乙女ゲームに転生したら不遇ヒロインでしたが、真エンドは自分で選びます

タマ マコト

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第2話 リボンが震える日、歯車が軋む音

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入学式の朝は、やけに澄んだ青だった。

王都の空は、前の世界のそれよりも高く見える。
雲の輪郭がくっきりしていて、風は冷たいのに、陽射しは柔らかい。
その光が石畳に反射して、白い道がきらきらと光っている。

――綺麗。
でも、綺麗なものほど、血が似合うのも知ってる。

リリア=エヴァンスは、学園の正門前で深呼吸した。
制服のリボンが、胸元で小さく揺れる。
深い紺のジャケットに、膝丈のスカート。
布地は上質で、触れるとひんやりして、指先が少しだけ安心した。

「リリア様、緊張されてます?」

隣で荷物を抱える侍女が、心配そうに覗き込む。
彼女の名前はエマ。昨日の扉の向こうの声の持ち主だ。
栗色の髪をきちんとまとめていて、真面目さがにじむ表情。
リリアが一人になりたいと言ったときも、きちんと距離を取ってくれた。

……この世界には、ちゃんと優しさがある。
だからこそ、私は壊したくない。
壊したくないから、壊す。

「緊張はしてない……って言ったら嘘かな」
リリアは口元だけで笑った。
「でも、怖いのは“入学式”じゃない」

「え?」

エマが首を傾げる。
リリアは言葉を飲み込んだ。
“怖いのは、物語が動き始めること”なんて、言えるわけがない。

「なんでもない。ありがとう、エマ」
「はい。リリア様が心地よく過ごせますように」

エマはそう言って、少し離れた。
学園の敷地内は保護者の立ち入りが制限される。
ここからは、生徒の世界。
つまり、ゲームの世界。

正門をくぐると、空気が変わった。
香水、紙、インク、花壇の土の匂い。
それに混ざって、若い野心の匂い。
「選ばれたい」という匂いが、肌に張りつく。

白い石畳の先に、噴水がある。
水が光を砕いて跳ねて、そこに小さな虹が浮かんでいた。
その虹の中心に――彼女がいる。

ミレイア=ローゼン。

淡い桃色の髪。
白い肌。
笑うと、周囲の空気が一段明るくなるような、そういう人。
彼女は“正ヒロイン”。
世界が守るべき存在。
そして、彼女自身もまた守られることに慣れすぎた人。

ミレイアの周りには生徒が集まっていて、花が咲くみたいに笑いが広がっている。
その輪の外側に、攻略対象たちが並ぶ。

――来た。

胸の奥で、ゲームのBGMが鳴った。
メインテーマのきらびやかな旋律。
頭が少しだけ眩暈を起こす。

王太子セイル=アルヴェイン。
金に近い銀髪。背が高く、微笑みが完璧。
人々が求める「理想の王子」という偶像を、そのまま人にしたみたいだ。

隣に、魔法学園首席ユリウス=クロフォード。
黒髪で、目が冷たい。
近寄るだけで、評価される感覚が背中に刺さる。

そして騎士候補、レオン=グレイヴ。
赤褐色の髪、強い肩、真っ直ぐな眼差し。
正義が似合う男。
ただし、正義は時に人を殴る。

……全員、知ってる顔。
何度も画面越しに見た。
何度も“選択肢”として眺めた。

でも今は、画面じゃない。
私の目の前で息をしている。

入学式の導線は、ゲーム通り。
ミレイアが噴水前で転びそうになり、セイルが手を取って助ける。
その瞬間、周囲の空気が甘くなる。
「運命」という名の砂糖が降り注ぐ。

それが――始まった。

ミレイアが足をもつらせる。
スカートの裾がふわりと揺れ、彼女の身体が前に傾く。

「あっ……!」

その声は小鳥みたいに軽くて、すぐに誰かが守りたくなる。
セイルが一歩踏み出す。
迷いのない動き。
まるで“そうするように設定されている”みたいな。

「危ない」

セイルはミレイアの手を取った。
指先が絡み、ミレイアの頬が紅く染まる。

「ありがとうございます、殿下……!」

周囲がざわめき、ため息がこぼれる。
女子たちの視線が羨望と嫉妬の混ざった色に変わる。

――これが、ミレイア専用イベント。
本来なら、ここで私は巻き込まれる。
転びそうになったミレイアを支えようとして失敗し、周囲に笑われ、ミレイアが庇って好感度が上がり……私は“いい人だけど不器用”という役を演じさせられる。

そんなもの、二度とやらない。

リリアは、噴水の少し手前で足を止めた。
距離を取る。
物語の中心から、半歩――いや、三歩離れる。

ミレイアがこちらに気づき、ふわっと笑いかける。
それは悪意のない笑顔だ。
でも、善意は時に刃になる。

「あなたも新入生? 一緒に……」

ミレイアが声をかけるより先に、セイルが視線を投げてきた。
その眼差しには、完璧な温度の社交があった。
誰にでも向けられる、王太子の微笑み。

「ようこそ、王立レガリア学園へ」

セイルは、手を差し出した。
ミレイアではなく、私に。

――え?

ゲームでは、セイルの手はミレイアにしか伸びない。
私は“その場にいるだけ”の背景。
なのに、今、手が差し出されている。

世界が一瞬止まったみたいに感じた。
BGMが、音程を外すみたいに歪む。

周囲の視線が刺さる。
嫉妬、疑問、興味。
それが雨みたいに降り注ぐ。

リリアは、セイルの手を見た。
白い手袋。指が長い。
その手を取れば――物語が私を中心に引き寄せる。
引き寄せられた先で、私は踏み台になる。

取らない。

リリアは一歩下がり、軽く頭を下げた。

「ありがとうございます。でも、大丈夫です。自分で歩けます」

セイルの指先が、空中で止まる。
微笑みが少しだけ固まった。
ほんのわずかな表情の乱れ。
それが逆に、“人”らしくて、恐ろしい。

「……そうか」

セイルは引き下がる。
ミレイアが困ったように眉を下げた。

「えっと……ごめんなさい、私が……」

「あなたが謝ることじゃないよ」
リリアは、できるだけ柔らかく言った。
「転ぶのは、誰にでもある」

ミレイアは安心したように微笑む。
その微笑みは光みたいで、少し眩しい。
でも、私はその光の中で溶けたくない。

リリアは群衆の流れに紛れて、会場へ向かった。
背中に視線がついてくるのを感じる。
世界が「何それ?」と言っている。

――最初のズレ。
小さいけど、確かにズレた。

入学式は形式的な言葉の連続だった。
校長の祝辞、王国の栄光、学びの尊さ。
けれどリリアの頭は別のことでいっぱいだった。

ズレが起きた。
なぜ起きた?
セイルが私に手を差し出した理由。
偶然?
 それとも、この世界は“ゲーム”じゃなくて、もっと複雑な何か?

胸がざわつく。

式が終わり、寮へ移動する。
石畳を歩く靴音が、やけに大きく聞こえた。
自分の存在が、音になっているみたいで怖い。

女子寮の部屋は、一人部屋だった。
貴族の娘としては標準らしい。
机、棚、ベッド、窓。
窓の外には学園の庭が見える。
噴水の水音が遠くで鳴り続けている。

荷物をほどきながら、リリアは紙とペンを取り出した。
前の世界で言えば、メモ帳。
ここでは羊皮紙だ。手触りがざらりとしていて、現実感が強い。

「まず、整理」

声に出すと、心が少し落ち着く。
紙に書く。条件。フラグ。分岐。

・入学式イベント(済)
・学園内の序盤いじめ(近日)
・小テスト(初回)
・舞踏会(春)
・聖具庫に関する噂(中盤)
・聖具破損事件(終盤)=追放確定

追放。
その文字を書いた瞬間、手が止まった。
インクが少し滲む。

「……削られないようにする。……じゃなくて、削らせない」

呟くと、胸の奥に火が灯る。
それは怒りより静かで、でも消えない火。
誰かに頼らず、誰かに奪われないための火。

翌日から授業が始まった。

教室は木の香りがした。
窓から入る風が黒板のチョーク粉を舞わせ、光の筋が一本、床に落ちる。
生徒たちの笑い声。椅子が引かれる音。
彼らはみんな、未来の物語を信じている顔をしている。

「それじゃあ、今日は魔法理論の基礎確認よ」

教師が配った小テスト。
紙に印刷された文字は読みやすい。
内容は……簡単、とは言えない。
でも、ゲーム知識がある。
リリアは淡々と解いていった。

ペン先が紙を走る音。
答えを書くたびに、心の中で“自分のための選択”が積み上がっていく。

隣の席から、視線を感じる。
横を見ると、ユリウス=クロフォードがこちらを見ていた。
彼は眉一つ動かさず、もう書き終えている。
指が白く、動きが無駄に綺麗。
努力の匂いがしない、天才の匂い。

――嫌いだ。
前の人生で、こういう人に何度も折られた。
「君は向いてない」
「君には無理」
その一言で、心を小さく畳まされた。

テストが回収され、すぐに採点が返された。
ユリウスは当然のように満点。
彼の周囲がざわつく。

「さすが首席!」
「やっぱ違うよね」

ユリウスはその賛辞を、空気みたいに受け流す。
そして、リリアの答案を横目で見て――言った。

「平均以下。君は向いていない」

教室の空気が、ぴたりと止まった。
誰かが息を飲む音がした。
リリアの心臓が、どくん、と鳴る。

前の人生なら、笑って流した。
「そうだよね、私なんか」って。
笑って、自分を小さくして、場を丸くした。

でも――今は違う。

リリアはユリウスを見た。
目が合う。
彼の瞳は冷たい湖面の色。
そこに自分が映っているのが、妙に腹立たしい。

「向いてるかどうか、あなたが決めることじゃない」

言葉が、まっすぐに出た。
震えはない。
ただ、静かな刃。

教室が一瞬固まり、次にざわつく。
「え」「今の……?」
ひそひそ声が波みたいに広がる。

ユリウスの眉が、わずかに動いた。
ほんの少しだけ。
でも、それは確かな驚きだった。

「……反論するのか」

「事実の指摘なら受け入れる。けど、評価は受け入れない」
リリアは続けた。
「平均以下って言うなら、どこが弱いか教えて。改善するから」

ユリウスは一瞬、言葉を失ったように見えた。
天才は、自分に追いつこうとする人間を、あまり見ていない。
まして“不遇ヒロイン”が噛みついてくるなんて、仕様外だ。

「……根本が甘い。魔力循環の捉え方が古い」
ユリウスは淡々と言った。
けれど、最初の侮蔑の色は薄れていた。

「なら、最新は?」
リリアは即座に返す。

ユリウスの視線が鋭くなる。
でも、その鋭さは攻撃ではなく、試す刃だった。

「明日の放課後、図書塔に来い。基礎文献を教える」
彼はそう言って、ふっと目を逸らした。
まるでそれが当然の指示であるかのように。

周囲がどよめく。
「え、ユリウス様が?」
「ありえなくない?」
「リリアって誰?」

リリアは息を吐いた。
心臓が早い。
でも、不思議と嫌じゃない。

――歯車が軋んだ音がする。
世界が「予定外」を認識した音。

リリアは机の上の答案を見つめ、静かに呟いた。

「……うん。そうやって、ずらしていく」

誰かの物語の中で、誰かの都合で泣かされる未来を。
一ミリずつでも、確実に。

教室の窓の外で、噴水が光を砕いていた。
その水音が、まるで拍手みたいに聞こえた。
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