田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛

タマ マコト

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第20話「田舎娘と宮廷薬師、その先の未来」

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時は流れー
 その日の営業を終えたグリーンノートは、いつもみたいに、ちょっとだけ疲れて、ちょっとだけ誇らしげな顔をしていた。

 看板の灯りを落として、扉に「本日閉店」の札をかける。
 店の中には、かすかに残ったハーブの匂いと、昼間のざわめきの余韻が漂っている。

 外に出ると、空はすっかり群青色になっていた。

 星が、まだ遠慮がちに瞬き始める時間帯。
 田んぼの方からは水の音がして、森の方からは夜鳥の声が聞こえてくる。
 薬草畑からは、タイムとカモミールが混ざった甘い香りが、風に乗ってゆらゆらと運ばれてきていた。

「ふー……今日もよく働いた」

 ミントは、店の前の段差にどさりと腰を下ろした。

 靴の裏には、一日の疲れがぎゅうぎゅうに詰まっているみたいで、足先がじんわりじんじんする。
 けれど嫌な疲れじゃない。
 「ちゃんと使われましたよー」と体が報告してくる感じの、心地よいだるさだった。

「勝手に座るな」

「ここ、店主の特権席です」

「じゃあ隣は宮廷薬師の特権席か?」

「そこは……“なんかいつのまにか居着いた人専用席”ですかね」

「肩書きひどくないか?」

 文句を言いながらも、サフランは当たり前の顔でミントの隣に腰を下ろした。

 肩と肩が、ちょっとだけ触れるか触れないかの距離。
 お互い無意識に、その「ちょっとだけ」をキープしている。

 ふと、二人の視線が薬草畑の方へ向いた。

 夜の薬草畑は、昼間とは別の顔をしている。
 月の光を受けて、ハーブたちの輪郭が淡く浮かび上がる。
 風が通るたびに、葉が擦れ合ってささやく音がする。

「……いい匂いですね」

 ミントがぽつりと言った。

「今日は一日中、店の中で人の匂いとインクの匂いに包まれてたから、余計にそう感じるのかもしれません」

「人の匂いとインクって」

「え、だって。汗とか、革とか、紙とか、コインとか、そういうの全部ひっくるめて“人の匂い”じゃないですか?」

「まあ、否定はできない」

 サフランは、小さく笑ったあとで空を見上げた。

 星が、さっきより増えている。
 前よりも、村の灯りが増えた気がするのに、それでもこの村の夜空は星がちゃんと見える。

 王都の庭で見上げた空と、同じ星のくせに――こっちの方が、ほんの少しだけ近く感じた。

「ねえ、サフランさん」

 ミントが、不意に口を開いた。

「ん?」

「私、追放されたときさ」

 声のトーンが、少しだけ遠くを見ているようになった。

「全部終わりだと思ってたんですよね」

 王都の雨。
 ローズ家の門。
 ぼろぼろのトランクひとつ。
 背中に浴びた冷たい視線と、吐き捨てられた「田舎娘」という言葉。

「“ここまで頑張ってきた意味、全部なかったんだな”って思って。
 王都で、誰にもちゃんと見てもらえなくて。
 “田舎娘のくせに”って笑われて。
 夜会の一件で、完全にトドメ刺された感じで」

 あの夜の心細さを思い出すと、胸の奥がきゅっとなる。
 でも、今はもう、涙にはならない。

「でも、あの時――ここに帰ってきたから」

 ミントは、夜の村をぐるりと見渡した。

 遠くで、まだ明かりのついている家。
 誰かが笑う声。
 どこかから聞こえる、「また明日な」という声。

「今こうしていられるんだよね」

 サフランは、横顔をちらりと見た。

 店の灯りに照らされたミントの横顔は、あの頃よりずっと柔らかくなっている。
 王都で鍛えられた覚悟と、村で育てられた優しさが、一緒にそこに座っている感じ。

「そうだな」

 サフランは、簡単に肯定した。

「追放されて、ここに帰ってきてくれたから」

 少しだけ間を置いて、続ける。

「あの時森で倒れていた俺を拾ってくれた。
 あれがなかったら、俺は今ここにいない」

 森の、雨上がりの匂い。
 血の匂いと、焼けた鉄の匂いと、一緒に混ざったハーブの香り。

 あの日、意識が遠のく中で見た、必死で薬を塗る田舎娘の顔。

「正直、最初は“変な子だな”と思った」

「失礼ですね」

「森の真ん中で、あの状況で、“とりあえずこれ塗っときましょう”って簡単に言える奴、そういない」

「あー……」

 言われてみれば、自分でもちょっとどうかしてた気がする。

「でも、その“変な子”がいなかったら、俺は夜哭百合の匂いに気づく前に死んでた。
 王太子殿下も、死んでたかもしれない」

 サフランは、星を見ながら言う。

「君が田舎に帰ったから、グリーンノートができた。
 君が森で俺を拾ったから、俺はここを知った。
 俺がここを知ったから、王都に田舎娘の噂を運べた。
 王都が君を呼んだから、殿下は助かった」

「……すごい連鎖ですね」

「だろう」

 サフランは、少しだけ照れたように笑った。

「俺から見ても、“全部終わったと思ったあの日”が、今に繋がってるようにしか見えない」

 ミントは、夜空に視線を上げた。

 星は、相変わらずマイペースに瞬いている。
 人間のごちゃごちゃなんて、「ふーん」って感じで見下ろしてたぶん笑ってる。

「え、じゃあ、あれって」

「ん?」

「私を追放したローズ家の人たちのおかげってことになりません?」

「そこまで持ち上げなくていい」

「ですよね」

 二人で、ふっと笑う。

 笑いながらも、その中にはちゃんと「通り過ぎた過去」が混ざっていた。

 ローズマリーの涙。
 クローブのうつむいた横顔。
 王城の中庭で見上げた星。

 どれも、もう“今ここにはないもの”だけれど、完全に消えることもない。

「……ねえ、ミント」

 サフランの声が、少しだけ低くなった。

 ミントは、「ん?」と首を傾げる。

 隣を見ると、サフランの表情が、いつもの半分眠そうな顔から少しだけ真剣な顔に変わっていた。

 喉ぼとけが上下するのが見える。
 本人も、少し緊張しているのがわかる。

(なに、その“ちょっと言いづらいんだけど”みたいな空気)

 胸の奥が、妙にそわそわし始める。

「これから先の話なんだが」

「はい」

「俺は、王立宮廷薬師だ」

「そうですね」

「王都に仕事場があって、王城に仕事机があって、王太子殿下のそばにいるのが役目だ」

「はい」

 言いながら、サフランの視線は空のままだ。
 星と、この村と、自分の心の距離を測っているみたいだった。

「でも最近、ずっと思うんだ」

 ミントの心臓が、トン、と大きく跳ねる。

「王都で薬を作るのも、嫌いじゃない。
 殿下のそばにいるのも、意味がある。
 ホップや宮廷薬師たちと議論するのも、それなりに楽しい」

「はい」

「でも――」

 そこからの言葉を出すのに、サフランは少しだけ時間をかけた。

「一番“生きてる”って感じがするのは、ここにいる時なんだ」

 ミントは、思わずサフランの横顔を見つめた。

「ここで、子どもに包帯の巻き方を教えたり。
 村長に“それ飲み過ぎ”って説教したり。
 デイジーに帳簿の誤魔化しを見抜かれたり」

「誤魔化してるんですか」

「“もうちょっと多く見せておけば村が安心するかな”と思って」

「それ誤魔化しっていうんですよ」

「だな」

 苦笑しながらも、サフランは続ける。

「ここで君と一緒に、薬草を並べたり、配合を考えたりしている時間が――
 俺にとって、一番自然なんだ」

 ミントの喉が、きゅっと鳴った。

(あ、これ……やばいやつだ)

 頭のどこかで冷静な自分が小さく叫ぶ。
 でも、胸の中心で何かがふわっと浮かび上がって、うまく地に足がつかない。

 サフランは、一度深く息を吸った。

「ミント」

 名前を呼ばれる声が、少し震れている。

「これからも、君の店の一番近くで、君の薬作りを支えたい」

 言葉ひとつひとつを選ぶように、ゆっくりと。

「宮廷薬師としてじゃなく――」

 ここで、初めてミントの方をまっすぐ見る。

 その瞳は、夜の星より少しだけ真剣で、少しだけ怖がっていた。

「一人の男として」

 空気が、ぴたりと止まった。

 村の音も、夜鳥の声も、虫の声も、一瞬だけ遠ざかった気がする。

 ミントの心臓が、爆音で鼓動を刻んでいる。
 自分の鼓動がうるさすぎて、相手の呼吸が聞こえない。

(え、え、え)

 脳内に、意味のない言葉がぐるぐる回る。

(今のって……え、告白? ですよね? 多分、きっと、いや、どう考えても)

 顔が熱い。
 耳まで熱い。
 星の光なんかなくても、自分の頬が真っ赤になっているのがわかる。

「……えっと」

 口が、勝手に動く。

「サ、サフランさん」

「うん」

「今のって、その……」

「その、だ」

 サフランも、顔を少し赤くしていた。

 こんな真面目な彼を見るのは初めてかもしれない。
 いつもは皮肉と理性で自分を守っている男が、今だけはその鎧を少し外している。

「君が田舎娘だろうが、王家特認薬師だろうが、関係ない」

 サフランは、視線を逸らさない。

「森で拾われた宮廷薬師としてじゃなく、
 “ミントの隣にいたい”って思う男として――ここにいたい」

 言葉を聞いているうちに、胸の奥に溜まっていた何かが、じんわりと溶けていくのがわかった。

 田舎娘。
 追放。
 身の程知らず。
 有能ぶってるだけ。

 そんな言葉にぐさぐさ刺され続けてきた心に、ようやく違う種類の言葉が、まっすぐに届く。

「田舎娘の私なんですけど」

 ミントは、泣きそうな笑いそうな、変な声で言った。

「王都で追放されたこともあって、王城でとんでもないことに巻き込まれたこともあって。
 薬草と土と森の匂いじゃないと落ち着かない、面倒くさい薬師なんですけど」

 言いながら、自分の手を膝の上でぎゅっと握りしめる。

「それでも――」

 言葉を選ぶ。
 何度も飲み込んで、ようやく外に出す。

「それでも、田舎娘の私でよければ」

 星の光が、視界の端で揺れる。

「そばにいてくれると、嬉しいです」

 言った瞬間、胸の奥に溜まっていた涙が、するりとこぼれそうになった。

 でも、ここで泣いたら多分、息ができなくなる。

 だから、代わりに笑う。

 笑って、サフランの顔を見る。

 彼もまた、目の奥で何かをほぐしていた。

「……了解した」

 サフランは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

「じゃあこれからは、田舎娘の店主と、その隣の――」

 ちょっとだけ意地悪そうに笑う。

「“田舎に居ついた宮廷薬師の男”として、よろしく頼む」

「肩書きが長い」

「お前がつけたんだろうが」

 二人で、ふっと笑った。

 笑いながら、ミントは少しだけ迷って――自分の指先を、そっとサフランの方へ伸ばした。

 膝の上。
 ほんの少しの距離。

 サフランも、一瞬だけ驚いた顔をしてから、ゆっくりと自分の手を動かす。

 ぎこちなく、ためらいがちに。
 でも、途中で引き返すことなく。

 ミントの指先とサフランの指先が、ちょん、と触れた。

 その瞬間、心臓がまた跳ねる。

 けれど今度のそれは、恐怖の鼓動じゃなくて、何か新しいものが始まる前の合図みたいだった。

 触れた指先は、そのまま逃げることなく――少しずつ、絡み合っていく。

 最初は本当にぎこちなくて、不器用で。
 縫い目の粗い手袋を一緒に着けようとしているみたいな、変な感覚。

 でも、いったん絡んでしまうと、それが「ここにいるのが当たり前」という位置に、自然と落ち着いた。

「……あったかいですね」

 ミントがぽそっと言うと、サフランは少し顔を赤くして、「そっちこそ」と返した。

 指先から、じんわりと熱が伝わってくる。
 それは、王都の暖炉の熱より、だいぶ不安定で、だいぶ頼りなくて――
 その分だけ、生きている人間の温度だった。

     ◇

 その頃、遠く王都では。

 王城の高い塔の一角で、ひとりの青年が窓辺に立っていた。

 王太子セージ。

 病の影はもう薄い。
 頬には健康的な赤みが戻り、目には王太子としての決意と、人としての優しさが同居している。

 彼は、夜風を受けながら、遠くの空を見上げていた。

 窓から見える星は、以前より少しだけ明るく感じる。
 王城の庭で見上げたあの日より、ずっと軽い気持ちで、今は星を見上げられる。

 手には、一通の手紙。

 田舎の薬草店から届いたものだ。

『王都からの新しい症例、拝見しました。
 こちらでも似た症状の人が少しずつ出ていたので、村でできる範囲で対策を始めています――』

 丁寧な字。
 ところどころに混ざる、“ミントらしい”余白。

 読み終えた後も、セージはしばらくその手紙を見つめていた。

「……あの田舎娘の薬師がいてくれる限り」

 誰に言うでもなく、ぽつりと言葉がこぼれる。

「この国は、大丈夫だ」

 宮廷薬師団がどれだけ優秀でも。
 騎士団がどれだけ強くても。
 王族がどれだけ賢くても。

 それだけでは、国は回らない。

 田舎の村で、小さな薬草店が灯りをともしていること。
 そこで人の話を聞き、生活を守るための薬を作る誰かがいること。

 それが、国の脈を静かに整えている。

「……ありがとう、ミント」

 セージは、手紙をそっと大事に折りたたんだ。

 王太子としての礼でもあり。
 ひとりの青年としての、感謝でもあった。

     ◇

 村の夜。

 グリーンノートの前では、ミントとサフランが、まだ手を繋いだまま星を眺めていた。

 遠く王都の塔と、田舎の小さな店。
 その間には、目には見えないけれど確かな線が引かれている。

 森の匂いと、土の匂いと、薬草の香り。
 人の笑い声と、泣き声と、「助かったよ」という声。

 田舎娘と呼ばれ、追放され、世界が一度壊れた少女は――
 自分の手で、小さな世界をもう一度作り直した。

 国を救い。
 人を癒やし。
 そして、自分自身も、愛される場所を手に入れた。

 薬草店グリーンノートには、今日も人々の笑い声とハーブの香りが満ちている。

 静かだけれど確かな、大きな物語は――
 こうして、いつの間にか、日常の中へと溶けていくのだった。
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