何か”が震えた。
王宮では、“生きたい”と言うこと自体が、どこか“わがまま”扱いされていた。
皆が“国のため”“家のため”に生きるのが当然の世界で、
“自分のために生きたい”なんて、口に出せる雰囲気ではなかった。
今、“いい”と言われた。
目の前の人たちに、普通の会話みたいなテンポで。
それは、魔力よりもよほど強い魔法みたいだった。
(……本当に、言っていいのかな)
胸の中の小さな声。
声にするのが怖くて、同時に、それをしなかったら一生後悔しそうで。
ハーブティーをもうひと口飲んで、喉を潤す。
マグを静かに置いて、深呼吸。
「……私、」
言葉が、少しだけ震えた。
「生きたい、って思ってる」
はっきり、そう言った。
出した瞬間、顔が熱くなった。
怖くて、恥ずかしくて、でも――少しだけ、気持ちが軽くなる。
ゼフィールは、それを笑わなかった。
むしろ、当たり前のことを確認できてホッとした、みたいな顔をした。
「うん。それでいい」
短く、そう言う。
「“生きたい”って言えるなら、あとは方法を探すだけだ」
「方法……」
「君の魔力がなんなのか。
王宮で何をされてきたのか。
ルミナリアでどういう立場を取るのか。
全部、“生きる前提”で考えられる」
その順番が、リリアには新鮮だった。
(今までは、“どう生きるか”の前に、“生きてていいかどうか”を考えさせられてた)
その逆順を突きつけられて、世界の見え方が少しだけ変わる。
「リリアちゃん」
ノエルが、クッキーをひとつ、リリアのほうに押し出した。
「ようこそ、“生きたいって言っていい側”へ」
「……そんな側があるの?」
「あります。非公式ですけど!」
リリアは笑って、クッキーをつまんだ。
ナッツの香ばしさと、ほのかな甘さが口の中に広がる。
その甘さが、胸の奥までじんわりと染み込んでいく気がした。
さっきまで、ルミナリアの街は、ただの“逃げてきた先の場所”だった。
今は――
(もしかしたら、ここが“始まり”になるのかもしれない)
そんな予感が、胸の奥で小さな灯となって灯る。
まだ、頼りない火。
ふっと風が吹けば消えてしまいそうな、小さな光。
でも、その光は確かにそこにあった。
魔力が息をする街の真ん中で、
リリアの心にも、ようやく“自分のために燃える火”がともり始めていた。
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不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
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「500年……長い。いや、でも、ドラゴンだし。きっと生きてる、よね?待ってて。約束通りきっと会いにいくから!」
かつての力を取り戻しつつ、チートな魔法で大活躍!愛する家族と優しい婚約者候補、可愛い獣人たちに囲まれた穏やかで平和な日々。
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私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
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