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第3話 ギルド事務局は戦場より荒れてた、あと管理は死んでた
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馬車の揺れって、こんなに容赦ないんだ。
石畳を踏むたびに車体が跳ね、紙束が腕の中でずるずるとずれていく。抱え直すたび、紙の角が手首に当たって地味に痛い。現代の電車なら、揺れても「揺れます」ってアナウンスがあるのに、異世界は無言で殴ってくる。
窓の外には、城壁の影が流れていった。高い塔。旗。市場のざわめき。パンの焼ける匂いがふっと入り込んで、腹が鳴りそうになる。腹は空いてる。でも、緊張で胃が縮んで、空腹が届かない感じ。
向かいに座る騎士は、ずっと黙っている。鎧の金具が揺れに合わせてカチャカチャ鳴るだけ。私は紙束の上から顔を上げた。
「……ギルドって、王都の中心ですか?」
騎士は頷いた。
「人が集まる。金も集まる。揉め事も集まる」
「最悪の三点セットですね」
騎士が一瞬だけ眉を動かした。理解できてないのか、同意なのか、どっちでもいい。私は自分の言葉を飲み込むように、息をひとつ吐いた。
馬車が止まる。外から声がした。
「到着だ」
扉が開くと、空気が一気に変わった。人の匂い。汗。酒。焼いた肉。香辛料。泥。密度が違う。生き物が押し合ってる匂いがする。
目の前に建っていたのは、石造りの大きな建物だった。看板には剣と盾の紋章。扉の前には、鎧の男も、ローブの女も、皮鎧の若者も、荷物を抱えた商人も、全員がごちゃ混ぜに出入りしている。
ここが——冒険者ギルド。
騎士が扉を押し開ける。
次の瞬間。
耳が、殴られた。
「おい!まだ支払い出てねぇぞ!」 「昨日の討伐、死にかけたんだぞ!報酬は!?」 「依頼書がないってどういうことだよ!さっき出しただろ!」
怒鳴り声が波みたいに押し寄せてくる。
その波の中心に、受付カウンターがあった。
カウンターの向こうで、職員たちが走り回っている。紙束を抱えたままぶつかり、床に落ち、誰かが踏み、さらに散らばる。クエスト依頼書が床一面に散乱して、まるで紙吹雪の地獄版。
報酬袋——革袋だろうか——が棚に積まれているのに、封が開きっぱなしで中身が見えている。金属の匂いがする。硬貨がこすれる音がする。あれ、盗まれないの?って思った瞬間、もう盗まれてる可能性が頭をよぎって胃が痛い。
私は、立ち尽くした。
「……ここ、戦場ですか」
騎士が無表情で言った。
「事務局だ」
うそだろ。
「うわぁ……」
言葉が勝手に漏れた。
“うわぁ”しか出てこない。現代でも炎上プロジェクトの初日、似たような声を出した気がする。あの時はSlackが地獄だったけど、ここはリアルに地獄。
騎士が職員のひとりに声をかける。
「新しい補佐を連れてきた。綴原ペンナだ」
その職員——女性だった。年は私より少し上、二十代後半くらい。茶色い髪を雑にまとめ、袖をまくっている。顔には疲労が張り付いているのに、目だけは妙に強い。
彼女は私を見るなり、にやっと笑った。
「お、新人?かわいそ~」
「……よろしくお願いします」
私は反射で頭を下げた。
「よろしくね。私は先輩職員の——えっと、名乗る暇ある?ないよね。ま、いっか。呼びやすく“センパイ”で」
雑。
雑すぎる。
でも、その雑さが逆に、この現場に適応した結果なんだろうと思ってしまって、胸が苦くなる。
センパイは私の腕の紙束を見て、肩をすくめた。
「うわ、未処理の束持ってきたの?君、いきなり死ぬじゃん」
「死ぬ……?」
冗談だよね?と笑いたかったのに、ここでは冗談に聞こえない。
センパイは軽く手を振った。
「慣れよ慣れ。ここはね、慣れたやつが勝つ。理屈?正論?そんなの、床に落ちて踏まれて終わり」
床に落ちて踏まれて終わり。
確かに、今まさに依頼書が踏まれている。
「とりあえず、カウンターの内側入って。新人用の席……って言いたいけど席なんてないから。適当に空いてるとこに荷物置いて」
「はい」
私はカウンターの内側へ入った。
一歩踏み入れただけで、紙の匂いが濃くなる。汗の匂いが混ざる。インクと、鉄と、脂と、焦り。現代のオフィスとは違う種類の“労働の匂い”が、喉の奥に張り付く。
その時、机を叩く音がした。
ドン!と、木が鳴る。
「おい、遅い!」
カウンターの向こうで、屈強な冒険者が怒鳴っていた。腕には傷跡。腰には剣。目が血走っている。
「俺の報酬、三日待ってるんだよ!」
センパイが片手を上げた。
「はいはい、今やってる!今!」
「今!?今って何だよ!いつだよ!」
私は思わず口を挟みかけた。
“いつまでに必要ですか”って。
でも、ここでそれを言ったら殴られるかもしれない。殴られたくない。社会人は殴られたことないんだぞ。
センパイが私の袖を引いた。小声。
「余計なこと言わない。燃える。まずは観察」
観察。了解。
私は背中を丸めるようにして、周囲を見る。
職員は四人。受付担当、精算担当、依頼審査っぽい担当、雑用全部担当。全員が同時に怒鳴られ、同時に紙を探し、同時に手が止まっている。
つまり、全員が詰まってる。
精算担当の男性が、棚を開けては閉め、また開ける。
「ない……ない……どこだよ、あの袋!」
「どの袋?」と誰かが聞く。
「知らねぇ!昨日の討伐のやつ!」
知らねぇのに探してる。
地獄。
依頼審査っぽい女性は、床の紙を拾いながら叫ぶ。
「その依頼、承認印がないと受けられません!」
「承認印がどこにあるんだよ!」と冒険者が怒鳴る。
承認印。
私はその単語で、ピンと来た。
承認がボトルネック。
承認が詰まれば、依頼も精算も全部止まる。現代でも同じ。承認の遅延は炎上の種火だ。
私は紙束を机の端に置き、袖をまくった。
スーツの袖をまくるの、久しぶりだ。こっちの世界だと変に浮くけど、そんなこと気にしている場合じゃない。
「センパイ、承認印って誰が持ってますか?」
センパイは私を見て、目を細めた。
「……新人、いい質問するじゃん。承認印はね、本来ギルド長。でもギルド長は今——」
その瞬間、奥の部屋から怒鳴り声が響いた。
「おい!誰だよ!金が足りねぇって言ってんだろ!」
ギルド長っぽい声だ。
声の主は見えない。でも、絶対に面倒なタイプだとわかる。声がそれを語ってる。
センパイが肩をすくめる。
「ほら、あれ。ギルド長は今、別の地獄で揉めてる。だから印が止まる。止まると現場が燃える。燃えると——」
「私たちが死ぬ」
つい、続きを言ってしまった。
センパイはにやっと笑った。
「そう。やっと理解したね」
理解した。
理解したからこそ、胸が冷える。
私は、まず“探す”ことにした。
承認印の物理的な場所。
現代なら電子承認フローで済むのに、ここは印鑑ひとつで世界が止まる。
棚を見る。机を見る。カウンターの下。
紙の山。袋の山。道具の山。
片付いてない。
片付いてないというか、そもそも“置き場”がない。置き場がないから、物が迷子になる。迷子になった物を探す時間で仕事が遅れ、遅れが怒鳴り声になり、怒鳴り声がさらに手を止める。
負のループ。
最悪。
その時、棚の奥の奥、普段誰も触らなさそうな一角が目に入った。埃が少し積もり、木が黒ずんでいる。書類がぎゅうぎゅうに押し込まれて、端が折れている。
私の指先が、そこに吸い寄せられる。
「……ここ、何ですか」
「ん?そこ?見ないほうがいいよ、新人。だいたい怖いのが出る」
「出てもいいです。今、怖いの出てます」
私は棚の書類を引き出した。
紙の匂いが強くなる。古い紙の、湿った匂い。
奥から出てきたのは——束にされた報告書。
表紙に書かれた文字が目に刺さる。
『死亡報告書』
……死。
一瞬、指が止まった。
胸が、ぎゅっと縮む。
ここは冒険者ギルド。死は珍しくない。わかってる。わかってるのに、紙に書かれた“死亡”は、現代の「退職届」よりずっと重い。
「これ……」
センパイが肩越しに覗き込んで、ふっと顔をしかめた。
「あー……それ、放置されてるやつだ」
放置。
死が。放置。
「放置って、どういう……」
「そのまんま。処理の優先順位、低いの。だってさ、死んだ人は文句言わないじゃん」
その言葉が、胸を殴った。
私は目を閉じかけた。
怒りが湧く。でも、怒りだけじゃ何も変わらない。変えるためには——まず、事実。
私は報告書をめくった。
死因。討伐中の事故。情報不足。装備不足。
何枚も。何枚も。
同じような言葉が、同じような字で書かれている。まるで、繰り返し印刷された悲劇。
その時、紙の間から、硬いものが挟まっているのに気づいた。
木の感触。
押し当てるための台。
そして——印。
承認印だ。
私は息を止めた。
「……あった」
「え?」
センパイが目を見開く。
私は、死亡報告書の束の中に挟まっていた承認印をそっと取り出した。
赤いインクが少し乾いて、縁が黒ずんでいる。持つだけでわかる。これが現場の喉元を締めている原因だ。
「なんでこんなとこに……」
私の声が震える。怒りと、寒気と、呆れが混ざって。
センパイが口を尖らせた。
「さぁ?前に誰かが押して、そのまま挟んだんじゃない?印ってさ、押すの面倒だし。ギルド長も適当だし」
適当で、人が死ぬ。
私は承認印を握りしめた。
手のひらが熱くなる。
これ、現代なら炎上案件の原因分析で“ヒューマンエラー”って書かれて終わるやつだ。でも、ここではヒューマンエラーで人が死ぬ。
私は死亡報告書を抱え、棚に戻す前に、もう一度表紙を見た。
紙は薄い。薄いのに、重い。
死が紙になった瞬間、世界はそれを軽く扱う。扱えるから。棚に押し込めるから。踏めるから。
だからこそ、私は思った。
——この世界、管理が死んでる。
管理が死んでるから、誰かも死ぬ。
死が出るのに、死の記録が放置されてる。
ここは戦場より荒れている。戦場は敵が見える。けどここは、敵が“仕組み”として壁の中に潜んでいる。
「新人」
センパイが私を見た。さっきまでの軽さが少し薄れている。
「それ、どうするの?」
私は承認印を握ったまま、カウンターの向こうを見た。
怒鳴っている冒険者。慌てる職員。探し物をする精算担当。床の紙。
全部、つながっている。
承認印がここに挟まっていたせいで、依頼が止まり、報酬が止まり、怒鳴り声が増え、現場が止まり、さらに事故が増え——また死が増える。
私は、深く息を吸った。
紙の匂い。汗の匂い。怒鳴り声。
全部が肺に入って、胸の中でざらざらと擦れる。
でも、逃げない。
「……まず、承認印の置き場を決めます」
私が言うと、センパイが一瞬ぽかんとした。
「置き場?」
「はい。誰がいつ使って、どこに戻すか。ルールを作ります。今すぐ。じゃないと、また消えます」
センパイが笑った。
でもそれは、さっきの“慣れよ慣れ”の笑いじゃなくて、少しだけ驚いた笑いだった。
「新人、君さ……真面目すぎない?」
「真面目じゃないです。生きたいだけです」
私がそう言うと、近くで報酬袋を探していた精算担当がちらっとこちらを見る。
依頼審査の女性も、手を止めた。
そして、カウンターの向こうの冒険者がまた机を叩く。
ドン!
「おい!いつ出るんだよ!」
私は、承認印を机の上に置き、真正面からその冒険者を見た。
視線がぶつかる。怖い。けど、目を逸らしたら、ここで終わる。
「報酬ですか?」
「そうだよ!」
「依頼番号、言えます?」
「……は?」
冒険者が一瞬詰まる。
周囲の職員が息を呑む音が聞こえた。センパイが小声で「新人、煽るなよ」と言う。
でも私は煽ってない。確認してるだけ。
現代の炎上案件と同じ。特定しないと解決できない。
「依頼番号がわかれば、確認できます。わからないなら、依頼の内容と日付、パーティ名でも」
冒険者が唸る。怒りで顔を赤くしているのに、言葉が出ない。
「……狼の巣の討伐だ。三日前。パーティは“鉄牙”」
「ありがとうございます。確認します」
私は精算担当の男を見る。
「“鉄牙”、三日前、狼の巣。報酬袋、どこですか」
男が一瞬、目を見開き、それから棚を別の角度で探し始めた。さっきの“知らねぇ!”が嘘みたいに、探し方が変わる。
センパイが、私の耳元でささやく。
「……君、やばいね」
「やばいのは現場です」
私は笑えなかった。
笑う余裕がないからじゃない。
死の報告書が棚に押し込まれてる現場で、軽口を叩けない。
精算担当が、ようやく袋を見つけた。
「これだ!あった!」
冒険者が袋をひったくるように受け取り、硬貨の音を確かめる。顔の怒りが少し溶ける。
「……チッ。最初からやれよ」
そう吐き捨て、去っていく。
去り際の背中に、私は思った。
最初からやりたかった。でもできなかった。
仕組みが死んでたから。
私は承認印を手に取り、センパイに向き直る。
「センパイ。この印、誰が管理します?」
「え、えー……ギルド長……?」
「ギルド長が今ああなら、代わりに“預かり担当”を決めましょう。固定で。今すぐ」
センパイは少し困った顔をした。
でも、次の瞬間、ふっと口角を上げる。
「……じゃあ新人、君やる?」
その言葉は軽い。
でも、そこには試す色がある。押し付けの色もある。
私は、死亡報告書の表紙を思い出した。
押し付けられてきた人生。助かるわ~で潰された夜。
——二度と、雑に渡されて終わらない。
私は、少しだけ首を傾けて言った。
「条件があります」
センパイが吹き出した。
「条件って何!?いきなり交渉!?」
「はい。印を預かるなら、印を使う手順も決めます。使った人は必ず戻す。戻さなかったら、その人の案件は止めます」
周囲がざわっとした。
止める。そんなこと言う新人、普通いない。
センパイは笑いながら、でも目だけは真剣だった。
「……面白いじゃん。やってみなよ、新人」
新人。
その呼び方が、少しだけ軽く聞こえなくなった。
私は承認印を机の引き出しに入れた。
引き出しに鍵はない。だからこそ、置き場が必要だ。
引き出しを閉める音が、妙に大きく響いた。
ギルド事務局の怒鳴り声は止まらない。
紙はまだ床に散らばっている。
報酬袋はまだ封が開いている。
でも。
ほんの小さな歯車が、今、噛み合った気がした。
私は胸の奥で、静かに言う。
——この世界の管理は死んでる。
なら、まずは“蘇生”からだ。
石畳を踏むたびに車体が跳ね、紙束が腕の中でずるずるとずれていく。抱え直すたび、紙の角が手首に当たって地味に痛い。現代の電車なら、揺れても「揺れます」ってアナウンスがあるのに、異世界は無言で殴ってくる。
窓の外には、城壁の影が流れていった。高い塔。旗。市場のざわめき。パンの焼ける匂いがふっと入り込んで、腹が鳴りそうになる。腹は空いてる。でも、緊張で胃が縮んで、空腹が届かない感じ。
向かいに座る騎士は、ずっと黙っている。鎧の金具が揺れに合わせてカチャカチャ鳴るだけ。私は紙束の上から顔を上げた。
「……ギルドって、王都の中心ですか?」
騎士は頷いた。
「人が集まる。金も集まる。揉め事も集まる」
「最悪の三点セットですね」
騎士が一瞬だけ眉を動かした。理解できてないのか、同意なのか、どっちでもいい。私は自分の言葉を飲み込むように、息をひとつ吐いた。
馬車が止まる。外から声がした。
「到着だ」
扉が開くと、空気が一気に変わった。人の匂い。汗。酒。焼いた肉。香辛料。泥。密度が違う。生き物が押し合ってる匂いがする。
目の前に建っていたのは、石造りの大きな建物だった。看板には剣と盾の紋章。扉の前には、鎧の男も、ローブの女も、皮鎧の若者も、荷物を抱えた商人も、全員がごちゃ混ぜに出入りしている。
ここが——冒険者ギルド。
騎士が扉を押し開ける。
次の瞬間。
耳が、殴られた。
「おい!まだ支払い出てねぇぞ!」 「昨日の討伐、死にかけたんだぞ!報酬は!?」 「依頼書がないってどういうことだよ!さっき出しただろ!」
怒鳴り声が波みたいに押し寄せてくる。
その波の中心に、受付カウンターがあった。
カウンターの向こうで、職員たちが走り回っている。紙束を抱えたままぶつかり、床に落ち、誰かが踏み、さらに散らばる。クエスト依頼書が床一面に散乱して、まるで紙吹雪の地獄版。
報酬袋——革袋だろうか——が棚に積まれているのに、封が開きっぱなしで中身が見えている。金属の匂いがする。硬貨がこすれる音がする。あれ、盗まれないの?って思った瞬間、もう盗まれてる可能性が頭をよぎって胃が痛い。
私は、立ち尽くした。
「……ここ、戦場ですか」
騎士が無表情で言った。
「事務局だ」
うそだろ。
「うわぁ……」
言葉が勝手に漏れた。
“うわぁ”しか出てこない。現代でも炎上プロジェクトの初日、似たような声を出した気がする。あの時はSlackが地獄だったけど、ここはリアルに地獄。
騎士が職員のひとりに声をかける。
「新しい補佐を連れてきた。綴原ペンナだ」
その職員——女性だった。年は私より少し上、二十代後半くらい。茶色い髪を雑にまとめ、袖をまくっている。顔には疲労が張り付いているのに、目だけは妙に強い。
彼女は私を見るなり、にやっと笑った。
「お、新人?かわいそ~」
「……よろしくお願いします」
私は反射で頭を下げた。
「よろしくね。私は先輩職員の——えっと、名乗る暇ある?ないよね。ま、いっか。呼びやすく“センパイ”で」
雑。
雑すぎる。
でも、その雑さが逆に、この現場に適応した結果なんだろうと思ってしまって、胸が苦くなる。
センパイは私の腕の紙束を見て、肩をすくめた。
「うわ、未処理の束持ってきたの?君、いきなり死ぬじゃん」
「死ぬ……?」
冗談だよね?と笑いたかったのに、ここでは冗談に聞こえない。
センパイは軽く手を振った。
「慣れよ慣れ。ここはね、慣れたやつが勝つ。理屈?正論?そんなの、床に落ちて踏まれて終わり」
床に落ちて踏まれて終わり。
確かに、今まさに依頼書が踏まれている。
「とりあえず、カウンターの内側入って。新人用の席……って言いたいけど席なんてないから。適当に空いてるとこに荷物置いて」
「はい」
私はカウンターの内側へ入った。
一歩踏み入れただけで、紙の匂いが濃くなる。汗の匂いが混ざる。インクと、鉄と、脂と、焦り。現代のオフィスとは違う種類の“労働の匂い”が、喉の奥に張り付く。
その時、机を叩く音がした。
ドン!と、木が鳴る。
「おい、遅い!」
カウンターの向こうで、屈強な冒険者が怒鳴っていた。腕には傷跡。腰には剣。目が血走っている。
「俺の報酬、三日待ってるんだよ!」
センパイが片手を上げた。
「はいはい、今やってる!今!」
「今!?今って何だよ!いつだよ!」
私は思わず口を挟みかけた。
“いつまでに必要ですか”って。
でも、ここでそれを言ったら殴られるかもしれない。殴られたくない。社会人は殴られたことないんだぞ。
センパイが私の袖を引いた。小声。
「余計なこと言わない。燃える。まずは観察」
観察。了解。
私は背中を丸めるようにして、周囲を見る。
職員は四人。受付担当、精算担当、依頼審査っぽい担当、雑用全部担当。全員が同時に怒鳴られ、同時に紙を探し、同時に手が止まっている。
つまり、全員が詰まってる。
精算担当の男性が、棚を開けては閉め、また開ける。
「ない……ない……どこだよ、あの袋!」
「どの袋?」と誰かが聞く。
「知らねぇ!昨日の討伐のやつ!」
知らねぇのに探してる。
地獄。
依頼審査っぽい女性は、床の紙を拾いながら叫ぶ。
「その依頼、承認印がないと受けられません!」
「承認印がどこにあるんだよ!」と冒険者が怒鳴る。
承認印。
私はその単語で、ピンと来た。
承認がボトルネック。
承認が詰まれば、依頼も精算も全部止まる。現代でも同じ。承認の遅延は炎上の種火だ。
私は紙束を机の端に置き、袖をまくった。
スーツの袖をまくるの、久しぶりだ。こっちの世界だと変に浮くけど、そんなこと気にしている場合じゃない。
「センパイ、承認印って誰が持ってますか?」
センパイは私を見て、目を細めた。
「……新人、いい質問するじゃん。承認印はね、本来ギルド長。でもギルド長は今——」
その瞬間、奥の部屋から怒鳴り声が響いた。
「おい!誰だよ!金が足りねぇって言ってんだろ!」
ギルド長っぽい声だ。
声の主は見えない。でも、絶対に面倒なタイプだとわかる。声がそれを語ってる。
センパイが肩をすくめる。
「ほら、あれ。ギルド長は今、別の地獄で揉めてる。だから印が止まる。止まると現場が燃える。燃えると——」
「私たちが死ぬ」
つい、続きを言ってしまった。
センパイはにやっと笑った。
「そう。やっと理解したね」
理解した。
理解したからこそ、胸が冷える。
私は、まず“探す”ことにした。
承認印の物理的な場所。
現代なら電子承認フローで済むのに、ここは印鑑ひとつで世界が止まる。
棚を見る。机を見る。カウンターの下。
紙の山。袋の山。道具の山。
片付いてない。
片付いてないというか、そもそも“置き場”がない。置き場がないから、物が迷子になる。迷子になった物を探す時間で仕事が遅れ、遅れが怒鳴り声になり、怒鳴り声がさらに手を止める。
負のループ。
最悪。
その時、棚の奥の奥、普段誰も触らなさそうな一角が目に入った。埃が少し積もり、木が黒ずんでいる。書類がぎゅうぎゅうに押し込まれて、端が折れている。
私の指先が、そこに吸い寄せられる。
「……ここ、何ですか」
「ん?そこ?見ないほうがいいよ、新人。だいたい怖いのが出る」
「出てもいいです。今、怖いの出てます」
私は棚の書類を引き出した。
紙の匂いが強くなる。古い紙の、湿った匂い。
奥から出てきたのは——束にされた報告書。
表紙に書かれた文字が目に刺さる。
『死亡報告書』
……死。
一瞬、指が止まった。
胸が、ぎゅっと縮む。
ここは冒険者ギルド。死は珍しくない。わかってる。わかってるのに、紙に書かれた“死亡”は、現代の「退職届」よりずっと重い。
「これ……」
センパイが肩越しに覗き込んで、ふっと顔をしかめた。
「あー……それ、放置されてるやつだ」
放置。
死が。放置。
「放置って、どういう……」
「そのまんま。処理の優先順位、低いの。だってさ、死んだ人は文句言わないじゃん」
その言葉が、胸を殴った。
私は目を閉じかけた。
怒りが湧く。でも、怒りだけじゃ何も変わらない。変えるためには——まず、事実。
私は報告書をめくった。
死因。討伐中の事故。情報不足。装備不足。
何枚も。何枚も。
同じような言葉が、同じような字で書かれている。まるで、繰り返し印刷された悲劇。
その時、紙の間から、硬いものが挟まっているのに気づいた。
木の感触。
押し当てるための台。
そして——印。
承認印だ。
私は息を止めた。
「……あった」
「え?」
センパイが目を見開く。
私は、死亡報告書の束の中に挟まっていた承認印をそっと取り出した。
赤いインクが少し乾いて、縁が黒ずんでいる。持つだけでわかる。これが現場の喉元を締めている原因だ。
「なんでこんなとこに……」
私の声が震える。怒りと、寒気と、呆れが混ざって。
センパイが口を尖らせた。
「さぁ?前に誰かが押して、そのまま挟んだんじゃない?印ってさ、押すの面倒だし。ギルド長も適当だし」
適当で、人が死ぬ。
私は承認印を握りしめた。
手のひらが熱くなる。
これ、現代なら炎上案件の原因分析で“ヒューマンエラー”って書かれて終わるやつだ。でも、ここではヒューマンエラーで人が死ぬ。
私は死亡報告書を抱え、棚に戻す前に、もう一度表紙を見た。
紙は薄い。薄いのに、重い。
死が紙になった瞬間、世界はそれを軽く扱う。扱えるから。棚に押し込めるから。踏めるから。
だからこそ、私は思った。
——この世界、管理が死んでる。
管理が死んでるから、誰かも死ぬ。
死が出るのに、死の記録が放置されてる。
ここは戦場より荒れている。戦場は敵が見える。けどここは、敵が“仕組み”として壁の中に潜んでいる。
「新人」
センパイが私を見た。さっきまでの軽さが少し薄れている。
「それ、どうするの?」
私は承認印を握ったまま、カウンターの向こうを見た。
怒鳴っている冒険者。慌てる職員。探し物をする精算担当。床の紙。
全部、つながっている。
承認印がここに挟まっていたせいで、依頼が止まり、報酬が止まり、怒鳴り声が増え、現場が止まり、さらに事故が増え——また死が増える。
私は、深く息を吸った。
紙の匂い。汗の匂い。怒鳴り声。
全部が肺に入って、胸の中でざらざらと擦れる。
でも、逃げない。
「……まず、承認印の置き場を決めます」
私が言うと、センパイが一瞬ぽかんとした。
「置き場?」
「はい。誰がいつ使って、どこに戻すか。ルールを作ります。今すぐ。じゃないと、また消えます」
センパイが笑った。
でもそれは、さっきの“慣れよ慣れ”の笑いじゃなくて、少しだけ驚いた笑いだった。
「新人、君さ……真面目すぎない?」
「真面目じゃないです。生きたいだけです」
私がそう言うと、近くで報酬袋を探していた精算担当がちらっとこちらを見る。
依頼審査の女性も、手を止めた。
そして、カウンターの向こうの冒険者がまた机を叩く。
ドン!
「おい!いつ出るんだよ!」
私は、承認印を机の上に置き、真正面からその冒険者を見た。
視線がぶつかる。怖い。けど、目を逸らしたら、ここで終わる。
「報酬ですか?」
「そうだよ!」
「依頼番号、言えます?」
「……は?」
冒険者が一瞬詰まる。
周囲の職員が息を呑む音が聞こえた。センパイが小声で「新人、煽るなよ」と言う。
でも私は煽ってない。確認してるだけ。
現代の炎上案件と同じ。特定しないと解決できない。
「依頼番号がわかれば、確認できます。わからないなら、依頼の内容と日付、パーティ名でも」
冒険者が唸る。怒りで顔を赤くしているのに、言葉が出ない。
「……狼の巣の討伐だ。三日前。パーティは“鉄牙”」
「ありがとうございます。確認します」
私は精算担当の男を見る。
「“鉄牙”、三日前、狼の巣。報酬袋、どこですか」
男が一瞬、目を見開き、それから棚を別の角度で探し始めた。さっきの“知らねぇ!”が嘘みたいに、探し方が変わる。
センパイが、私の耳元でささやく。
「……君、やばいね」
「やばいのは現場です」
私は笑えなかった。
笑う余裕がないからじゃない。
死の報告書が棚に押し込まれてる現場で、軽口を叩けない。
精算担当が、ようやく袋を見つけた。
「これだ!あった!」
冒険者が袋をひったくるように受け取り、硬貨の音を確かめる。顔の怒りが少し溶ける。
「……チッ。最初からやれよ」
そう吐き捨て、去っていく。
去り際の背中に、私は思った。
最初からやりたかった。でもできなかった。
仕組みが死んでたから。
私は承認印を手に取り、センパイに向き直る。
「センパイ。この印、誰が管理します?」
「え、えー……ギルド長……?」
「ギルド長が今ああなら、代わりに“預かり担当”を決めましょう。固定で。今すぐ」
センパイは少し困った顔をした。
でも、次の瞬間、ふっと口角を上げる。
「……じゃあ新人、君やる?」
その言葉は軽い。
でも、そこには試す色がある。押し付けの色もある。
私は、死亡報告書の表紙を思い出した。
押し付けられてきた人生。助かるわ~で潰された夜。
——二度と、雑に渡されて終わらない。
私は、少しだけ首を傾けて言った。
「条件があります」
センパイが吹き出した。
「条件って何!?いきなり交渉!?」
「はい。印を預かるなら、印を使う手順も決めます。使った人は必ず戻す。戻さなかったら、その人の案件は止めます」
周囲がざわっとした。
止める。そんなこと言う新人、普通いない。
センパイは笑いながら、でも目だけは真剣だった。
「……面白いじゃん。やってみなよ、新人」
新人。
その呼び方が、少しだけ軽く聞こえなくなった。
私は承認印を机の引き出しに入れた。
引き出しに鍵はない。だからこそ、置き場が必要だ。
引き出しを閉める音が、妙に大きく響いた。
ギルド事務局の怒鳴り声は止まらない。
紙はまだ床に散らばっている。
報酬袋はまだ封が開いている。
でも。
ほんの小さな歯車が、今、噛み合った気がした。
私は胸の奥で、静かに言う。
——この世界の管理は死んでる。
なら、まずは“蘇生”からだ。
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2023/09/06 少し修正したバージョンと入れ替えながら更新を再開します。
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