異世界OLは忙しい、ざまぁも恋もプロジェクト管理で制覇します

タマ マコト

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第4話 通知音が鳴り止まない夜に、私は黒板へ線を引いた

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夜が来たのに、終わってない感じがする。

ギルド事務局の喧騒からようやく解放されて、宿舎に案内されても、私の脳みそはまだ受付カウンターの前に置き去りになっていた。怒鳴り声の残響、紙が擦れる音、硬貨の音。あの空気を吸いすぎて、肺の奥に“仕事”がこびりついている。

「ここが今日からお前の寝床だ」

案内してくれた職員——センパイじゃないほうの、無口そうな男性が言った。名前を聞く余裕もなかった。私も名乗らなかった。名前って、余裕があるときに初めてちゃんと交わせるものだ。

宿舎は、ギルドの裏手にくっついた石造りの建物だった。廊下は狭く、壁は冷たく、ランプの火が風で揺れるたび影が泳ぐ。鍵は木製で、回すとギシギシ音がする。

部屋は、驚くほど小さい。

窓はひとつ。ベッドというより、木枠に布を張った簡易寝台。机はあるけど、椅子はぎこちない三本脚。棚は、扉が歪んでいて閉まりきらない。床は石で、足の裏から冷気が上がってくる。

でも——

「……屋根がある」

それだけで、喉の奥が少し緩む気がした。現代で追放通知を開いた夜、私は“明日からここにいられない”という不安で、胸がずっと詰まっていた。ここは、少なくとも今夜は私の場所だ。

私はコートを脱ぎ、スーツのジャケットを椅子にかけた。バッグを机に置き、無意識に中身を整える。手帳、ペン、ハンカチ。機械みたいに、順番通りに。整ってないと落ち着かない。

スマホを取り出しそうになって、指が空を掴む。

……ないんだった。

机の上には、ただの木目と、ランプの揺れる光だけがある。

その静けさが、逆に怖い。

布団は薄い。毛布も薄い。指でつまむと、向こうが透けそうなくらい。私は寝台に腰を下ろし、体重をかけた瞬間、木がミシ、と鳴いた。

「……壊れないよね」

誰に言うでもなく呟いて、ふっと笑いかけた。笑いは出なかった。

眠ろう。

そう思って布団に潜り込み、目を閉じた。

——ピロン。

耳の奥で、はっきりと音が鳴った。

私は目を開けた。部屋は静か。ランプの火が揺れているだけ。音なんて、どこにもない。なのに——

——ピロン。ピロン。

脳が勝手に鳴らす。

通知音。

Slack。メール。チャット。タスク管理アプリ。
仕事の通知。
黒崎マーカーの「助かるわ~」。

息が詰まる。

「……やめてよ」

小さく言うと、布団の中の自分の声がやけに近く聞こえて、余計に怖い。

——ピロン。

また鳴る。

スマホはない。電波もない。なのに鳴る。
これってもう呪いじゃん。

私は布団から顔を出し、天井を見上げた。木の梁に蜘蛛の巣がうっすらかかっている。火の揺れで影が動く。その影が、まるで通知アイコンみたいにちらついて、目が痛い。

「……現代、捨ててきたはずなのに」

捨ててきた?
違う。捨てられた。

追放通知。
空気がね。

胸の奥が、紙を握り潰すみたいに痛む。痛いのに、涙は出ない。涙は、会社のトイレに置いてきた。あそこで一度、声を殺して泣いた気がする。鏡の前で、顔を叩いて、メイクを直して、また席に戻った。

“平気です”って顔を作るのは得意だ。

布団の中で私は、両手を胸の上に置いた。
指先が少し震えている。冷えのせいか、怒りのせいか、恐怖のせいか、全部か。

私は手のひらを見つめた。

薄い。
働きすぎて荒れている。指先に小さなささくれ。爪の形が少し歪んでいる。
この手で、現代では資料を作って、工程表を引いて、火消しをして、でも評価はBで、最後は追放。

じゃあ、この手には何が残ってる?

——魔力。

さっき王城で、なんとなく測られた。魔法使いが手をかざし、青い光が私の周りを回った。結果は、さほどでもない、という顔。

「……魔力、ほとんどないんだっけ」

この世界の強さは、魔力とか剣技とか、そういう“派手な能力”だ。私はそのどれも持っていない。

でも。

手のひらの線をなぞるように、私は指を動かす。

指先は覚えている。

段取り。
整理。
記録。

火が燃えたら、どこから燃えてるか見極める。
混乱したら、全体像を出して、優先順位を作る。
誰が何をやるか決めて、責任を散らさない。

それは、魔法じゃない。
でも、現代で私はそれで生き延びてきた。

そして今日、ギルドで見た。

承認印が死亡報告書に挟まれていた。
死が放置されていた。
仕組みが死んでいた。

この世界で、管理が死んでいるなら。
死が増えるなら。

……逃げたら?

逃げたら、どうなる?

私は目を閉じた。
逃げる自分を想像してみる。ギルドを辞めて、王都の端で小さな仕事を探して、誰にも関わらず生きる。そういう未来。

でも、その未来の中に、私は見えなかった。
どこに行っても、また同じことが起きる気がした。理不尽、押し付け、そして「空気がね」。逃げても、追いかけてくる。

——逃げたらまた同じだ。

なら。

整えるしかない。

私は布団の中で、息を整えた。通知音はまだ耳の奥で鳴る。でも、それに流されない。
現代の呪いを、異世界の床に置いていく。

「……明日」

小さく言った。

「明日、全体像出す」

自分に言い聞かせる言葉は、魔法の呪文みたいだった。

それでも、眠りはなかなか来ない。
耳の奥はまだピロンピロン言ってるし、外の風の音も気になる。石の壁が冷たい。布団は薄い。
でも私は、いつの間にかうつらうつらと落ちていった。

夢の中で、私はまた終電に乗っていた。
窓に映る自分は、薄いコピー用紙。
その背後に、黒崎マーカーの笑顔がぼやけて浮かぶ。

「助かるわ~」

——ピロン。

私は跳ねるように目を覚ました。

朝。

窓の外が薄く明るい。鳥の声がする。異世界の鳥の声は、現代より少し高くて、澄んでいる。胸の中の煤が、少しだけ洗われる気がした。

「……朝だ」

体を起こすと、背中が痛い。寝台が硬い。腰も痛い。
でも、動ける。生きてる。

私は顔を洗いに廊下へ出た。共用の水場は冷たく、手を突っ込むと指が痺れる。顔に水をかけると、眠気が一気に剥がれた。

鏡はない。
だから、顔色も、クマも、わからない。
でもそれでいい。現代みたいに、作り笑いを貼り付けなくていい。

ギルドへ向かう。

朝の空気はひんやりして、鼻の奥が痛い。ギルドの建物が見えると、昨日と同じ匂いが少しずつ近づいてくる。汗。紙。怒鳴り声の予感。

扉を押し開けると、もう人がいた。

「おい!昨日の依頼、いつ出るんだ!」 「精算が遅い!」 「新しい依頼、受けろ!」

昨日と同じ。
いや、昨日より少しひどい。昨日の未処理が積み重なっているから。

カウンターの内側に入ると、センパイが既に髪をぐしゃぐしゃにしながら紙をめくっていた。目の下の影が濃い。

「あ、新人。生きてた?」

「はい。ギリ」

「ギリかよ。まぁ、上出来」

センパイは笑うけど、その笑いは疲れている。
私は息を吸って、昨日決めたことを思い出す。

全体像。

私は受付台の裏に回った。そこに、昨日ちらっと見えたものがある。木製の古い黒板。脚が一本歪んでいて、ほこりをかぶっている。たぶん昔は使ってた。でも今は、混乱に飲まれて放置された。

私は両手で黒板を掴んだ。

「……重っ」

黒板は想像以上に重い。木がしっとりしていて、湿気を吸っている。引っ張ると床を削る音がして、周囲がちらっとこちらを見る。

センパイが眉を上げた。

「何それ。黒板?今さら授業でもすんの?」

「授業じゃないです。現場の救急処置」

「言い方が強いな」

でも、止めない。
止めないのは、センパイも限界だからだと思う。

黒板をカウンターの横、誰でも見える位置に立てた。
受付の裏に転がっていたチョークの箱を見つける。中には短い白い棒が数本。折れてるのもある。

私は一本つまみ、手のひらで転がした。粉が指につく。
懐かしい。小学生の頃、黒板に書いた時の感覚。

私は黒板の前に立ち、息をひとつ吸った。

——まず、線。

太い線を引く。

ギィ、とチョークが黒板を削る音がした。
その音が、妙に気持ちいい。脳の中の通知音を上書きするみたいに、ザラザラした音が響く。

一本、縦線。
次に横線。

区切る。
区切れば見える。
見えれば動ける。

周囲の職員たちが、手を止めた。冒険者たちも、怒鳴り声の途中で少しだけ黙る。

センパイが腕を組む。

「……で?何するの」

私は振り返らずに答えた。

「まず、全体像」

黒板に大きく書く。

【今日の未処理】

そして、その下に項目を分ける。

・依頼受付
・依頼審査
・割り当て
・報告受領
・精算
・クレーム対応

“現代の言葉”が混ざるのは気にしない。どうせこの世界の人たちは、私が何を言っても「変わった言い方だな」で流す。なら、やりやすい言葉でやる。

センパイが「うわ、整理好き」と言う。
精算担当の男が「そんなの書いてる暇あるか?」と呟く。
冒険者が「早くしろよ!」と叫ぶ。

私はチョークを置かずに言った。

「暇を作ります。これがないと、ずっと“早くしろ”のままです」

言った瞬間、空気が一瞬だけ固まった。
反発が来る。そう思った。

でも次に来たのは、意外な声だった。

「……それ、書いたら早くなるのか?」

カウンターの向こうの冒険者が、少しだけ眉を下げて聞いた。屈強な男。昨日も怒鳴っていた。だけど今は、怒りより不安が勝っている顔。

私はチョークを握り直す。

「早くなる可能性が上がります。少なくとも、“どこで詰まってるか”がわかります」

「詰まり?」

「はい。あなたたちが待ってるのは、誰かがサボってるからじゃなくて、順番と流れが崩れてるからかもしれない」

現代なら「ボトルネック」って言う。
でも今は言わない。伝わらないから。言葉は相手に届いて初めて意味がある。

冒険者は腕を組み、短く唸った。

「……ふん」

納得したわけじゃない。でも、少しだけ“聞く耳”が出た。
その変化が、私には十分だった。

センパイが、私の横に来る。チョークの粉が彼女の指にもついた。

「新人、さ。全体像って言ったけど、具体的に何すんの」

私は黒板の空白を指さした。

「今、未処理の依頼が何件あるか。精算待ちが何件あるか。クレームが何件あるか。まず数える。できれば紙に戻さず、この板に書く」

「数える……」

センパイが口を開けたまま、少し笑う。

「君、真面目すぎて逆に怖い」

「真面目じゃないです。私、炎上が嫌いなんです」

「炎上ってなに」

「……燃えるやつです。今ここが燃えてるので」

センパイは吹き出した。

「確かに燃えてるわ。毎日燃えてる」

「だから消します」

私は真顔で言った。
自分でも驚くほど、声がまっすぐだった。

職員たちが少しずつ、黒板に近づいてくる。
依頼審査の女性が、「じゃあ今、承認待ちが……」と呟き、指で数え始める。
精算担当の男が、「精算待ち、袋が見つからないのも含めるのか?」と聞いてくる。

質問が出る。
それは、現場が動き始めた証拠だ。

私はチョークを渡した。

「含めます。見つからないのは“リスク”です」

「リスク……」

「危ないやつです」

男が頷き、黒板に数字を書き始める。
センパイも、ぶつぶつ言いながら依頼書を束ねて数える。

私は心の中で、通知音が少し遠ざかるのを感じた。

ピロン、が鳴ってもいい。
でも、それに支配されない。

段取り。
整理。
記録。

指先が覚えている。それが、私の魔法だ。

黒板に太い線を引いたその瞬間から、私の中の世界も、少しだけ区切られた気がした。
昨日までの私と、今日からの私。

薄いコピー用紙みたいだった私が、黒板の上に線を引いて、世界を整理し始める。

……これが、私の異世界の最初の一歩だった。
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