異世界OLは忙しい、ざまぁも恋もプロジェクト管理で制覇します

タマ マコト

文字の大きさ
5 / 20

第5話 黒板が埋まるまで、私は「いつまでに必要?」を手放さない

しおりを挟む
黒板に線を引いた翌朝、ギルドは相変わらずうるさかった。

怒鳴り声はいつも通り天井に跳ね返り、紙の束はいつも通り机の端から崩れ、硬貨の音がどこかで乾いたリズムを刻んでいる。混乱はこの建物の“通常運転”で、みんなそのまま走り続けるつもりでいた。走り続けて、倒れて、また起きて、走る。そんなループが当たり前。

でも。

黒板だけは、昨日よりはっきりそこに立っていた。

板の表面には、すでに数字が書かれている。依頼受付◯件、審査待ち◯件、精算待ち◯件。クレーム◯件。大きな字で“今日の未処理”とある。

それを見ただけで、胸が少しだけ落ち着いた。

見えるって、息がしやすい。

「新人~」

センパイの声がする。相変わらず軽い。軽くないのは顔だけ。目の下の影が、昨日より濃い気がする。

「なに?」

「昨日さ、板に数字書いたじゃん。あれ、みんな意外と見てたわ」

「意外とって何ですか」

「いや、うちの人間ってさ、文字読むの嫌いなの」

「……うそでしょ」

「ほんと。だから依頼書踏むし、報告書なくす」

センパイは肩をすくめて笑う。笑ってるけど、笑えない。踏まれた紙の中に“死亡報告書”があったことを思い出して、私の喉が少しだけ硬くなる。

私は黒板の前に立ち、チョークを握り直した。粉が指につく。昨日より指の動きが滑らかだ。慣れって、こういうところで力になる。

「……じゃあ、今日からもっと見えるようにします」

「お、やる気。怖」

センパイは言いつつ、私の邪魔はしない。むしろ、少し距離を取って見守っている。試されてる。そういう空気がする。でも、試されるのは嫌いじゃない。現代でも何度もやった。結果で黙らせるしかない場面は、慣れている。

私は深く息を吸って、受付カウンターの内側から、外に向かって声を張った。

「すみません!今日来た依頼を、全部、ここに書いてください!」

自分の声が、思ったよりよく通った。空気が一瞬だけ止まる。怒鳴っていた冒険者が口を閉じ、職員の手が止まり、誰かの咳がやけに大きく聞こえる。

センパイが鼻で笑った。

「はっ。新人、いきなり何言ってんの。そんなのやったことないよ」

「だからやります」

「やりますって……紙の依頼書があるのに、わざわざ板に?」

「紙は踏まれます。なくなります。板は踏めない」

私は言い切った。

冒険者の一人が眉をひそめる。

「おい、なんだよそれ。俺らに書けって?」

「はい。依頼の内容を一言でいいので。読み上げてくれたら、こちらで書きます。とにかく“今日の分”を全部ここに集めたいです」

ざわざわが戻る。反発のざわめき。慣れないものへの警戒。そういう音。

私は、黒板の横に立ち、チョークを高く掲げた。戦場に旗を立てるみたいに。自分の中で、妙に覚悟が決まる。

「順番にやります。列、作ってください」

「列?は?」

「列です。順番がないと、ずっと怒鳴り声が勝つだけです」

私はカウンターの前に、床の上を指さした。線を引くものはない。だから、言葉で線を引く。

「壁沿いに並んでください。入口から。はい、そっち。あなた、先頭。次の人は後ろ」

冒険者たちは最初、ぽかんとしていた。
でも、誰かが動くと、流れは生まれる。

腕組みしていた屈強な男が「チッ」と舌打ちしながらも壁に寄り、次の男がその後ろに立ち、さらにその後ろへと人が続く。まるで、散らばっていた砂が、目に見えない手で一本の線に集められていくみたいに。

「……ほんとに列できてる」

センパイが小声で笑う。驚いてる。ちょっと悔しそう。私は笑わない。笑ったら緩む。今は緩めたくない。

列ができた。

私は先頭の冒険者に向き直る。青年。まだ若い。装備が少し頼りない。緊張で喉が鳴っている。

「依頼、何ですか」

「え、えっと……村の近くにゴブリンが出たって……」

「場所は」

「東の……ナナ草村」

「期限はありますか」

青年が目を瞬いた。

「き、期限……?」

「いつまでに解決したい、っていう希望です。村が困ってる度合い」

青年は目を泳がせ、しばらく考えてから言う。

「できれば……早いほうが。畑荒らされて……」

「了解。緊急寄り」

私は黒板に大きく書く。

【討伐】ナナ草村 ゴブリン/緊急寄り

その文字を見て、青年の表情が少しだけ柔らぐ。
紙に書かれるより、板に書かれるほうが、なぜか“話が進んだ”感じがするのかもしれない。

次。

列の二人目は、商人っぽい男だった。荷物袋を抱えている。

「護衛です。王都から南の街道、荷馬車二台。盗賊が出るんで」

「出発希望は」

「三日後」

「期間は」

「片道で二日。泊まり込み」

黒板に書く。

【護衛】南街道 荷馬車2/出発3日後

次。

三人目は、依頼じゃなくてクレームだった。
顔を赤くした冒険者が、いきなり机を叩こうとして、私の視線に止まる。叩く前に、空気が凍る。

「……報酬が遅いんだよ!」

「依頼番号、わかりますか」

「知らねぇ!」

「内容と日付、パーティ名で」

「……狼の巣。五日前。鉄牙!」

「了解。精算待ちに入れます」

私は黒板の“精算”欄に書き足す。

【精算】鉄牙 狼の巣/5日前/未払い

冒険者が口を開けたまま固まる。

「……書いただけで終わりかよ」

「終わりじゃないです。見えるところに置きました。これが消えたら、私の責任です。消えなければ、次に進めます」

その瞬間、冒険者の怒りが少しだけ鈍る。
“責任”という単語は、相手の感情の熱を落とす。現代でもそうだった。責任がどこにあるか見えるだけで、怒りの矛先は少しだけ迷う。

センパイがぼそっと言う。

「新人、危ない橋渡ってんなぁ」

「橋は渡らないと向こうに行けません」

「かっこつけてんの?」

「本気です」

センパイは、ふっと笑った。
そして、紙束を持ってきて私の横に置く。

「ほら。依頼書。板に書くなら、こっちも見ながらやりなよ」

「ありがとう」

礼を言うと、センパイが一瞬だけ照れた顔をした。すぐにいつもの軽い顔に戻るけど、その一瞬が、私には大事だった。味方がいるって、仕事が進む。

列は続く。

討伐。採取。護衛。調査。迷子の猫探し(猫?異世界でも猫なの?)。
依頼の種類はバラバラで、そのたびにギルド職員の頭の中はぐちゃぐちゃになる。でも、黒板の上ではカテゴリごとに整っていく。

私は太い線を追加した。

【討伐】
【護衛】
【採取】
【調査】
【その他】

センパイが鼻で笑う。

「うわ、分類し始めた。新人、ほんとそういうの好きだね」

「好きじゃないです。必要なんです」

「同じじゃん」

同じかもしれない。
必要だから、好きになってしまったもの。私の人生にはそういうものが多い。

午前が過ぎるころ、黒板はもう半分埋まっていた。
文字が増えるたび、混乱が少しずつ“形”になる。形になれば、対処できる。

でも、ここで新しい波が来た。

「おい!いつ終わるんだよ!」

大きな声。列の途中から、背の高い冒険者が前へ出てきた。肩に大剣。傷だらけの手。目が鋭い。慣れてる人の目だ。現場の荒波を何度も越えてきた目。

彼は私を睨む。

「俺たちは今日、出たいんだ。依頼もある。装備の修理もある。手続きに何時間かかる」

私は一瞬、喉が乾くのを感じた。

現代なら「いつ終わる」って言葉は、ほぼ脅しだ。相手の心に火をつける言葉。私の中の記憶が、黒崎の声とつながる。“助かるわ~、今日中ね”の圧。

でも。

私は息を吸って、いつもの返しを選んだ。

「いつまでに必要ですか」

冒険者が、ぴたりと止まった。

その沈黙が、妙に気持ちいい。

空気が止まる。
周りの冒険者も、職員も、センパイも、全員が一瞬だけ耳を澄ませる。

冒険者の眉が少しだけ動く。

「……は?」

「期限です。あなたが“いつ終わる”と聞くなら、私は“いつまでに必要か”を聞きます。必要な期限がわかれば、優先順位を調整できます」

彼は口を開けたまま、少しだけ言葉を探す。
この世界で“期限”を問われたことがないのかもしれない。
依頼は降ってくる。受ける。行く。帰る。終わり。
その間に“いつまで”を入れる発想が薄い。

「……日没までだ」

ようやく彼が言った。

「日没までに、出発できないと困る」

私は頷いた。

「了解。日没までに出発できるように、手続きを優先します」

「……できるのか」

「やります。理由は簡単です。期限が明確だから」

冒険者の目が細くなる。

「お前、変な女だな」

「よく言われます」

そう返すと、周囲から小さな笑いが漏れた。
笑い。
この事務局で笑いが出るの、珍しい。

センパイが私の耳元で囁く。

「今の、刺さったね。みんな固まってた」

「固まるのは悪くないです。固まった瞬間、考えるから」

私は黒板にその冒険者の案件を追記し、横に小さく印をつけた。

【優先】日没まで

印をつけるだけで、現場の空気が少し変わる。
“ああ、あれは急ぎなんだ”って、全員が共有できる。共有できれば、無駄な衝突が減る。

午後。

列は短くなってきた。
最初は「なんで並ばなきゃいけないんだ」とぶつぶつ言っていた冒険者たちも、いつの間にか壁沿いに並ぶことを当然のように受け入れている。人間って、仕組みができるとその中で生き始める。

センパイは途中から、私の隣でチョークを持って手伝い始めた。
字は少し雑だけど、速い。現場の字。
彼女が書くたび、黒板が埋まる速度が上がる。

「新人、ほら、次これ」

「ありがとう。分類は——討伐でいい?」

「うん。あと期限、明後日って言ってた」

「明後日、了解」

こんなふうに、会話が“仕事の言葉”になっていくのが嬉しかった。怒鳴り声じゃない。確認の言葉。進める言葉。

途中で、紙束を抱えて走っていた職員がつまずき、依頼書をばらまいた。
床に散らばる紙。昨日ならそれだけで混乱が増えていた。でも、今日は違った。

センパイが叫ぶ。

「拾う前に!内容だけ読む!」

「え?」

「新人方式!読む!板に書く!」

職員が一瞬迷って、それから紙を拾い上げながら読み上げる。

「採取!森の薬草!期限三日!」

私は即座に黒板に書く。

【採取】森の薬草/期限3日

紙は拾われ、束ねられ、棚に置かれる。
でも、依頼はすでに“板”に残った。
それだけで、紙が再び散らばっても恐怖が減る。

夕方が近づくと、光が窓から斜めに入ってきて、黒板の粉が金色に舞った。
黒板は、ほとんど埋まっていた。

文字。数字。カテゴリ。期限。優先印。
ごちゃごちゃなのに、昨日の“ごちゃごちゃ”とは違う。
整理されたごちゃごちゃ。
見えるごちゃごちゃ。

私はチョークを置き、黒板全体を見渡した。

……ここに、今日の仕事が全部ある。

初めて、“仕事が見える”形になっていた。

胸の奥が、じん、と熱くなる。
そんな感情が残っていたことに、自分で驚く。
希望って、もっと派手なものだと思ってた。勇者が剣を抜くとか、魔法が炸裂するとか。
でも私の希望は、黒板に並んだ文字の列だった。

「……できた」

小さく呟くと、センパイが隣で肩をぶつけてきた。

「できた、じゃないよ。まだ終わってないよ」

「わかってます。でも——」

私は黒板を指さす。

「ここにある。消えない。踏まれない」

センパイは黒板を見上げて、少しだけ目を細めた。

「……なんかさ」

「はい」

「これ、普通に……助かるね」

その言葉に、私は一瞬だけ心臓が跳ねた。

“助かる”

黒崎マーカーの「助かるわ~」が頭をよぎる。
でも、今の“助かる”は違う。軽くない。奪う言葉じゃない。共に息をつく言葉だ。

私は、笑ってしまった。ほんの少しだけ。

「よかったです」

センパイも笑う。疲れた顔のまま、でも確かに笑う。

カウンターの向こうでは、冒険者たちが黒板を覗き込みながら、自分の依頼が書かれているか確認している。
「お、俺のある」
「期限、明日って書いてあるけど、合ってる」
そんな声が飛び交い、怒鳴り声は少しだけ減っていた。

夕方の光の中で、黒板は文字で埋まり、ギルドの一日が初めて“形”になった。

私はチョークの粉を手で払って、息をひとつ吐いた。

たった一枚の板。
たった数本の線。
たった一つの質問——「いつまでに必要ですか」。

それだけで、世界はほんの少しだけ、整い始めた気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄から50年後

あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで、王子が婚約者に婚約破棄を宣言した。王子は真に愛する女性と結ばれ、めでたしめでたし。 そして50年後、王子の孫の王子は、婚約破棄された女性の孫と婚約する事に。そこで明かされた婚約破棄の真実とは。

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。 だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。 十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。 ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。 元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。 そして更に二年、とうとうその日が来た…… 

【完結】子爵令嬢の秘密

りまり
恋愛
私は記憶があるまま転生しました。 転生先は子爵令嬢です。 魔力もそこそこありますので記憶をもとに頑張りたいです。

真実の愛のおつりたち

毒島醜女
ファンタジー
ある公国。 不幸な身の上の平民女に恋をした公子は彼女を虐げた公爵令嬢を婚約破棄する。 その騒動は大きな波を起こし、大勢の人間を巻き込んでいった。 真実の愛に踊らされるのは当人だけではない。 そんな群像劇。

婚約者を奪った妹と縁を切り、辺境領を継いだら勇者一行がついてきました

藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。 家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。 その“褒賞”として押しつけられたのは―― 魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。 けれど私は、絶望しなかった。 むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。 そして、予想外の出来事が起きる。 ――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。 「君をひとりで行かせるわけがない」 そう言って微笑む勇者レオン。 村を守るため剣を抜く騎士。 魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。 物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。 彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。 気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き―― いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。 もう、誰にも振り回されない。 ここが私の新しい居場所。 そして、隣には――かつての仲間たちがいる。 捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。 これは、そんな私の第二の人生の物語。

無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。

転生ヒロインは不倫が嫌いなので地道な道を選らぶ

karon
ファンタジー
デビュタントドレスを見た瞬間アメリアはかつて好きだった乙女ゲーム「薔薇の言の葉」の世界に転生したことを悟った。 しかし、攻略対象に張り付いた自分より身分の高い悪役令嬢と戦う危険性を考え、攻略対象完全無視でモブとくっつくことを決心、しかし、アメリアの思惑は思わぬ方向に横滑りし。

養豚農家のおっさんだった令嬢が、「あなたを愛せない」と泣く婚約者を育ててみた。

灯乃
ファンタジー
ある日、伯爵令嬢のデルフィーヌは、前世の自分が養豚場を営むおっさんだったことを思い出した。 (あああぁあ……。むしろ、今のわたしの記憶を持ったまま、おっさんの人生をやり直したい……。おっさんの奥方が、年子の三兄弟の育児でノイローゼになりかけていたとき、もっと全力でお助けして差し上げたい……!) そんなことを考えつつ、婚約者との初顔合わせで「あなたを愛せない」と泣かれたデルフィーヌは、彼を育てることにしたのだが――?

処理中です...