平民令嬢、異世界で追放されたけど、妖精契約で元貴族を見返します

タマ マコト

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第16話:最終選択の問い、セリアの答え

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大広間の微光が消えた後も、空気の味だけは残っていた。
甘い香の奥に、森の冷たさが一本混じる味。
それは刃物みたいに鋭いのに、不思議と呼吸を整えてくれる。

称号剥奪の宣言が落ちた。
怒号も断罪もなかった。
だからこそ、その言葉は石畳に染みて、逃げ場を塞いだ。

貴族たちは声を失い、民は呆然とし、兵は槍を握ったまま動けない。
この国の“正しさ”が、目に見えないところで折れた音がした。

――ぱき。
境界が割れる音と似ている。
でもこれは、制度が割れる音だ。

国王ハルディンは玉座の前に立ったまま、しばらく動かなかった。
王冠の金は光っているのに、王の顔はくすんで見える。
何かを支えてきた柱が、急に空っぽになった顔。

そして王は、ゆっくりとセリアを見た。
あの玉座の間での“逃げる目”ではない。
逃げ場のない目だ。

「……セリア・アルノート」
王が名を呼ぶ。
公開の場で、二度目。
それだけで、彼の中で何かが決まったのが分かる。

貴族の誰かが小さく息を呑む。
王が次に言う言葉を、皆が怖がっている。
“責任”という言葉が、どこかで鳴っているからだ。

王は言った。
縋るように。
王らしくないほど、弱く。

「国を救ってくれ」
声が少し震えていた。
「……聖女として」

その瞬間、セリアの胸がざわついた。
ざわつきは怒りでも恐怖でもない。
もっと複雑な、泣きたくなる種類のざわつき。

あの日、欲しかった言葉だ。

追放の日。
ゼロ判定の場で。
誰かが一言でも言ってくれたら、あの夜は違ったかもしれない言葉。

――君が必要だ。
――国を救ってくれ。
――ここにいてくれ。

それが今さら、こんな形で来る。
滑稽だ。
遅すぎる。
でも、滑稽だと笑い飛ばせない。
少しだけ悲しい。
悲しさが喉の奥に熱を作る。

ルゥシェの感情が、胸の奥で小さく揺れた。
警戒。
そして、ほんの少しの苛立ち。
“また人間は都合のいい役を押しつける”という苛立ち。

フィオラルの気配は、空気の底で静かに揺れる。
観測。
答えを急かさない揺れ。

セリアは息を吸った。
喧騒が耳に戻ってくる。
誰かが囁く。
「聖女?」
「彼女が?」
「妖精が選んだなら……」

民の目がセリアに集まる。
期待。
すがる目。
怖い。
その目は、救いを求める目だ。
でもセリアは救いの道具じゃない。
道具になると、また“使役”が始まる。

セリアは、ゆっくり首を振った。

「……陛下」
声は落ち着いている。
森で育った呼吸のまま。
「私は聖女じゃない」

王の肩が、ほんの僅かに落ちた。
絶望がそのまま背中になる。
でも王はまだ縋る目をやめない。

セリアは続ける。
「王国の飾りにもならない」
「誰かの都合を守るための“役”は、もう引き受けない」

場が静まる。
静まり方が、さっきの称号剥奪のときと似ている。
怒号が起きない静けさ。
それが一番重い。

王がかすれた声で言った。
「なら、どうする」
問いは短い。
王の問い。
でも中身は、ひとりの人間の問いだ。
“助けてくれないのか”という、弱い問い。

セリアの胸の奥が、また熱くなる。
でも、その熱は“同情”だけじゃない。
同情だけで動いたら、また自分を失う。

セリアは一歩だけ前に出た。
石畳の冷たさが、足裏にしっかり来る。
立っている。
自分の足で。

「でも」
セリアは言った。
この一語が、広間の空気を少しだけ柔らかくする。

「民は切り捨てない」
声は強くない。
怒鳴っていない。
ただ、揺れない。

貴族の誰かが笑いそうになり、笑えない。
その笑いは今、通貨にならない。
妖精の沈黙が、笑いを許さない。

セリアは続ける。
「私は妖精側に立ったまま、人間を終わらせない」

“終わらせない”。
その言葉が、広間に落ちた瞬間、誰かが息を呑む。
終わる。
結界が割れて、飢えが来て、死が来る。
その“終わり”に、セリアは首を振った。

「人間の国は、嘘で成り立ってきた」
「嘘をやめないなら、崩れる」
「でも、崩れるときに一番先に落ちるのは、弱い人たち」
「それは嫌」
セリアは唇を噛み、でも目を逸らさない。

「だから、私は“対等”を取り戻す」
「使役じゃなく」
「正義の言葉じゃなく」
「奪うための契約じゃなく」

王が息を止めている。
広間の空気が薄い。
でも、セリアの言葉は薄くない。
言葉が育っている。
嘘じゃない言葉の重さがある。

「どうやって」
王が絞り出す。
「どうやって、対等を」

セリアは答える前に、胸の奥でルゥシェの気配を探った。
支えにはなる。
引っ張らない。
その距離のまま、そこにいる。

セリアは言う。
「まず、認める」
「この国の裏帳簿を」
「貴族制度が契約で保たれてきたことを」
「そして、歪めた責任を、血統じゃなく“行為”で負うことを」

貴族たちがざわめく。
行為。
血では逃げられない。
やったことの責任。
それが怖いから、彼らは血統に逃げてきた。

「次に」
セリアは続ける。
「妖精に“お願い”じゃない形で会う」
「命令でもない形で」
「対等な言葉で、交渉する」

その瞬間、背後の空気がほんの僅かに整った。
フィオラルの気配が、静かに揺れる。
肯定とも否定とも言えない。
でも、“聞いている”揺れ。

王が苦しい顔で言う。
「妖精は……応じるのか」
セリアは首を振る。
「分からない」
嘘をつかない。
分からないなら、分からないと言う。

「でも」
セリアは息を吸った。
喉の奥に塩味がある。
覚悟の塩味。

「応じるかどうかは、自分たちの姿勢で決まる」
「奪うなら拒まれる」
「差し出すなら、繋がる可能性がある」

その言葉を口にした瞬間、セリアの胸の奥がふっと軽くなった。
不思議な軽さ。
鎖が外れる軽さ。

あの日、欲しかった言葉が今さら来ても、もう揺らがない。
私の価値は、王の口から与えられるものじゃない。
貴族の必要で決まるものじゃない。
聖女の称号で塗り替えられるものでもない。

私は、私の言葉で立てる。

その瞬間、心が初めて自由になった。
自由って、翼が生えることじゃない。
自分の足が自分のものになることだ。

ルゥシェの声が、胸の奥で小さく笑った。
「やっと言えたね」
セリアはほんの少しだけ口角を上げる。
「……うん」

王は長い息を吐いた。
それは降参の息でもあり、決意の息でもあった。

「聖女ではなく」
王が呟く。
「妖精側に立ったまま……人間を終わらせない、か」

王の声が震えている。
でも今度は縋る震えじゃない。
受け入れる震えだ。
自分の国が、これまでのやり方では救えないことを受け入れる震え。

セリアは最後に一つだけ言った。
「私は、あなたたちの都合で救わない」
「私の都合で切り捨てない」
「その間に立つ」
「危ういって言われても」

危うい。
フィオラルが言った言葉。
危ういからこそ、繋ぐ。

広間の空気が、少しだけ変わった。
まだ結界の歪みはある。
飢えもある。
恐怖もある。

それでも、今この瞬間だけは――
誰かが誰かを道具にする空気が、少しだけ薄れた。

セリアは息を吐き、指先の小さな光を感じた。
目立たない光。
でも消えない光。

最終選択の問いに、セリアは答えた。
聖女にならない。
飾りにならない。
そして――切り捨てない。
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