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第6話 名札を配ったら、押し付け合いの楽園が崩れた
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黒板が文字で埋まった日の夜、久しぶりに「終わった」という感覚を味わった。
完全に終わったわけじゃない。未処理はまだ山ほどある。でも、山の形が見えた。形が見えれば登れる。登り方を考えられる。
その小さな達成感を胸に抱いたまま、私は翌朝もギルドの扉を押した。
開いた瞬間、汗と紙と焦りの匂いが鼻を叩く。
相変わらずの喧騒。相変わらずの怒鳴り声。
でも、ひとつだけ違う。
黒板を見た人たちが、無意識にそこへ目をやるようになっていた。
「お、昨日のやつ残ってるな」
「俺の依頼、まだ審査待ちか」
「精算のところ、増えてね?」
その“視線”だけで、現場が少しだけ大人しくなる。見られてるって、抑止力になる。現代でも監視カメラがあると人が真面目になるのと一緒だ。
私はカウンターの内側に入り、袖をまくる。
センパイがすでに席にいて、紙束をいじりながら欠伸をしていた。
「新人、昨日、よく持ったね。寝た?」
「……通知音が鳴り止まなくて」
「通知音?なにそれ」
「脳内のやつです。呪いです」
センパイがけらけら笑う。
「何それ怖。異界人って面白い」
面白がられるうちはいい。
問題は、面白がられなくなった時。変化は反発を呼ぶ。私はそれを知っている。
そして——
今日、次の変化を入れる。
見える化の次。
責任者の明確化。
黒板があるだけじゃ足りない。
“何があるか”が見えても、“誰がやるか”が見えなければ、結局、紙は流れていかない。現代で何度も見た。タスク一覧が完璧でも、担当者が曖昧だと、誰も拾わない。落ちたまま、床で踏まれる。
私は、カウンターの内側の職員たちを見回した。
人数は少ない。四人。私を含めて五人。
それでも、役割が曖昧すぎる。
受付の人が精算もしている。
精算の人が依頼審査もしている。
誰かが装備管理もしている。
そして誰かがクレームの矢面に立ち、ついでに掃除もしている。
全部、誰かがやっているようで、誰もやっていない。
私は深く息を吸い、黒板の横に立った。
「みなさん、ちょっといいですか」
声を張る。
怒鳴り声に負けない音量。
現代の会議で鍛えた“通る声”。
職員たちが一瞬だけ手を止める。
冒険者たちも、今日は黒板に慣れてきたのか、あからさまな反発は少ない。
でも、油断はしない。
私はチョークで、黒板の端に大きく四つの枠を描いた。
【受付】
【依頼審査】
【精算】
【装備管理】
「今日から、この四つに分けます」
精算担当の男が眉を寄せる。
「分けるって……今まで通りじゃだめなのか?」
「今まで通りだと、今まで通り燃えます」
私は即答した。
口調は柔らかくしない。柔らかくしても伝わらない場面がある。今がそれ。
依頼審査の女性が口を開く。
「……分けたら、他のこと手伝えなくなるじゃない」
「手伝えます。でも、基本の担当を固定します。担当を名札で固定しましょう」
私は、バッグから木札を取り出した。
昨日、王城で渡された木札の名札。あれは私のものだった。でも、私は同じ仕組みを作るために、ギルドの倉庫から木の端材をもらい、夜な夜な削っていた。
不器用だから、指先が痛くなった。ささくれが増えた。
でも、削るたびに心が静かになった。紙ではなく木に触れると、現代の通知音が少し遠ざかる。
私は、机の上に木札を並べた。
受付。
精算。
装備管理。
依頼審査。
それぞれの文字は、少し歪んでいる。けど読める。読めればいい。
「名札を首から下げます。今日から、誰がどの担当か見てわかるようにします」
センパイが肩を揺らして笑った。
「うわ、名札!遠足みたい!」
「遠足でもいいです。迷子にならないので」
センパイが「うまいこと言うじゃん」と言う。笑いが少し起きる。
でも、その笑いとは別に、空気の奥で“嫌な硬さ”が生まれるのを私は感じた。
職員の中の一人——年配の男が、腕を組んで睨んでくる。頬に深い皺。目が冷たい。現場に長くいる人の目。
こういう人は、仕組みの変化を嫌う。なぜなら、今までの仕組みで“得”をしてきたから。
男が、吐き捨てるように言った。
「名札で固定?ふざけるな。そんなことしたら……」
「したら?」
私が促すと、男の声が大きくなる。
「押し付け合いができなくなるだろ!」
その瞬間、空気が凍った。
職員の手が止まる。
センパイの笑いが止まる。
冒険者の一人が「え?」という顔をする。
私は、心の中で冷ややかに笑った。
やっぱり。
押し付け合いができる仕組みが、地獄を作る。
それを“できなくなる”と言って怒鳴る人がいる時点で、この現場がどう腐っているかがよくわかる。
私は笑わない。
顔は平坦なまま、言葉だけを落とす。
「押し付け合いができないのが、正常です」
男が一歩前に出た。
「お前なぁ!ここがどういう場所かわかってんのか!?人手が足りねぇんだよ!だから融通し合って回してんだ!」
融通し合って。
聞こえはいい。
でも実態は“責任の押し付け合い”。やったふり、知らないふり、後回しの連鎖。融通は、責任が明確な上で初めて機能する。曖昧な融通は、逃げ道だ。
私は一度、息を吸って吐いた。
「融通は否定しません。でも、今は“誰が何を持ってるか”が誰にもわからない。だから融通じゃなくて混乱になってます」
「混乱?ふざけんな!こっちはずっとこうやって——」
「ずっとこうやって、死亡報告書が棚で放置されてたんですか」
私の言葉が、男の口を止めた。
周囲がざわつく。
“死亡報告書”という単語が、空気の温度を下げる。
みんな、見ないふりをしてきた部分だから。
男は口を歪めた。
「……それは」
「それは、何ですか。誰の担当ですか」
私は畳み掛ける。
優しくしない。ここは押し込まれてきた現実の扉だ。開けないと、また誰かが死ぬ。
男が黙る。
黙るってことは、答えがないってこと。
センパイが、私の横で小さく息を吸った。
でも止めない。止められない。
現場が必要としているのは、今まさにこの“言語化”だから。
私は木札を一枚手に取り、年配の男に差し出した。
「あなたは、どれが得意ですか」
「は?」
「受付、精算、装備管理、依頼審査。どれが一番回せますか」
「……俺は、何でもできる」
「じゃあ、どれでもいいですね」
私は淡々と言って、男の首に名札の紐をかけようとした。
男が手で払いのける。
「触るな!」
勢いで木札が床に落ちた。カツン、と乾いた音。
周囲の冒険者がざわめく。「何やってんだ」と。
私はしゃがんで木札を拾った。
割れてない。よかった。
割れたら割れたで、また作る。私はそういうの、慣れてる。
立ち上がり、男を見た。
「じゃあ、決めます。あなたは装備管理」
「はぁ!?なんで俺が!」
「装備管理は今、誰も見てません。誰も見ない場所が一番腐ります。腐る場所は、経験がある人が見ないと止まりません」
男の顔が赤くなる。
「押し付ける気か!」
私は、淡々と答えた。
「押し付けじゃないです。割り当てです。あなたが嫌なら、別の人に割り当てます。その代わり、あなたは別の担当を持ちます。担当を持たない人は、今日からこの内側に立てません」
強い言葉。
自分でもわかる。
でも、強く言わないと変わらない。
変わらないと、また死が積み上がる。
空気がぴんと張る。
誰かが息を飲む音。
センパイが、口を開いた。
「……あのさ」
全員の視線がセンパイに集まる。
センパイは頭をかきながら、いつもの軽さで言った。
「新人の言い方、ちょい強いけどさ。正直、名札いいと思うんだよね。だって今、誰に聞けばいいかわかんないじゃん。冒険者に怒鳴られるの、私たちだし」
「……」
年配の男が睨む。
センパイは睨みに負けない。口調は軽いけど、目が強い。
この人、普段は雑なのに、守るものがある時だけ強いタイプだ。そういう人は信用できる。
「だからさ、装備管理は……うん、あんたやれば?一番ベテランだし。私、装備のことわかんないし」
年配の男が「チッ」と舌打ちした。
「……勝手にしろ」
それは了承じゃない。
でも、拒否でもない。
現場の抵抗が一枚剥がれた音だった。
私は静かに頷き、装備管理の木札をもう一度差し出す。
「ありがとうございます」
「礼なんかいらねぇ」
「礼は、仕事を回す潤滑油です」
「うるせぇ」
でも、男は木札を取った。
首にかけるのは嫌なのか、手に握ったまま。
それでもいい。最初はそれで十分。仕組みは、押しつけるものじゃなく、染み込ませるもの。
次。
精算担当の男に、精算の名札。
依頼審査の女性に、依頼審査の名札。
センパイには受付の名札。
私は——
一瞬迷った。
私は“補佐”だ。どこに入るべき?
でも、迷っている暇はない。私は自分の木札を手に取った。そこには、王城で渡された私の名——綴原ペンナ。
肩書きではなく、名前。
それを首に下げる。
「私は全体管理と調整をします。黒板更新と、担当の詰まりの解消」
センパイが口笛を吹く。
「うわ、偉そう!」
「偉くないです。責任が増えるだけです」
「それを偉そうって言うんだよ」
私は笑わない。
笑うと、責任が軽く見える。
軽く見えた責任が、また誰かの命を軽くする。
私は黒板の前に立ち、チョークで四つの枠を太く囲んだ。
そして、枠の下に矢印を描く。
受付→依頼審査→割り当て→報告→精算
装備管理は、割り当ての前後に絡む。
冒険者の装備貸し出し。修理。補充。
それも矢印でつなぐ。
仕事の入口と出口を線で繋ぐ。
線は、世界を整理する。
線は、責任を逃がさない。
「今日から、依頼が来たらまず受付。受付は黒板に書く。依頼審査は承認印が必要なら、印の場所を確認してから押す。精算は、精算待ちを黒板に書いて順番に出す。装備管理は——」
私は年配の男を見る。
「あなたが“装備の入口と出口”を管理してください。貸し出し、返却、修理。記録してください」
男が不機嫌そうに言う。
「記録って……紙に書くのか」
「はい。紙でいいです。なくさない場所を決めます。棚のここ」
私は棚の一角を指さす。昨日、死亡報告書が押し込まれていた棚とは別の、目につく高さの棚。
“見える場所”に置く。
それだけで、なくなる確率は下がる。
男が小さく唸る。
「……めんどくせぇ」
「めんどくさいのは、最初だけです。慣れたら手が勝手に動きます」
センパイが笑う。
「新人、説教うまいな」
「説教じゃないです。現場の生存戦略です」
その瞬間、カウンターの外で冒険者が叫んだ。
「おい!誰に言えばいい!装備の貸し出し!」
昨日までなら、全員が一瞬固まって、誰かが押し付けて、また混乱していた。
でも今日は違う。
センパイが即答する。
「装備?装備管理!あの人!」
彼女が指さした先で、年配の男が顔をしかめながら立ち上がった。
冒険者がそちらへ行く。
他の職員は、自分の作業に戻る。
流れができた。
小さいけど、確かに。
私は胸の奥で息を吐く。
名札はただの木札だ。
でも、それは“逃げ道”を塞ぐ鍵になる。
「……おい、ペンナ」
年配の男が、名札を握ったまま私を呼ぶ。
声は不機嫌。けど、さっきより少しだけ“現場の声”になっている。
「装備の修理の依頼、どこに入れる」
私は即答した。
「装備管理の枠です。修理は“期限”を書いてください。いつまでに必要か冒険者に聞いて。わからなければ、次の出発予定を聞いて」
男が目を見開いた。
「……お前、よくそんなスラスラ出るな」
「出ます。前世で似たような地獄を見たので」
男が「意味わかんねぇ」と吐き捨て、でも背中は少しだけ軽くなった気がした。
私は黒板を見上げた。
線と枠が増え、文字が動き始めている。
まだ荒れてる。まだ足りない。まだ揉める。
でも、揉め方が変わる。
“誰のせいか”の揉め方から、
“どうやって進めるか”の揉め方へ。
それだけで、地獄の温度は少し下がる。
私はチョークの粉を払って、もう一度、全員に向かって言った。
「担当は固定です。助け合いは、固定の上でやります。逃げ道としての押し付け合いは、今日で終わり」
言い切った瞬間、誰かが小さく笑った。
センパイだ。
「新人、まじで怖い。でも……ちょっと好き」
私は返事をしなかった。
返事をしたら、感情が溢れてしまいそうだったから。
名札が揺れる。
木の軽い音。
その音が、このギルドの新しいルールの始まりを、静かに刻んでいた。
完全に終わったわけじゃない。未処理はまだ山ほどある。でも、山の形が見えた。形が見えれば登れる。登り方を考えられる。
その小さな達成感を胸に抱いたまま、私は翌朝もギルドの扉を押した。
開いた瞬間、汗と紙と焦りの匂いが鼻を叩く。
相変わらずの喧騒。相変わらずの怒鳴り声。
でも、ひとつだけ違う。
黒板を見た人たちが、無意識にそこへ目をやるようになっていた。
「お、昨日のやつ残ってるな」
「俺の依頼、まだ審査待ちか」
「精算のところ、増えてね?」
その“視線”だけで、現場が少しだけ大人しくなる。見られてるって、抑止力になる。現代でも監視カメラがあると人が真面目になるのと一緒だ。
私はカウンターの内側に入り、袖をまくる。
センパイがすでに席にいて、紙束をいじりながら欠伸をしていた。
「新人、昨日、よく持ったね。寝た?」
「……通知音が鳴り止まなくて」
「通知音?なにそれ」
「脳内のやつです。呪いです」
センパイがけらけら笑う。
「何それ怖。異界人って面白い」
面白がられるうちはいい。
問題は、面白がられなくなった時。変化は反発を呼ぶ。私はそれを知っている。
そして——
今日、次の変化を入れる。
見える化の次。
責任者の明確化。
黒板があるだけじゃ足りない。
“何があるか”が見えても、“誰がやるか”が見えなければ、結局、紙は流れていかない。現代で何度も見た。タスク一覧が完璧でも、担当者が曖昧だと、誰も拾わない。落ちたまま、床で踏まれる。
私は、カウンターの内側の職員たちを見回した。
人数は少ない。四人。私を含めて五人。
それでも、役割が曖昧すぎる。
受付の人が精算もしている。
精算の人が依頼審査もしている。
誰かが装備管理もしている。
そして誰かがクレームの矢面に立ち、ついでに掃除もしている。
全部、誰かがやっているようで、誰もやっていない。
私は深く息を吸い、黒板の横に立った。
「みなさん、ちょっといいですか」
声を張る。
怒鳴り声に負けない音量。
現代の会議で鍛えた“通る声”。
職員たちが一瞬だけ手を止める。
冒険者たちも、今日は黒板に慣れてきたのか、あからさまな反発は少ない。
でも、油断はしない。
私はチョークで、黒板の端に大きく四つの枠を描いた。
【受付】
【依頼審査】
【精算】
【装備管理】
「今日から、この四つに分けます」
精算担当の男が眉を寄せる。
「分けるって……今まで通りじゃだめなのか?」
「今まで通りだと、今まで通り燃えます」
私は即答した。
口調は柔らかくしない。柔らかくしても伝わらない場面がある。今がそれ。
依頼審査の女性が口を開く。
「……分けたら、他のこと手伝えなくなるじゃない」
「手伝えます。でも、基本の担当を固定します。担当を名札で固定しましょう」
私は、バッグから木札を取り出した。
昨日、王城で渡された木札の名札。あれは私のものだった。でも、私は同じ仕組みを作るために、ギルドの倉庫から木の端材をもらい、夜な夜な削っていた。
不器用だから、指先が痛くなった。ささくれが増えた。
でも、削るたびに心が静かになった。紙ではなく木に触れると、現代の通知音が少し遠ざかる。
私は、机の上に木札を並べた。
受付。
精算。
装備管理。
依頼審査。
それぞれの文字は、少し歪んでいる。けど読める。読めればいい。
「名札を首から下げます。今日から、誰がどの担当か見てわかるようにします」
センパイが肩を揺らして笑った。
「うわ、名札!遠足みたい!」
「遠足でもいいです。迷子にならないので」
センパイが「うまいこと言うじゃん」と言う。笑いが少し起きる。
でも、その笑いとは別に、空気の奥で“嫌な硬さ”が生まれるのを私は感じた。
職員の中の一人——年配の男が、腕を組んで睨んでくる。頬に深い皺。目が冷たい。現場に長くいる人の目。
こういう人は、仕組みの変化を嫌う。なぜなら、今までの仕組みで“得”をしてきたから。
男が、吐き捨てるように言った。
「名札で固定?ふざけるな。そんなことしたら……」
「したら?」
私が促すと、男の声が大きくなる。
「押し付け合いができなくなるだろ!」
その瞬間、空気が凍った。
職員の手が止まる。
センパイの笑いが止まる。
冒険者の一人が「え?」という顔をする。
私は、心の中で冷ややかに笑った。
やっぱり。
押し付け合いができる仕組みが、地獄を作る。
それを“できなくなる”と言って怒鳴る人がいる時点で、この現場がどう腐っているかがよくわかる。
私は笑わない。
顔は平坦なまま、言葉だけを落とす。
「押し付け合いができないのが、正常です」
男が一歩前に出た。
「お前なぁ!ここがどういう場所かわかってんのか!?人手が足りねぇんだよ!だから融通し合って回してんだ!」
融通し合って。
聞こえはいい。
でも実態は“責任の押し付け合い”。やったふり、知らないふり、後回しの連鎖。融通は、責任が明確な上で初めて機能する。曖昧な融通は、逃げ道だ。
私は一度、息を吸って吐いた。
「融通は否定しません。でも、今は“誰が何を持ってるか”が誰にもわからない。だから融通じゃなくて混乱になってます」
「混乱?ふざけんな!こっちはずっとこうやって——」
「ずっとこうやって、死亡報告書が棚で放置されてたんですか」
私の言葉が、男の口を止めた。
周囲がざわつく。
“死亡報告書”という単語が、空気の温度を下げる。
みんな、見ないふりをしてきた部分だから。
男は口を歪めた。
「……それは」
「それは、何ですか。誰の担当ですか」
私は畳み掛ける。
優しくしない。ここは押し込まれてきた現実の扉だ。開けないと、また誰かが死ぬ。
男が黙る。
黙るってことは、答えがないってこと。
センパイが、私の横で小さく息を吸った。
でも止めない。止められない。
現場が必要としているのは、今まさにこの“言語化”だから。
私は木札を一枚手に取り、年配の男に差し出した。
「あなたは、どれが得意ですか」
「は?」
「受付、精算、装備管理、依頼審査。どれが一番回せますか」
「……俺は、何でもできる」
「じゃあ、どれでもいいですね」
私は淡々と言って、男の首に名札の紐をかけようとした。
男が手で払いのける。
「触るな!」
勢いで木札が床に落ちた。カツン、と乾いた音。
周囲の冒険者がざわめく。「何やってんだ」と。
私はしゃがんで木札を拾った。
割れてない。よかった。
割れたら割れたで、また作る。私はそういうの、慣れてる。
立ち上がり、男を見た。
「じゃあ、決めます。あなたは装備管理」
「はぁ!?なんで俺が!」
「装備管理は今、誰も見てません。誰も見ない場所が一番腐ります。腐る場所は、経験がある人が見ないと止まりません」
男の顔が赤くなる。
「押し付ける気か!」
私は、淡々と答えた。
「押し付けじゃないです。割り当てです。あなたが嫌なら、別の人に割り当てます。その代わり、あなたは別の担当を持ちます。担当を持たない人は、今日からこの内側に立てません」
強い言葉。
自分でもわかる。
でも、強く言わないと変わらない。
変わらないと、また死が積み上がる。
空気がぴんと張る。
誰かが息を飲む音。
センパイが、口を開いた。
「……あのさ」
全員の視線がセンパイに集まる。
センパイは頭をかきながら、いつもの軽さで言った。
「新人の言い方、ちょい強いけどさ。正直、名札いいと思うんだよね。だって今、誰に聞けばいいかわかんないじゃん。冒険者に怒鳴られるの、私たちだし」
「……」
年配の男が睨む。
センパイは睨みに負けない。口調は軽いけど、目が強い。
この人、普段は雑なのに、守るものがある時だけ強いタイプだ。そういう人は信用できる。
「だからさ、装備管理は……うん、あんたやれば?一番ベテランだし。私、装備のことわかんないし」
年配の男が「チッ」と舌打ちした。
「……勝手にしろ」
それは了承じゃない。
でも、拒否でもない。
現場の抵抗が一枚剥がれた音だった。
私は静かに頷き、装備管理の木札をもう一度差し出す。
「ありがとうございます」
「礼なんかいらねぇ」
「礼は、仕事を回す潤滑油です」
「うるせぇ」
でも、男は木札を取った。
首にかけるのは嫌なのか、手に握ったまま。
それでもいい。最初はそれで十分。仕組みは、押しつけるものじゃなく、染み込ませるもの。
次。
精算担当の男に、精算の名札。
依頼審査の女性に、依頼審査の名札。
センパイには受付の名札。
私は——
一瞬迷った。
私は“補佐”だ。どこに入るべき?
でも、迷っている暇はない。私は自分の木札を手に取った。そこには、王城で渡された私の名——綴原ペンナ。
肩書きではなく、名前。
それを首に下げる。
「私は全体管理と調整をします。黒板更新と、担当の詰まりの解消」
センパイが口笛を吹く。
「うわ、偉そう!」
「偉くないです。責任が増えるだけです」
「それを偉そうって言うんだよ」
私は笑わない。
笑うと、責任が軽く見える。
軽く見えた責任が、また誰かの命を軽くする。
私は黒板の前に立ち、チョークで四つの枠を太く囲んだ。
そして、枠の下に矢印を描く。
受付→依頼審査→割り当て→報告→精算
装備管理は、割り当ての前後に絡む。
冒険者の装備貸し出し。修理。補充。
それも矢印でつなぐ。
仕事の入口と出口を線で繋ぐ。
線は、世界を整理する。
線は、責任を逃がさない。
「今日から、依頼が来たらまず受付。受付は黒板に書く。依頼審査は承認印が必要なら、印の場所を確認してから押す。精算は、精算待ちを黒板に書いて順番に出す。装備管理は——」
私は年配の男を見る。
「あなたが“装備の入口と出口”を管理してください。貸し出し、返却、修理。記録してください」
男が不機嫌そうに言う。
「記録って……紙に書くのか」
「はい。紙でいいです。なくさない場所を決めます。棚のここ」
私は棚の一角を指さす。昨日、死亡報告書が押し込まれていた棚とは別の、目につく高さの棚。
“見える場所”に置く。
それだけで、なくなる確率は下がる。
男が小さく唸る。
「……めんどくせぇ」
「めんどくさいのは、最初だけです。慣れたら手が勝手に動きます」
センパイが笑う。
「新人、説教うまいな」
「説教じゃないです。現場の生存戦略です」
その瞬間、カウンターの外で冒険者が叫んだ。
「おい!誰に言えばいい!装備の貸し出し!」
昨日までなら、全員が一瞬固まって、誰かが押し付けて、また混乱していた。
でも今日は違う。
センパイが即答する。
「装備?装備管理!あの人!」
彼女が指さした先で、年配の男が顔をしかめながら立ち上がった。
冒険者がそちらへ行く。
他の職員は、自分の作業に戻る。
流れができた。
小さいけど、確かに。
私は胸の奥で息を吐く。
名札はただの木札だ。
でも、それは“逃げ道”を塞ぐ鍵になる。
「……おい、ペンナ」
年配の男が、名札を握ったまま私を呼ぶ。
声は不機嫌。けど、さっきより少しだけ“現場の声”になっている。
「装備の修理の依頼、どこに入れる」
私は即答した。
「装備管理の枠です。修理は“期限”を書いてください。いつまでに必要か冒険者に聞いて。わからなければ、次の出発予定を聞いて」
男が目を見開いた。
「……お前、よくそんなスラスラ出るな」
「出ます。前世で似たような地獄を見たので」
男が「意味わかんねぇ」と吐き捨て、でも背中は少しだけ軽くなった気がした。
私は黒板を見上げた。
線と枠が増え、文字が動き始めている。
まだ荒れてる。まだ足りない。まだ揉める。
でも、揉め方が変わる。
“誰のせいか”の揉め方から、
“どうやって進めるか”の揉め方へ。
それだけで、地獄の温度は少し下がる。
私はチョークの粉を払って、もう一度、全員に向かって言った。
「担当は固定です。助け合いは、固定の上でやります。逃げ道としての押し付け合いは、今日で終わり」
言い切った瞬間、誰かが小さく笑った。
センパイだ。
「新人、まじで怖い。でも……ちょっと好き」
私は返事をしなかった。
返事をしたら、感情が溢れてしまいそうだったから。
名札が揺れる。
木の軽い音。
その音が、このギルドの新しいルールの始まりを、静かに刻んでいた。
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しかし、攻略対象に張り付いた自分より身分の高い悪役令嬢と戦う危険性を考え、攻略対象完全無視でモブとくっつくことを決心、しかし、アメリアの思惑は思わぬ方向に横滑りし。
養豚農家のおっさんだった令嬢が、「あなたを愛せない」と泣く婚約者を育ててみた。
灯乃
ファンタジー
ある日、伯爵令嬢のデルフィーヌは、前世の自分が養豚場を営むおっさんだったことを思い出した。
(あああぁあ……。むしろ、今のわたしの記憶を持ったまま、おっさんの人生をやり直したい……。おっさんの奥方が、年子の三兄弟の育児でノイローゼになりかけていたとき、もっと全力でお助けして差し上げたい……!)
そんなことを考えつつ、婚約者との初顔合わせで「あなたを愛せない」と泣かれたデルフィーヌは、彼を育てることにしたのだが――?
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