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第2話 聖女は無能、というレッテル
しおりを挟む王城の会議室は、昼だというのに妙に息苦しかった。
長い楕円形の机。壁一面に飾られた先代たちの肖像画。天井の装飾は無駄に豪華で、金がふんだんに使われているのが一目で分かる。
なのに、そこに満ちている空気は、少しも豊かじゃない。
重たい。冷たい。突き放された氷室の中みたい。
(……いつもと、違う)
何度もここには呼ばれている。
戦況報告、祈りの儀式の日程調整、新しい祝福の相談。
そのたびにわたしは、王や貴族たちの視線を“一応の敬意”として受け取ってきた。
でも今日は、その視線の質が違う。
机の向こう側から向けられる目は、どれもが“値踏みする商人”の目だった。
「それでは――本日の議題に入ろう」
王の低い声が響く。
隣にはユリウス。さらにその隣、少し距離をおいて、エリシアが控えめに座っていた。
最近“祈りを捧げる高貴な令嬢”として、宗教関係の儀式にも顔を出すようになったらしい。
彼女は深く俯き、まるでこの場に居合わせるのさえ恐れ多い、と言わんばかりのオーラをまとっている。
その“控えめな存在感”が、逆に視線を集めていることを、たぶんよく分かっている。
「まず、辺境の報告を」
呼ばれた文官が立ち上がり、淡々と数字を読み上げ始める。
「北方第三防衛線、魔物の侵入報告、前月比120%増加。負傷者数も増加傾向にあります。南東方面は……」
数字が並ぶたび、重石が積まれていくみたいに、部屋の空気がさらに沈んでいく。
誰かが舌打ちをする。誰かがペンを机に打ちつける。
わたしは両手を膝の上で組みながら、じっと耳を傾けるしかない。
「被害の原因については?」
王の問いに、文官は一瞬だけ口ごもった。
「はっきりとした要因は不明ですが……封印結界の弱体化、ならびに、聖域からの加護の減少が疑われます」
会議室に、目に見えない視線が一斉に走る。
まるで誰かが「はい、ここで聖女を見ろ」と合図を出したかのように。
(ああ、そう来るんだ)
覚悟していた展開。
でも実際にこの場でその言葉を聞くと、心臓の裏側を爪でなぞられたみたいにざわついた。
「ほう、やはり“加護の弱まり”か」
最初に口を開いたのは、王の右隣に座る老齢の公爵だ。
脂ぎった指で髭を撫でながら、わざとらしいため息をつく。
「最近、宮廷でも噂になっておる。“聖女様のお力が落ちているのではないか”とな」
「陛下のご健康もすぐれませぬしな。王城自体の守護に綻びが出ている可能性も」
「我らがどれほど税を納め、軍を維持しようと、肝心の加護がこれでは……」
次々に投げられる言葉は、どれも“事実”のような顔をしている。
でも、誰一人として“聖女の側の事情”には目を向けない。「一晩中祈り続けている」とか、「治癒の現場で倒れかけている」とか。そういう話は彼らの世界には存在しない。
数字と結果だけが、彼らの“現実”だ。
「……聖女よ」
王が、わたしを見た。
その視線には、以前のような信頼の温度は少ない。
「はい」
「最近の体調はどうだ。祈りの際に、何か違和感を感じたことは?」
真正面から問われると、喉がひりつく。
“疲れていない”と言ったら嘘になる。
“問題しかない”と言ったら、それこそ処罰の対象だ。
どの言葉を選んでも、どこかが嘘になる。
「……魔力の消耗は、以前と比べて増えています。戦況が悪化している分、使う機会も増えていますから」
「ふむ」
「ですが、祈りや奇跡が“届いていない”と感じたことは……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
――ある。そう言い切ってしまいそうになって。
最近、祈りの最中に、奇妙な“空白”を感じることが何度かあった。
光が生まれるまでに、ほんのわずかな遅延が走るような感覚。
誰かがわたしの魔力の流れを横からいじっているような、そんな違和感。
「感じたことは?」
ユリウスの声が追い打ちをかける。
彼の紫の瞳は、まっすぐわたしを射抜いていた。
そこにあるのは、心配ではなく“確認”。数字の報告を求めるのと同じ種類の目だ。
「……いえ。届いています。ただ、以前より……負担は増えています」
それが限界だった。
これ以上喋ると、余計なことまで漏れてしまいそうで。
「負担、ねぇ」
別の貴族が鼻で笑う。
「我々とて、負担は同じだ。税の負担、戦費の負担、辺境の維持費。誰もが苦しい。聖女だけが特別に苦労しているわけではあるまい」
「そうだ。そもそも、聖女とは神より選ばれし存在。凡人の感覚で“疲れた”などと言われては困る」
――疲れたなんて、一言も言ってないんだけど。
心の中で小さくツッコミを入れる。
それすら、妙に惨めな自衛行動に思えた。
「恐れながら」
柔らかく、しかしよく通る声が、空気を切り替えた。
視線が一斉にそちらに向く。
エリシアが椅子から立ち上がり、胸の前でそっと手を組んでいた。
「このような場で口を挟むのは僭越ですが……わたくし、最近、聖堂で祈りを捧げておりまして」
「ああ、伯爵令嬢殿。そなたの敬虔さは噂になっておるぞ」
「とんでもございません。ただ、どうしても気になってしまって……」
エリシアはわざとらしく目を伏せ、まぶたを震わせた。
涙が今にも零れそうな“演技”。
会議室の空気が、「何があった?」と期待するように前のめりになる。
「祈りの最中……以前は、聖堂全体が、柔らかな光に包まれるような感覚がございました。
ですが最近は、その光が……少し、薄くなったように感じられるのです」
“感覚がある”と言われれば、誰も反論できない。
それはエリシア自身の主観であり、証拠のいらない話だからだ。
「さすがだな」「やはり、常に神に仕えている者の感性は違う」
何人かの貴族が頷く。
「もちろん、それは聖女様のお力が足りない、という意味ではございません。きっと、あまりにもお疲れで……」
エリシアは、ちらりとこちらに視線を向ける。
その瞳には、“あなたのためを思っている”という仮面が浮かんでいた。
「わたくしの祈りなど、なんの足しにもなりませんが……せめて聖女様のお力を少しでも支えられればと、毎日聖堂に通っておりますのに……」
そこで、言葉を詰まらせる。
喉の奥で震える息。
こぼれ落ちる寸前の涙。
「それでも、被害は増えてしまって……聖女様のお力をお支えできない、わたくしの至らなさが、情けなくて……」
白々しい。
そう思った瞬間、わたしは自分の心の黒さにびくっとした。
でも、この場にいる誰もが、彼女を“健気な被害者”として見ているのが分かる。
――巧い。あまりにも。
「エリシア、君に責任はない」
ユリウスが、すっと立ち上がり、彼女の肩に手を置く。
その仕草は、優しく彼女を庇う騎士そのものだった。
「君は十分すぎるほど祈りを捧げてくれている。非があるのだとすれば、それは……」
彼の視線が動く。
机越しに、一直線に、わたしに向けられる。
「リディア。君だ」
空気が、ぴしりと凍る。
「……どういう、意味ですか」
乾いた声が出た。
自分のものとは思えないくらい、感情が削ぎ落とされていた。
「君は、この国の聖女だ。神より授けられた唯一の加護の担い手だ。
その君が、“全力を尽くしている”と言いながら、結果として被害は増えている。これは事実だ」
事実。
その言葉は、簡単に人を殺す。
「もちろん、君一人のせいだとは言わない。だが――」
ユリウスは言葉を切った。
その間が、余計に残酷だった。
「本当に、今までと同じように、全力で祈り、奇跡を振るっているのか? 心のどこかで、慢心や、油断はないのか?」
――ない。
即答できる。
むしろ、全力以上のものを求められ続けて、削れるところがもう見当たらないくらい、削ってきた。
睡眠時間だって、食事の時間だって、人として必要なものを一つずつ削って、それでも足りなくて、心まで削ってきた。
でも、その全部を言葉にしたところで、誰が信じてくれるんだろう。
“聖女だからできるはずだ”という前提で見られている相手に、「無理なんです」と訴えることが、どれだけ無意味か。
喉がひりひりする。
胸の奥で、何かがぎゅっと握りつぶされたみたいに痛む。
「……全力を、尽くしています」
それでも、わたしはそう答えるしかなかった。
「この国が好きです。守りたい。
だから、今までだって、これからだって……できる限り以上のことを――」
「“できる限り以上”などという言葉は要らない」
ユリウスの声が、わたしの言葉を遮った。
「必要なのは、“結果”だけだ」
その瞬間、会議室の空気が完全にこちらに傾いた。
「聖女の加護が弱まっているという噂は、無視できない段階に来ている。
国としては、何らかの対策を取らねばならん」
老公爵が、わざと重々しく頷く。
「対策、と申しますと?」
誰かが水を向ける。
彼はわざとらしく腕を組み、ゆっくりと口を開いた。
「――聖女の、交代だ」
静寂が落ちる。
ほんの数秒前までざわざわしていた空気が、一気に凍りついた。
「こう言っては何だが、聖女とは“神より選ばれし者”だと言っても、その実、血筋と儀式によって作られる側面もある。
一人が担えぬなら、次代の候補を立てるべきではないか」
「しかし、現聖女はまだ若い。代替わりには早すぎるのでは」
「若いからこそ、感情や私情が祈りを濁らせておるのかもしれんぞ」
勝手なことを言う声が次々と飛び出す。
耳鳴りがして、誰の声が誰のものか判別できなくなる。
“聖女の交代”。
その言葉だけが、頭の中でぐるぐると回っていた。
(交代……? わたしから、誰に? エリシア? それとも別の誰か?)
指先が、じわりと冷たくなっていく。
膝の上で組んでいた手が、いつの間にか震え出していた。
「もちろん、すぐにという話ではない」
老公爵は、すぐに逃げ道も用意しておく。
「まずは候補者を選び、試験的に聖堂での祈りを分担させる。結果を見てから決めればよい」
「それならば、伯爵令嬢エリシア殿など、申し分なかろう。
既に聖堂に通い、祈りを捧げる習慣もある」
「わ、わたくしなど、とても……!」
エリシアが慌てたように首を振る。
でも、その頬がほんのりと紅潮しているのを見逃すほど、わたしは鈍くない。
「聖女の座を望んでいるわけではございません。ただ、もし、わたくしのような者でもお役に立てるのなら……
リディア様のお負担を少しでも減らせるのなら、喜んで……」
“負担を減らす”という言葉で包んでいるけれど、その中身は「役割の一部を奪う」提案だ。
それでも、ここにいる多くの人たちは、その表面だけを見て“健気な助け船”と受け取る。
「聖女よ」
王の声が降ってきた。
「この案について、何か意見はあるか」
意見。
――あるに決まっている。
怖い。嫌だ。
わたしはまだ、この国を守りたい。
座を奪われたくない。
わたしの“存在理由”を半分にされるのも、全部奪われるのも、どっちも嫌だ。
でも、口を開いた瞬間、きっとこう言われる。
「自分の立場にしがみつくのか」と。
聖女が、そんな俗っぽい執着を見せたら終わりだ。
“神の器”に感情があること自体、彼らにとっては不都合な真実だ。
だから――
「……陛下が、この国のことをお考えになっての案でしたら、従います」
気づいたときには、そう答えていた。
自分の口から出た言葉に、一番驚いたのは自分だ。
(何言ってるの、わたし)
心の中で自分を責める。
でも、外に出てしまった言葉はもう戻らない。
それは、わたし自身が自分に貼ったレッテルみたいだった。
従順な聖女。
代わりはいくらでもいる“役割の一つ”。
「そうか。さすが聖女だ。己の立場に固執せず、国のためを思えるとは」
老公爵が満足げに頷く。
今の言葉のどこに、そんな高尚な意図があったのか。
ただ怖くて、自分の感情を飲み込んだだけなのに。
「ユリウス、お前はどう考える」
王が問うと、ユリウスは短く息を吐いてから答えた。
「……現状を維持して、被害がさらに拡大するのは避けねばなりません。
暫定的にでも、エリシア嬢に祈りの一部を任せ、結果を見極めるべきです」
その言葉は、冷静で、理性的で、正論に聞こえるように整えられていた。
だけど、わたしにはそれが、「君だけでは足りない」と宣告されているようにしか聞こえなかった。
胸の奥で、不安がゆっくりと形を持ちはじめる。
指先の震えが止まらない。
膝に力が入らない。
視界の端が、じわりと滲む。
(聖女の、交代……)
その言葉が、皮膚の内側に焼き付く。
“いつかあるかもしれない未来”だったものが、この瞬間、“現実の選択肢”として机の上に載せられた。
わたしの居場所は、もう絶対じゃない。
わたしの価値は、“他の誰か”と比べられるものになった。
「では、本件については後日、聖堂側と具体的な調整を行う。以上だ」
王の言葉で会議は締めくくられた。
椅子の軋む音、紙が重ねられる音、人々の足音が一斉に動き始める。
誰も、わたしの方は振り返らない。
――ただ一人を除いて。
「リディア」
会議室の出口近く。
声に振り向くと、ユリウスがわたしを待っていた。
「先ほどは、きつい言い方をした」
「いえ。正しいことを仰っていましたから」
「……君は、いつもそう言うな」
彼は少しだけ視線を逸らした。
その横顔に、昔見た優しさの残り香を探してしまいそうになる。
「確認しておきたい。君は、本当に“全力”なんだな」
「何度聞かれても、答えは同じです」
笑うつもりじゃなかったのに、口元がひきつる。
自分でも分かるくらい、痛々しい笑顔だった。
「これ以上、どうすればいいか分からないくらいには、全力です」
それが、本音だった。
でもユリウスは「そうか」と言ったきり、それ以上何も言わなかった。
慰めもしない。
庇いもしない。
ただ“確認”して、“了解”しただけ。
その無色透明な対応が、一番効いた。
「……失礼します」
会釈をして、その場を離れる。
背中に視線が刺さる感覚があったけれど、振り返らなかった。
足音が、やけに大きく響く。
廊下の白い石壁が、少しずつ遠のいていく。
(わたしは、本当に……無能、なのかな)
ぽつり、と心の中で呟く。
その言葉は最初、異物みたいに弾かれた。
でも、さっき聞いた言葉たち――「加護の弱まり」「結果が全て」「聖女の交代」が、じわじわとその異物を溶かしていく。
“聖女は無能だ”というレッテルが、まだ見えない糊で、じわじわとわたしの胸に貼り付けられていく。
剥がそうと指を伸ばす前に、その糊はもう乾きかけていた。
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