私を裏切った騎士団へ、追放された治癒術士は偽りの王都を救わない

タマ マコト

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第18話 優雅に破滅を贈る、その意味



 古代炉の核心部は、もはや地下ではなかった。

 地の底にあるはずなのに、そこだけは空間の輪郭が曖昧で、上も下も、遠近すら狂っている。巨大な結晶炉心はひび割れた月みたいに脈打ち、その周囲を取り巻く術式線は、もう線というより傷口の神経みたいに赤黒く明滅していた。王都全域へ伸びる結界網が、その傷口から血を吸われるみたいに軋み、震え、悲鳴を上げている。

 さっき切り離したはずの不正な接ぎ木の大半はほどけている。

 それでも、まだ足りない。

 エリシアは膝をついたまま、荒い息をどうにか整えようとしていた。指先の温度は曖昧なままだ。遠くの音も水の中みたいに濁っている。視界の縁は時々白く滲み、身体の輪郭が自分のものじゃないみたいに頼りない。

 それでも、見える。

 炉心のさらに奥。
 最も深いところに、最後の歪みがある。

 王家と騎士団が長年押し込め、隠し、言い換え、別の誰かへ流し続けてきた“帳尻”。それが炉の中心に黒い核みたいに凝っている。そこが残る限り、古代炉は“自分が傷つきながらも誰かにそれを押しつける構造”から抜け出せない。

「……まだ、ある」

 掠れた声が喉を擦る。

 サーシャがすぐ傍へ寄った。口元が動く。声は聞こえるが、少し遅れて届く。

「どこ」

「中心……そこだけ、まだ切れてない」

 サーシャが観測板を炉心へ向ける。青い波形の真ん中に、黒い濁りが脈打っていた。

「最悪」

 たぶん彼女はそう言った。
 声の形で分かる。

「行ける?」

 問われて、エリシアはすぐには答えられなかった。

 行けるかどうかで言えば、たぶん行くしかない。
 問題は、その先で何を持っていかれるかだ。

 今までの修復は、歪みを切り離し、逃げ先を整え、守るべき流れを露出させる作業だった。だが最後の核は違う。あれは王都という都市に積み上がった虚構そのものだ。現場の疲弊を“個人の限界”にし、支援職の搾取を“仕方のない損耗”にし、改竄を“文書整理の誤差”にし、査問を“組織防衛上の妥当な処分”に変換してきた、巨大な嘘の凝固だ。

 それを切るには、たぶん、術式としてだけじゃ足りない。

 見なければならない。
 全部。

 自分が見たくないものまで。

 その理解と同時に、胸の奥で何かがびり、と震えた。

 来る。

 そう思った瞬間、炉心の奥から逆流みたいに記憶が噴き上がった。

 白い広間。
 赤い絨毯。
 視線。ざわめき。
 査問官の声。レオニードの整った顔。ミレイユが伏せた目。カイルの沈黙。
 “騎士団追放”。“資格停止”。
 あの日、自分の人生が、乾いた音もなく折られた瞬間。

 同時に、別の光景が重なる。

 幼い日の家。
 母の熱い手。
 息が浅くなっていく音。
 どうして救えないのかと、まだ小さかった自分が泣きながら祈った夜。
 救える力がほしいと、心の奥へ釘みたいに打ち込んだ願い。

 さらにその上へ、騎士団で過ごした年月が一気に押し寄せる。

 夜明け前の戦場。
 血の匂い。
 担架に乗せられた兵士の震える指。
 誰かの傷を塞ぎながら、別の誰かの補給表を書いた夜。
 眠る時間も削って結界負荷を計算し、感謝の言葉ひとつで全部飲み込んでしまった日々。
 役に立てば捨てられないと思っていた、自分でも情けないくらい必死だった祈り。

「っ……」

 胸が焼ける。

 怒り。悲しみ。悔しさ。喪失。惨めさ。
 全部がごちゃ混ぜになって、胃の底から喉元までせり上がってくる。

 このまま全部を憎しみに変えられたら、どれだけ楽だっただろうと思う。

 レオニードも、王家も、見て見ぬふりをした騎士団も、まとめて焼き尽くしてしまえたら、どれだけ簡単だっただろう。

 でも。

 でも、それをした瞬間、自分は“あの世界”と同じ低さへ落ちる。

 痛みを誰かへ流し、都合よく線を引き、関係ないものまで巻き込んで壊す。
 それはまさに、この王都をここまで腐らせたやり方そのものだ。

 自分の人生を壊した世界と同じやり方で、勝ちたくない。

 エリシアは歯を食いしばった。

「……違う」

 自分に言い聞かせる。

「私は、そこまで落ちない」

 断罪すべき相手と、救うべき人々は分けなければならない。
 最後まで。
 どれだけ怒っていても。
 どれだけ苦しくても。

 さもないと、この術は濁る。
 そして自分もまた、誰かを都合のいい“巻き添え”にしてしまう。

 エリシアはゆっくりと炉心の中心へ手を伸ばした。

「最後、行くよ!」

 サーシャの声が飛ぶ。

 その向こうで、地上と繋いだ補助結界の波が大きく脈打った。アルベルトたちが、地上で最後の支えを維持している。ミレイユもカイルも、もう逃げずに自分の持ち場を死に物狂いで守っているのが、薄く届く波で分かった。

 許したわけではない。
 でも今、この瞬間だけは、彼らもまた自分の罪と向き合っている。

 それでいい。
 それだけでいい。

 炉心へ触れる。

 瞬間、世界が裂けた。

 術式線が一斉に開き、王都全域へ張り巡らされた流れが、全部エリシアの前にさらけ出される。
 改竄前の記録。削除された進言。搾取された魔力。押し流された疲弊。見て見ぬふりを選んだ署名。
 人の手で消された“本当”が、因果の底でまだ死にきれずに残っていた。

 それを、掬い上げる。

 巨大な術式が、静かに組み上がっていく。

 破壊ではない。
 復元でもない。
 これは、剥離だ。

 本来あるべき流れへ不正に絡みついた因果だけを、丁寧に、逃げ場なく、はがしていく術。

 炉心を中心に、青白い光がゆっくり広がった。
 それは雷みたいに派手ではない。
 むしろ静かだ。水面へ落ちた一滴の光が、円を描いて広がり続けるような、そういう広がり方だった。

 だが、その静けさの中で、王都全体が震えた。

 地下深くに絡みついていた黒い因果が、音もなく剥がれ落ちていく。
 王家の秘匿運用。騎士団上層の改竄。支援職搾取の構造。現場の疲弊を個人責任に変換してきた嘘。
 それら全部が、もはや炉心へへばりつけなくなって、外へ押し出されていく。

「記録投影、来る!」

 レオンの叫び。

 次の瞬間、王都中の結界灯と監視板が一斉に白く染まった。

 地上の空。
 王城の塔。
 市街の広場。
 外周門。
 崩れかけた通り。
 避難所の天幕。

 王都のあらゆる結界面に、長年隠蔽されてきた真実の記録が光の形で投影され始める。

 削除前の報告書。
 徴収回路の図面。
 支援職接続時の異常消耗記録。
 改竄差分。
 王家内示文書。
 古代炉不安定化の秘匿報告。
 そして、エリシア自身の査問記録の“元”の流れ。

 王都が、沈黙した。

 その沈黙は、音が消えたからじゃない。
 誰もが同じものを見てしまったからだ。
 言い逃れようのない形で。
 自分たちが何の上に立っていたのかを。

 王城大広間でも、さっきまでざわめいていた人々が、誰一人声を出せずに凍りついているのが見えた。
 結界面に浮かんだ査問記録の差分。
 “追加魔石必要”。
 “進軍速度再考要”。
 “結界攪乱痕あり”。
 すべて消されたはずの文言が、公衆の前で光っている。

 レオニードはそれを見た瞬間、初めて完全に顔を崩した。

「違う……!」

 彼が何か叫ぶ。
 でももう、誰もすぐには彼の言葉を拾わない。

 英雄の声だったはずなのに、今はただ、自分の舞台が崩れるのを前にした凡庸な男の声にしか聞こえなかった。

「これは偽術だ! 操作だ! こんなもの――」

 彼は後ずさる。
 助けを求めるように周囲を見る。
 だが、その視線を受け止める者は誰もいない。

 今まで彼に従っていた副官たちも、隊長たちも、文官たちも、みな強張った顔で光の記録を見上げている。
 もはや“信じたい物語”へ逃げ込むことができない顔だった。

 レオニードにとって最大のざまぁは、たぶんこの瞬間だ。

 死でも、拘束でも、失脚でもない。
 それらはあとからでも起こる。
 でも一番苦いのは、自分が英雄だと信じさせていた舞台そのものが、誰の目にも崩れてしまったこと。
 拍手も称賛も、尊敬も、全部が虚構の上に立っていたのだと、社会の中心で可視化されてしまったこと。

 優雅に破滅を贈る。

 その意味が、ここでようやく完成する。

 相手を私的に切り刻むことではない。
 怒りのまま血を流させることでもない。
 積み上げてきた虚飾と評価を、公の場で一枚ずつ剥がし、自分が何をしてきたかと生涯向き合わせること。

 逃げ道のない断罪。
 しかも、相手が最も誇りとしていた場所で。

 それが、この男には一番効く。

「……見なさいよ」

 エリシアは炉心へ手を当てたまま、遠い王城のほうを見た。

「それが、あなたたちの積み上げたもの」

 言葉が空気へ溶ける。

 でももう、言葉すら必要ないのかもしれなかった。
 王都そのものが、代わりに喋っているから。

 その時だった。

 炉心の奥で、最後の歪みが暴れた。

 剥がされることに抵抗するみたいに、黒い核が一度だけ大きく脈打つ。
 次の瞬間、王都全域を揺らすほどの震動が走った。

 地上で悲鳴が上がる。
 地下の天井から細かい石片が落ちる。
 古代炉の結晶殻に、さらに深い亀裂が走った。

「エリシア!」

 サーシャの声。

 見れば、炉心の中心で残されていた最後の圧が、一気に逆流し始めている。
 真実は暴かれた。
 虚構は剥がれた。
 けれど、それだけでは足りなかった。

 古代炉そのものが、ついに限界を迎えている。

 王都全体を巻き込む最終崩壊の兆候。
 それが、いよいよ疑いようのない形で現実になった。
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