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第14話 聖なる煙の中で、私は「待て」と言った
しおりを挟む神殿の光は、白すぎて痛い。
天井の高い聖堂に差し込む朝日が、大理石の床を鏡みたいに照らし、足元の影を薄くした。
影が薄いと、嘘が目立つはずなのに――ここでは逆だ。
白い光は、汚れを見せるのではなく、汚れを“眩しさ”で消してしまう。
香の煙がゆっくり漂う。
甘く、重く、喉の奥にまとわりつく匂い。
祈りの声が低く響き、耳を撫でるように続く。
言葉の意味より先に、音だけが心を眠らせにくる。
眠らない。
リリア=エヴァンスは、神殿の側廊に立っていた。
指先が冷たい。
でも、背骨は熱い。
今日の熱は恋の熱じゃない。
刃の熱だ。
儀式の日程は前倒しされた。
それは、犯人側が焦っている証拠。
焦ると雑になる。
雑になるとボロが出る。
ボロが出る前に“神聖な上書き”で押し潰そうとしてくる。
だから、ここが勝負だ。
中央の壇上。
聖具が鎮座している。
金属と水晶で作られた王国の心臓。
光を脈打たせ、呼吸するように明滅する。
でも、私は知っている。
あれは“健康な心臓”じゃない。
欠損。
わざと細くされた循環の要。
そこへ負荷がかかれば、暴走する。
暴走の責任は、誰かに押し付けられる。
押し付ける相手は――邪魔者で、不遇で、庶子で、声を上げた女。
つまり、私。
列の先頭にミレイアがいた。
白い儀礼衣。
花冠ではなく、祝福の印を縫い込まれた布。
光の中心に立つための衣装。
彼女は震えている。
それでも、逃げない。
“守られる人”から、“見届ける人”へ変わり始めた彼女の背中が、今日はやけに小さく見えた。
小さいから、守りたくなる。
でも私は守らない。
見届けるのは、彼女の“意思”だ。
ユリウスは少し後方、神官の側で控えている。
目は冷たく、でも今日の冷たさは集中の冷たさ。
手には小型の測定魔導具――彼が徹夜で作った、数字にするための刃。
レオンは騎士団の列の中にいる。
鎧の光が神殿の白に反射し、彼の存在が重くなる。
証言の盾。
暴走が起きる前に、止めるための壁。
エリオットは――見えない。
見えないのが彼の存在証明だ。
裏の証拠は、表の場で光る。
光り方が違うだけで、必要な刃だ。
そして、王太子セイル=アルヴェインが玉座側にいる。
白い光を浴びて、王国の象徴みたいに立っている。
でも私は知っている。
昨夜、彼の唇は揺れた。
「失いたくない」と言った。
あれは愛じゃない。
制御できないものを失う恐怖。
だから今日の彼は、どう動くか分からない。
敵にも味方にもなる。
中心はいつも不確定だ。
神官の声が響く。
「それでは、聖具儀式を開始する。選ばれし者は前へ」
祈りの声が一段高くなる。
香の煙が濃くなる。
空気が“儀式の流れ”に飲まれていく。
ミレイアが一歩前へ出た。
足音が大理石に硬く響く。
彼女の呼吸が浅いのが分かる。
手が震える。
それでも、手を伸ばす。
本来のゲームなら、ここで破損。
爆ぜる光。
悲鳴。
そして“偶然そこにいたリリア”が疑われ、追放へ。
その台本を、私は知っている。
知っているから、止める。
リリアは一歩踏み出した。
神官の祈りの声が続く中で、その一歩は不自然な音になった。
足音が、祈りのリズムを切る。
切れた瞬間、空気がこちらを向く。
「待って」
声は大きくない。
でも、神殿は音が響く。
白い壁が、私の言葉を増幅する。
ミレイアの手が止まった。
指先が聖具に触れる寸前で、凍る。
「その聖具、欠損してる」
ざわめきが起きる。
祈りの声が揺れ、香の煙が乱れる。
“神聖”が、一瞬ひび割れる。
「今ここで使ったら、暴走する」
神官たちが顔を上げる。
貴族たちが息を飲む。
騎士団の列がざわつく。
そして、文官の一人が壇上から怒鳴った。
「不敬だ! 儀式を妨害する気か!」
声が高い。
高い声は、正しさの仮面を被るときに出る。
彼は怖いのだ。
怖いから怒鳴る。
怒鳴れば空気が従うと信じている。
リリアは揺れない。
揺れたら、声の大きさで負ける。
「妨害じゃない。事故を止める」
リリアは淡々と言う。
「暴走したら、死ぬ。誰かが」
「黙れ!」
文官が叫ぶ。
「庶子が聖なる儀式に口を挟むな!」
その言葉は、私の過去の刃と同じだ。
立場で黙らせる。
でも私はもう、黙らない。
リリアは手元の鞄から書類を取り出し、空に晒した。
紙は薄く、でもここでは紙が剣になる。
「証拠がある」
ざわめきがまた変わる。
“証拠”という言葉は、祈りより強い。
祈りは信じたいもの。
証拠は、見たくないもの。
「聖具の整備記録。改竄の写し」
リリアは紙を掲げる。
王城文官の署名と印章が、光に照らされる。
文官の顔色が変わる。
一瞬で青に寄る。
それが答えだ。
「それは偽物だ!」
文官が叫ぶ。
「偽造だ! この場で――」
「偽造の話なら、これも」
リリアは次の証拠を出す。
小さな瓶。
偽物の香水瓶。
瓶底の刻印。欠けた右側。
「偽の刻印が出回っている。偽造が可能な環境がある。つまり、偽造を使って罪を着せる準備がある」
ざわめきが広がり、貴族たちの視線が文官へ向かい始める。
空気が、少しだけ傾く。
中心が揺れる。
文官が唇を噛み、叫ぶ。
「くだらん! 香水瓶など関係ない! 儀式を続けろ!」
神官が迷い、視線を王太子へ向ける。
セイルは――動かない。
表情は完璧。
でも目だけが、どこか遠い。
彼は今、中心として迷っている。
リリアは畳みかけない。
感情で押せば、すぐに“ヒステリー”にされる。
だから、次は数字で殺す。
「欠損の魔力解析」
リリアが言うと、ユリウスが一歩前へ出た。
彼は紙を掲げない。
代わりに、魔導具を掲げる。
小さな金属の枠が、青く光り、空中に波形を映し出す。
「聖具内部の循環波形だ」
ユリウスの声は低い。
冷たい理性の声。
この場で一番、祈りに近い“権威”の声。
「要の部分が意図的に細く調整されている。摩耗ではない。整備の名目で弱体化されている。これが暴走の条件」
ざわめきが、祈りの声を飲み込む。
神官の顔が青ざめる。
貴族たちの間で、疑念が走る。
疑念は香より早く広がる。
文官が叫ぶ。
「そんな波形など捏造だ! 学園の首席が、何を――」
「捏造なら、説明しろ」
ユリウスが冷ややかに返す。
「波形の計測方法、誤差、測定点。論理で反論できるなら、今ここで」
文官は黙る。
論理で殴り返せない人間の沈黙。
その沈黙は、祈りより目立つ。
次に、レオンが前へ出た。
鎧の音が鳴る。
その音は、神殿の静けさを重くする。
「騎士団として証言する」
レオンの声は真っ直ぐだ。
「聖具庫管理官の襲撃は魔獣事故ではない。爪痕は記録棚だけを狙っていた。証拠隠滅の意図がある」
騎士団が“事故ではない”と言った瞬間、空気がまた傾く。
武力は嘘をつかない、と人は信じたがる。
だから、レオンの言葉は強い。
文官が怒鳴る。
「貴様、王国に逆らう気か!」
「王国のために言っている」
レオンは揺れない。
「王国を腐らせる者がいるなら、それは王国の敵だ」
その瞬間、背後の空気が少し変わった。
香の煙の奥で、何かが動く気配。
エリオットが姿を現したのは、そのときだった。
神官の列の影から、するりと出てくる。
まるで最初からそこにいたみたいに。
彼は笑っていない。
でも目が、面白そうに光っている。
戦いの中でしか生きない目。
「裏取引の証拠もあるよ」
その一言で、場がどよめく。
“裏取引”は、神殿で言ってはいけない単語だ。
言った瞬間、神聖が汚れる。
エリオットは紙を差し出した。
裏の書記が作った写しの取引記録。
支払いの痕跡。
受け取り人の署名。
それもまた、王城の匂い。
文官の顔から血の気が引く。
彼は叫ぼうとして、喉が動かない。
叫びは、証拠の前では弱い。
そして――中央。
ミレイアが震えていた。
指先が空中で止まり、目が揺れている。
世界が割れるのを、中心で感じている顔。
本来のゲームなら、彼女は泣いて「みんなやめて」と言う。
そして、正義の王太子が場を収めて、リリアは悪者になる。
でも今日のミレイアは違った。
彼女は一度、目を閉じた。
深呼吸をした。
そして、ゆっくり目を開けて言った。
「……私、知りたい」
声は小さい。
小さいのに、神殿の空気がその声に吸い寄せられる。
中心の声だから。
中心が言葉を出すと、世界が止まる。
「怖いけど、真実を」
その一言が場の流れを変えた。
“中心”が真実を望んだ瞬間、物語はもう誤魔化せない。
正ヒロインが“台本”を拒否した瞬間、誰も「黙れ」と言えなくなる。
神官も、貴族も、騎士も。
そして王太子すら。
セイルの目が揺れた。
昨日の夜の揺れじゃない。
中心が中心を失いかける揺れ。
リリアはミレイアを見る。
彼女の頬は青い。
でも、その青さの中に覚悟がある。
リリアは小さく頷いた。
言葉にしない頷き。
「よく言った」と、心の中で。
文官が、最後の抵抗をするように叫んだ。
「ミレイア様! 聖具は王国の命! 儀式を止めれば――」
「止めるべきです」
ミレイアが震える声で返した。
「壊れるなら……誰かが傷つくなら……私は、それを見ないふりしたくない」
その瞬間、神官の一人が膝をついた。
顔が真っ白で、祈りの声が途切れた。
「……聖具を、再検査します」
神官の宣言は、判決みたいだった。
儀式の流れが止まる。
香の煙が揺れ、光が少し陰る。
そして、聖具が――まるで不満そうに、脈を早めた。
(危ない)
リリアは直感した。
止められたことで、聖具に無理がかかった。
欠損は、刺激に敏感だ。
ここで暴走したら、それこそ台本通り――私が疑われる。
「ユリウス!」
リリアが叫ぶと、ユリウスが即座に魔導具を構えた。
波形が乱れ始める。
要の部分が、危険なほど細く光る。
レオンが騎士団に叫ぶ。
「退避! ミレイア様を下がらせろ!」
騎士たちが動き、ミレイアを囲う。
ミレイアは震えながらも、自分の足で一歩下がる。
守られるだけじゃない。自分で動く。
エリオットが、影のように壇上の端へ滑り、文官の退路を塞ぐ位置に立った。
笑っていない。
でも、目が言っている。
――逃げるな。
セイルが一歩前へ出る。
王太子としての動き。
中心が、ようやく中心として動く。
「神官長。聖具の再検査と、整備記録の提出を命じる」
声が神殿に響く。
これが、王太子の権威。
そして、その権威が“真実側”に乗った瞬間、場は完全に傾いた。
文官の顔が、絶望に変わる。
絶望は、次に暴力を呼ぶ。
私はそれを知っている。
(ここからが本番だ)
儀式は止まった。
でも、敵は止まらない。
止まったふりをして、次の刃を仕込む。
それでも。
今日、私は“追放イベント”を潰した。
真正面から。
中心を味方にして。
証拠を並べて。
そして、祈りの煙を切り裂いて。
白い光の中で、物語の前提が割れる音がした。
それは、誰かが泣く音じゃない。
誰かが目を開く音だった。
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