異世界OLは忙しい、ざまぁも恋もプロジェクト管理で制覇します

タマ マコト

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第17話 勝ったのに、胸が空っぽで

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会議室の空気は、まだ薄いままだった。

さっきまで私の“証拠の行進”が歩いていた魔法板は、淡い光を残したまま沈黙している。
沈黙は終わりじゃない。次の刃が抜かれる前の、息継ぎだ。

王子が手を上げたまま、黒崎マーカーを見た。

「黒崎。説明せよ。なぜ対象一覧がない」

黒崎は微笑んだ。
微笑みの形だけは保っている。けれど、その輪郭が少し崩れている。
頬の筋肉が硬く、唇の端が乾いている。

「王子殿下。対象一覧を作成しなかったのは、現場の柔軟性を——」

「柔軟性?」

軍人が低く言った。
その声は、硬い鉄みたいだった。

黒崎は、すぐに言い換える。

「現場の判断力を信頼した、ということです。確認中の案件を一律に止めるのではなく、優先順位を付けて——」

「優先順位を付けるための材料がない」

私が淡々と口を挟むと、黒崎の視線が一瞬こちらに刺さった。
刺さるけれど、痛くない。
私は紙に触れている。事実に触れている。刺さるのは、虚勢だけだ。

黒崎は、笑いを少し濃くした。

「ペンナちゃん、そこはさ。現場で工夫できるでしょ?君、得意じゃん。段取りとか」

段取りとか。

私の得意を、また“便利”に変換しようとする言い方。
現代で何度も浴びた、柔らかい毒。

でも今日は、毒が薄まっていく日だ。

私が言葉を継ぐ前に、低い声が割って入った。

「工夫では埋まらない穴がある」

罫堂ルーラだった。

彼は座ったまま、姿勢を崩さない。
視線だけで場を押さえる。
定規で机の上を一度撫でたら、紙が全部揃ってしまうみたいな静けさ。

ルーラは黒崎を見た。

「あなたの指示は、どの記録にも残っていない。なぜだ」

——音が消えた。

貴族の袖が擦れる音すら、止まった気がした。
香の甘い匂いが、急に重くなる。
黒崎の薄笑いが、そこで初めて“引っかかる”。

黒崎は瞬きをした。
ほんの一瞬、目の奥が揺れた。

「……記録?」

「口頭の指示があると言った。だが、議事録にない。指示書にもない。受領印もない」

ルーラの声は驚くほど静かで、驚くほど低い。
怒鳴らない。脅さない。
ただ、逃げ場を消す。

黒崎は笑おうとした。
でも笑いが、うまく形にならない。

「いや、口頭で伝えたんです。現場は忙しいですから、いちいち書類にしていたら——」

「“透明性のため、指示は文書で残す”とあなたは決めた」

ルーラが、議事録の写しを机の上で軽く押さえた。
押さえただけで、それが鉄板みたいに重く感じる。

「署名もある。あなたの署名が」

黒崎の喉が、目に見えて動いた。
唾を飲み込む音が、聞こえそうだった。

「……形式の話でしょう?現場は現場で、臨機応変に——」

「臨機応変は、責任の所在が明確なときにだけ成立する」

ルーラは一拍置いて、続けた。

「あなたは改革責任者だ。責任がある。責任があるなら、記録が残る。残らないのは、なぜだ」

なぜだ。

その問いは、刃じゃない。
でも、黒崎にとっては銃声みたいな問いだった。

黒崎の言葉が詰まる。

「あ……それは……」

詰まった瞬間、私は思った。

——ああ。やっとだ。

現代では、黒崎はいつも詰まらなかった。
詰まる前に、場の空気が黒崎を守った。
詰まる前に、私が“空気”で黙らされた。
詰まる前に、会議は黒崎の勝ちで終わった。

でも今は違う。

ここには、ルーラがいる。
ここには、記録がある。
ここには、写しがある。
そして、私が黙らなかった。

黒崎は息を吸って、言い逃れを形にしようとした。

「王子殿下、私は——現場を守ろうとしただけです。ペンナさんの仕組みは優れていますが、過剰な管理が——」

「過剰かどうかは、結果で判断する」

今度は、軍人が言った。
そして、貴族の一人が不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「あなたの署名がある指示で混乱が生じている。これが“守る”か?」

黒崎の薄笑いが、剥がれていく。
笑いの下から、焦りの色が出る。
焦りの下から、苛立ちの色が出る。
苛立ちの下から、見慣れた顔が出る。

現代の、あの顔。
“自分が負けるはずがない”と信じていた顔が、壊れていく。

黒崎は私を見た。

「ペンナちゃん。君も言ってくれよ。僕が助言した——」

助言。

その言葉を聞いた瞬間、背中に冷たいものが流れた日を思い出す。
でも今日は、冷たさの上に火種がある。

私は淡々と首を振った。

「助言は受けていません。初対面です。あなたが“指導した”と話した記録も、どこにもありません」

私は机の上の控えを一枚出した。

「召喚直後の同行記録。王城付きの書記の署名付きです。あなたがギルドに来たのはこの日。改革の導入はそれより前です」

黒崎の目が細くなる。
怒りの細さ。
でも、その怒りはもう誰も怖がらない。
会議室の空気が、黒崎から離れている。

王子が、静かに言った。

「十分だ」

その声は柔らかい。
けれど、柔らかさの中に“結論”がある。

王子は席から立ち上がった。
豪奢な椅子が軋む。
その音が、裁定の鐘みたいに響いた。

「黒崎マーカー。あなたは改革責任者の職務を逸脱し、記録の不整合を生み、現場の混乱を招いた。加えて、自身の署名のある指示を、他者の責任に転嫁しようとした」

黒崎の顔が、白くなる。

「……転嫁?違う!私は——」

「黙れ」

軍人の声が、鉄の扉みたいに閉じた。

王子は続けた。

「よって、あなたの改革責任者の地位を剥奪する。王城への出入りを禁じ、召喚者としての特権を停止する。——追放とする」

追放。

その言葉が落ちた瞬間、会議室がざわめいた。
貴族たちの吐息。
書記の羽ペンの走る音。
護衛が一歩前へ出る音。

黒崎の顔から血の色が引く。
薄笑いはもうない。
そこにあるのは、恐怖と怒りと、理解できないという顔。

「ふざけるな……!俺は——!」

黒崎が叫びかけた。
でも、叫びは会議室の壁に吸われた。
叫びは空気を動かせない。
ここでは、証拠が空気を動かす。

護衛が黒崎の腕を掴む。
黒崎が抵抗する。
外套の裾が乱れる。
きれいに整っていたものが、乱れる。
乱れた瞬間、彼はただの男になる。
薄笑いで人を使うただの男。

黒崎は最後に、私を睨んだ。

「……お前……!」

その目には、現代と同じ憎しみがあった。
“便利な道具が、反抗した”という目。
でも、私は目を逸らさなかった。

逸らしたら、また奪われる。
もう、奪わせない。

黒崎は引きずられるように退出させられた。
扉が閉まる音が、重い。

会議室に残るのは、香の匂いと、沈黙と、私の心臓の音。

私は——勝った。

勝ったのに。

胸が、空っぽだった。

歓声もない。
震える喜びもない。
涙も出ない。
勝利の味がしない。

燃え尽きた紙みたいに、軽い。

紙は燃えると、灰になる。
灰は軽い。
軽くて、風に飛ぶ。
今の私は、風が吹いたら消えてしまいそうだった。

「……綴原ペンナ」

王子が私を呼んだ。
私は反射で頭を下げる。

「あなたの提出した記録は有効と判断する。ギルド改革は、現場の手順を維持しつつ、王城として支援する」

支援。

言葉は立派だ。
でも、私の胸は空っぽのままだった。

会議室はまだ、完全には終わっていない。
残務の確認が始まり、書記が動き、貴族たちが小声で話し合う。
黒崎を追放したあとの穴をどうするか、責任の再配置、支払い保留の解除——まだ決めることは残っている。

でも、私の中では、別の会議が始まっていた。

“勝ったのに、なぜ空っぽなのか”

私は、黒崎を倒した。
証拠で追い詰めた。
奪われなかった。
なのに、空っぽ。

現代で奪われたものが、戻ってきたわけじゃないからだ。
追放された夜の喉の痛みは、まだ残っている。
コピー用紙みたいな自分の薄さは、まだ癖になっている。
勝利は、過去を消さない。

会議の一角が落ち着いた頃、私は退出を許され、王城の廊下に出た。

廊下の空気は少しだけ冷たい。
香の匂いが薄まり、石の匂いがする。
それだけで、息がしやすい。

資料を抱えたまま歩く。
紙の角が腕に当たって痛い。
その痛みが、私がまだ現実にいる証拠になる。

燃え尽きた紙みたいに軽い私は、歩くたびに音を立てない。
靴音すら、怖いくらい静かだ。

その時、隣に足音が並んだ。

規則正しい、乾いた靴音。

見なくてもわかる。

罫堂ルーラが、隣に並んでいた。

視線は前。
姿勢は直線。
歩幅は私に合わせている。
合わせているのに、押し付けがましくない。

彼はしばらく黙って歩いた。
沈黙が、嫌じゃない。
会議室の沈黙は窒息だったけど、この沈黙は、空気をくれる。

やがて、ルーラが低い声で言った。

「君は正しかった」

たった一言。

その一言が、灰に小さな熱を戻した。

燃え尽きた紙の灰に、火が触れるみたいに。
じわ、と。
ほんの少しだけ、温度が戻る。
空っぽだった胸の底に、微かな灯りが落ちる。

私は、返事をすぐにできなかった。

喉の奥が、熱い。
泣きそうになる。
でも、泣き方を忘れている。

だから私は、ただ小さく頷いた。

頷きは拍手じゃない。
でも、確かな肯定だ。

ルーラの言葉の余韻を胸に抱えたまま、私は歩き続けた。
会議はまだ終わっていない。
けれど私の中の灰が、もう一度燃える準備を始めていた。
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