聖女を追放した国が滅びかけ、今さら戻ってこいは遅い

タマ マコト

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第4話 公開断罪と婚約破棄

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 その日は、朝から空気がおかしかった。

 聖堂に迎えに来た侍女は、いつもより口数が少ない。
 化粧を施す手も、わずかに震えていた。

「……リディア様。本日、王城で“聖女に関する重大な発表”があると伺っております」

 髪に櫛を通しながら、侍女が慎重に言葉を選ぶように告げる。

「重大な、発表……?」

「はい。陛下直々のご宣言だとか。
 ご出席は必須だと、殿下の侍従から……」

 鏡の中で、わたしの顔が強張る。

 ――重大な発表。
 嫌でも、先日の会議を思い出す。

『聖女の交代だ』

 あの言葉が、頭の奥で何度もリフレインする。
 記録を見に行ったときの冷たい羊皮紙の感触も、まだ手に残っていた。

(まさか、本当に……)

「リディア様」

 侍女が、そっと声をかける。

「お顔が、少し……」

「あ、ごめんね。大丈夫。ちょっと寝不足なだけ」

 自分で言って、自分で苦笑する。
 この数日、まともに眠れていないのは事実だった。

 瞼の裏には、書き換えられた記録、信じてくれない声、“意味がない”と言われた祈りが、ぐちゃぐちゃに混ざって貼りついている。

「それでも、綺麗ですよ。……聖女様ですから」

 侍女の言葉に、胸がちくりと痛む。

 ――“聖女様”。
 その呼び名が、まるで役に立たない飾りに思えてしまう自分が、嫌だった。



 大広間は、いつも以上に華やかだった。

 天井から吊るされたシャンデリアには、無数のクリスタルが光を反射してきらめいている。
 長い赤い絨毯の両側には、ぎっしりと貴族たちが並んでいた。
 色とりどりのドレスと礼服、香水の匂い。ざわめきが波のように行き来している。

「本当に聖女の件かしら」「交代だって話も」「いや、ただの噂に決まっている」

 断片的な言葉が耳に飛び込んでくる。
 全部が、自分のことを話しているようで、気分が悪くなりそうだった。

「聖女リディア様、ご入場――」

 侍従の声が響く。
 全員の視線が一斉にこちらを向いた。

(逃げたい)

 一瞬だけ、心臓が本気でそう叫んだ。
 この場から消えてしまいたい。
 誰にも見られたくない。
 全部見なかったことにして、聖堂の片隅でただ祈っていたい。

 でも、足は止まってくれない。
 慣れたはずの聖女の正装――白と銀の衣は、今日はひどく重く感じた。

 絨毯を進みながら、王の座する玉座を見る。
 その隣には、ユリウス。
 そして――その少し斜め後ろに、一歩下がるようにして立つエリシアの姿。

 淡い水色のドレス。儚げな雰囲気をまとい、視線を伏せている。
 けれど、時折上に向ける睫毛の影が、計算された角度で光を掬っていた。

(……本当に、上手いな)

 こんなときでも、そんなことを考えてしまう自分が情けない。

 定位置まで進み出て、深く一礼する。

「聖女リディア、参上いたしました」

 声は震えていない。
 まだ、大丈夫。



「本日、諸君を集めたのは――聖女に関する重大な事柄を告げるためである」

 王の声は、いつも以上に重々しかった。

 ざわめきが、すっと引いていく。
 広間中に静寂が落ちる。

「ここ数ヶ月、我がアルシェルド王国は、かつてないほどの困難に直面している。
 辺境での魔物被害の増加、作物の不作、疫病の蔓延……」

 読み上げられていく“問題”は、聞き馴染みのあるものだった。
 そのたびにわたしは、祈り、力を使い、できる限りを尽くしてきた。

「そして、聖堂および各地からの報告によれば――」

 そこで、王はわずかに目を閉じた。
 劇場の役者みたいな間の取り方だった。

「聖女リディアの力は弱まり、この国を支えるには不十分である、とのことだ」

 広間が揺れた。

「やはり……」「噂は本当だったのか」「そんな……」

 貴族たちのざわめきが、一気に膨れ上がる。

 ――聞いていた。
 “加護が弱まっている”と言われ続けてきた。
 報告書がそう書いているのも知った。
 けれど、“王の口から正式に宣言される”ということの重さは、想像していた以上だった。

 胃のあたりがきゅっと掴まれる。
 足の裏から、体温が抜けていく。

「陛下」

 耐えきれず、わたしは一歩前に出た。

「申し上げたいことがあります」

 王の視線が、重くのしかかる。

「……申せ」

「報告書の一部には、明らかな矛盾があります。
 わたしが確かに癒した兵士が、“死亡”と記されている例も――」

「記録の正当性については、既に調査済みだ」

 王の言葉が、ぴしゃりとわたしの声を切り裂く。

「聖堂の神官長、前線の隊長、文官たち――複数の証言が一致している。
 一人の記憶違いよりも、多数の記録が重んじられるのは当然のことだ」

「記憶違い……」

 自分の口の中で言葉が転がる。

 ――わたしの見たものは、全部“勘違い”にされた。

 喉がひりついた。
 言い返したい言葉はいっぱいあったのに、どれも声になる前に崩れていく。

「聖女リディア」

 ユリウスの声が響く。

 彼は一歩前に出て、わたしの正面に立った。
 紫の瞳は、冷えた湖みたいに静かだった。

「君は自らの力についてどう考えている」

 唐突な問い。
 でも、きっと答えは決まっているのだろう。

「……以前より負担は増えています。
 魔物も強くなっているし、祈りの回数も増えて……
 それでも、わたしは――今も全力で」

「“全力で”という言葉は、何度も聞いた」

 ユリウスは淡々と言う。

「だが、結果として“救えなかった命”が増えているのも事実だ」

 “結果”。
 先日の会議でも聞かされた、その言葉。

「国を導く立場として、“事実”から目を背けることはできない。
 君がどれだけ自分では全力だと言おうと、国全体から見れば“足りていない”」

 それは、“君の努力は評価しない”という宣告だった。

 胸の奥がじわりと熱くなる。
 悔しい。悲しい。
 でも、その感情を表に出した瞬間、きっと“感情的な聖女”という新しいレッテルを貼られる。

「だからこそ――」

 ユリウスはゆっくりと振り返り、広間を見渡した。

「我々は決断しなければならない。
 この国を守るために、最もふさわしい形を」

(ああ、来る)

 心のどこかで覚悟していた言葉が、もうすぐ形になる。

「聖女リディア」

 もう一度名前を呼ばれる。
 逃げられないよう、言葉で打ち込まれていく杭みたいだった。

「君は聖女としての責務を果たせなかった。
 よって、聖女の称号を剥奪し――」

 その瞬間、喉の奥がきゅっと締まる。
 “剥奪”という言葉が、耳から脳まで一気に染み込んでいく。

 それは、わたしの存在理由を無理やり剥ぎ取る宣告だった。

「王太子妃としての婚約も――ここで破棄する」

 時間が、止まった。

 音が消える。
 視界が少しだけ遠くなる。
 世界がガラス越しに見えるみたいに、薄くなる。

 ざわめきが遅れて押し寄せる。

「やはり……」「婚約まで……」「そこまで……」

 二重三重の衝撃に、足がふらついた。

(聖女……だけじゃなくて)

(ユリウスとの婚約まで)

「……理由を、伺ってもよろしいでしょうか」

 自分でも驚くほど、声は整っていた。

 ユリウスはわずかに視線を伏せ、それから淡々と答える。

「王太子妃は、国の象徴だ。
 民を導き、支え、安心を与える存在でなければならない」

 それは、わたしがその条件を満たしていないと言っているのと同じだ。

「今、“聖女の加護が弱まっている”と国中で囁かれている状況で――その聖女を王太子妃として迎えれば、民はどう思う?」

 彼は問いかけるような口調で言ったが、答えを求めてはいなかった。

「不安が広がる。王家の判断に疑念が生まれる。
 だから、君を王太子妃に迎えることは、もはやできない」

 ユリウスは一歩、距離を空けた。

 それは、形だけの距離じゃない。
 心の距離が、はっきりと視覚化された瞬間だった。

「君を嫌いになったわけではない」

 その言葉に、思わず顔を上げる。

 ――今、何て?

「だが、王太子として、国のために最善を選ばなければならない。
 個人の感情より、国の安泰が優先される。
 それが“王になる者”の責務だ」

 それは、“君より国が大事だ”という、あまりにも分かりきった答えだった。

 分かっていた。
 彼は昔から“国のため”を優先する人だった。

 それでも、心のどこかで――本当に小さな、愚かな部分で、わたしは期待していたのだと思う。

 “それでも君を選ぶ”と言ってくれる可能性を。

 その幻想が、今、綺麗に砕かれた。



「あ、あのっ……!」

 張り詰めた空気を裂いたのは、震える高い声だった。

 視線を向けると、エリシアが両手を胸の前でぎゅっと握りしめて立っている。
 大きな碧眼には涙が溜まり、その頬を一筋、透明な雫がつたっていた。

「お、お待ちくださいませ、殿下! わたくしは、そのような……!」

 彼女は必死に首を振る。

「聖女様の称号を奪ってまで、わたくしを……新たな聖女候補などと呼ばれるのは、恐れ多すぎますわ……!」

 “呼ばれていない”ものを、わざわざ自分から口にする。
 それが、どんな意味を持つ言葉なのか、理解した上で。

「誰も、君を責めはしない」

 ユリウスがなだめるように彼女の肩に手を置いた。

「君の敬虔さは、誰よりも知っている。
 君はただ、自分のできることをしてきただけだ。責めを負うのは――」

 そこでほんの一瞬、彼の視線がわたしをかすめる。

「聖女の責務を果たせなかった者だ」

 ――わたし、だ。

「で、ですが……」

 エリシアはさらに涙をこぼし、広間を見渡した。

「皆様も、ご覧になっていましたわよね……?
 わたくし、ただ聖堂で祈っていただけで……聖女様のお役に立てればと、本当にそれだけで……!
 それなのに、わたくしなんかの名前が“新しい聖女”だなんて、勝手にひとり歩きして……」

 “勝手にひとり歩き”させたのは、誰だろう。

 その噂の温度を誰よりも上手く操っていたのは、誰だろう。

 でも、今この場でそれを指摘したところで、誰も信じない。
 泣きながら自分を卑下する少女と、聖女の座から引きずり下ろされようとしている女。
 どちらの言葉に耳を傾けるかなんて、決まっている。

「エリシア殿。そなたに強制するつもりはない」

 王が、穏やかに告げる。

「ただ、国のために祈りを捧げてくれるその心が、我らにはありがたいのだ」

「陛下……」

 エリシアは震えるまぶたを伏せ、深く頭を下げた。

「わたくしにできることがあるのなら……
 聖女様のようには到底なれませんけれど……せめて、その、お隣に立たせていただけるのでしたら……」

 “隣に”。
 それが誰の隣なのか、言うまでもない。

 広間の視線が、ユリウスとエリシアの間に集まる。
 誰かが小さく、「お似合いだ」と呟いた。

 胸の奥で、何かが“バキッ”と音を立てた気がした。



「リディア」

 もう一度、名前を呼ばれる。

 ユリウスの声には、最初よりもわずかな躊躇いが混ざっているような気がした。
 けれど、それが気のせいかどうか確かめる気力は、もう残っていなかった。

「君自身の言葉を、聞かせてくれ」

「……わたしの、言葉」

 何を言えばいいのだろう。

 本音を言えば――

 悔しい。
 怖い。
 全部奪われるのが嫌だ。
 わたしの見てきたもの、救ってきた命、積み重ねてきた祈りを、“無能”の一言で終わらせないでほしい。

 ユリウスにだって、本当は聞きたいことが山ほどある。

「どうして、信じてくれなかったの」
「どうして、わたしより噂や記録を信じるの」
「どうして、婚約を、そんなふうに切り捨てられるの」

 でも、そのどれもが、この場にはふさわしくない感情だ。

 “聖女”は、個人的な感情を最優先にしてはいけない。
 “元王太子妃候補”は、惨めな姿を晒してはいけない。

 それが、この国の“正しさ”なのだと、今さら思い知らされる。

 喉の奥で言葉がぐるぐる回る。
 何かを言おうとしても、空気が通らない。

 静まり返った大広間に、自分の心臓の音だけが響いているような気がした。

 やっとの思いで、唇を開く。

「…………わかりました」

 絞り出した声は、驚くほど小さかった。
 けれど、静まり返った広間にははっきりと届いたはずだ。

 わたしの“了承”。
 全てを諦めた、たったひとつの言葉。

「今まで、聖女としての務めを与えていただけたこと……感謝しております。
 王太子妃としての婚約を結んでいただけたことも、光栄でした」

 口が勝手に、儀礼的な言葉を並べる。
 何度も練習した挨拶文みたいに、滑らかに。

「この先、わたしがこの国にとって害になるようでしたら……どうか、遠慮なく切り捨ててください」

 そこまで言って、息を吸う。

(ああ、わたし、今――)

 ようやく、はっきりと自覚する。

(自分で、自分を“捨てていい存在”だって認めたんだ)

 王も、ユリウスも、エリシアも、貴族たちも。
 誰も「そんなことはない」とは言わなかった。

 その沈黙が、答えだった。
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