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第4話「グリーンノート開店と、最初のお客さん」
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その朝、ミントは夜明け前に目が覚めた。
カーテン代わりの布の隙間から、まだ薄い青色の光が差し込んでいる。
鳥たちの声も、いつもより少し早い気がする。
「……緊張で、お腹痛い」
寝床から起き上がりながら、ミントはお腹を押さえた。
もちろん病気じゃない。
ただただ、今日という日が怖くて、楽しみで、落ち着かないだけだ。
――グリーンノート開店初日。
そう頭の中で言葉にしてみると、胸の奥がきゅっと縮む。
「本当に、お客さん来るかな……」
昨日の夜も、同じ台詞を何度も呟いた気がする。
そのたびに「来る来る」と村の人たちに励まされ、そのたびに「いやでも、やっぱり心配で」とループしていた。
顔を洗い、簡単に髪をまとめてから、ミントは店のスペースに出る。
祖母タイムの小屋だった場所は、少しずつ“ミントの店”になってきていた。
元々あった古い棚は、村の大工たちの手で補強され、新しく作られた段も増えている。
そこに、ミントがこの数日で必死に準備した商品たちが、ぎゅうぎゅうに並んでいた。
乾燥ハーブの束を詰めた瓶。
怪我や疲労に効く軟膏。
咳止めのシロップ。
香り袋や入浴用のハーブパック。
全部、ミントの手で調合し、ラベルを書いて並べたものだ。
「ラベル、曲がってないかな……」
棚の前に立って、ミントは一つ一つの瓶を目で追う。
字はまだ少し頼りないけれど、できる限り丁寧に書いた。
《肩こり用》
《冷え性さんの夜用ティー》
《寝付きが悪い人へ》
薬の名前というより、ほとんど手紙みたいなラベルばかりだ。
祖母タイムなら、もっと洗練された名称をつけただろうか、と一瞬不安になる。
「……いや、いいや。私は私のやり方で」
そう言い聞かせて、ミントは今度は入り口の方へ向かう。
扉の横には、小さなフックが取り付けられている。
そこに、祖母の店で使っていた古い看板が掛けられていた。
木の板に描かれた、ハーブの束と、丸っこい文字。
《タイム薬草店》
その文字の上から、ミントは思い切って新しい板を打ちつけた。
小さめの板に、自分の字で書いた店名。
《薬草店グリーンノート》
まだ塗装の匂いが少し残っている。
昨日、ダンデライオンと村長が手伝ってくれて、ようやく形になった。
「……おばあちゃん、怒らないよね?」
心の中で問いかけてみる。
返事はもちろんない。
でも、“いつか、お前の店を”と書き残してくれた祖母なら、「いいじゃないか」と笑ってくれそうな気もした。
「よし」
ミントは両手を軽く叩く。
「開店準備、最終チェック!」
レジ代わりの小さな箱。
釣り銭の袋。
領収書代わりの小さなメモ紙。
カウンターの下には、応急処置用の道具も揃えてある。
ハーブティーの試飲用ポットには、朝から香りの優しいブレンドを仕込んでおいた。
問題は――。
「本当に、お客さん、来てくれるかな……」
また同じ言葉が口をついて出る。
村長やデイジーたちは、「村中に宣伝しておいたから大丈夫!」と笑っていた。
でも、実際に扉が開くまでは、不安で仕方がない。
開店時間を少し過ぎても、扉は静かなままだった。
外の道を行き来する人の声は聞こえるけれど、誰も入ってくる気配がない。
「……もしかして、看板小さすぎた?」
不安が、じわじわと増えていく。
ハーブティーの湯気が、空回りしているみたいだ。
「やっぱり、田舎の小さな薬草店なんて、必要なかったのかな……」
小さく呟いて、カウンターの上に突っ伏したそのとき。
「おーい! 開いてるかー?」
聞き慣れた声が、扉の向こうから聞こえた。
「は、はいっ!」
ミントは弾かれたように顔を上げ、慌てて扉を開ける。
そこに立っていたのは、予想通り――というか期待通り――ダンデライオンと、その妻デイジーだった。
「よっ。記念すべき最初のお客さんだぞ」
「ミントちゃん、開店おめでとう!」
二人の明るい声が、小屋の中に流れ込む。
ミントの胸が、一気に熱くなった。
「来てくださって、ありがとうございます!」
「そりゃ来るだろ。俺は村長から“絶対初日に行け”って命令されてるからな」
「命令って言い方やめてよダンデ。私たちも行きたかったの。ねえ?」
デイジーが笑いながらミントの手をぎゅっと握る。
その手は、畑仕事で少し荒れているけれど、とても温かい。
「さ、私たち、ちゃんと“お客さん”として来たんだから、ミントちゃん、しっかり“薬師さん”して見せてよ?」
「……が、がんばります」
喉が一瞬詰まる。
でも、逃げ場はないし、逃げたくもない。
ミントは一度深呼吸して、二人を案内する。
「えっと、今日はどうされましたか?」
「どうもこうも、俺の腰だよ」
ダンデライオンが、ちょっと誇らしげに腰をさする。
「収穫の時期も近いし、そろそろ本格的に痛くなってきてな。王都の医者に行くほどじゃないが、何もせんのも辛いってやつだ」
「前から言ってるのに、この人ったら“俺はまだ若いから大丈夫だ”とか言って無理するのよ。若くないのに」
「おいデイジー、それは聞かなかったことにしてくれ」
夫婦の漫才みたいなやり取りに、少し緊張がほぐれる。
ミントは笑いながら、真剣な目に切り替えた。
「じゃあ、ダンデさん。ここに座ってください」
店の奥、簡易診察用に置いた椅子を指さす。
「腰の痛みって、一言で言ってもいろいろあるので。ちょっと詳しく聞かせてください」
「お、おう」
ダンデライオンが少し緊張した様子で椅子に座る。
デイジーはその隣に立ち、腕を組んで見守っている。
「まず、いつ頃から痛みを感じますか? 朝起きたとき? 仕事中? 夜?」
「えっとなぁ……起きたときは、そこまででもねぇんだが、畑でかがんだり、重いバケツ運んだりしてると、だんだん“あいててて”ってなる」
「痛い場所は、このあたりですか?」
ミントは、腰の辺りを手で示しながら尋ねる。
「右? 左? それとも真ん中あたり?」
「右の方がわりぃ気がするな」
「デイジーさんから見て、普段のダンデさんの姿勢ってどうです?」
「もー、最悪よ。畑仕事してるとき、ずっと猫背なの。私が“もっと膝を曲げなさいよ”って言っても、“そんな腰の角度じゃ土に負ける”とか意味わかんないこと言うし」
「“土に負ける”は俺の名言だろ」
「はいはいはい。名言ごと腰やっちゃってどうするのよ」
ミントは、笑いをこらえながらメモをとる。
「じゃあ、触って確認しますね。痛かったらすぐ言ってください」
「お、おう……優しく頼む」
ミントは、ダンデライオンの背後に回り、そっと腰のあたりに手を置く。
力を入れずに指先で押しながら、筋肉の固まり具合や骨の位置を確認する。
「ここはどうですか?」
「……ふむ。そこはまあまあ」
「じゃあ、ここは?」
「あいてててて!」
ダンデライオンの声が一オクターブ上がる。
そこは、右側の腰骨の少し上、筋肉がぎゅっと固まっている場所だった。
「なるほど……ここが一番の問題っぽいですね。
筋肉が疲労しすぎて固まってて、そのせいで血の巡りも悪くなってます。
あとは、さっきデイジーさんも言ってましたけど、姿勢の癖も大きいかも」
「姿勢かぁ」
「ね? 言った通りでしょ?」
デイジーが勝ち誇った声を上げる。
ミントはくすっと笑いながら、説明を続ける。
「王都の医師なら、飲み薬と“安静に”って言うかもしれませんけど……ダンデさん、仕事休めます?」
「……無理だなぁ」
「ですよね。
じゃあ、“農作業を続けながらでも少しずつ良くしていく方法”を考えましょう」
自分で言いながら、ミントの胸が少し高鳴る。
これこそ、自分がやりたかったことだ。
誰かの生活をまるごと見て、“その人に合った薬”を提案すること。
「まず、塗り薬を出します。
これは血の巡りをよくして、筋肉を少しずつほぐしてくれるタイプです。
朝と夜、お風呂上がりに腰と、その周りの筋肉をマッサージするように塗ってください」
「自分で塗るのか?」
「届かなかったら、デイジーさんにお願いしてください」
「もちろん塗るわよ。前からそうやってほぐしたかったの」
「……お、おう」
照れ臭そうに頬をかくダンデライオン。
「それから、ハーブティーも出します。
これは体の内側から冷えを取って、筋肉を柔らかくしやすくするブレンドです。
お湯を注いで、寝る前に飲んでください」
「へえ……お茶で、そんな違う?」
「意外と変わりますよ。
体って、全部つながってるので。腰だけ直そうとしても、他の部分がガチガチだったら、また負担がかかっちゃいますから」
ミントは棚から瓶を取り出し、ブレンド用のハーブを計量する。
その手つきは、王都の厨房で鍋を扱っていたときより、何倍も自然だった。
「あと、最後に……簡単なストレッチをお教えします」
「すと……何だって?」
「体を伸ばす運動です。
朝起きたときと、畑仕事の前後に、これをやってください」
ミントは店の真ん中に立ち、膝を軽く曲げたり、腰をゆっくり左右に回したりする。
「こんな感じで――そうそう、床から何かを拾うときは、腰から曲げるんじゃなくて、膝から。
こうやって。ほら、腰はまっすぐのまま」
「お、おう……こうか?」
ダンデライオンも、見よう見まねで体を動かす。
若干ぎこちないけれど、悪くない。
「それそれ。いい感じです。
それを続けてくれれば、きっと楽になります」
「……なんか、すげぇな」
ぽつりと、ダンデライオンが本音を漏らした。
「薬だけじゃなくて、体の動かし方まで見てくれる薬師なんて、初めてだ」
隣でデイジーが、そっと目元を押さえる。
「どうしました?」
「……なんか、今さらになって安心しちゃってさ」
デイジーは、少し照れたように笑いながら言った。
「この人、文句言いながらもずっと畑守ってきたから。
でも年も年だし、私だって“いつか本当に動けなくなるんじゃないか”って不安だったの。
王都の医者は、“歳だからねぇ”って笑って、薬出すだけでさ」
「まあ、王都の医者も忙しいですから……」
「そうかもしれないけど。
こんなふうにちゃんと話聞いてくれて、“一緒にやっていきましょう”って言ってくれる人、初めてで」
たまらなくなったように、デイジーはミントの手をぎゅっと握った。
「ありがとうね、ミントちゃん」
「あ、あの、そんな……」
ミントはどうしていいかわからず、目を瞬く。
「私、本当は王都なんかに行かないで、ずっとここで薬草屋を継いでほしかったって、ちょっとだけ思ってたのよ。
でも今思うと、きっと王都でいろいろ経験してきたから、今のミントちゃんがあるんだよね」
その言葉に、胸の奥がじん、と熱くなる。
王都での経験は、正直、楽しいことばかりじゃなかった。
むしろ、苦かった思い出の方が多い。
でも、あそこで積み重ねたものが、こうやって誰かの役に立っているなら――。
「……よかった」
気づいたら、その言葉が口からこぼれていた。
「え?」
「私、王都で、さんざん“薬草のことしか頭にない”って言われてたので。
でも、こうやってちゃんと人を見て、話を聞いて、それで薬を作りたいって思ってて。
それが、ここでなら、できるのかなって」
言いながら、自分でも少し呆れる。
どれだけ“めんどくさい薬草オタク”なんだろう、と。
でも、ダンデライオンとデイジーは、そんなミントの言葉を笑わなかった。
「いいじゃねえか。頭に詰まってるもんが、薬草だろうが畑のことだろうが、人の役に立つなら、それで充分だ」
「そうよ。……やっぱりタイムばあさんの孫だね」
デイジーの目に、うっすら涙が浮かぶ。
ミントは、胸の奥がじわじわ熱くなるのを感じながら、ぐっと笑顔を作った。
「じゃあ、お会計しますね。
塗り薬とハーブティーのセットで、このくらいです」
「おう。安いもんだ」
ダンデライオンが財布を取り出し、代金を支払う。
袋に薬とハーブティーを丁寧に詰めて渡すと、デイジーがそれを大事そうに抱えた。
「効いたらね、村中に言いふらすからね」
「えっ」
「“ミントちゃんの店行ったらね、ちゃんと話聞いてくれて、私たち夫婦の腰の未来まで見てくれるのよ!”って」
「いや、それはさすがに盛りすぎでは……」
「盛ってない盛ってない。事実をちょっと大きく表現するだけだから」
「それを世間では“盛る”って言うんだよ、デイジー」
三人で笑い合う。
店の中に、ハーブの香りと、笑い声が混ざり合って広がっていく。
「じゃあ、行ってくるな。また様子見せに来る」
「はい。いつでも来てください。調子が良くても悪くても、です」
「わかった」
ダンデライオンとデイジーが扉を出て行く。
背中を見送って、ミントはふうっと息を吐いた。
店の中に、一気に静けさが戻る。
「……最初のお客さん、終わった」
どっと、疲れが押し寄せてくる。
でも、その疲れは嫌なものではなく、心地よい充実感を伴っていた。
カウンターの端に腰を下ろし、さっき出したハーブティーを自分用のカップに注ぐ。
一口飲むと、さっきまで張り詰めていた神経が、少しずつほどけていく。
外からは、村人たちの話し声が聞こえた。
ところどころに「ミント」「薬草店」「タイムばあさんの孫」といった単語が混ざる。
(……噂、すぐ広がりそうだな)
想像しただけで、頬が緩んだ。
まだ、棚はスカスカだ。
まだ、店の形も、これから変わっていく。
きっと失敗もするだろうし、うまく行かない日もあるだろう。
それでも――。
「今度こそ、人の役に立てるかもしれない」
静かに呟いて、ミントは店の奥のランプに火を灯した。
夕暮れ時。
グリーンノートの小さな窓から漏れる灯りは、村の通りを歩く人たちの目に、ほのかな安心の印のように映っていた。
田舎の片隅の、小さな薬草店。
その扉は、今まさに開いたばかりだ。
カーテン代わりの布の隙間から、まだ薄い青色の光が差し込んでいる。
鳥たちの声も、いつもより少し早い気がする。
「……緊張で、お腹痛い」
寝床から起き上がりながら、ミントはお腹を押さえた。
もちろん病気じゃない。
ただただ、今日という日が怖くて、楽しみで、落ち着かないだけだ。
――グリーンノート開店初日。
そう頭の中で言葉にしてみると、胸の奥がきゅっと縮む。
「本当に、お客さん来るかな……」
昨日の夜も、同じ台詞を何度も呟いた気がする。
そのたびに「来る来る」と村の人たちに励まされ、そのたびに「いやでも、やっぱり心配で」とループしていた。
顔を洗い、簡単に髪をまとめてから、ミントは店のスペースに出る。
祖母タイムの小屋だった場所は、少しずつ“ミントの店”になってきていた。
元々あった古い棚は、村の大工たちの手で補強され、新しく作られた段も増えている。
そこに、ミントがこの数日で必死に準備した商品たちが、ぎゅうぎゅうに並んでいた。
乾燥ハーブの束を詰めた瓶。
怪我や疲労に効く軟膏。
咳止めのシロップ。
香り袋や入浴用のハーブパック。
全部、ミントの手で調合し、ラベルを書いて並べたものだ。
「ラベル、曲がってないかな……」
棚の前に立って、ミントは一つ一つの瓶を目で追う。
字はまだ少し頼りないけれど、できる限り丁寧に書いた。
《肩こり用》
《冷え性さんの夜用ティー》
《寝付きが悪い人へ》
薬の名前というより、ほとんど手紙みたいなラベルばかりだ。
祖母タイムなら、もっと洗練された名称をつけただろうか、と一瞬不安になる。
「……いや、いいや。私は私のやり方で」
そう言い聞かせて、ミントは今度は入り口の方へ向かう。
扉の横には、小さなフックが取り付けられている。
そこに、祖母の店で使っていた古い看板が掛けられていた。
木の板に描かれた、ハーブの束と、丸っこい文字。
《タイム薬草店》
その文字の上から、ミントは思い切って新しい板を打ちつけた。
小さめの板に、自分の字で書いた店名。
《薬草店グリーンノート》
まだ塗装の匂いが少し残っている。
昨日、ダンデライオンと村長が手伝ってくれて、ようやく形になった。
「……おばあちゃん、怒らないよね?」
心の中で問いかけてみる。
返事はもちろんない。
でも、“いつか、お前の店を”と書き残してくれた祖母なら、「いいじゃないか」と笑ってくれそうな気もした。
「よし」
ミントは両手を軽く叩く。
「開店準備、最終チェック!」
レジ代わりの小さな箱。
釣り銭の袋。
領収書代わりの小さなメモ紙。
カウンターの下には、応急処置用の道具も揃えてある。
ハーブティーの試飲用ポットには、朝から香りの優しいブレンドを仕込んでおいた。
問題は――。
「本当に、お客さん、来てくれるかな……」
また同じ言葉が口をついて出る。
村長やデイジーたちは、「村中に宣伝しておいたから大丈夫!」と笑っていた。
でも、実際に扉が開くまでは、不安で仕方がない。
開店時間を少し過ぎても、扉は静かなままだった。
外の道を行き来する人の声は聞こえるけれど、誰も入ってくる気配がない。
「……もしかして、看板小さすぎた?」
不安が、じわじわと増えていく。
ハーブティーの湯気が、空回りしているみたいだ。
「やっぱり、田舎の小さな薬草店なんて、必要なかったのかな……」
小さく呟いて、カウンターの上に突っ伏したそのとき。
「おーい! 開いてるかー?」
聞き慣れた声が、扉の向こうから聞こえた。
「は、はいっ!」
ミントは弾かれたように顔を上げ、慌てて扉を開ける。
そこに立っていたのは、予想通り――というか期待通り――ダンデライオンと、その妻デイジーだった。
「よっ。記念すべき最初のお客さんだぞ」
「ミントちゃん、開店おめでとう!」
二人の明るい声が、小屋の中に流れ込む。
ミントの胸が、一気に熱くなった。
「来てくださって、ありがとうございます!」
「そりゃ来るだろ。俺は村長から“絶対初日に行け”って命令されてるからな」
「命令って言い方やめてよダンデ。私たちも行きたかったの。ねえ?」
デイジーが笑いながらミントの手をぎゅっと握る。
その手は、畑仕事で少し荒れているけれど、とても温かい。
「さ、私たち、ちゃんと“お客さん”として来たんだから、ミントちゃん、しっかり“薬師さん”して見せてよ?」
「……が、がんばります」
喉が一瞬詰まる。
でも、逃げ場はないし、逃げたくもない。
ミントは一度深呼吸して、二人を案内する。
「えっと、今日はどうされましたか?」
「どうもこうも、俺の腰だよ」
ダンデライオンが、ちょっと誇らしげに腰をさする。
「収穫の時期も近いし、そろそろ本格的に痛くなってきてな。王都の医者に行くほどじゃないが、何もせんのも辛いってやつだ」
「前から言ってるのに、この人ったら“俺はまだ若いから大丈夫だ”とか言って無理するのよ。若くないのに」
「おいデイジー、それは聞かなかったことにしてくれ」
夫婦の漫才みたいなやり取りに、少し緊張がほぐれる。
ミントは笑いながら、真剣な目に切り替えた。
「じゃあ、ダンデさん。ここに座ってください」
店の奥、簡易診察用に置いた椅子を指さす。
「腰の痛みって、一言で言ってもいろいろあるので。ちょっと詳しく聞かせてください」
「お、おう」
ダンデライオンが少し緊張した様子で椅子に座る。
デイジーはその隣に立ち、腕を組んで見守っている。
「まず、いつ頃から痛みを感じますか? 朝起きたとき? 仕事中? 夜?」
「えっとなぁ……起きたときは、そこまででもねぇんだが、畑でかがんだり、重いバケツ運んだりしてると、だんだん“あいててて”ってなる」
「痛い場所は、このあたりですか?」
ミントは、腰の辺りを手で示しながら尋ねる。
「右? 左? それとも真ん中あたり?」
「右の方がわりぃ気がするな」
「デイジーさんから見て、普段のダンデさんの姿勢ってどうです?」
「もー、最悪よ。畑仕事してるとき、ずっと猫背なの。私が“もっと膝を曲げなさいよ”って言っても、“そんな腰の角度じゃ土に負ける”とか意味わかんないこと言うし」
「“土に負ける”は俺の名言だろ」
「はいはいはい。名言ごと腰やっちゃってどうするのよ」
ミントは、笑いをこらえながらメモをとる。
「じゃあ、触って確認しますね。痛かったらすぐ言ってください」
「お、おう……優しく頼む」
ミントは、ダンデライオンの背後に回り、そっと腰のあたりに手を置く。
力を入れずに指先で押しながら、筋肉の固まり具合や骨の位置を確認する。
「ここはどうですか?」
「……ふむ。そこはまあまあ」
「じゃあ、ここは?」
「あいてててて!」
ダンデライオンの声が一オクターブ上がる。
そこは、右側の腰骨の少し上、筋肉がぎゅっと固まっている場所だった。
「なるほど……ここが一番の問題っぽいですね。
筋肉が疲労しすぎて固まってて、そのせいで血の巡りも悪くなってます。
あとは、さっきデイジーさんも言ってましたけど、姿勢の癖も大きいかも」
「姿勢かぁ」
「ね? 言った通りでしょ?」
デイジーが勝ち誇った声を上げる。
ミントはくすっと笑いながら、説明を続ける。
「王都の医師なら、飲み薬と“安静に”って言うかもしれませんけど……ダンデさん、仕事休めます?」
「……無理だなぁ」
「ですよね。
じゃあ、“農作業を続けながらでも少しずつ良くしていく方法”を考えましょう」
自分で言いながら、ミントの胸が少し高鳴る。
これこそ、自分がやりたかったことだ。
誰かの生活をまるごと見て、“その人に合った薬”を提案すること。
「まず、塗り薬を出します。
これは血の巡りをよくして、筋肉を少しずつほぐしてくれるタイプです。
朝と夜、お風呂上がりに腰と、その周りの筋肉をマッサージするように塗ってください」
「自分で塗るのか?」
「届かなかったら、デイジーさんにお願いしてください」
「もちろん塗るわよ。前からそうやってほぐしたかったの」
「……お、おう」
照れ臭そうに頬をかくダンデライオン。
「それから、ハーブティーも出します。
これは体の内側から冷えを取って、筋肉を柔らかくしやすくするブレンドです。
お湯を注いで、寝る前に飲んでください」
「へえ……お茶で、そんな違う?」
「意外と変わりますよ。
体って、全部つながってるので。腰だけ直そうとしても、他の部分がガチガチだったら、また負担がかかっちゃいますから」
ミントは棚から瓶を取り出し、ブレンド用のハーブを計量する。
その手つきは、王都の厨房で鍋を扱っていたときより、何倍も自然だった。
「あと、最後に……簡単なストレッチをお教えします」
「すと……何だって?」
「体を伸ばす運動です。
朝起きたときと、畑仕事の前後に、これをやってください」
ミントは店の真ん中に立ち、膝を軽く曲げたり、腰をゆっくり左右に回したりする。
「こんな感じで――そうそう、床から何かを拾うときは、腰から曲げるんじゃなくて、膝から。
こうやって。ほら、腰はまっすぐのまま」
「お、おう……こうか?」
ダンデライオンも、見よう見まねで体を動かす。
若干ぎこちないけれど、悪くない。
「それそれ。いい感じです。
それを続けてくれれば、きっと楽になります」
「……なんか、すげぇな」
ぽつりと、ダンデライオンが本音を漏らした。
「薬だけじゃなくて、体の動かし方まで見てくれる薬師なんて、初めてだ」
隣でデイジーが、そっと目元を押さえる。
「どうしました?」
「……なんか、今さらになって安心しちゃってさ」
デイジーは、少し照れたように笑いながら言った。
「この人、文句言いながらもずっと畑守ってきたから。
でも年も年だし、私だって“いつか本当に動けなくなるんじゃないか”って不安だったの。
王都の医者は、“歳だからねぇ”って笑って、薬出すだけでさ」
「まあ、王都の医者も忙しいですから……」
「そうかもしれないけど。
こんなふうにちゃんと話聞いてくれて、“一緒にやっていきましょう”って言ってくれる人、初めてで」
たまらなくなったように、デイジーはミントの手をぎゅっと握った。
「ありがとうね、ミントちゃん」
「あ、あの、そんな……」
ミントはどうしていいかわからず、目を瞬く。
「私、本当は王都なんかに行かないで、ずっとここで薬草屋を継いでほしかったって、ちょっとだけ思ってたのよ。
でも今思うと、きっと王都でいろいろ経験してきたから、今のミントちゃんがあるんだよね」
その言葉に、胸の奥がじん、と熱くなる。
王都での経験は、正直、楽しいことばかりじゃなかった。
むしろ、苦かった思い出の方が多い。
でも、あそこで積み重ねたものが、こうやって誰かの役に立っているなら――。
「……よかった」
気づいたら、その言葉が口からこぼれていた。
「え?」
「私、王都で、さんざん“薬草のことしか頭にない”って言われてたので。
でも、こうやってちゃんと人を見て、話を聞いて、それで薬を作りたいって思ってて。
それが、ここでなら、できるのかなって」
言いながら、自分でも少し呆れる。
どれだけ“めんどくさい薬草オタク”なんだろう、と。
でも、ダンデライオンとデイジーは、そんなミントの言葉を笑わなかった。
「いいじゃねえか。頭に詰まってるもんが、薬草だろうが畑のことだろうが、人の役に立つなら、それで充分だ」
「そうよ。……やっぱりタイムばあさんの孫だね」
デイジーの目に、うっすら涙が浮かぶ。
ミントは、胸の奥がじわじわ熱くなるのを感じながら、ぐっと笑顔を作った。
「じゃあ、お会計しますね。
塗り薬とハーブティーのセットで、このくらいです」
「おう。安いもんだ」
ダンデライオンが財布を取り出し、代金を支払う。
袋に薬とハーブティーを丁寧に詰めて渡すと、デイジーがそれを大事そうに抱えた。
「効いたらね、村中に言いふらすからね」
「えっ」
「“ミントちゃんの店行ったらね、ちゃんと話聞いてくれて、私たち夫婦の腰の未来まで見てくれるのよ!”って」
「いや、それはさすがに盛りすぎでは……」
「盛ってない盛ってない。事実をちょっと大きく表現するだけだから」
「それを世間では“盛る”って言うんだよ、デイジー」
三人で笑い合う。
店の中に、ハーブの香りと、笑い声が混ざり合って広がっていく。
「じゃあ、行ってくるな。また様子見せに来る」
「はい。いつでも来てください。調子が良くても悪くても、です」
「わかった」
ダンデライオンとデイジーが扉を出て行く。
背中を見送って、ミントはふうっと息を吐いた。
店の中に、一気に静けさが戻る。
「……最初のお客さん、終わった」
どっと、疲れが押し寄せてくる。
でも、その疲れは嫌なものではなく、心地よい充実感を伴っていた。
カウンターの端に腰を下ろし、さっき出したハーブティーを自分用のカップに注ぐ。
一口飲むと、さっきまで張り詰めていた神経が、少しずつほどけていく。
外からは、村人たちの話し声が聞こえた。
ところどころに「ミント」「薬草店」「タイムばあさんの孫」といった単語が混ざる。
(……噂、すぐ広がりそうだな)
想像しただけで、頬が緩んだ。
まだ、棚はスカスカだ。
まだ、店の形も、これから変わっていく。
きっと失敗もするだろうし、うまく行かない日もあるだろう。
それでも――。
「今度こそ、人の役に立てるかもしれない」
静かに呟いて、ミントは店の奥のランプに火を灯した。
夕暮れ時。
グリーンノートの小さな窓から漏れる灯りは、村の通りを歩く人たちの目に、ほのかな安心の印のように映っていた。
田舎の片隅の、小さな薬草店。
その扉は、今まさに開いたばかりだ。
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「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」
「白い結婚ですか?」
「実は俺には……他に愛する女性がいる」
それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。
私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた
――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。
ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。
「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」
アロルド、貴方は何を言い出すの?
なにを言っているか、分かっているの?
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◇◇◇
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