続・無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……✩✩旅を選んだ娘とその竜の物語

タマ マコト

文字の大きさ
7 / 20

第7話 『竜狩りの傭兵団と、初めての本気の戦い』

しおりを挟む


 竜骨の森を抜けると、空気が一気に軽くなった。

 森の中にあった、あの粘りつくような静寂はもうない。
 風はちゃんと木の葉を鳴らし、遠くから鳥の声も聞こえる。

「……はぁ」

 エリーナは、知らず知らずに詰めていた息を、長く吐き出した。

「外に出ただけで、こんなに楽になるんだね」

「そりゃ、“竜の記憶のサウナ”みたいな場所から出てきたんだし」

「サウナって言い方やめて」

「“竜の悪夢詰め合わせ箱”?」

「もっとやだ」

 カイの軽口に、エリーナは思わず笑ってしまう。

 笑える。
 それだけで、だいぶ違う。

 竜骨の森の入口から少し離れた場所で、アークヴァンが低く一度だけ咆哮を上げた。
 それは、森に眠る古い竜たちへの、黙礼にも似た挨拶のようだった。

『……行くぞ、主』

「うん」

 白銀の翼が一度大きく羽ばたき、エリーナの髪が風に煽られる。

 街道までは、森の縁を少し歩けばいい。
 そこから先は、リューン王国北側へと続く大きな道だ。

「次の街まで、どれくらい?」

「徒歩だと一日と半分。竜で飛ぶと、まあ……」

「三時間、くらい?」

『二時間半だ』

「正確な訂正入った」

 そんな会話を交わしながら、一行は森の影を背に歩き出した。

 まだ、このときは。
 この先で“初めての本気の戦い”が待っていることを、誰も実感していなかった。



 街道に出た瞬間、空気が変わった。

 人と物の匂い。
 馬の蹄の跡。
 車輪の擦った跡。

 人の移動の痕跡が、土の上に幾重にも重なっている。

「お、ちゃんとした道だ」

 カイが安堵したように笑う。

「森の獣道、足にくるからね」

「街道のほうが、襲われなさそうって感覚がもう甘い気がする」

「そんな不穏なこと言わないで?」

 エリーナが半眼でカイを見る。

 ──そのときだった。

 ふと、竜の気配が揺れた。

『主』

 アークヴァンの声が低くなった。

『止まれ』

 命じる声に、エリーナの足が反射的に止まる。

「どうしたの?」

『……鉄と油の匂いが濃くなった』

 竜骨の森の奥で感じた“嫌な匂い”。

『それと、今度は“獣の血”も混ざっている』

「獣の血……?」

 カイも、眉間に皺を寄せて周囲を見回した。

 街道は、一見普通だ。
 曲がりくねった土の道の先には、かすかに別の荷車の影も見える。

 ただ──

「……静かすぎる」

 カイが呟いた。

「この時間帯なら、もっと商人の喧騒とか聞こえてもいいのに」

 風が、砂埃を少し巻き上げる。

 その砂埃の向こうから、かすかな呻き声が聞こえた。

「た、助け……」

 エリーナとカイは、顔を見合わせてから駆けだした。

 曲がり角を抜けると、そこには──

「……!」

 ひっくり返った馬車。
 倒れた馬。
 荷物が路肩に散らばり、布袋から干し肉や布がこぼれ落ちている。

 路上には、男がひとり、うつ伏せに倒れていた。
 背中に血がにじんでいる。

「大丈夫ですか!」

 エリーナが駆け寄ろうとした瞬間。

「──そこまで」

 別の声が、空気を凍らせた。

 乾いた靴音が、土の上を叩く。

 街道の両側から、影がすっと現れた。

 皮鎧。
 金属プレート。
 いくつもの刃物と、魔導具と、見慣れない形の矢。

 十人ほど。
 いや、木陰の影も含めればもっといる。

 彼らを見た瞬間、アークヴァンの黄金の瞳が細くなった。

『……竜狩りだ』

 その一言に、エリーナの背筋がぞわりとした。

 竜狩りの傭兵団。
 竜の鱗や血を売りさばく、非合法ギルド。

 表向きは魔物退治の傭兵。
 裏では“竜殺し”として恐れられている人間たち。

「おや」

 隊列のひとりが、口の端を上げた。

「本当に、噂通り白竜が空から降りてきた」

 その声は、驚きよりも、興奮に満ちていた。

 彼は、一歩前に出た。

 浅黒い肌。
 短く刈った髪。
 口には皮肉めいた笑み。

 両肩には、竜の鱗を加工したと思われる肩当てを付けている。

「竜骨の森の外で張って正解だったな。おい」

 倒れていたはずの男が、すっと立ち上がる。

 背中にあった血は、よく見れば乾いた赤い染料だ。

「……偽装」

 エリーナが息を呑む。

 あからさまに襲撃の罠だった。

「“助けてください”って顔で、助けに飛び込んでくる竜の主を、狙わない理由がねえよな」

 男は、愉快そうに言った。

「自己紹介は必要か?」

「いらない」

 カイが、一歩前に出て、エリーナの前に立つ。

「どうせ、“竜狩りの傭兵団”って言えば十分だ」

「まあ、そのとおりだ」

 リーダー格と思しき男は笑った。

「竜狩り傭兵団《オルクリフ》。お前らの国だと、“竜殺しのオルクリフ”って呼ばれてたっけな」

 アストライアの噂が、ふと頭をよぎる。
 “竜を狩って王家に売った傭兵”。
 その名が、古い記憶と重なった。

「で、だ」

 オルクリフは、エリーナに視線を向けた。

「そっちの白竜も価値があるが──」

 その目が、じっと彼女の胸元を見た。

「竜の主。お前はもっと高く売れる」

「売れる……?」

「そう。“研究材料”としてな」

 笑いながら言う言葉の冷たさに、背筋がぞわりとした。

「王侯貴族に売りつけてもいい。竜魔法の研究者どもにバラしてもいい。竜の主の血も骨も、今の世界じゃ希少品だからな」

 エリーナの指先が、ぎゅっと震えた。

「そんなこと、させない」

「させないよ」

 カイが、重ねるように言った。

「魔導院の研究員として言わせてもらうけど──生きてる人間をバラして研究材料にするのを“研究”って呼ぶの、やめてもらっていい?」

「生きてるか死んでるかなんて、金には関係ねえさ」

 オルクリフは肩をすくめた。

「まあ、安心しろ。お前は“そこそこ”の値で売れるだろうが──」

 顎をしゃくって、空を飛ぶ白竜を指す。

「白竜アークヴァン。そっちは桁が違う」

 黄金の瞳に、炎が灯る。

『人間』

 アークヴァンの声が、遠雷みたいに低く響いた。

『今、誰を値踏みした』

「竜を値踏みするのが、俺たちの仕事でね」

 オルクリフは、まるで巨大な獲物を前にした猟犬のような顔をした。

「“王宮を吹き飛ばした”って噂の白竜。あれを仕留めて解体して売れば──」

 口の端が、いやらしいほどに吊り上がる。

「一生分、いや、それ以上稼げる」

 その言葉に、周りの傭兵たちが喉を鳴らした。

 欲望。
 羨望。
 興奮。

 それらの匂いが、空気に混ざる。

『主』

 アークヴァンの声が、鋭くなる。

『危険だ。下がっていろ』

「……でも」

『戦うのは我だ』

 竜の黄金の瞳が、オルクリフたちを射抜いた。

『主の血を狙う者は、皆殺しにしてやる』

 その声には、冗談の欠片もなかった。



 次の瞬間。

 アークヴァンが、空から落ちてきた。

 翼を折りたたみ、重力のままに。

 白銀の巨体が、一直線に地面へ向かう。

 空気が悲鳴を上げる。
 地面が近づく。

 そして──

 ドン。

 轟音。

 街道が、縦に揺れた。

 白竜の爪が、土を抉って着地する。
 衝撃で土煙が舞い上がり、傭兵たちの足元がぐらつく。

「ひっ──!」

「う、うわっ!」

 その迫力だけで、兵の半数近くが腰を抜かした。

 圧倒的な質量。
 竜の咆哮が、空気を震わせる。

『我が名はアークヴァン』

 ズシン、と一歩踏み出すたび、地面が鳴る。

『主を狙う者よ、お前たちは、今、自分の命の値段を決めた』

「ひ、ひぃ……!」

「聞いてねえぞ、こんな近くで……!」

 前衛の数人が、武器を取り落として後ずさる。

 竜の殺意を真正面から浴びれば、普通の人間は立っていることすら難しい。

 エリーナも、竜の背に乗っていたときとは違う、地上から見る“本気の竜”に、思わず息を呑んだ。

(……やっぱり、アークヴァンは、怖い)

 その怖さを、理解できるからこそ。

(この力を、“破壊”だけにしたくない)

 胸の奥で、小さな決意がきゅっと固まる。

「落ち着いて」

 カイが、小声で囁く。

「君まで殺意マシマシの顔になってる」

「なってない」

「なってる」

 短い会話で、ほんの少しだけ心がほぐれる。

 その隙を、見逃すような相手ではなかった。

「怯むな!」

 オルクリフが、一歩前に出て怒鳴った。

「竜は、“最初の一歩”がいちばん怖いだけだ! 一度拘束具を掛ければ、こっちのもんだ!」

 彼が手を上げると、後衛の何人かが、一斉に魔導具を構えた。

 淡い光を帯びた鎖。
 見たことのない形の、魔力の輪。

「……竜専用の拘束具」

 カイの表情が険しくなる。

「魔物じゃなくて、“竜”を相手にしてきた連中だ」

『主、下がれ』

 アークヴァンが膨大な魔力を滲ませる。

『奴らの鎖は、竜の魔力に反応して絡みつく。そなたまで巻き込まれる』

「巻き込まれるのもやだけど、アークヴァンが縛られるのはもっと嫌」

『……主』

「一緒に戦うって、そういうことでしょ」

 エリーナは、おそるおそる足を踏み出す。

 その肩を、カイが支えた。

「俺が前を支えるから」

「え……?」

「君は、竜との魔力の流れを整えて」

 目が合う。

 カイの瞳は、驚くほど冷静だった。

「竜魔法は、“竜の力”と“君の制御”の両方がかみ合って発動するんだろ?」

「……うん」

「だったら、今は“制御”に集中して」

 彼は、腰の杖を抜いた。

 いつもは研究用にしか使っていない、魔導院仕込みの杖だ。

「前衛の妨害と、防御は俺がやる。君は、アークヴァンと繋がってる“魔力のライン”を安定させて。暴発させないように」

「できるかな……」

「君だからできるんだよ」

 今それ以外の答えが、彼にはなかった。

「さっきも言ったけど、“暴れる竜”と“暴れる竜の主”を同時に相手にするのは、さすがに俺でもきついからね」

「本音も混じってる……」

 思わず笑みがこぼれた。

 怖い。
 手が震えている。

 それでも──
 この二人となら、踏み出せる気がした。



「行くぞ!」

 オルクリフが合図をすると同時に、後衛の傭兵たちが拘束具を投げた。

 光る鎖が、直線的な軌跡を描いてアークヴァンの脚へと伸びる。

『ふん』

 アークヴァンが、爪で一本を弾き飛ばす。
 鎖は地面に突き刺さり、火花を散らして消えた。

 だが、数が多い。

「奴の動きを止めろ! 脚を狙え!」

「頭は狙うな! 殺されたら俺たちが死ぬ!」

 鎖がさらに放たれ、今度はアークヴァンの後脚と翼の付け根を狙った。

「エリーナ!」

「分かってる!」

 エリーナは、胸の紋章に手を当てた。

 竜魔法のライン。
 アークヴァンと自分を繋ぐ見えない糸。

 そこに意識を集中し、彼の動きに合わせて魔力の流れを少しだけ変える。

 鎖の魔力に対抗するように、白い力を沿わせる。

「“竜障(ドラグ・ヴェール)”!」

 淡い光の膜が、アークヴァンの脚の前に展開される。

 鎖がそれに触れた瞬間、火花が散った。

「ちっ。防御膜持ちか!」

 傭兵のひとりが舌打ちする。

「だったら──こっちだ!」

 別の男が、地面に符を叩きつけた。

 薄い紙片が、風に乗って舞い上がる。
 書き込まれた魔術文字が、にじむように光る。

「魔法封じの符!」

 カイが叫び、杖を振るった。

「“散じろ(ディスペル・ガスト)”!」

 風の刃が走り、符の半分を吹き飛ばす。
 それでも、いくつかはエリーナのほうへと飛んできた。

「う──」

 反射的に身をひねる。

 符が肌に触れた瞬間、ぞわりとした冷たさが走った。

 魔力の流れが、一瞬だけ乱れる。

『主』

 アークヴァンの声が、僅かに揺れた。

『今のは──』

「ちょっと、魔力の手が痺れただけ!」

 エリーナは、必死に意識を持ち直した。

 魔法封じの符。
 それは、術者の魔力回路を一時的に鈍らせる。

 完全に封じられたわけではないが、繊細な制御が難しくなる。

「くそ……厄介なもの持ってる」

 カイが歯噛みする。

「やっぱり、“竜狩り”ってだけあって、竜魔法対策の道具は一通り持ってるね」

 その間にも、鎖は増えていく。

 一本、また一本。

 アークヴァンが爪と牙で弾き返しても、数の暴力は重い。

 やがて──一本が、後脚に絡みついた。

『……っ!』

 アークヴァンが、低く唸る。

 鎖の魔力が、竜の魔力を吸い上げるように絡みつき、じわじわと締め付ける。

「今だ! さらに掛けろ!」

 オルクリフの合図で、別の鎖が翼の根元にも伸びた。

 白銀の翼が、一瞬だけ動きを止める。

(まずい……!)

 エリーナの心臓が跳ねた。

 竜の動きが封じられれば、その場で袋叩きにされるのは目に見えている。

『主!』

 アークヴァンが呼ぶ。

『鎖を焼き切れ!』

「分かった!」

 エリーナは、両手を鎖に向けた。

 竜魔法の線を、炎の魔力に変換して、鎖に沿わせる。

「“竜焔(ドラグ・フレイム)”!」

 白い炎が、鎖を包んだ。

 金属が悲鳴を上げる。
 魔導具の表面に刻まれていた術式が、焼き切られていく。

「ちっ──!」

 傭兵たちが焦りの声を上げる。

 しかし、彼らも経験豊富だ。

「魔法封じ、もっと投げろ!」

「竜の主を先に止めろ! 竜は後でいい!」

 紙片が、さらに舞う。

 今度は、エリーナを狙って集中していた。

「まずい……!」

 エリーナが身構えた瞬間、視界の端でカイが動いた。

「させない!」

 彼は、エリーナの前に飛び出し、杖を地面に叩きつけた。

「“風壁(ウィンド・ウォール)”!」

 透明な風の壁が、エリーナの前に立ち上がる。

 符の紙片が壁に当たって弾かれ、地面に落ちて効果を失った。

「前は俺が見るって言ったでしょ」

 振り返りもせず、カイが言う。

「だから君は、竜と自分の魔力だけ見てて」

 その背中は細いのに、不思議と大きく見えた。

 エリーナは、歯を噛みしめた。

「……分かった」

 恐怖が、消えたわけじゃない。

 手の震えも、止まっていない。

 それでも──
 自分の場所が分かる。

 自分が“すべきこと”が、はっきりする。

 エリーナは、竜魔法のラインに意識を戻した。

 アークヴァンの脚に絡みついた鎖。
 吸い取られかけた魔力。

 そこに、自分の魔力をそっと送り込む。

 竜の魔力だけでは鎖に吸われる。
 でも、人の魔力を混ぜれば、“味”が変わる。

「……こんなもの」

 少しだけ口角を上げた。

「竜と人間、両方まとめて味わえるほど、贅沢な道具じゃないでしょ」

 鎖の術式が、違和感に軋む。

 竜専用に調整された“魔力吸収”の回路が、混ざり物を拒絶して、うまく働かなくなっている。

『主、賢いな』

「たまにはね!」

 エリーナは、竜魔法の炎をもう一度起こした。

「“竜焔・断(ドラグ・ブレイク)”!」

 鎖に沿って走った炎が、術式の接合部を狙って燃え上がる。

 金属が、悲鳴を上げて裂けた。

『ふん』

 アークヴァンが、拘束の解けた脚を勢いよく振り払う。

 その衝撃で、近くにいた傭兵の数人が吹き飛ばされた。

「ぐあっ!」

「うわ──!」

 悲鳴が街道に響く。

「てめえら、怯むな!」

 オルクリフが怒鳴る。

「王都を吹き飛ばした竜が、あの程度で本気出してねえのは見りゃ分かるだろ!」

 その言葉に、エリーナの胸がきゅっとなった。

 “王都を吹き飛ばした竜”。

 そのフレーズは、いまだに、彼女の罪悪感を抉る。

『主』

 アークヴァンの声が、低くなる。

『怒っていいか』

「ダメ」

『まだ何も言っておらぬ』

「顔が完全に“皆殺しモード”なんだよね」

 エリーナは、竜の黄金の瞳を見上げた。

 そこには、明確な殺意がある。

 自分の主を狙う人間たちを、“害虫”としか見ていない目。

『主を売ると口にした』

「うん」

『主の血を研究材料にすると言った』

「うん」

『我が許すと思うか』

「……許さないでいい。でも、“全部壊したい”って思ったときは──わたしのこと、思い出して」

 エリーナは、胸元をぎゅっと押さえた。

「王宮……吹き飛ばしたときの気持ち、また味わいたくない」

 あのとき、確かに“全部壊れてしまえ”と思った。
 その結果が、今も胸に刺さっている。

「この力を、“ただの破壊”にしたくないんだ」

 声が震える。

「わたしが、“竜の主”として生きていくなら──
 それは、“守るために”本気になる力であってほしい」

『…………』

 アークヴァンは、一瞬だけ目を伏せた。

 殺意は消えない。
 けれど、その向きが少し変わる。

『分かった』

 竜の声が、低く響く。

『主が望むなら、我は“守るために”怒ろう』

 それだけで充分だった。



「話し合いは終わったか?」

 オルクリフが、つまらなさそうに肩を回す。

「竜と人間の情緒的な会話には興味ないんでね。こっちは仕事だ」

 彼は手を叩いた。

「矢を用意しろ。“竜よろい割り”を使う!」

 後衛のひとりが、大きな矢筒から特別製の矢を取り出した。

 矢じりに、黒い金属と赤い魔石が埋め込まれている。

「竜の鱗を割るための矢だよ」

 カイが、眉をひそめる。

「こっちも、竜素材で竜を殺そうとするあたり、非常に人間らしい発想だね」

「皮肉言ってる場合?」

「ちょっと言いたくなった」

 冗談を挟む余裕は、ギリギリ残っている。

 だが、矢は冗談では済まない。

「狙え! 翼の付け根と、目だ!」

 オルクリフの指示で、複数の矢が一斉に放たれた。

 空気を切り裂く音。
 矢が、まっすぐアークヴァンの頭部と翼を狙う。

「アークヴァン!」

『任せろ』

 竜の翼が、風を巻き起こす。

 しかし、数が多すぎる。

 いくつかは、竜の鱗の隙間を狙って飛んでくる。

「させない!」

 エリーナは、地面に掌を叩きつけた。

 竜魔法の流れを、空ではなく、大地へ。

「“竜壁(ドラグ・ウォール)”!」

 地面が低く唸り、土が盛り上がる。

 彼女と傭兵団の間に、分厚い土の壁が立ち上がった。

 矢が、その壁に突き刺さる。

 ドス、ドス、と鈍い音。

 一部の矢は、土を貫通しかけたが、完全には抜けない。

「ちっ……!」

 オルクリフが舌打ちする。

「竜魔法で土壁まで立てるのか。厄介な……!」

 土煙が舞う中、エリーナは息を荒げた。

(……重い)

 土の壁は、空の魔法よりも“実体”がある分、魔力の消費が大きい。

 腕が痺れる。
 膝が笑う。

 それでも──
 矢は、アークヴァンの目に届いていない。

『主』

 竜の声が、少し柔らかくなる。

『よくやった』

「まだ、倒してない」

『ならば、倒すとしよう』

 アークヴァンが、口を大きく開く。

 白い光が喉奥に集まり始めた。

 世界が、一瞬だけ白黒に見える。

「まずい、まずいまずい!」

 オルクリフが、叫んだ。

「全員、伏せろ! 正面に立つな!」

『“竜咆・衝(ドラグ・ロア)”』

 咆哮。

 音というより、圧。

 空気そのものが殴りつけてくるような衝撃波が、傭兵団に襲いかかる。

 土壁が、かろうじて前方への被害を抑えてくれている。

 それでも、間に合わなかった者たちは、耳を押さえて転げ回った。

「ぐおっ!」

「耳が──!」

 路上の石が吹き飛び、木の枝が折れる。

 オルクリフも、さすがに顔をしかめて地面に片膝をついた。

「……これが、“王都を吹き飛ばした”咆哮の片鱗かよ」

 唇を噛む。

「だが──」

 彼は、まだ目の光を失っていなかった。

「こっちは仕事だ。退くぞ!」

 その一言に、エリーナは目を見開いた。

(逃げる……?)

 全滅するまで戦うのかと思っていた。
 でも、彼らは「儲けの計算」ができる。

「今は、まだ旨味が少ない」

 オルクリフが、白竜を睨みつけながら笑った。

「竜の主と白竜が、このあたりをうろついているって情報だけでも、“十分な前菜”だ」

「待ちなさい!」

 エリーナが、一歩前に出る。

 彼は、ちらりと振り返った。

「ひとつ忠告しておいてやるよ、“王宮を吹き飛ばした竜の主”」

 彼の目は、笑っているのに冷たい。

「お前とその竜は、“歩くだけで金になる獲物”だ。
 今日みたいな連中は、これからいくらでも湧いて出る」

「…………」

「そのとき、全部『守るため』だけに力を使いきれるか?」

 言葉が、喉に刺さる。

「“世界を選ぶ者”とかなんとか──竜骨の森の奥で、何か聞いたろ?」

 そのフレーズに、背筋が凍った。

(……聞いてた?)

 竜骨の森の奥で聞いた声。
 “竜の主は世界を選ぶ者”。

「俺は興味ないけどな。世界なんてどうでもいい。俺が欲しいのは、“目の前の金”だけだ」

 オルクリフは、ひらりと手を振った。

「だから、せいぜい派手に飛んでくれ。お前らが暴れれば暴れるほど、俺たちの稼ぎ口は増える」

 その言葉を最後に、傭兵団は森の影へと消えていった。

 追うべきか。
 追えるのか。

 エリーナは、足を一歩踏み出しかけて──止まった。

 膝が、笑っている。

 土壁を維持していた負荷。
 竜魔法の連続使用。

 身体が、限界を訴えていた。

「……っ」

 手が震える。

 握りしめても、止まらない。

『主』

 アークヴァンの声が、いつもより柔らかい。

『追うな。今の主では、倒しきれぬ上に、我をも制御できなくなる』

「……分かってる」

 歯を食いしばる。

 風が、静かに街道を撫でる。

 さっきまでの喧騒が嘘みたいに、世界が静まり返っていた。



 土壁が、ゆっくりと崩れていく。

 エリーナは、その場にへたり込んだ。

「はぁ……はぁ……」

 肩で息をする。

 身体の震えが、止まらない。

「エリーナ」

 カイが、膝をついて彼女の顔を覗き込んだ。

 その手が、彼女の手をそっと包む。

「手、冷たい」

「震えてるだけ」

「冷たくて震えてるって、かなりアウト寄りだよ」

 冗談を言いながらも、カイの目は真剣だった。

「……怖かった」

 エリーナは、ようやく言葉を吐き出した。

 喉の奥に詰まっていたものが、そこから零れ出る。

「すっごく、怖かった」

 竜狩りたちの目。
 アークヴァンの脚に絡みついた鎖。
 自分を値踏みする視線。

「わたしが捕まったら、どうなってたんだろうって考えたら──」

「うん」

「アークヴァンがあの鎖に全部絡まれたら、どうなってたんだろうって考えたら──」

「うん」

「もう、怖くて、怖くて」

 涙が、こぼれそうになる。

 ここで泣いたら、また“泣き虫”って言われる。

 そう思うのに、堤防が持たない。

「……ごめん、また泣きそう」

「いいよ」

 カイは、あっさり言った。

「泣きたいときは泣いていいって、前も言ったでしょ」

「それ、逃げ台詞にしてない?」

「してないよ」

 彼は、エリーナの震える手を、さらにぎゅっと包んだ。

「さっきも言ったけど、“怖いって言える人”のほうが、魔法を暴走させないから」

「…………」

「怖いって感情、ごまかさないでちゃんと自覚してる人のほうが、止まり方を知ってる」

 戦場で、“怖い”を感じなくなるのは危ない。
 それは、研究資料にも書いてあったし、実戦経験者の話でも繰り返し出てくる。

「君が、“怖い”って言えるのは、俺は安心材料だよ」

「安心材料……」

「うん。“あ、この人まだ踏みとどまれるな”って分かるから」

 エリーナは、ふっと笑った。

「なんか、褒められてるのか分かんない」

「めちゃくちゃ褒めてる」

 カイは、真面目な顔で頷く。

「怖いって言える人のほうが強いよ。
 “怖くない、平気だ”って言ってる人のほうが、だいたいどこかでぽきっと折れる」

「……それ、誰か見てきた?」

「ちょっとね」

 彼の表情が一瞬、遠くを見るように曇った。

 そこに、何か別の記憶があるのだろう。

「だから、怖かったって言ってくれて、ありがとう」

「なんでお礼言われてるんだろう」

「“俺はあんなの平気だぜ”って顔されるより、よっぽど助かるから」

 エリーナは、笑いながら涙を拭った。

 泣きたいような、笑いたいような、妙な感情の渦。

『主』

 アークヴァンが、そっと近づいてくる。

 巨大な頭を、彼女たちの少し後ろに下ろした。

『怪我はないか』

「うん。魔力がちょっと痺れてるだけ」

『そうか』

 竜の黄金の瞳が、エリーナとカイの手元に向いた。

 二人の手が、しっかりと握り合っている。

 そこに、複雑な感情が湧き上がる。

 安堵とも、嫉妬ともつかない、妙な熱。

『……人間』

 アークヴァンは、カイに声を向けた。

『主を守ったな』

「できる範囲で、ね」

『悪くない』

 それだけ言って、竜は視線を空に戻した。

(……なんだ、この感覚は)

 主が、自分の鱗ではなく、人間の手に支えられているのを見て。

 ほんの少しだけ、胸の奥がざわついた。

 けれど、そのざわめきの正体を、まだ竜は知らない。



 戦いの跡を、風がそっと撫でていく。

 ひっくり返った偽装馬車。
 散らばった荷物。
 鎖の残骸。
 矢じり。

 それらは、やがて別の誰かに見つかるだろう。

「……これから、こういうのが増えるのかな」

 エリーナが、ぽつりと言った。

「“竜の主と白竜が、この辺りをうろついてる”って情報、完全に広まったよね」

「うん」

 カイは、正直に頷く。

「でも、どのみち隠しきれるものじゃないと思う」

 白竜が飛べば、空を見上げれば誰でも分かる。
 竜の主の紋章が光れば、誤魔化せない。

「だからこそ、“どう広まるか”を、少しずつ選んでいくしかない」

「選ぶ……」

「うん。“世界を選ぶ者”って言葉、さっき言われたろ?」

 エリーナは、はっとする。

「聞いてた?」

「竜骨の森の奥で、君が膝ついたときのことは分からないけど──オルクリフがさっきわざわざ口にしてくれたからね」

「完全に煽られてない?」

「煽られてる」

 カイは苦笑した。

「でも、その言葉に振り回される必要はないと思う」

「……どういうこと?」

「“世界の全部”を選ぶなんて、誰にもできないよ」

 灰色の瞳が、優しく揺れる。

「でも、“目の前の選択”なら、できる」

 干ばつの村に立ち寄るかどうか。
 竜骨の森に入るかどうか。
 竜狩りから逃げるか、踏みとどまるか。

「そういう一つ一つを選んでいくうちに、結果として“世界のどこかが変わる”だけだよ」

「……」

「もし君が“世界を選ぶ者”なんだとしたら、多分、それは“全部まとめて決める人”じゃなくて、“たくさんの小さい現実を、ちゃんと選び続ける人”なんじゃないかな」

「……それなら」

 エリーナは、少しだけ笑った。

「まだ、わたしにもできそう」

「でしょ」

 カイは、安心したように微笑む。

「だから、今日の選択も、間違いじゃない」

「逃がしたけど?」

「敵を全滅させるのが“正しい”わけじゃないよ。
 君が今、限界ギリギリだったのも分かってる」

 彼は、土壁の残骸を指さす。

「これだけやって、まだ立ってるだけで十分すごい」

「……褒めすぎ」

「竜魔法研究者としての評価です」

「お金取れそうな褒め方しないで」

 エリーナは、笑いながら立ち上がった。

 足はまだ少し震えている。
 でも、歩ける。

「行こうか」

「どこへ?」

「とりあえず、次の街。……あと、人目のあるとこ」

「そうだね」

 竜狩りがまた襲ってくる前に、情報と人の多い場所へ。

 それが、今取れる“現実的な選択”だ。

 アークヴァンの背に乗りながら、エリーナは空を見上げた。

 さっきまで戦いがあったとは思えないほど、空は青い。

(怖かった)

 胸の奥で、もう一度だけ、その感情を確認する。

(でも──)

 隣で手を持ってくれる人がいて。
 上から守ろうとしてくれる竜がいて。

 震えても、泣きそうでも。

 それでも前に進めるなら。

「……まだ、やれる」

 小さく、誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。

 その呟きは、風に乗って、遠くへ流れていく。

 その風が運ぶのは、不安か、希望か。

 いずれにせよ、“白竜と竜の主がこの辺りを飛んでいる”という噂は、確実に世界へ広まりつつあった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

慈愛と復讐の間

レクフル
ファンタジー
 とある国に二人の赤子が生まれた。  一人は慈愛の女神の生まれ変わりとされ、一人は復讐の女神の生まれ変わりとされた。  慈愛の女神の生まれ変わりがこの世に生を得た時、必ず復讐の女神の生まれ変わりは生を得る。この二人は対となっているが、決して相容れるものではない。  これは古より語り継がれている伝承であり、慈愛の女神の加護を得た者は絶大なる力を手にするのだと言う。  だが慈愛の女神の生まれ変わりとして生を亨けた娘が、別の赤子と取り換えられてしまった。 大切に育てられる筈の慈愛の女神の生まれ変わりの娘は、母親から虐げられながらも懸命に生きようとしていた。  そんな中、森で出会った迷い人の王子と娘は、互いにそれと知らずに想い合い、数奇な運命を歩んで行くこととなる。  そして、変わりに育てられた赤子は大切に育てられていたが、その暴虐ぶりは日をまして酷くなっていく。  慈愛に満ちた娘と復讐に駆られた娘に翻弄されながら、王子はあの日出会った想い人を探し続ける。  想い合う二人の運命は絡み合うことができるのか。その存在に気づくことができるのか……

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから

渡里あずま
ファンタジー
安藤舞は、専業主婦である。ちなみに現在、三十二歳だ。 朝、夫と幼稚園児の子供を見送り、さて掃除と洗濯をしようとしたところで――気づけば、石造りの知らない部屋で座り込んでいた。そして映画で見たような古めかしいコスプレをした、外国人集団に囲まれていた。 「我々が召喚したかったのは、そちらの世界での『学者』や『医者』だ。それを『主婦』だと!? そんなごく潰しが、聖女になどなれるものか! 役立たずなどいらんっ」 「いや、理不尽!」 初対面の見た目だけ美青年に暴言を吐かれ、舞はそのまま無一文で追い出されてしまう。腹を立てながらも、舞は何としても元の世界に戻ることを決意する。 「主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから」 ※※※ 専業主婦の舞が、主婦力・大人力を駆使して元の世界に戻ろうとする話です(ざまぁあり) ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

悪霊令嬢~死した聖女憎悪に染まりて呪いを成す~

女譜香あいす
ファンタジー
 数え切れない人々をその身に宿す奇跡の力で救ってきた少女、サヤ・パメラ・カグラバ。  聖女と称えられた彼女であったが陰謀の末に愛した者から婚約破棄を言い渡され、友人達からも裏切られ、最後には命を奪われてしまう。  だがそのとき感じた怒りと悲しみ、そして絶望によって彼女の心は黒く歪み、果てにサヤは悪霊として蘇った。  そして、そんな彼女と世を憎みながらもただ生きる事しかできていなかった一人の少女が巡り合う事で、世界に呪いが拡がり始める事となる。  これは誰よりも清らかだった乙女が、憎悪の化身となりすべての人間に復讐を果たす物語。 ※この作品は小説家になろうにも掲載しています。

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

クゥクーの娘

章槻雅希
ファンタジー
コシュマール侯爵家3男のブリュイアンは夜会にて高らかに宣言した。 愛しいメプリを愛人の子と蔑み醜い嫉妬で苛め抜く、傲慢なフィエリテへの婚約破棄を。 しかし、彼も彼の腕にしがみつくメプリも気づいていない。周りの冷たい視線に。 フィエリテのクゥクー公爵家がどんな家なのか、彼は何も知らなかった。貴族の常識であるのに。 そして、この夜会が一体何の夜会なのかを。 何も知らない愚かな恋人とその母は、その報いを受けることになる。知らないことは罪なのだ。 本編全24話、予約投稿済み。 『小説家になろう』『pixiv』にも投稿。

親友面した女の巻き添えで死に、転生先は親友?が希望した乙女ゲーム世界!?転生してまでヒロイン(お前)の親友なんかやってられるかっ!!

音無砂月
ファンタジー
親友面してくる金持ちの令嬢マヤに巻き込まれて死んだミキ 生まれ変わった世界はマヤがはまっていた乙女ゲーム『王女アイルはヤンデレ男に溺愛される』の世界 ミキはそこで親友である王女の親友ポジション、レイファ・ミラノ公爵令嬢に転生 一緒に死んだマヤは王女アイルに転生 「また一緒だねミキちゃん♡」 ふざけるなーと絶叫したいミキだけど立ちはだかる身分の差 アイルに転生したマヤに振り回せながら自分の幸せを掴む為にレイファ。極力、乙女ゲームに関わりたくないが、なぜか攻略対象者たちはヒロインであるアイルではなくレイファに好意を寄せてくる。

モブで可哀相? いえ、幸せです!

みけの
ファンタジー
私のお姉さんは“恋愛ゲームのヒロイン”で、私はゲームの中で“モブ”だそうだ。 “あんたはモブで可哀相”。 お姉さんはそう、思ってくれているけど……私、可哀相なの?

処理中です...