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第6話 名札を配ったら、押し付け合いの楽園が崩れた
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黒板が文字で埋まった日の夜、久しぶりに「終わった」という感覚を味わった。
完全に終わったわけじゃない。未処理はまだ山ほどある。でも、山の形が見えた。形が見えれば登れる。登り方を考えられる。
その小さな達成感を胸に抱いたまま、私は翌朝もギルドの扉を押した。
開いた瞬間、汗と紙と焦りの匂いが鼻を叩く。
相変わらずの喧騒。相変わらずの怒鳴り声。
でも、ひとつだけ違う。
黒板を見た人たちが、無意識にそこへ目をやるようになっていた。
「お、昨日のやつ残ってるな」
「俺の依頼、まだ審査待ちか」
「精算のところ、増えてね?」
その“視線”だけで、現場が少しだけ大人しくなる。見られてるって、抑止力になる。現代でも監視カメラがあると人が真面目になるのと一緒だ。
私はカウンターの内側に入り、袖をまくる。
センパイがすでに席にいて、紙束をいじりながら欠伸をしていた。
「新人、昨日、よく持ったね。寝た?」
「……通知音が鳴り止まなくて」
「通知音?なにそれ」
「脳内のやつです。呪いです」
センパイがけらけら笑う。
「何それ怖。異界人って面白い」
面白がられるうちはいい。
問題は、面白がられなくなった時。変化は反発を呼ぶ。私はそれを知っている。
そして——
今日、次の変化を入れる。
見える化の次。
責任者の明確化。
黒板があるだけじゃ足りない。
“何があるか”が見えても、“誰がやるか”が見えなければ、結局、紙は流れていかない。現代で何度も見た。タスク一覧が完璧でも、担当者が曖昧だと、誰も拾わない。落ちたまま、床で踏まれる。
私は、カウンターの内側の職員たちを見回した。
人数は少ない。四人。私を含めて五人。
それでも、役割が曖昧すぎる。
受付の人が精算もしている。
精算の人が依頼審査もしている。
誰かが装備管理もしている。
そして誰かがクレームの矢面に立ち、ついでに掃除もしている。
全部、誰かがやっているようで、誰もやっていない。
私は深く息を吸い、黒板の横に立った。
「みなさん、ちょっといいですか」
声を張る。
怒鳴り声に負けない音量。
現代の会議で鍛えた“通る声”。
職員たちが一瞬だけ手を止める。
冒険者たちも、今日は黒板に慣れてきたのか、あからさまな反発は少ない。
でも、油断はしない。
私はチョークで、黒板の端に大きく四つの枠を描いた。
【受付】
【依頼審査】
【精算】
【装備管理】
「今日から、この四つに分けます」
精算担当の男が眉を寄せる。
「分けるって……今まで通りじゃだめなのか?」
「今まで通りだと、今まで通り燃えます」
私は即答した。
口調は柔らかくしない。柔らかくしても伝わらない場面がある。今がそれ。
依頼審査の女性が口を開く。
「……分けたら、他のこと手伝えなくなるじゃない」
「手伝えます。でも、基本の担当を固定します。担当を名札で固定しましょう」
私は、バッグから木札を取り出した。
昨日、王城で渡された木札の名札。あれは私のものだった。でも、私は同じ仕組みを作るために、ギルドの倉庫から木の端材をもらい、夜な夜な削っていた。
不器用だから、指先が痛くなった。ささくれが増えた。
でも、削るたびに心が静かになった。紙ではなく木に触れると、現代の通知音が少し遠ざかる。
私は、机の上に木札を並べた。
受付。
精算。
装備管理。
依頼審査。
それぞれの文字は、少し歪んでいる。けど読める。読めればいい。
「名札を首から下げます。今日から、誰がどの担当か見てわかるようにします」
センパイが肩を揺らして笑った。
「うわ、名札!遠足みたい!」
「遠足でもいいです。迷子にならないので」
センパイが「うまいこと言うじゃん」と言う。笑いが少し起きる。
でも、その笑いとは別に、空気の奥で“嫌な硬さ”が生まれるのを私は感じた。
職員の中の一人——年配の男が、腕を組んで睨んでくる。頬に深い皺。目が冷たい。現場に長くいる人の目。
こういう人は、仕組みの変化を嫌う。なぜなら、今までの仕組みで“得”をしてきたから。
男が、吐き捨てるように言った。
「名札で固定?ふざけるな。そんなことしたら……」
「したら?」
私が促すと、男の声が大きくなる。
「押し付け合いができなくなるだろ!」
その瞬間、空気が凍った。
職員の手が止まる。
センパイの笑いが止まる。
冒険者の一人が「え?」という顔をする。
私は、心の中で冷ややかに笑った。
やっぱり。
押し付け合いができる仕組みが、地獄を作る。
それを“できなくなる”と言って怒鳴る人がいる時点で、この現場がどう腐っているかがよくわかる。
私は笑わない。
顔は平坦なまま、言葉だけを落とす。
「押し付け合いができないのが、正常です」
男が一歩前に出た。
「お前なぁ!ここがどういう場所かわかってんのか!?人手が足りねぇんだよ!だから融通し合って回してんだ!」
融通し合って。
聞こえはいい。
でも実態は“責任の押し付け合い”。やったふり、知らないふり、後回しの連鎖。融通は、責任が明確な上で初めて機能する。曖昧な融通は、逃げ道だ。
私は一度、息を吸って吐いた。
「融通は否定しません。でも、今は“誰が何を持ってるか”が誰にもわからない。だから融通じゃなくて混乱になってます」
「混乱?ふざけんな!こっちはずっとこうやって——」
「ずっとこうやって、死亡報告書が棚で放置されてたんですか」
私の言葉が、男の口を止めた。
周囲がざわつく。
“死亡報告書”という単語が、空気の温度を下げる。
みんな、見ないふりをしてきた部分だから。
男は口を歪めた。
「……それは」
「それは、何ですか。誰の担当ですか」
私は畳み掛ける。
優しくしない。ここは押し込まれてきた現実の扉だ。開けないと、また誰かが死ぬ。
男が黙る。
黙るってことは、答えがないってこと。
センパイが、私の横で小さく息を吸った。
でも止めない。止められない。
現場が必要としているのは、今まさにこの“言語化”だから。
私は木札を一枚手に取り、年配の男に差し出した。
「あなたは、どれが得意ですか」
「は?」
「受付、精算、装備管理、依頼審査。どれが一番回せますか」
「……俺は、何でもできる」
「じゃあ、どれでもいいですね」
私は淡々と言って、男の首に名札の紐をかけようとした。
男が手で払いのける。
「触るな!」
勢いで木札が床に落ちた。カツン、と乾いた音。
周囲の冒険者がざわめく。「何やってんだ」と。
私はしゃがんで木札を拾った。
割れてない。よかった。
割れたら割れたで、また作る。私はそういうの、慣れてる。
立ち上がり、男を見た。
「じゃあ、決めます。あなたは装備管理」
「はぁ!?なんで俺が!」
「装備管理は今、誰も見てません。誰も見ない場所が一番腐ります。腐る場所は、経験がある人が見ないと止まりません」
男の顔が赤くなる。
「押し付ける気か!」
私は、淡々と答えた。
「押し付けじゃないです。割り当てです。あなたが嫌なら、別の人に割り当てます。その代わり、あなたは別の担当を持ちます。担当を持たない人は、今日からこの内側に立てません」
強い言葉。
自分でもわかる。
でも、強く言わないと変わらない。
変わらないと、また死が積み上がる。
空気がぴんと張る。
誰かが息を飲む音。
センパイが、口を開いた。
「……あのさ」
全員の視線がセンパイに集まる。
センパイは頭をかきながら、いつもの軽さで言った。
「新人の言い方、ちょい強いけどさ。正直、名札いいと思うんだよね。だって今、誰に聞けばいいかわかんないじゃん。冒険者に怒鳴られるの、私たちだし」
「……」
年配の男が睨む。
センパイは睨みに負けない。口調は軽いけど、目が強い。
この人、普段は雑なのに、守るものがある時だけ強いタイプだ。そういう人は信用できる。
「だからさ、装備管理は……うん、あんたやれば?一番ベテランだし。私、装備のことわかんないし」
年配の男が「チッ」と舌打ちした。
「……勝手にしろ」
それは了承じゃない。
でも、拒否でもない。
現場の抵抗が一枚剥がれた音だった。
私は静かに頷き、装備管理の木札をもう一度差し出す。
「ありがとうございます」
「礼なんかいらねぇ」
「礼は、仕事を回す潤滑油です」
「うるせぇ」
でも、男は木札を取った。
首にかけるのは嫌なのか、手に握ったまま。
それでもいい。最初はそれで十分。仕組みは、押しつけるものじゃなく、染み込ませるもの。
次。
精算担当の男に、精算の名札。
依頼審査の女性に、依頼審査の名札。
センパイには受付の名札。
私は——
一瞬迷った。
私は“補佐”だ。どこに入るべき?
でも、迷っている暇はない。私は自分の木札を手に取った。そこには、王城で渡された私の名——綴原ペンナ。
肩書きではなく、名前。
それを首に下げる。
「私は全体管理と調整をします。黒板更新と、担当の詰まりの解消」
センパイが口笛を吹く。
「うわ、偉そう!」
「偉くないです。責任が増えるだけです」
「それを偉そうって言うんだよ」
私は笑わない。
笑うと、責任が軽く見える。
軽く見えた責任が、また誰かの命を軽くする。
私は黒板の前に立ち、チョークで四つの枠を太く囲んだ。
そして、枠の下に矢印を描く。
受付→依頼審査→割り当て→報告→精算
装備管理は、割り当ての前後に絡む。
冒険者の装備貸し出し。修理。補充。
それも矢印でつなぐ。
仕事の入口と出口を線で繋ぐ。
線は、世界を整理する。
線は、責任を逃がさない。
「今日から、依頼が来たらまず受付。受付は黒板に書く。依頼審査は承認印が必要なら、印の場所を確認してから押す。精算は、精算待ちを黒板に書いて順番に出す。装備管理は——」
私は年配の男を見る。
「あなたが“装備の入口と出口”を管理してください。貸し出し、返却、修理。記録してください」
男が不機嫌そうに言う。
「記録って……紙に書くのか」
「はい。紙でいいです。なくさない場所を決めます。棚のここ」
私は棚の一角を指さす。昨日、死亡報告書が押し込まれていた棚とは別の、目につく高さの棚。
“見える場所”に置く。
それだけで、なくなる確率は下がる。
男が小さく唸る。
「……めんどくせぇ」
「めんどくさいのは、最初だけです。慣れたら手が勝手に動きます」
センパイが笑う。
「新人、説教うまいな」
「説教じゃないです。現場の生存戦略です」
その瞬間、カウンターの外で冒険者が叫んだ。
「おい!誰に言えばいい!装備の貸し出し!」
昨日までなら、全員が一瞬固まって、誰かが押し付けて、また混乱していた。
でも今日は違う。
センパイが即答する。
「装備?装備管理!あの人!」
彼女が指さした先で、年配の男が顔をしかめながら立ち上がった。
冒険者がそちらへ行く。
他の職員は、自分の作業に戻る。
流れができた。
小さいけど、確かに。
私は胸の奥で息を吐く。
名札はただの木札だ。
でも、それは“逃げ道”を塞ぐ鍵になる。
「……おい、ペンナ」
年配の男が、名札を握ったまま私を呼ぶ。
声は不機嫌。けど、さっきより少しだけ“現場の声”になっている。
「装備の修理の依頼、どこに入れる」
私は即答した。
「装備管理の枠です。修理は“期限”を書いてください。いつまでに必要か冒険者に聞いて。わからなければ、次の出発予定を聞いて」
男が目を見開いた。
「……お前、よくそんなスラスラ出るな」
「出ます。前世で似たような地獄を見たので」
男が「意味わかんねぇ」と吐き捨て、でも背中は少しだけ軽くなった気がした。
私は黒板を見上げた。
線と枠が増え、文字が動き始めている。
まだ荒れてる。まだ足りない。まだ揉める。
でも、揉め方が変わる。
“誰のせいか”の揉め方から、
“どうやって進めるか”の揉め方へ。
それだけで、地獄の温度は少し下がる。
私はチョークの粉を払って、もう一度、全員に向かって言った。
「担当は固定です。助け合いは、固定の上でやります。逃げ道としての押し付け合いは、今日で終わり」
言い切った瞬間、誰かが小さく笑った。
センパイだ。
「新人、まじで怖い。でも……ちょっと好き」
私は返事をしなかった。
返事をしたら、感情が溢れてしまいそうだったから。
名札が揺れる。
木の軽い音。
その音が、このギルドの新しいルールの始まりを、静かに刻んでいた。
完全に終わったわけじゃない。未処理はまだ山ほどある。でも、山の形が見えた。形が見えれば登れる。登り方を考えられる。
その小さな達成感を胸に抱いたまま、私は翌朝もギルドの扉を押した。
開いた瞬間、汗と紙と焦りの匂いが鼻を叩く。
相変わらずの喧騒。相変わらずの怒鳴り声。
でも、ひとつだけ違う。
黒板を見た人たちが、無意識にそこへ目をやるようになっていた。
「お、昨日のやつ残ってるな」
「俺の依頼、まだ審査待ちか」
「精算のところ、増えてね?」
その“視線”だけで、現場が少しだけ大人しくなる。見られてるって、抑止力になる。現代でも監視カメラがあると人が真面目になるのと一緒だ。
私はカウンターの内側に入り、袖をまくる。
センパイがすでに席にいて、紙束をいじりながら欠伸をしていた。
「新人、昨日、よく持ったね。寝た?」
「……通知音が鳴り止まなくて」
「通知音?なにそれ」
「脳内のやつです。呪いです」
センパイがけらけら笑う。
「何それ怖。異界人って面白い」
面白がられるうちはいい。
問題は、面白がられなくなった時。変化は反発を呼ぶ。私はそれを知っている。
そして——
今日、次の変化を入れる。
見える化の次。
責任者の明確化。
黒板があるだけじゃ足りない。
“何があるか”が見えても、“誰がやるか”が見えなければ、結局、紙は流れていかない。現代で何度も見た。タスク一覧が完璧でも、担当者が曖昧だと、誰も拾わない。落ちたまま、床で踏まれる。
私は、カウンターの内側の職員たちを見回した。
人数は少ない。四人。私を含めて五人。
それでも、役割が曖昧すぎる。
受付の人が精算もしている。
精算の人が依頼審査もしている。
誰かが装備管理もしている。
そして誰かがクレームの矢面に立ち、ついでに掃除もしている。
全部、誰かがやっているようで、誰もやっていない。
私は深く息を吸い、黒板の横に立った。
「みなさん、ちょっといいですか」
声を張る。
怒鳴り声に負けない音量。
現代の会議で鍛えた“通る声”。
職員たちが一瞬だけ手を止める。
冒険者たちも、今日は黒板に慣れてきたのか、あからさまな反発は少ない。
でも、油断はしない。
私はチョークで、黒板の端に大きく四つの枠を描いた。
【受付】
【依頼審査】
【精算】
【装備管理】
「今日から、この四つに分けます」
精算担当の男が眉を寄せる。
「分けるって……今まで通りじゃだめなのか?」
「今まで通りだと、今まで通り燃えます」
私は即答した。
口調は柔らかくしない。柔らかくしても伝わらない場面がある。今がそれ。
依頼審査の女性が口を開く。
「……分けたら、他のこと手伝えなくなるじゃない」
「手伝えます。でも、基本の担当を固定します。担当を名札で固定しましょう」
私は、バッグから木札を取り出した。
昨日、王城で渡された木札の名札。あれは私のものだった。でも、私は同じ仕組みを作るために、ギルドの倉庫から木の端材をもらい、夜な夜な削っていた。
不器用だから、指先が痛くなった。ささくれが増えた。
でも、削るたびに心が静かになった。紙ではなく木に触れると、現代の通知音が少し遠ざかる。
私は、机の上に木札を並べた。
受付。
精算。
装備管理。
依頼審査。
それぞれの文字は、少し歪んでいる。けど読める。読めればいい。
「名札を首から下げます。今日から、誰がどの担当か見てわかるようにします」
センパイが肩を揺らして笑った。
「うわ、名札!遠足みたい!」
「遠足でもいいです。迷子にならないので」
センパイが「うまいこと言うじゃん」と言う。笑いが少し起きる。
でも、その笑いとは別に、空気の奥で“嫌な硬さ”が生まれるのを私は感じた。
職員の中の一人——年配の男が、腕を組んで睨んでくる。頬に深い皺。目が冷たい。現場に長くいる人の目。
こういう人は、仕組みの変化を嫌う。なぜなら、今までの仕組みで“得”をしてきたから。
男が、吐き捨てるように言った。
「名札で固定?ふざけるな。そんなことしたら……」
「したら?」
私が促すと、男の声が大きくなる。
「押し付け合いができなくなるだろ!」
その瞬間、空気が凍った。
職員の手が止まる。
センパイの笑いが止まる。
冒険者の一人が「え?」という顔をする。
私は、心の中で冷ややかに笑った。
やっぱり。
押し付け合いができる仕組みが、地獄を作る。
それを“できなくなる”と言って怒鳴る人がいる時点で、この現場がどう腐っているかがよくわかる。
私は笑わない。
顔は平坦なまま、言葉だけを落とす。
「押し付け合いができないのが、正常です」
男が一歩前に出た。
「お前なぁ!ここがどういう場所かわかってんのか!?人手が足りねぇんだよ!だから融通し合って回してんだ!」
融通し合って。
聞こえはいい。
でも実態は“責任の押し付け合い”。やったふり、知らないふり、後回しの連鎖。融通は、責任が明確な上で初めて機能する。曖昧な融通は、逃げ道だ。
私は一度、息を吸って吐いた。
「融通は否定しません。でも、今は“誰が何を持ってるか”が誰にもわからない。だから融通じゃなくて混乱になってます」
「混乱?ふざけんな!こっちはずっとこうやって——」
「ずっとこうやって、死亡報告書が棚で放置されてたんですか」
私の言葉が、男の口を止めた。
周囲がざわつく。
“死亡報告書”という単語が、空気の温度を下げる。
みんな、見ないふりをしてきた部分だから。
男は口を歪めた。
「……それは」
「それは、何ですか。誰の担当ですか」
私は畳み掛ける。
優しくしない。ここは押し込まれてきた現実の扉だ。開けないと、また誰かが死ぬ。
男が黙る。
黙るってことは、答えがないってこと。
センパイが、私の横で小さく息を吸った。
でも止めない。止められない。
現場が必要としているのは、今まさにこの“言語化”だから。
私は木札を一枚手に取り、年配の男に差し出した。
「あなたは、どれが得意ですか」
「は?」
「受付、精算、装備管理、依頼審査。どれが一番回せますか」
「……俺は、何でもできる」
「じゃあ、どれでもいいですね」
私は淡々と言って、男の首に名札の紐をかけようとした。
男が手で払いのける。
「触るな!」
勢いで木札が床に落ちた。カツン、と乾いた音。
周囲の冒険者がざわめく。「何やってんだ」と。
私はしゃがんで木札を拾った。
割れてない。よかった。
割れたら割れたで、また作る。私はそういうの、慣れてる。
立ち上がり、男を見た。
「じゃあ、決めます。あなたは装備管理」
「はぁ!?なんで俺が!」
「装備管理は今、誰も見てません。誰も見ない場所が一番腐ります。腐る場所は、経験がある人が見ないと止まりません」
男の顔が赤くなる。
「押し付ける気か!」
私は、淡々と答えた。
「押し付けじゃないです。割り当てです。あなたが嫌なら、別の人に割り当てます。その代わり、あなたは別の担当を持ちます。担当を持たない人は、今日からこの内側に立てません」
強い言葉。
自分でもわかる。
でも、強く言わないと変わらない。
変わらないと、また死が積み上がる。
空気がぴんと張る。
誰かが息を飲む音。
センパイが、口を開いた。
「……あのさ」
全員の視線がセンパイに集まる。
センパイは頭をかきながら、いつもの軽さで言った。
「新人の言い方、ちょい強いけどさ。正直、名札いいと思うんだよね。だって今、誰に聞けばいいかわかんないじゃん。冒険者に怒鳴られるの、私たちだし」
「……」
年配の男が睨む。
センパイは睨みに負けない。口調は軽いけど、目が強い。
この人、普段は雑なのに、守るものがある時だけ強いタイプだ。そういう人は信用できる。
「だからさ、装備管理は……うん、あんたやれば?一番ベテランだし。私、装備のことわかんないし」
年配の男が「チッ」と舌打ちした。
「……勝手にしろ」
それは了承じゃない。
でも、拒否でもない。
現場の抵抗が一枚剥がれた音だった。
私は静かに頷き、装備管理の木札をもう一度差し出す。
「ありがとうございます」
「礼なんかいらねぇ」
「礼は、仕事を回す潤滑油です」
「うるせぇ」
でも、男は木札を取った。
首にかけるのは嫌なのか、手に握ったまま。
それでもいい。最初はそれで十分。仕組みは、押しつけるものじゃなく、染み込ませるもの。
次。
精算担当の男に、精算の名札。
依頼審査の女性に、依頼審査の名札。
センパイには受付の名札。
私は——
一瞬迷った。
私は“補佐”だ。どこに入るべき?
でも、迷っている暇はない。私は自分の木札を手に取った。そこには、王城で渡された私の名——綴原ペンナ。
肩書きではなく、名前。
それを首に下げる。
「私は全体管理と調整をします。黒板更新と、担当の詰まりの解消」
センパイが口笛を吹く。
「うわ、偉そう!」
「偉くないです。責任が増えるだけです」
「それを偉そうって言うんだよ」
私は笑わない。
笑うと、責任が軽く見える。
軽く見えた責任が、また誰かの命を軽くする。
私は黒板の前に立ち、チョークで四つの枠を太く囲んだ。
そして、枠の下に矢印を描く。
受付→依頼審査→割り当て→報告→精算
装備管理は、割り当ての前後に絡む。
冒険者の装備貸し出し。修理。補充。
それも矢印でつなぐ。
仕事の入口と出口を線で繋ぐ。
線は、世界を整理する。
線は、責任を逃がさない。
「今日から、依頼が来たらまず受付。受付は黒板に書く。依頼審査は承認印が必要なら、印の場所を確認してから押す。精算は、精算待ちを黒板に書いて順番に出す。装備管理は——」
私は年配の男を見る。
「あなたが“装備の入口と出口”を管理してください。貸し出し、返却、修理。記録してください」
男が不機嫌そうに言う。
「記録って……紙に書くのか」
「はい。紙でいいです。なくさない場所を決めます。棚のここ」
私は棚の一角を指さす。昨日、死亡報告書が押し込まれていた棚とは別の、目につく高さの棚。
“見える場所”に置く。
それだけで、なくなる確率は下がる。
男が小さく唸る。
「……めんどくせぇ」
「めんどくさいのは、最初だけです。慣れたら手が勝手に動きます」
センパイが笑う。
「新人、説教うまいな」
「説教じゃないです。現場の生存戦略です」
その瞬間、カウンターの外で冒険者が叫んだ。
「おい!誰に言えばいい!装備の貸し出し!」
昨日までなら、全員が一瞬固まって、誰かが押し付けて、また混乱していた。
でも今日は違う。
センパイが即答する。
「装備?装備管理!あの人!」
彼女が指さした先で、年配の男が顔をしかめながら立ち上がった。
冒険者がそちらへ行く。
他の職員は、自分の作業に戻る。
流れができた。
小さいけど、確かに。
私は胸の奥で息を吐く。
名札はただの木札だ。
でも、それは“逃げ道”を塞ぐ鍵になる。
「……おい、ペンナ」
年配の男が、名札を握ったまま私を呼ぶ。
声は不機嫌。けど、さっきより少しだけ“現場の声”になっている。
「装備の修理の依頼、どこに入れる」
私は即答した。
「装備管理の枠です。修理は“期限”を書いてください。いつまでに必要か冒険者に聞いて。わからなければ、次の出発予定を聞いて」
男が目を見開いた。
「……お前、よくそんなスラスラ出るな」
「出ます。前世で似たような地獄を見たので」
男が「意味わかんねぇ」と吐き捨て、でも背中は少しだけ軽くなった気がした。
私は黒板を見上げた。
線と枠が増え、文字が動き始めている。
まだ荒れてる。まだ足りない。まだ揉める。
でも、揉め方が変わる。
“誰のせいか”の揉め方から、
“どうやって進めるか”の揉め方へ。
それだけで、地獄の温度は少し下がる。
私はチョークの粉を払って、もう一度、全員に向かって言った。
「担当は固定です。助け合いは、固定の上でやります。逃げ道としての押し付け合いは、今日で終わり」
言い切った瞬間、誰かが小さく笑った。
センパイだ。
「新人、まじで怖い。でも……ちょっと好き」
私は返事をしなかった。
返事をしたら、感情が溢れてしまいそうだったから。
名札が揺れる。
木の軽い音。
その音が、このギルドの新しいルールの始まりを、静かに刻んでいた。
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2023/09/06 少し修正したバージョンと入れ替えながら更新を再開します。
よろしくお願いいたします。m(_ _)m
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6度目には絶対に幸せになってみせる!
そう誓って、家に帰ったのだが…?
一応恋愛として話を完結する予定ですが…
作品の内容が、思いっ切りファンタジー路線に行ってしまったので、ジャンルを恋愛からファンタジーに変更します。
今回はHOTランキングは最高9位でした。
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