異世界OLは忙しい、ざまぁも恋もプロジェクト管理で制覇します

タマ マコト

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第5話 黒板が埋まるまで、私は「いつまでに必要?」を手放さない

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黒板に線を引いた翌朝、ギルドは相変わらずうるさかった。

怒鳴り声はいつも通り天井に跳ね返り、紙の束はいつも通り机の端から崩れ、硬貨の音がどこかで乾いたリズムを刻んでいる。混乱はこの建物の“通常運転”で、みんなそのまま走り続けるつもりでいた。走り続けて、倒れて、また起きて、走る。そんなループが当たり前。

でも。

黒板だけは、昨日よりはっきりそこに立っていた。

板の表面には、すでに数字が書かれている。依頼受付◯件、審査待ち◯件、精算待ち◯件。クレーム◯件。大きな字で“今日の未処理”とある。

それを見ただけで、胸が少しだけ落ち着いた。

見えるって、息がしやすい。

「新人~」

センパイの声がする。相変わらず軽い。軽くないのは顔だけ。目の下の影が、昨日より濃い気がする。

「なに?」

「昨日さ、板に数字書いたじゃん。あれ、みんな意外と見てたわ」

「意外とって何ですか」

「いや、うちの人間ってさ、文字読むの嫌いなの」

「……うそでしょ」

「ほんと。だから依頼書踏むし、報告書なくす」

センパイは肩をすくめて笑う。笑ってるけど、笑えない。踏まれた紙の中に“死亡報告書”があったことを思い出して、私の喉が少しだけ硬くなる。

私は黒板の前に立ち、チョークを握り直した。粉が指につく。昨日より指の動きが滑らかだ。慣れって、こういうところで力になる。

「……じゃあ、今日からもっと見えるようにします」

「お、やる気。怖」

センパイは言いつつ、私の邪魔はしない。むしろ、少し距離を取って見守っている。試されてる。そういう空気がする。でも、試されるのは嫌いじゃない。現代でも何度もやった。結果で黙らせるしかない場面は、慣れている。

私は深く息を吸って、受付カウンターの内側から、外に向かって声を張った。

「すみません!今日来た依頼を、全部、ここに書いてください!」

自分の声が、思ったよりよく通った。空気が一瞬だけ止まる。怒鳴っていた冒険者が口を閉じ、職員の手が止まり、誰かの咳がやけに大きく聞こえる。

センパイが鼻で笑った。

「はっ。新人、いきなり何言ってんの。そんなのやったことないよ」

「だからやります」

「やりますって……紙の依頼書があるのに、わざわざ板に?」

「紙は踏まれます。なくなります。板は踏めない」

私は言い切った。

冒険者の一人が眉をひそめる。

「おい、なんだよそれ。俺らに書けって?」

「はい。依頼の内容を一言でいいので。読み上げてくれたら、こちらで書きます。とにかく“今日の分”を全部ここに集めたいです」

ざわざわが戻る。反発のざわめき。慣れないものへの警戒。そういう音。

私は、黒板の横に立ち、チョークを高く掲げた。戦場に旗を立てるみたいに。自分の中で、妙に覚悟が決まる。

「順番にやります。列、作ってください」

「列?は?」

「列です。順番がないと、ずっと怒鳴り声が勝つだけです」

私はカウンターの前に、床の上を指さした。線を引くものはない。だから、言葉で線を引く。

「壁沿いに並んでください。入口から。はい、そっち。あなた、先頭。次の人は後ろ」

冒険者たちは最初、ぽかんとしていた。
でも、誰かが動くと、流れは生まれる。

腕組みしていた屈強な男が「チッ」と舌打ちしながらも壁に寄り、次の男がその後ろに立ち、さらにその後ろへと人が続く。まるで、散らばっていた砂が、目に見えない手で一本の線に集められていくみたいに。

「……ほんとに列できてる」

センパイが小声で笑う。驚いてる。ちょっと悔しそう。私は笑わない。笑ったら緩む。今は緩めたくない。

列ができた。

私は先頭の冒険者に向き直る。青年。まだ若い。装備が少し頼りない。緊張で喉が鳴っている。

「依頼、何ですか」

「え、えっと……村の近くにゴブリンが出たって……」

「場所は」

「東の……ナナ草村」

「期限はありますか」

青年が目を瞬いた。

「き、期限……?」

「いつまでに解決したい、っていう希望です。村が困ってる度合い」

青年は目を泳がせ、しばらく考えてから言う。

「できれば……早いほうが。畑荒らされて……」

「了解。緊急寄り」

私は黒板に大きく書く。

【討伐】ナナ草村 ゴブリン/緊急寄り

その文字を見て、青年の表情が少しだけ柔らぐ。
紙に書かれるより、板に書かれるほうが、なぜか“話が進んだ”感じがするのかもしれない。

次。

列の二人目は、商人っぽい男だった。荷物袋を抱えている。

「護衛です。王都から南の街道、荷馬車二台。盗賊が出るんで」

「出発希望は」

「三日後」

「期間は」

「片道で二日。泊まり込み」

黒板に書く。

【護衛】南街道 荷馬車2/出発3日後

次。

三人目は、依頼じゃなくてクレームだった。
顔を赤くした冒険者が、いきなり机を叩こうとして、私の視線に止まる。叩く前に、空気が凍る。

「……報酬が遅いんだよ!」

「依頼番号、わかりますか」

「知らねぇ!」

「内容と日付、パーティ名で」

「……狼の巣。五日前。鉄牙!」

「了解。精算待ちに入れます」

私は黒板の“精算”欄に書き足す。

【精算】鉄牙 狼の巣/5日前/未払い

冒険者が口を開けたまま固まる。

「……書いただけで終わりかよ」

「終わりじゃないです。見えるところに置きました。これが消えたら、私の責任です。消えなければ、次に進めます」

その瞬間、冒険者の怒りが少しだけ鈍る。
“責任”という単語は、相手の感情の熱を落とす。現代でもそうだった。責任がどこにあるか見えるだけで、怒りの矛先は少しだけ迷う。

センパイがぼそっと言う。

「新人、危ない橋渡ってんなぁ」

「橋は渡らないと向こうに行けません」

「かっこつけてんの?」

「本気です」

センパイは、ふっと笑った。
そして、紙束を持ってきて私の横に置く。

「ほら。依頼書。板に書くなら、こっちも見ながらやりなよ」

「ありがとう」

礼を言うと、センパイが一瞬だけ照れた顔をした。すぐにいつもの軽い顔に戻るけど、その一瞬が、私には大事だった。味方がいるって、仕事が進む。

列は続く。

討伐。採取。護衛。調査。迷子の猫探し(猫?異世界でも猫なの?)。
依頼の種類はバラバラで、そのたびにギルド職員の頭の中はぐちゃぐちゃになる。でも、黒板の上ではカテゴリごとに整っていく。

私は太い線を追加した。

【討伐】
【護衛】
【採取】
【調査】
【その他】

センパイが鼻で笑う。

「うわ、分類し始めた。新人、ほんとそういうの好きだね」

「好きじゃないです。必要なんです」

「同じじゃん」

同じかもしれない。
必要だから、好きになってしまったもの。私の人生にはそういうものが多い。

午前が過ぎるころ、黒板はもう半分埋まっていた。
文字が増えるたび、混乱が少しずつ“形”になる。形になれば、対処できる。

でも、ここで新しい波が来た。

「おい!いつ終わるんだよ!」

大きな声。列の途中から、背の高い冒険者が前へ出てきた。肩に大剣。傷だらけの手。目が鋭い。慣れてる人の目だ。現場の荒波を何度も越えてきた目。

彼は私を睨む。

「俺たちは今日、出たいんだ。依頼もある。装備の修理もある。手続きに何時間かかる」

私は一瞬、喉が乾くのを感じた。

現代なら「いつ終わる」って言葉は、ほぼ脅しだ。相手の心に火をつける言葉。私の中の記憶が、黒崎の声とつながる。“助かるわ~、今日中ね”の圧。

でも。

私は息を吸って、いつもの返しを選んだ。

「いつまでに必要ですか」

冒険者が、ぴたりと止まった。

その沈黙が、妙に気持ちいい。

空気が止まる。
周りの冒険者も、職員も、センパイも、全員が一瞬だけ耳を澄ませる。

冒険者の眉が少しだけ動く。

「……は?」

「期限です。あなたが“いつ終わる”と聞くなら、私は“いつまでに必要か”を聞きます。必要な期限がわかれば、優先順位を調整できます」

彼は口を開けたまま、少しだけ言葉を探す。
この世界で“期限”を問われたことがないのかもしれない。
依頼は降ってくる。受ける。行く。帰る。終わり。
その間に“いつまで”を入れる発想が薄い。

「……日没までだ」

ようやく彼が言った。

「日没までに、出発できないと困る」

私は頷いた。

「了解。日没までに出発できるように、手続きを優先します」

「……できるのか」

「やります。理由は簡単です。期限が明確だから」

冒険者の目が細くなる。

「お前、変な女だな」

「よく言われます」

そう返すと、周囲から小さな笑いが漏れた。
笑い。
この事務局で笑いが出るの、珍しい。

センパイが私の耳元で囁く。

「今の、刺さったね。みんな固まってた」

「固まるのは悪くないです。固まった瞬間、考えるから」

私は黒板にその冒険者の案件を追記し、横に小さく印をつけた。

【優先】日没まで

印をつけるだけで、現場の空気が少し変わる。
“ああ、あれは急ぎなんだ”って、全員が共有できる。共有できれば、無駄な衝突が減る。

午後。

列は短くなってきた。
最初は「なんで並ばなきゃいけないんだ」とぶつぶつ言っていた冒険者たちも、いつの間にか壁沿いに並ぶことを当然のように受け入れている。人間って、仕組みができるとその中で生き始める。

センパイは途中から、私の隣でチョークを持って手伝い始めた。
字は少し雑だけど、速い。現場の字。
彼女が書くたび、黒板が埋まる速度が上がる。

「新人、ほら、次これ」

「ありがとう。分類は——討伐でいい?」

「うん。あと期限、明後日って言ってた」

「明後日、了解」

こんなふうに、会話が“仕事の言葉”になっていくのが嬉しかった。怒鳴り声じゃない。確認の言葉。進める言葉。

途中で、紙束を抱えて走っていた職員がつまずき、依頼書をばらまいた。
床に散らばる紙。昨日ならそれだけで混乱が増えていた。でも、今日は違った。

センパイが叫ぶ。

「拾う前に!内容だけ読む!」

「え?」

「新人方式!読む!板に書く!」

職員が一瞬迷って、それから紙を拾い上げながら読み上げる。

「採取!森の薬草!期限三日!」

私は即座に黒板に書く。

【採取】森の薬草/期限3日

紙は拾われ、束ねられ、棚に置かれる。
でも、依頼はすでに“板”に残った。
それだけで、紙が再び散らばっても恐怖が減る。

夕方が近づくと、光が窓から斜めに入ってきて、黒板の粉が金色に舞った。
黒板は、ほとんど埋まっていた。

文字。数字。カテゴリ。期限。優先印。
ごちゃごちゃなのに、昨日の“ごちゃごちゃ”とは違う。
整理されたごちゃごちゃ。
見えるごちゃごちゃ。

私はチョークを置き、黒板全体を見渡した。

……ここに、今日の仕事が全部ある。

初めて、“仕事が見える”形になっていた。

胸の奥が、じん、と熱くなる。
そんな感情が残っていたことに、自分で驚く。
希望って、もっと派手なものだと思ってた。勇者が剣を抜くとか、魔法が炸裂するとか。
でも私の希望は、黒板に並んだ文字の列だった。

「……できた」

小さく呟くと、センパイが隣で肩をぶつけてきた。

「できた、じゃないよ。まだ終わってないよ」

「わかってます。でも——」

私は黒板を指さす。

「ここにある。消えない。踏まれない」

センパイは黒板を見上げて、少しだけ目を細めた。

「……なんかさ」

「はい」

「これ、普通に……助かるね」

その言葉に、私は一瞬だけ心臓が跳ねた。

“助かる”

黒崎マーカーの「助かるわ~」が頭をよぎる。
でも、今の“助かる”は違う。軽くない。奪う言葉じゃない。共に息をつく言葉だ。

私は、笑ってしまった。ほんの少しだけ。

「よかったです」

センパイも笑う。疲れた顔のまま、でも確かに笑う。

カウンターの向こうでは、冒険者たちが黒板を覗き込みながら、自分の依頼が書かれているか確認している。
「お、俺のある」
「期限、明日って書いてあるけど、合ってる」
そんな声が飛び交い、怒鳴り声は少しだけ減っていた。

夕方の光の中で、黒板は文字で埋まり、ギルドの一日が初めて“形”になった。

私はチョークの粉を手で払って、息をひとつ吐いた。

たった一枚の板。
たった数本の線。
たった一つの質問——「いつまでに必要ですか」。

それだけで、世界はほんの少しだけ、整い始めた気がした。
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