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第7話「グリーンノート大繁盛と、ミントの葛藤」
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その日も、グリーンノートの一日は、扉を叩く音から始まった。
「ミントちゃーん、もう開いてるー?」
デイジーの声だ。
まだ看板を裏返す前なのに、扉の向こうから元気な声がする。
「は、はい! 今開けますー!」
慌てて鍵を外して扉を開けると、デイジーだけでなく、その後ろにすでに三人ほど並んでいた。
「今日はちょっと早く来ちゃった。みんな、“朝のうちに行った方が空いてる”とか言うからさ」
「全然空いてないですね……」
ミントは苦笑しながらも、胸の奥が少しだけ誇らしい。
数日前まで、ここはただの古い小屋だった。
今は、“開店前から列ができる店”になっている。
「じゃあ、順番にお話聞いていきますね。最初はデイジーさんじゃなくて、後ろの方からどうぞ。デイジーさんは会計係なので」
「そう、私はスタッフなの。お客さんじゃないの。すごいでしょ?」
「はいはい、“すごいスタッフさん”です」
軽口を交わしながら、デイジーはカウンターの奥へ回り込む。
腰には小さな袋。中には、当座の釣り銭が入っている。
「じゃ、私はお金とお客さんの流れ見てるから、ミントちゃんは診察と処方に集中して。ほら、次の方~、どうぞ~」
半分遊んでいるようでいて、仕事ぶりは的確だ。
誰が先に来て、誰が後から来たのか、デイジーはちゃんと覚えている。
「村長は?」
「ああ、あの人なら外で荷車と格闘してるわよ。ほら、さっき薬草の束どっさり届けてくれたでしょ?」
「あれ村長だったんですか……」
「そうよ。“腰が悪いダンデの分まで働かねぇとな”って言いながら運んでた」
「ダンデさん、今いちばん元気じゃないですか……」
「そうなのよねぇ、あの人、もう“元腰痛患者”って名乗ってるから」
そんな会話をしている間にも、店の中には人が増えていく。
肩こりのおばさん。
夜になると咳が止まらない子ども。
足をくじいた青年。
最近どうにも眠りが浅いという老人。
村だけでなく、隣村やそのまた向こうの小さな町からも、人がやってくるようになっていた。
「“田舎の奇跡薬師”って、ここですか?」
「その呼び方、本当にやめてほしい……!」
ミントは耳まで真っ赤にしながらも、一人ひとりに椅子を勧める。
「まず、お話聞かせてください」
夜が明けてから、日が傾くまで。
その言葉を何度繰り返したかわからない。
脈を取り、舌の色を見て、触って、話を聞いて、生活を想像する。
そこから、ひとりひとりに合う薬の形を選ぶ。
ティーがいいのか。
軟膏がいいのか。
湿布がいいのか。
それとも、ほんの少しの食事のアドバイスだけで足りるのか。
(早くしなきゃ、って思ったら負け。
早く終わらせることが目的じゃない)
頭の中で、何度も自分に釘を刺す。
けれど、窓の外にちらりと見える“まだ並んでいる人の影”が、どうしても気になる。
(この人を長く待たせたら、悪いかな。
でも、ここで手を抜いたら、きっと後で私が後悔する)
心の中で綱引きが続く。
そんなミントの背後で、デイジーが絶妙なタイミングで声をかける。
「お次の方は、座って待っててくださいね~。ミントちゃん、今ちょっとだけ詰まってるから、その分ちゃんと診てもらえますよ~」
そう言われると、待っている人も「じゃあ、ゆっくりでいいよ」と椅子に腰を下ろしてくれるのだ。
(……助かる)
ミントは、心の中で何度デイジーに頭を下げたかわからない。
◇
「ふー……」
昼を過ぎた頃、一瞬の合間を縫って、ミントは裏の小さな休憩スペースに腰を下ろした。
目の前には、午前のうちに空になったハーブの瓶たちが並んでいる。
「こんなペースで出ると思わなかった……」
想定の二倍。
嬉しい悲鳴、というやつだ。
……本当に、悲鳴に近い。
「夜に仕込み増やさないと足りないな。あ、でも明日の分の乾燥がまだ――」
「ミントちゃん、水水。まず水飲んで」
背後からデイジーが水の入ったカップを差し出す。
ミントは「ありがとうございます」と受け取り、一気に半分まで飲み干した。
「はぁ……生き返る……」
「生き返ってもらわないと、こっちが困るの。ほら、あんた倒れたら村じゅうの健康バランス崩れるからね」
「そんな大げさな……」
「大げさじゃないわよ。あんたの店に通うようになってから、“無理する前に相談しよう”って人増えたんだから」
デイジーは、腰に手を当てて言う。
「昔は、“我慢できなくなるまで我慢して、限界になったら王都の医者に行く”って人が多かったのよ。
でも今は、“ちょっとおかしいな”って思ったら、ここに来るようになった」
「……それは、いいことですね」
「そう。だからミントちゃん、倒れないでね。あなたが病んだら笑えないから」
「重い……でも、がんばります」
くすりと笑い合う。
ふと、ミントの視線が、店の奥の棚に向いた。
そこには、鍵のかかった引き出しがある。
誰にも見せていない、ミントだけの配合表と、試行錯誤の記録が入っている場所だ。
「……どしたの?」
デイジーが首をかしげる。
「あ、いえ……その、最近ちょっと、怖いなって思って」
「怖い?」
「こんなに人が来てくれて、“効いた”って言ってくれて、それはすごく嬉しいんですけど……。
もし私の処方を、誰かが適当に真似して、変な使い方しちゃったら、どうしようって」
口にして初めて、自分の不安が形になる。
「私の配合って、全部“その人用”に調節してるから。
体質合わない人が飲んだら、効かないどころか、逆に具合が悪くなるかもしれないんです。
……だから、最近、“本当に大事なレシピ”は誰にも見せないようにしてて」
言いながら、胸の中がちくりと痛む。
村の人たちは、誰も悪意を持っていない。
手伝いに来てくれている。
でも、その中に、「ちょっと盗み見してやろう」と思う人が、もしかしたら紛れているかもしれない。
王都で、散々そういう人間を見てきた。
「そりゃそうよ」
デイジーは、あっさりと言った。
「自分の腕と頭で作り上げた配合なんだから、簡単に人に渡さなくていいの」
「レシピ隠してても、怒られないですか?」
「怒る人がいたら、私が怒るから大丈夫」
デイジーは胸をどーんと叩いてみせる。
「“薬は人に合わせるもの”なんでしょ? だったら、“人に見せる用の基本レシピ”と、“ミントちゃん専用の調整レシピ”を分けとけばいいのよ」
「……なるほど」
「誰かが真似しても、“基本レシピ”だけなら、そこまで危ないことにはならないわよ。
細かい調整の部分は、ミントちゃんが持ってればいい」
あまりにもシンプルな答えに、ミントは目を瞬いた。
(そうか。
全部隠すか、全部公開するかの二択じゃなくていいんだ)
王都では、“貴族のものは全部貴族のもの”みたいな空気があった。
自分の知識や配合も、勝手に「家の財産」として扱われる。
だから、自分のものを守ろうとすると、とたんに「生意気だ」「分をわきまえろ」と言われた。
「ここは王都じゃないのよ」
デイジーが、ミントの額をこつんと小突く。
「あんたが“こうしたい”って言ったら、“そうしよう”って言ってくれる人の方が多い場所なの。
怖かったら、怖いって言えばいいし、嫌だったら嫌って言っていい」
「……ありがとうございます」
本当に、助かっている。
薬草のことは詳しくても、“人のこと”はまだまだわからない。
そういうところを、村の人たちが補ってくれている。
しかし――。
午後に入り、客足がさらに増え始めた頃。
ミントの胸には、別の種類の不安が育ち始めていた。
(このペース、ずっと続いたらどうしよう)
目の前の患者の顔と、入り口付近の列を交互に見ながら、喉の奥がじわじわと乾いていく。
扉の前には、常に三、四人が並んでいる。
店の中には、椅子に座って順番を待つ人たち。
外には、通りすがりに「今から入れるかな」と様子を伺う人たち。
デイジーや村長、他の村人たちが交代で手伝ってくれているから、なんとか回っている。
それでも、ミントの手は一つしかない。
(私ひとりで、どこまでやれるんだろう)
脳裏に、王都の屋敷での光景がちらつく。
『田舎娘のくせに、有能ぶって』
『身の程知らず』
(あの時は、“私なんかが偉そうにしてるから、嫌われるんだ”って思ってた。
でも今は、“私なんかの腕で、本当にこんなにたくさんの人を診ていいのかな”って怖くなる)
ミントは、カウンターの影でそっと手のひらを見る。
小さな傷跡がいくつかと、薬草の染み。
祖母タイムに「いい手だね」と何度も言われた手。
「……本当に、“いい手”なんだろうか」
呟きは、誰にも聞こえない。
失敗したらどうしよう。
見落としで誰かが倒れたらどうしよう。
“奇跡薬師”なんて呼ばれてる分、期待を裏切った時の反動も大きい。
(田舎娘の私が、ここまでやっていいのかな)
その問いは、昼から夜まで、何度も胸の中をめぐった。
◇
日が沈み、最後のお客を見送った頃には、ミントの体は鉛みたいに重くなっていた。
「本日の営業、終了~!」
デイジーが扉の看板を「お休み中」に裏返し、ばたんと閉める。
「ふぅ……今日もよく働いたわね、ミントちゃん」
「デイジーさんこそ、ずっと立ちっぱなしで……」
「私はおしゃべりしてただけだから平気よ。あんたは“頭と心と手”全部使ってたんだから、ちゃんと休みなさい」
デイジーは「また明日ね」と手を振り、帰っていく。
村長も、「明日の朝、また薬草持ってくるからな」と笑って小屋を後にした。
静けさが戻った店内。
さっきまで人で埋まっていた椅子も、今は空っぽだ。
ミントは、カウンターに両肘をついて、ゆっくりと息を吐いた。
「……疲れた」
口に出してみると、一気に力が抜ける。
足がぎしぎしと軋み、腰も少し悲鳴を上げている。
「こういうとき、自分に腰用の軟膏塗りたいな……」
冗談めかして呟きながら、また手のひらを見る。
この小さな掌で、今日一日だけで、何人の体に触れたんだろう。
何人の話を聞いたんだろう。
「私の力で足りるのかな……」
ぽつりと落ちた言葉は、店の木の壁に吸い込まれていく。
田舎娘。
追放。
役立たず。
王都で貼り付けられたラベルが、まだ完全には剥がれていない。
(ここで、もし一つでも大きく間違えたら、“やっぱり田舎娘には無理だった”ってことになるのかな)
そんな考えが、じわじわと心を侵食する。
そのとき――。
コンコン、と、控えめなノックの音がした。
「今日はもう閉店なんですが……」
ミントが扉の方に向かって声をかけようとした瞬間。
「非常事態かもしれない。中に入ってもいいか?」
聞き覚えのある、落ち着いた声。
「えっ」
慌てて扉を開けると、そこには、見慣れた金と琥珀の瞳があった。
「さ、サフランさん!?」
「非常事態だ。腹が減った」
「非常事態の質が低い!」
思わず全力でツッコんでしまう。
サフランは、いつもの軽い鎧ではなく、簡素な旅装束姿だった。
肩には小さな布袋がかかっている。
「通りがかったついでに、差し入れを持ってきた」
布袋をテーブルの上に置くと、中からパンと、陶器の小さな容器が出てくる。
まだ温かい。
「パンと、野菜と豆のスープだ。ここの村に来る前の町で手に入れた」
「……もしかして、本当に“私のため”に?」
「他に誰がいる?」
ミントは、一瞬言葉を失う。
「いつも夜遅くまで明かりがついていると聞いた。
昼も常に客が並んでいると聞いた。
それで、食事をまともに摂っているのか、少し心配になった」
「う……ぐさっ」
心に刺さる音がした。
「食べてなかったのか?」
「食べてます。ちゃんと、パンをかじりながら仕事して……」
「それは“食べている”とは言わない」
サフランは半眼になり、ため息をつく。
「とにかく、座れ。話はそれからだ」
「患者さんみたいな扱いだ……」
文句を言いながらも、ミントは素直に椅子に座る。
サフランがスープの蓋を開けると、ふわっと温かい匂いが広がった。
豆の甘さと、野菜の優しい香り。
「……いい匂い」
「冷めないうちに食え」
「いただきます」
パンをちぎり、スープに浸して口に運ぶ。
体の中に、じんわりと温かさが広がっていく。
胃が、驚いたように動き出す。
「おいしい……」
「それはよかった」
サフランは向かいの椅子に腰を下ろし、ミントの様子を静かに見つめていた。
しばらくの間、スープとパンの音だけが小さく響く。
ミントが一杯を飲み終え、ほっと息をついたところで、サフランが口を開いた。
「今日は、よく働いたようだな」
「……噂、早いですね。王都っていうか、サフランさんっていうか」
「この村に寄る前に、隣町の宿で“奇跡薬師のミント先生の話”を聞かされた」
「“先生”やめて……!」
顔を覆いたくなる。
「“先生”はまだ早いです。私はただの田舎娘で……」
「まだ言うか」
サフランは、少しだけ呆れたように目を細めた。
「自分を過小評価しすぎるな」
「……でも」
反射的に返事が喉につかえる。
「でも、怖いんです。
こんなに人が来てくれて、“効いた”って言ってくれて、それは本当に嬉しいけど……。
私の知らないところで、私の薬が変なふうに使われて、誰かが倒れたりしたらどうしようとか。
それに、私ひとりの判断で誰かの命を左右するかもしれないって考えると、怖くて」
スープで温まったはずの胸のあたりが、きゅっと冷たくなる。
「王都で、“田舎娘のくせに”って何度も言われて。
……その言葉、まだたまに頭に残ってて」
そこまで言って、自分で「しまった」と思った。
こんな弱音を吐いてどうするんだ、と。
けれど、サフランは笑わなかった。
「――なら、なおさらだ」
静かな声。
「“怖い”と思える奴の方が、よほど信頼できる」
「え?」
「自分の腕を疑わず、他人の命を軽く見る連中に比べればな。
“自分の選択で誰かが死ぬかもしれない”と怖がる奴は、その分だけ踏み込み方に慎重になる」
サフランは視線をミントの手に落とす。
「お前の手は、俺の腕を救った。
森の中で、ろくな器具もない場所で、“まだ間に合う”と自分に言い聞かせながら動いた手だ」
ミントの脳裏に、あの日の光景がよみがえる。
雨上がりの森。
焦げた傷。
震える自分の手。
「怖がりながらも動いた手だからこそ、無茶をせずに済んだ。
その結果、俺は今こうして腕を動かせている」
サフランは、軽く左腕を回してみせる。
「田舎娘だろうが王都育ちだろうが、人を救う手は救うし、殺す手は殺す。
どこで生まれたかなんて、どうでもいい」
「……どうでも、いい」
その言葉は、あまりにも簡単で、あまりにも重かった。
「お前は今、“田舎の店主”として、人に感謝されている。
王都でどれだけ否定されようと、それは変わらない事実だ」
ミントの胸の中で、何かが静かにほどけていく感覚があった。
王都での自分は、ずっと“ダメ出しされる側”だった。
いくら頑張っても、「田舎娘」「使用人」「身分相応に」と言われ続けた。
でも、ここでは――。
(私は、“田舎の店主”なんだ)
ミントは、ゆっくりと自分の手を握ってみる。
この手で薬を作って、この手で人の肩や腰や背中に触れて、この手で小さな店を回している。
王都がどう言おうと、村の人たちは「ありがとう」と言ってくれる。
サフランは「命の恩人だ」と言ってくれた。
「……なんか、ちょっとだけ、安心しました」
ミントは、スープの残りを見つめながら呟いた。
「怖いのが消えたわけじゃないですけど。
でも、“怖いと思ってもいいんだ”って言われたら、少しだけ息がしやすくなった気がします」
「それでいい」
サフランは静かに頷く。
「怖さを忘れた時が、一番危ない。
お前はそのままでいい。ただ、倒れるな」
「それ、患者さんにも言ってますよね?」
「当然だ」
ふっと笑い合う。
窓の外には、夜の帳がすっかり降りていた。
森の向こうから、虫の声がかすかに聞こえる。
「サフランさんは、またすぐ王都に戻るんですか?」
「今夜はこの村の宿に泊まる。明日には出る予定だ」
「そう、なんですね」
少しだけ寂しい。
でも、それを口に出すのは、まだ気恥ずかしい。
「また来るさ」
サフランは、立ち上がりながら言った。
「お前の店が潰れてなければ、な」
「縁起でもないこと言わないでください!」
「大丈夫だ。ここが潰れるとしたら、“繁盛しすぎて体を壊す”くらいだ」
「それはそれで嫌です!」
ツッコミを入れながらも、胸の奥は温かかった。
扉まで見送りに行くと、サフランは振り返らずに片手を上げる。
「ミント。もう一度だけ言っておく」
「はい?」
「自分を、過小評価しすぎるな」
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
店の中に、再び静けさが戻る。
ミントは、自分の手のひらをそっと見つめた。
田舎娘の手。
追放された元使用人の手。
そして今、グリーンノートの店主の手。
「……明日も、がんばろう」
小さく呟いて、ランプの火を落とす。
真っ暗になった店内。
だけど、胸の奥には、小さな灯がひとつ、確かに光っていた。
「ミントちゃーん、もう開いてるー?」
デイジーの声だ。
まだ看板を裏返す前なのに、扉の向こうから元気な声がする。
「は、はい! 今開けますー!」
慌てて鍵を外して扉を開けると、デイジーだけでなく、その後ろにすでに三人ほど並んでいた。
「今日はちょっと早く来ちゃった。みんな、“朝のうちに行った方が空いてる”とか言うからさ」
「全然空いてないですね……」
ミントは苦笑しながらも、胸の奥が少しだけ誇らしい。
数日前まで、ここはただの古い小屋だった。
今は、“開店前から列ができる店”になっている。
「じゃあ、順番にお話聞いていきますね。最初はデイジーさんじゃなくて、後ろの方からどうぞ。デイジーさんは会計係なので」
「そう、私はスタッフなの。お客さんじゃないの。すごいでしょ?」
「はいはい、“すごいスタッフさん”です」
軽口を交わしながら、デイジーはカウンターの奥へ回り込む。
腰には小さな袋。中には、当座の釣り銭が入っている。
「じゃ、私はお金とお客さんの流れ見てるから、ミントちゃんは診察と処方に集中して。ほら、次の方~、どうぞ~」
半分遊んでいるようでいて、仕事ぶりは的確だ。
誰が先に来て、誰が後から来たのか、デイジーはちゃんと覚えている。
「村長は?」
「ああ、あの人なら外で荷車と格闘してるわよ。ほら、さっき薬草の束どっさり届けてくれたでしょ?」
「あれ村長だったんですか……」
「そうよ。“腰が悪いダンデの分まで働かねぇとな”って言いながら運んでた」
「ダンデさん、今いちばん元気じゃないですか……」
「そうなのよねぇ、あの人、もう“元腰痛患者”って名乗ってるから」
そんな会話をしている間にも、店の中には人が増えていく。
肩こりのおばさん。
夜になると咳が止まらない子ども。
足をくじいた青年。
最近どうにも眠りが浅いという老人。
村だけでなく、隣村やそのまた向こうの小さな町からも、人がやってくるようになっていた。
「“田舎の奇跡薬師”って、ここですか?」
「その呼び方、本当にやめてほしい……!」
ミントは耳まで真っ赤にしながらも、一人ひとりに椅子を勧める。
「まず、お話聞かせてください」
夜が明けてから、日が傾くまで。
その言葉を何度繰り返したかわからない。
脈を取り、舌の色を見て、触って、話を聞いて、生活を想像する。
そこから、ひとりひとりに合う薬の形を選ぶ。
ティーがいいのか。
軟膏がいいのか。
湿布がいいのか。
それとも、ほんの少しの食事のアドバイスだけで足りるのか。
(早くしなきゃ、って思ったら負け。
早く終わらせることが目的じゃない)
頭の中で、何度も自分に釘を刺す。
けれど、窓の外にちらりと見える“まだ並んでいる人の影”が、どうしても気になる。
(この人を長く待たせたら、悪いかな。
でも、ここで手を抜いたら、きっと後で私が後悔する)
心の中で綱引きが続く。
そんなミントの背後で、デイジーが絶妙なタイミングで声をかける。
「お次の方は、座って待っててくださいね~。ミントちゃん、今ちょっとだけ詰まってるから、その分ちゃんと診てもらえますよ~」
そう言われると、待っている人も「じゃあ、ゆっくりでいいよ」と椅子に腰を下ろしてくれるのだ。
(……助かる)
ミントは、心の中で何度デイジーに頭を下げたかわからない。
◇
「ふー……」
昼を過ぎた頃、一瞬の合間を縫って、ミントは裏の小さな休憩スペースに腰を下ろした。
目の前には、午前のうちに空になったハーブの瓶たちが並んでいる。
「こんなペースで出ると思わなかった……」
想定の二倍。
嬉しい悲鳴、というやつだ。
……本当に、悲鳴に近い。
「夜に仕込み増やさないと足りないな。あ、でも明日の分の乾燥がまだ――」
「ミントちゃん、水水。まず水飲んで」
背後からデイジーが水の入ったカップを差し出す。
ミントは「ありがとうございます」と受け取り、一気に半分まで飲み干した。
「はぁ……生き返る……」
「生き返ってもらわないと、こっちが困るの。ほら、あんた倒れたら村じゅうの健康バランス崩れるからね」
「そんな大げさな……」
「大げさじゃないわよ。あんたの店に通うようになってから、“無理する前に相談しよう”って人増えたんだから」
デイジーは、腰に手を当てて言う。
「昔は、“我慢できなくなるまで我慢して、限界になったら王都の医者に行く”って人が多かったのよ。
でも今は、“ちょっとおかしいな”って思ったら、ここに来るようになった」
「……それは、いいことですね」
「そう。だからミントちゃん、倒れないでね。あなたが病んだら笑えないから」
「重い……でも、がんばります」
くすりと笑い合う。
ふと、ミントの視線が、店の奥の棚に向いた。
そこには、鍵のかかった引き出しがある。
誰にも見せていない、ミントだけの配合表と、試行錯誤の記録が入っている場所だ。
「……どしたの?」
デイジーが首をかしげる。
「あ、いえ……その、最近ちょっと、怖いなって思って」
「怖い?」
「こんなに人が来てくれて、“効いた”って言ってくれて、それはすごく嬉しいんですけど……。
もし私の処方を、誰かが適当に真似して、変な使い方しちゃったら、どうしようって」
口にして初めて、自分の不安が形になる。
「私の配合って、全部“その人用”に調節してるから。
体質合わない人が飲んだら、効かないどころか、逆に具合が悪くなるかもしれないんです。
……だから、最近、“本当に大事なレシピ”は誰にも見せないようにしてて」
言いながら、胸の中がちくりと痛む。
村の人たちは、誰も悪意を持っていない。
手伝いに来てくれている。
でも、その中に、「ちょっと盗み見してやろう」と思う人が、もしかしたら紛れているかもしれない。
王都で、散々そういう人間を見てきた。
「そりゃそうよ」
デイジーは、あっさりと言った。
「自分の腕と頭で作り上げた配合なんだから、簡単に人に渡さなくていいの」
「レシピ隠してても、怒られないですか?」
「怒る人がいたら、私が怒るから大丈夫」
デイジーは胸をどーんと叩いてみせる。
「“薬は人に合わせるもの”なんでしょ? だったら、“人に見せる用の基本レシピ”と、“ミントちゃん専用の調整レシピ”を分けとけばいいのよ」
「……なるほど」
「誰かが真似しても、“基本レシピ”だけなら、そこまで危ないことにはならないわよ。
細かい調整の部分は、ミントちゃんが持ってればいい」
あまりにもシンプルな答えに、ミントは目を瞬いた。
(そうか。
全部隠すか、全部公開するかの二択じゃなくていいんだ)
王都では、“貴族のものは全部貴族のもの”みたいな空気があった。
自分の知識や配合も、勝手に「家の財産」として扱われる。
だから、自分のものを守ろうとすると、とたんに「生意気だ」「分をわきまえろ」と言われた。
「ここは王都じゃないのよ」
デイジーが、ミントの額をこつんと小突く。
「あんたが“こうしたい”って言ったら、“そうしよう”って言ってくれる人の方が多い場所なの。
怖かったら、怖いって言えばいいし、嫌だったら嫌って言っていい」
「……ありがとうございます」
本当に、助かっている。
薬草のことは詳しくても、“人のこと”はまだまだわからない。
そういうところを、村の人たちが補ってくれている。
しかし――。
午後に入り、客足がさらに増え始めた頃。
ミントの胸には、別の種類の不安が育ち始めていた。
(このペース、ずっと続いたらどうしよう)
目の前の患者の顔と、入り口付近の列を交互に見ながら、喉の奥がじわじわと乾いていく。
扉の前には、常に三、四人が並んでいる。
店の中には、椅子に座って順番を待つ人たち。
外には、通りすがりに「今から入れるかな」と様子を伺う人たち。
デイジーや村長、他の村人たちが交代で手伝ってくれているから、なんとか回っている。
それでも、ミントの手は一つしかない。
(私ひとりで、どこまでやれるんだろう)
脳裏に、王都の屋敷での光景がちらつく。
『田舎娘のくせに、有能ぶって』
『身の程知らず』
(あの時は、“私なんかが偉そうにしてるから、嫌われるんだ”って思ってた。
でも今は、“私なんかの腕で、本当にこんなにたくさんの人を診ていいのかな”って怖くなる)
ミントは、カウンターの影でそっと手のひらを見る。
小さな傷跡がいくつかと、薬草の染み。
祖母タイムに「いい手だね」と何度も言われた手。
「……本当に、“いい手”なんだろうか」
呟きは、誰にも聞こえない。
失敗したらどうしよう。
見落としで誰かが倒れたらどうしよう。
“奇跡薬師”なんて呼ばれてる分、期待を裏切った時の反動も大きい。
(田舎娘の私が、ここまでやっていいのかな)
その問いは、昼から夜まで、何度も胸の中をめぐった。
◇
日が沈み、最後のお客を見送った頃には、ミントの体は鉛みたいに重くなっていた。
「本日の営業、終了~!」
デイジーが扉の看板を「お休み中」に裏返し、ばたんと閉める。
「ふぅ……今日もよく働いたわね、ミントちゃん」
「デイジーさんこそ、ずっと立ちっぱなしで……」
「私はおしゃべりしてただけだから平気よ。あんたは“頭と心と手”全部使ってたんだから、ちゃんと休みなさい」
デイジーは「また明日ね」と手を振り、帰っていく。
村長も、「明日の朝、また薬草持ってくるからな」と笑って小屋を後にした。
静けさが戻った店内。
さっきまで人で埋まっていた椅子も、今は空っぽだ。
ミントは、カウンターに両肘をついて、ゆっくりと息を吐いた。
「……疲れた」
口に出してみると、一気に力が抜ける。
足がぎしぎしと軋み、腰も少し悲鳴を上げている。
「こういうとき、自分に腰用の軟膏塗りたいな……」
冗談めかして呟きながら、また手のひらを見る。
この小さな掌で、今日一日だけで、何人の体に触れたんだろう。
何人の話を聞いたんだろう。
「私の力で足りるのかな……」
ぽつりと落ちた言葉は、店の木の壁に吸い込まれていく。
田舎娘。
追放。
役立たず。
王都で貼り付けられたラベルが、まだ完全には剥がれていない。
(ここで、もし一つでも大きく間違えたら、“やっぱり田舎娘には無理だった”ってことになるのかな)
そんな考えが、じわじわと心を侵食する。
そのとき――。
コンコン、と、控えめなノックの音がした。
「今日はもう閉店なんですが……」
ミントが扉の方に向かって声をかけようとした瞬間。
「非常事態かもしれない。中に入ってもいいか?」
聞き覚えのある、落ち着いた声。
「えっ」
慌てて扉を開けると、そこには、見慣れた金と琥珀の瞳があった。
「さ、サフランさん!?」
「非常事態だ。腹が減った」
「非常事態の質が低い!」
思わず全力でツッコんでしまう。
サフランは、いつもの軽い鎧ではなく、簡素な旅装束姿だった。
肩には小さな布袋がかかっている。
「通りがかったついでに、差し入れを持ってきた」
布袋をテーブルの上に置くと、中からパンと、陶器の小さな容器が出てくる。
まだ温かい。
「パンと、野菜と豆のスープだ。ここの村に来る前の町で手に入れた」
「……もしかして、本当に“私のため”に?」
「他に誰がいる?」
ミントは、一瞬言葉を失う。
「いつも夜遅くまで明かりがついていると聞いた。
昼も常に客が並んでいると聞いた。
それで、食事をまともに摂っているのか、少し心配になった」
「う……ぐさっ」
心に刺さる音がした。
「食べてなかったのか?」
「食べてます。ちゃんと、パンをかじりながら仕事して……」
「それは“食べている”とは言わない」
サフランは半眼になり、ため息をつく。
「とにかく、座れ。話はそれからだ」
「患者さんみたいな扱いだ……」
文句を言いながらも、ミントは素直に椅子に座る。
サフランがスープの蓋を開けると、ふわっと温かい匂いが広がった。
豆の甘さと、野菜の優しい香り。
「……いい匂い」
「冷めないうちに食え」
「いただきます」
パンをちぎり、スープに浸して口に運ぶ。
体の中に、じんわりと温かさが広がっていく。
胃が、驚いたように動き出す。
「おいしい……」
「それはよかった」
サフランは向かいの椅子に腰を下ろし、ミントの様子を静かに見つめていた。
しばらくの間、スープとパンの音だけが小さく響く。
ミントが一杯を飲み終え、ほっと息をついたところで、サフランが口を開いた。
「今日は、よく働いたようだな」
「……噂、早いですね。王都っていうか、サフランさんっていうか」
「この村に寄る前に、隣町の宿で“奇跡薬師のミント先生の話”を聞かされた」
「“先生”やめて……!」
顔を覆いたくなる。
「“先生”はまだ早いです。私はただの田舎娘で……」
「まだ言うか」
サフランは、少しだけ呆れたように目を細めた。
「自分を過小評価しすぎるな」
「……でも」
反射的に返事が喉につかえる。
「でも、怖いんです。
こんなに人が来てくれて、“効いた”って言ってくれて、それは本当に嬉しいけど……。
私の知らないところで、私の薬が変なふうに使われて、誰かが倒れたりしたらどうしようとか。
それに、私ひとりの判断で誰かの命を左右するかもしれないって考えると、怖くて」
スープで温まったはずの胸のあたりが、きゅっと冷たくなる。
「王都で、“田舎娘のくせに”って何度も言われて。
……その言葉、まだたまに頭に残ってて」
そこまで言って、自分で「しまった」と思った。
こんな弱音を吐いてどうするんだ、と。
けれど、サフランは笑わなかった。
「――なら、なおさらだ」
静かな声。
「“怖い”と思える奴の方が、よほど信頼できる」
「え?」
「自分の腕を疑わず、他人の命を軽く見る連中に比べればな。
“自分の選択で誰かが死ぬかもしれない”と怖がる奴は、その分だけ踏み込み方に慎重になる」
サフランは視線をミントの手に落とす。
「お前の手は、俺の腕を救った。
森の中で、ろくな器具もない場所で、“まだ間に合う”と自分に言い聞かせながら動いた手だ」
ミントの脳裏に、あの日の光景がよみがえる。
雨上がりの森。
焦げた傷。
震える自分の手。
「怖がりながらも動いた手だからこそ、無茶をせずに済んだ。
その結果、俺は今こうして腕を動かせている」
サフランは、軽く左腕を回してみせる。
「田舎娘だろうが王都育ちだろうが、人を救う手は救うし、殺す手は殺す。
どこで生まれたかなんて、どうでもいい」
「……どうでも、いい」
その言葉は、あまりにも簡単で、あまりにも重かった。
「お前は今、“田舎の店主”として、人に感謝されている。
王都でどれだけ否定されようと、それは変わらない事実だ」
ミントの胸の中で、何かが静かにほどけていく感覚があった。
王都での自分は、ずっと“ダメ出しされる側”だった。
いくら頑張っても、「田舎娘」「使用人」「身分相応に」と言われ続けた。
でも、ここでは――。
(私は、“田舎の店主”なんだ)
ミントは、ゆっくりと自分の手を握ってみる。
この手で薬を作って、この手で人の肩や腰や背中に触れて、この手で小さな店を回している。
王都がどう言おうと、村の人たちは「ありがとう」と言ってくれる。
サフランは「命の恩人だ」と言ってくれた。
「……なんか、ちょっとだけ、安心しました」
ミントは、スープの残りを見つめながら呟いた。
「怖いのが消えたわけじゃないですけど。
でも、“怖いと思ってもいいんだ”って言われたら、少しだけ息がしやすくなった気がします」
「それでいい」
サフランは静かに頷く。
「怖さを忘れた時が、一番危ない。
お前はそのままでいい。ただ、倒れるな」
「それ、患者さんにも言ってますよね?」
「当然だ」
ふっと笑い合う。
窓の外には、夜の帳がすっかり降りていた。
森の向こうから、虫の声がかすかに聞こえる。
「サフランさんは、またすぐ王都に戻るんですか?」
「今夜はこの村の宿に泊まる。明日には出る予定だ」
「そう、なんですね」
少しだけ寂しい。
でも、それを口に出すのは、まだ気恥ずかしい。
「また来るさ」
サフランは、立ち上がりながら言った。
「お前の店が潰れてなければ、な」
「縁起でもないこと言わないでください!」
「大丈夫だ。ここが潰れるとしたら、“繁盛しすぎて体を壊す”くらいだ」
「それはそれで嫌です!」
ツッコミを入れながらも、胸の奥は温かかった。
扉まで見送りに行くと、サフランは振り返らずに片手を上げる。
「ミント。もう一度だけ言っておく」
「はい?」
「自分を、過小評価しすぎるな」
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
店の中に、再び静けさが戻る。
ミントは、自分の手のひらをそっと見つめた。
田舎娘の手。
追放された元使用人の手。
そして今、グリーンノートの店主の手。
「……明日も、がんばろう」
小さく呟いて、ランプの火を落とす。
真っ暗になった店内。
だけど、胸の奥には、小さな灯がひとつ、確かに光っていた。
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