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第6話 怖がられるのは、痛い。でも生きてる
しおりを挟む花冠の舞踏会の翌朝、学園は妙に静かだった。
静か、というより――音が避けていく感じ。
廊下を歩く靴音が、私の周りだけ少し遠回りする。
笑い声が、私の背中に触れそうになって引っ込む。
風の中の噂が、花粉みたいに舞っているのに、誰もそれを口にしない。
あの夜、私は泣かなかった。
泣かなかった代わりに、言葉で刃を抜いた。
だから今、私は嫌われるより先に“怖がられて”いる。
教室に入ると、席の空気が一瞬固まる。
ソフィアだけがいつも通りに手を振った。
「おはよ、リリア」
彼女の声はいつもより少しだけ硬い。
でも、逃げない硬さ。頑張って“普通”を保とうとしている硬さ。
「おはよう」
リリアはいつも通りに返す。
“いつも通り”を続けるのは、意外と筋肉がいる。
でも、筋肉は使わないと衰える。
席に着くと、ノートを開く。
インクの匂いが立ち上がり、頭が少しだけ冷える。
周囲の視線が痛い。
痛いけど、これが現実だ。
現実は、痛い。
背後から小声が流れてくる。
「不遇ヒロインが反逆したんだって」
「王太子殿下に言い返したらしいよ」
「でもさ、あれって……正しかったよね」
「怖いけど、なんか……」
噂は二種類に割れていた。
“反逆”と“知ってる”。
私は“生意気な女”として消費されるか、“何かを知ってる危険物”として距離を取られるか。
どっちに転んでも、居心地は良くない。
でも、居心地の良さのために、もう自分を削らない。
授業の合間、ミレイアが近づいてきた。
笑顔が薄い。
頑張って笑っている顔。
「リリアさん……昨日、その……大丈夫だった?」
「大丈夫だよ」
リリアは一度そう答えてから、付け足した。
「大丈夫にした。自分で」
ミレイアは小さく息を飲む。
そして、視線を落とす。
「私……まだ、怖いのに笑っちゃう。癖みたいに」
「うん。癖は悪じゃない」
リリアは小さく頷いた。
「でも、癖のせいで苦しくなるなら、直す価値はある」
ミレイアが、少しだけ笑った。
その笑いは昨日より弱い。
弱いけど、嘘が薄い。
「……ありがとう」
彼女は小さく言って、席へ戻っていった。
その背中を見送りながら、リリアは思う。
ミレイアだって、台本の中で息をしている。
ただ、彼女は台本に守られている。私は台本に殺される。
だから私は、台本を破る。
破った紙の破片で、自分の地図を作る。
放課後。
廊下の角で、黒い影が立っていた。
ユリウス=クロフォード。
冷たい瞳。無駄のない立ち姿。
今日の彼は、いつもより苛立っているように見えた。
苛立ちの理由は簡単だ。
“彼の理解が追いつかないこと”が増えたから。
「リリア=エヴァンス」
名前を呼ぶ声は低い。
抑えているのに、刺さる。
「研究室に来い」
命令形。
普段の彼なら当然の語尾だ。
でも今日は、そこに焦りが混ざっていた。
リリアはソフィアに目で「先に帰ってて」と伝え、ユリウスの後ろを歩いた。
廊下の途中で生徒がすれ違い、二人を見る目がやけに大きくなる。
“首席が呼び出した”。
それだけで噂は燃料を得る。
研究室は実技棟の奥にあった。
石造りの部屋。窓は小さく、机の上には魔導具が並ぶ。
金属と薬草とインクの匂いが混ざり、空気が少し重い。
ユリウスは扉を閉めると、振り返りもせず言った。
「君の魔法陣の改良。理論を提出しろ」
提出。
その言葉が、前の人生の胃を締めつける。
提出、評価、査定、功績。
そして“横取り”。
リリアは即答した。
「提出しない。あなたの功績にされるだけ」
ユリウスの手が止まる。
机の上のペンが、指先で小さく鳴った。
「……随分失礼だ」
リリアは彼の背中を見て言った。
冷たい声にならないように。
でも、媚びないように。
「失礼に扱われてきたから、学んだの」
ユリウスがゆっくり振り返る。
瞳が細くなる。
怒りではない。計算だ。相手の言葉を測っている。
「君は、誰にそう扱われた」
質問が鋭い。
でも、それは興味じゃない。
彼は原因を特定して、対処したいだけだ。
リリアは肩をすくめた。
「前の世界でも、この世界でも。…それで十分でしょ」
ユリウスは一瞬黙った。
それから、少しだけ声の温度を落とした。
「なら、条件を出せ。君の功績として残す形で提出しろ。共同研究でもいい」
「共同って、あなたが上に名前を書くだけでしょ」
「……君、本当に俺を信用しないんだな」
リリアは笑わなかった。
信用は“今までの積み重ね”だ。
私はまだ、彼の積み重ねを知らない。
知っているのは、彼が「向いていない」と言ったことだけ。
「信用してほしいなら、実績を積んで」
リリアは言う。
「口で言うのは、誰でもできる」
ユリウスの眉がぴくりと動く。
腹が立った顔。
でも、次の瞬間、彼は深く息を吐いた。
「……分かった。提出は強制しない」
意外な譲歩。
彼なりの折れ方だ。
「代わりに、教えろ。君の改良が“どの欠陥”を狙っているか。必要なのは理論だ。再現できなければ意味がない」
「それなら、教える」
リリアは頷く。
「ただし、あなたの研究室の中だけ。外に出したら、次からは一切話さない」
ユリウスは短く頷いた。
「合理的だ」
合理的、という言葉が、妙に救いだった。
好意でも情けでもない。
ルールで守れる関係は、私にはありがたい。
研究室を出ると、空が赤く染まっていた。
夕焼けが窓ガラスを燃やし、廊下の影が長く伸びる。
その影の中で、リリアは自分の心に問いかける。
(私は何を作ろうとしてる?)
答えは二つ。
追放イベントの根を断つこと。
そして、追放されても生きられる地盤を作ること。
矛盾しているようで、矛盾していない。
“どっちの未来でも死なない”というだけだ。
寮へ戻る途中、ソフィアが走ってきた。
頬が赤い。息が切れている。
「リリア、さっきの……ユリウス様に呼ばれてたよね? 大丈夫?」
「大丈夫。噂の燃料になっただけ」
「燃料って……」
「火がつくなら、つけばいい」
ソフィアが一瞬黙って、それから笑った。
不安を笑いで包む癖。
でも彼女は、包み方が少し下手だ。だから可愛い。
「リリア、ほんと、怖いって言われてるよ」
「知ってる」
「怖いの、平気?」
リリアは少し考えた。
「平気じゃない。…でも、怖がられるのって、嫌われるよりマシ」
「え、なんで?」
「嫌われると、相手が私を“理解した気”になる。でも怖がられると、相手は私を理解できてない。理解できてない相手は、簡単に決めつけられない」
ソフィアはぽかんとして、数秒後に笑った。
「むずかし……でも、かっこいい」
かっこいい、も鎖になりやすい言葉だ。
でも、ソフィアのそれは軽い。
軽いから、受け取れる。
その夜。
寮の廊下で、視線を感じた。
振り返ると、壁際の影にエリオットが立っていた。
いつの間に? というタイミング。
幽霊みたいに現れる。
「君、最近目立ちすぎ」
エリオットは笑わずに言った。
「舞踏会の件、王城まで届いてるよ」
心臓が小さく跳ねる。
王城。
学園の外側。
物語が大きくなる匂い。
「何が届いたの?」
リリアが問うと、エリオットは肩をすくめた。
「“不遇ヒロインが王太子を論破した”って噂と、もう一つ」
彼は声を落とす。
「王城の聖具庫に異変がある。整備記録が改竄されてる可能性」
リリアの背筋が冷える。
風がないのに、肌が粟立つ。
「……それ、どこ情報?」
「僕のルート」
エリオットはさらりと言った。
「君が嫌いな“裏”」
嫌い、じゃない。
怖い。
裏は、前の人生で何度も見た。
都合のいいように数字をいじられ、責任を押し付けられ、真実が消される世界。
エリオットは続ける。
「これ、終盤の“聖具破損事件”の匂いする」
リリアは頷いた。
喉が乾いて、唾がうまく飲み込めない。
「なら、犯人はもっと前から動いてる」
声が低くなる。自分でも驚くほど。
「カミラだけじゃない。背後に大人がいる」
エリオットの瞳が、少しだけ細くなる。
嬉しそうでもなく、怖そうでもなく、ただ“面白い”という光。
「やっと恋愛以外の匂いがしてきた」
「最初からそのつもりだった」
「うん。でも、君の世界の色が変わった。今日、ここで」
リリアは廊下の窓から外を見た。
夜の闇が庭園を飲み込み、噴水の音だけが細く響いている。
あの舞踏会の光はもうない。
残っているのは、冷たい現実の輪郭。
(学園恋愛から、政治サスペンスへ)
空気が変わったのを、肌で感じる。
この世界は、私を泣かせるだけの舞台じゃない。
王国の利権、聖具の管理、貴族の腐敗。
それらが絡み合って、誰かが意図的に“事件”を起こそうとしている。
そしてその事件の結末には、私の追放が用意されている。
リリアは静かに息を吸った。
胸の奥で火が燃える。
舞踏会で灯った火とは違う。
もっと暗くて、もっと深い火。
「エリオット」
「なに?」
「その改竄の証拠、持ってこれる?」
「持ってこれる可能性はある。でも、代償は?」
「代償は払う」
リリアは即答した。
「私は、死にたくない」
エリオットはしばらく黙っていた。
そして、小さく頷く。
「いいね。その言い方。…君、やっと“本当のゲーム”に入った」
その言葉が、やけに冷たくて、やけに正しかった。
リリアは笑わない。
代わりに、指先を握りしめる。
紙切れを破った日から、指を鳴らして火を消した、花冠の舞踏会で笑いを止めた――
私は確実に、世界を軋ませている。
そして今、軋みは恋の音じゃない。
王国の骨が鳴る音だ。
「……なら、私も動く」
リリアは窓に映った自分の顔を見た。
金髪の少女。
でも目は、もう泣かされる役の目じゃない。
「追放イベントの根を断つ。必要なら、王城ごと揺らす」
エリオットが低く笑った。
初めて見た、少しだけ楽しそうな笑い。
「うん。そうこなくちゃ」
廊下のランプが、ふっと揺れた。
まるで、この物語が――甘い恋から、冷たい現実へ衣替えしたことを祝うみたいに。
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