異世界OLは忙しい、ざまぁも恋もプロジェクト管理で制覇します

タマ マコト

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第7話 定規みたいな男が来て、「合理的だ」だけで胸が濡れた

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名札が浸透し始めた頃、ギルドの空気はほんの少しだけ変わった。

怒鳴り声はまだある。紙の山もまだある。報酬袋の封が開いたままの棚も、完全には直ってない。
でも、“誰に言えばいいか”が見えるだけで、人は怒鳴る前に一呼吸置くようになる。

「精算は誰だ?」
「依頼審査、今空いてる?」
「装備の件はあっち?」

言葉が、矢印になる。
矢印が増えると、混乱が減る。

そして、そういう変化は意外と早く、外に漏れる。

市場の酒場で。「最近ギルドの受付がマシになったらしいぞ」
街道の馬車で。「前より報酬の支払いが遅れなくなってきた」
王都の噂話は風みたいに広がる。風は、好き勝手な方向へ吹く。

だから、来た。

「王城から視察だって」

センパイが朝一番、そう言った。言い方は軽いのに、目が笑ってない。

「……視察?」

私が聞き返すと、センパイは肩をすくめる。

「改革とか噂になってんだよ。『最近ギルドが変だ』って。変だって、悪い意味じゃなくても、上は気になるじゃん。税金とか、報酬とか、そういうの絡むし」

「上に見られるの、嫌ですね」

本音が出た。

現代では、上に見られる時ほど地獄だった。現場の努力は評価されず、都合よく切り取られ、責任だけ降ってくる。視察は“褒めるため”じゃなく、“叩く理由を探すため”に来ることが多い。

「嫌だよ。絶対めんどい。だってあいつら、現場知らない顔で『なぜできない?』とか言うもん」

センパイはそう言って、わざとらしく肩を落とした。

私は黒板を見た。
そこには今日の未処理が書かれている。昨日よりは整っている。でも、完璧じゃない。完璧じゃないから、突かれやすい。

「……誰が来るんですか」

センパイが指を立てる。

「知らない。けど、王城の“統括官”って噂」

統括官。

その単語に、背筋が伸びた。
統括。つまり、管理する人。管理する人が来る。現場の“管理”が死んでいると見抜かれたら、どうなる?
改善が評価されるのか、逆に「今まで何してた」と叩かれるのか。

私は自分に言い聞かせる。

大丈夫。
事実を出せばいい。
数字と流れと、今やっていること。

でも、心臓は少し速い。
現代の記憶が、息の隙間に挟まってくる。黒崎マーカーの笑顔。会議室。B評価。追放通知。
“見られる”ことは、怖い。

午前の仕事を回しながらも、職員たちの落ち着かなさが伝染する。名札が揺れるたび、いつもより音が大きく聞こえた。

「視察って、どれくらい偉いのが来るんだ?」

精算担当の男が、報酬袋を数えながら聞く。

「さぁね。王族だったら死ぬ」

センパイが冗談めかして言う。
年配の装備管理担当が「余計なことすんなよ」とぼそっと言う。
依頼審査の女性は、承認印の場所を何度も確認している。いつもより丁寧すぎて逆に危うい。

私も、落ち着かない。

でも、落ち着かないままでも仕事は回る。
それが現代で身につけた厄介な技術だった。

そして、昼前。

扉の外が一瞬静かになった。

ざわついていた冒険者たちの声が、波が引くみたいに遠のく。誰かが息を飲む。
その静けさの中心から、足音が聞こえた。

硬い靴。
規則正しいリズム。
急がず、迷わず、躊躇せず。

扉が開く。

入ってきたのは——男だった。

黒髪。きっちりと結われ、一本の乱れもない。
制服は濃い色で、胸元に王城の紋章。布の皺が一つもない。まるで、アイロンをかけたばかりのシャツみたいに整っている。
背筋はまっすぐ。肩の線が美しい。余計な動きがない。

そして目。

眼差しが、定規の角みたいに鋭かった。

ただし、その鋭さは怒りじゃない。威圧でもない。
“測っている”目だ。
世界を数値に落とし込む人の目。

後ろに数人の護衛と、書記らしき人物が続く。だが、主役はその男一人で十分だった。

センパイが、小声で言う。

「……うわ、あれ絶対偉い」

私も小声で返す。

「偉いだけじゃなくて、めちゃくちゃ厳しそう」

男はギルドの中を見渡した。
その視線が、カウンター、黒板、名札、棚、床へと滑る。
一瞬で全体を把握するみたいに。

私はその視線の動きに、妙な既視感を覚えた。
現代の私が炎上現場に入ったときの、あの視線。まず全体を見て、ボトルネックを探して、責任を整理するために頭の中で線を引く。

似ている。
でも、相手は王城の人間。立場が違う。こっちはただの転生OL。
心臓が少しだけ強く鳴った。

男が、護衛に何か短く言い、書記が頷いた。言葉は少ない。無駄がない。
そして男は、カウンターの前まで歩いてきた。

近くで見ると、顔立ちは端正だった。
目尻が少しだけ下がっているのに、視線は冷たい。
矛盾した印象。
その矛盾が、妙に気になる。

男が言った。声は驚くほど低く、静かだった。

「冒険者ギルド、王都支部。視察に来た」

センパイが慌てて頭を下げる。

「あ、えっと!ようこそ!受付担当の——」

「報告は不要。まず、確認する」

男の言葉が、センパイの挨拶を途中で切った。切り方が、冷たいのに乱暴じゃない。刃物ではなく、はさみみたいにスパッと切る。

男は黒板に視線を向ける。

「……これは何だ」

依頼審査の女性が口を開く。

「え、えっと!未処理の一覧で——」

男の視線が、女性から黒板へ戻る。
彼は黒板を読み込む。読み込む速度が速い。文字を追うだけじゃなく、構造を理解している。
私は、喉の奥が少し乾くのを感じた。

男が、次に名札へ目を向ける。

「担当が分かれているのか」

精算担当の男が、少し胸を張って言う。

「はい。最近、そうしました」

男は頷きもせず、ただ視線を動かす。
そして棚。報酬袋。封の甘さ。紙束の位置。床の紙の量。
全部、数秒で測り終える。

男が、ようやくカウンター越しに職員を見た。

「この改善は誰が?」

声は低い。静か。
でも、その一言に重さがある。
責任者を探す声。
現代で聞き慣れた“責任は誰が取る”の刃。

一瞬、職員たちが互いに目を合わせた。
センパイが私を見る。
精算担当の男が私を見る。
依頼審査の女性も、装備管理の年配男も、私を見る。

……逃げられない。

いや、逃げない。

私は一歩前に出た。名札が胸元で揺れる。木の軽い音が、今は妙に大きい。

「綴原ペンナです。提案と実施をしました」

男の視線が、私に刺さった。

定規の角みたいな目。
測られている。
今まで生きてきた全部を、数値にされそうな感覚。

私は背筋を伸ばし、目を逸らさない。
現代で学んだ。視線を逸らしたら、負ける。

男は、数秒、私を見た。

その沈黙が長い。
長いのに、嫌じゃない。
嫌じゃないのは、彼の視線に“嘲り”がないからだ。

そして、男は眉一つ動かさないまま言った。

「合理的だ」

たったそれだけ。

褒め言葉なのか、事実の確認なのか、判断がつかない。
声の温度も変わらない。
でも——

その短い言葉が、私の胸の中の乾いた部分に、水を落とした。

じわ、と染みる。
熱いわけじゃない。冷たいわけでもない。
ただ、潤う。

合理的。

現代で、私は“空気が読めない”と言われて追放された。
正論が強いと言われた。
周りが萎えると言われた。
でも、この男は、正論を正論として評価した。感情を挟まず、事実として。

それだけで、私は救われた気がした。

「……ありがとうございます」

口から出た声が、少しだけ震えた。自分でも驚く。
こんな一言で揺れるなんて、私、どれだけ乾いてたんだろう。

男は「礼は不要」とでも言うように、すぐ視線を黒板へ戻した。

「未処理の数が書かれている。だが、今日の流入と処理の差分が見えない」

差分。
言葉が、現代っぽい。
私は一瞬、心の中で笑った。やっぱりこの人、似てる。

「差分は、今から書き足します。流入件数と完了件数を横に」

「そうしろ」

命令。なのに不快じゃない。
理由がある命令は、不快じゃない。
現代で不快だったのは、理由のない命令だった。助かるわ~、で投げられる仕事。空気がね、で切られる評価。

男は、カウンターの内側に入る許可を求めるでもなく、すっと横に回った。護衛が一瞬身構えたが、男が手で制す。護衛が止まる。
その動きも無駄がない。

男は黒板の近くに立ち、もう一度全体を眺めた。

「……このギルドは、今までどのように運用していた」

センパイが曖昧に笑う。

「えーっと……気合い?」

「気合いで回るものではない」

男の言葉が、センパイの冗談をまたはさみで切る。
センパイが「ですよねー」と笑って、肩を落とす。

私は口を開いた。

「今までは、口伝と紙だけで回してました。担当も曖昧で、承認印の管理も不十分でした」

男の視線がこちらへ戻る。

「承認印の管理が不十分?」

私は昨日の棚を思い出し、喉の奥が冷たくなる。

「……はい。行方不明になりかけていました」

「なりかけて?」

私は一瞬迷った。
死亡報告書に挟まっていたことを言うべきか。言えば、ギルドの評判に傷がつく。職員が責められる。現場はまた縮こまる。
でも、隠せば、また同じことが起きる。

私は選んだ。
事実。

「死亡報告書の束に挟まっていました」

センパイが息を飲む。
精算担当の男が顔をしかめる。
依頼審査の女性がうつむく。
装備管理の年配男が舌打ちする。

男——罫堂ルーラは、表情を変えなかった。
眉一つ動かさない。
ただ、目が少しだけ細くなる。定規の角が、さらに鋭くなる。

「……改善は急務だな」

その言葉は、私たちを責めるためじゃない。
状況を認識するための言葉。
だから、痛くない。

私は頷いた。

「はい。だから、今は全体像を出して、担当を固定して、入口と出口を線で繋ぎました」

ルーラは黒板の線を見た。

「入口と出口、か」

「はい。入口が曖昧だと、出口も曖昧になります。責任が曖昧だと、結果も曖昧になります」

私は言いながら、自分の声が少しずつ落ち着いていくのを感じた。
この男には、説明が届く。
届く相手がいると、人は言葉を整えられる。

ルーラは、短く言った。

「理解した」

それだけ。

なのに、胸がまた少し潤った。

理解された。
評価された。
正論を切り捨てられなかった。

私は、気づけば指先の力が抜けていた。肩が少しだけ下がる。
現代でいつも張り詰めていた糸が、ほんの少し緩んだ。

センパイが、小声で私に囁く。

「新人……あの人、誰」

私も小声で返す。

「たぶん、統括官。罫堂ルーラ……って名乗ってた」

「ルーラ……名前まで定規っぽい」

「罫線っぽいですね」

私がぼそっと言うと、センパイが吹き出しそうになって口を押さえた。
笑うな。今は笑うな。
でも、その小さな笑いが、緊張を少し溶かす。

ルーラは最後にもう一度だけ、黒板を見た。

そして、私を見た。

「綴原ペンナ」

呼び捨てじゃない。フルネームでもない。ちょうどいい距離の呼び方。

「はい」

「この場で続けろ。変化は、止めた瞬間に逆流する」

その言葉は忠告であり、承認だった。

「……はい。続けます」

ルーラはそれ以上何も言わず、踵を返した。
護衛と書記が続く。
扉が閉まると、ギルドの喧騒が戻ってくる。いつもの波が押し寄せる。

でも、私の中は少し違った。

合理的だ。

その四文字が、胸の奥で静かに光っている。
乾いた砂に落ちた水みたいに、じわじわと染み広がっていく。

私はチョークを取り、黒板の隅に小さく書き足した。

【今日の流入】
【今日の完了】

たった二行。
でも、それが私の答えだった。

王城の定規みたいな男に見られても、私は私の線を引く。
それが、ここで生きる私のやり方だから。
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