役立たずの魔女、転生先で最強魔導士に育てられ、愛されて困ってます

タマ マコト

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第12話 ひとつ屋根の下の甘くて苦しい日常

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 朝のフェルネウスの塔は、案外にぎやかだ。

 鳥のさえずりなんて可愛いものじゃなくて、まず最初に響くのは、マルタの張りのある声。

「ノワリエ嬢ちゃん、起きる時間だよー! パン焦げるよ!」

「んん……あと五分……」

「その五分の間にアーク様が冷めたスープを飲むはめになるんだけどねぇ?」

「起きます!!」

 布団から飛び起きて、ノワリエは乱れた髪をざかざかとかき上げる。

 16歳になった身体は、昔より重い。身長も伸びて、脚も長くなったはずなのに、朝だけはいつまで経っても重力に負けそうになる。

 でも今日は、ちょっとだけ違う。

 ――私が、朝ごはん担当だから。

「よし、やるか……!」

 顔を洗って髪をまとめ、ローブの袖をきゅっとまくる。

 塔の一階、厨房に降りると、マルタが腕組みして待っていた。

「おはよう。覚悟はいいかい?」

「なんで料理教室が決闘みたいな扱いなの」

「だってアンタ、火属性と相性良すぎて、鍋が泣いてるんだもの」

「それ褒めてないよね!?」

 台所には、昨日のうちにマルタが用意してくれた材料が並んでいる。卵、ハム、パン。朝食のメニューはシンプルだ。

「今日はね、焼くだけ。煮ない。爆発させない」

「それ私が爆発させる前提で話進んでない?」

「事実は事実だよ」

 マルタがにやりと笑って、コンロの前を譲ってくれる。

 ノワリエは、フライパンを手に取った。

 火加減は、魔法。

 指先に魔力を流し込み、小さな炎を灯す。炎の高さを、意識して抑える。

(暴れようとしたら、丸く、丸く)

 アークに叩き込まれたイメージ訓練が、こんなところでも役立つとは思わなかった。

「おっ、今日はいい感じじゃないの」

 じゅう、とベーコンの脂が跳ねる音。

 ノワリエは、慎重に卵を割って、フライパンの中へ落とす。

「……いける……!」

 白身がぷくぷくと固まっていく。黄身は丸いまま。焦げていない。煙も出ていない。

 魔力の暴走の気配もない。

「マルタさん、見てこれ!」

「あらまぁ、成長したじゃないか。初めて塔に来た頃は、目玉焼きひとつで台所を戦場にしてたのにねぇ」

「やめてその黒歴史語り……」

 自分でも、笑えてくる。

 この塔での生活は、こういう“小さな成長”の積み重ねだ。

 魔力の制御だけじゃなくて、料理、掃除、洗濯、書類整理。全部、アークとエリアナとマルタにしごかれながら覚えてきた。

「ノワリエ」

 背中から、低い声。

 振り向く前に、ぞわっと肌が粟立つ。魔力の気配じゃない。もっとこう、胸の奥のほうが反応してしまう、最近やっかいになってきた“感覚”。

「お、おはよう、アーク」

「おはよう」

 アークは、いつもの黒いコート姿で厨房に入ってきた。髪は寝癖もなくきちんと整っていて、目元に疲れはない。

 とはいえ、手には山ほどの文書が抱えられている。王宮と魔導士団からの依頼書。例の“客員魔導士”関連の書類も混ざっているはずだ。

「今日は君が作ったのか?」

「う、うん。見て、このベーコンと卵。ちゃんと生きてる」

「料理を生死で語るな」

 呆れたような声。

 でも、フライパンの中を覗き込むアークの目は、ほんの少し柔らかい。

「焦げていないな」

「でしょ!」

「成長だ」

 ぽつり、と落ちた言葉。

 ノワリエの胸が、ふわっと温かくなる。

 アークは椅子に腰を下ろし、黙って待つ。いつもの光景。でも、ノワリエのほうは落ち着かない。

(こげないように……落とさないように……変なとこで転ばないように……)

 こんなにも意識している自分に、内心でツッコミを入れたくなる。

「はい、できた!」

 皿にベーコンエッグを盛って、パンとスープを添える。

 ノワリエがテーブルに近づいた、その瞬間。

 ぱちん、と空気が鳴った。

 透明な壁のようなものが、アークの目の前に現れる。

「……え?」

「反射だ」

 アークが淡々と言った。

「君が熱い皿を持っているときは、何か飛んでくる可能性が高い」

「私をなんだと思ってるの!?」

「統計だ」

 統計と言われると何も言い返せない。

 それでも、皿をちゃんとテーブルに置くと、防御結界はすっと消えた。

「ふふん、今日は飛んでないからね」

「ああ」

 アークは、スプーンを手に取る前に、ノワリエの頭をぽん、と軽く叩いた。

「よくやった」

「っ」

 いつもの、何気ない“褒め方”。

 昔からずっとそうやって、アークはノワリエに“成功”を教えてきた。

 頭を撫でる。

 肩を叩く。

 たまに、髪をくしゃっとする。

 それだけのはずなのに。

(……なにこれ)

 頭に残る、指の感触。

 さっきまで気にしていなかった前髪が、急に意識の中心に浮かび上がる。

 心臓が、一拍、強く鳴った。

 ノワリエは慌てて席につき、スープを啜った。

「熱いから気をつけろ」

「うん……」

 返事の声が、妙に上ずっている。

 アークは、そんなノワリエを横目でちらりと見て、ほんの少しだけ視線を逸らした。

 目の奥で、何かを押し殺すような動き。

 それに気づいたふりをする余裕なんて、今のノワリエにはない。

   ◇ ◇ ◇

 塔での生活は、ひとつ屋根の下、常に“距離”と一緒にある。

 食卓も、訓練場も、図書室も。

 アークとノワリエの間には、ちょうど一歩ぶんの距離があった。

 近すぎず、遠すぎず。

 ――だったはずなのに。

「それ、違う」

 午前中、塔の魔法訓練場。

 ノワリエは、新しい術式の組み立てに苦戦していた。王宮から提案された魔導障壁の改良案。その一部を、アークと一緒に検証している。

「え、ここ、こう繋げるんじゃないの?」

「そこを直線で繋ぐと、負荷が一点に集中する」

 アークが後ろから近づいてくる。

 ノワリエの持つ魔導ペンに、彼の手が重なった。

「っ……」

 肩越しに、アークの体温。

 腕の長さが違うから、アークの胸が背中にかすかに触れる。

 呼吸のリズムが、首筋にかかる。

 耳元で、低い声。

「ここを、こう曲げる」

 アークの指が動くたびに、ペン先が紙の上を滑る。

 魔法陣の線が、滑らかに繋がっていく。

(ちょ、待って……近い、近い……!)

 ノワリエは、魔法陣に意識を向けようとするが、集中の半分以上が“距離感”に持っていかれている。

 心臓が、うるさい。

 鼓動が耳の中まで響いてきて、アークの声と混ざり合う。

「こうすれば、全体に負荷が分散される」

「……あ、そっか。ここで一回、魔力の流れを緩めるのか」

「そうだ」

 アークが手を離す。

 ぴたり、とくっついていた熱が、ふっと遠のく。

 それだけで、部屋の空気が変わった気がする。

 ノワリエは、こっそり胸に手を当てた。

(……なんで、こんなにドキドキしてるの)

 昔だって、こうやって後ろから手を添えられることはあった。

 杖の構え方を直してもらったり、魔力量の調整を一緒にしたり。

 でも、そのときはここまで自分の心臓を気にしたことはない。

 今は。

 肩に触れられる。

 指先が重なる。

 名前を呼ばれる。

 そのひとつひとつに、妙に“意味”がついてしまう。

 その“意味”を、自分で認めてしまうのが怖くて、曖昧に笑ってごまかすのが精一杯だった。

「どうした」

 アークが、不思議そうに首をかしげる。

「顔が赤いが」

「えっ!? いや、これは、その、魔力回したから……!」

「魔力を回しただけで顔はそんなに赤くならない」

「アークの魔力を借りたから……」

「それも違う」

「じゃあなんなの!」

「そこは自分で考えろ」

「ひどい!!」

 言い合いながらも、ノワリエは視線を合わせられない。

 アークの目の奥にあるものを、見てしまうのが怖かった。

   ◇ ◇ ◇

 夜の塔は、静かだ。

 昼間はマルタの足音やエリアナの笑い声で満ちているけれど、夜になると、聞こえるのは風の音と、魔力の微かなざわめきだけ。

 ノワリエは、最上階のバルコニーにいた。

 手すりに肘を乗せ、夜空を見上げる。

 星が、降ってきそうなほど近い。

 王都の灯りが遠くにちらちらと光っているけれど、ここはそれよりも星の光のほうが強い。

「……」

 胸の中のざわざわを、夜風に溶かしたくて、ここに来ることが増えた。

 昼間のこと。

 アークの視線。

 ルキアンの言葉。

 客員魔導士としての仕事。

 全部全部、ぐるぐるぐるぐる頭の中を回っている。

「ノワリエ」

 背後から呼ばれて、心臓がまた変な跳ね方をした。

「あ、アーク」

「こんな時間に、風邪をひくぞ」

「子ども扱いしないでよ。もう十六だよ?」

「十六なら十分子どもだ」

「歳の話はやめよう、おじさん」

「誰がおじさんだ」

 即反論が返ってくる。

 アークはノワリエの隣に立ち、同じように手すりに肘を乗せた。

 距離、半歩。

 今のノワリエには、その半歩がやけに近い。

「起きているとは思わなかった」

「眠れなくて」

「魔力の乱れか?」

「心の乱れかな」

 うっかり本音が漏れて、ノワリエは「しまった」と口を押さえた。

「……そうか」

 アークは、それ以上深くは聞かなかった。

 それが逆にありがたくて、少し寂しい。

 しばらく二人で黙って星を見ていた。

 風が髪を揺らし、ローブを撫でる。

 遠くの王都から、かすかに楽器の音が聞こえてくる。誰かがまだ飲んでいるのだろう。

「アーク」

「何だ」

「私さ」

 夜だと、少しだけ素直になれる。

「ここに拾ってもらってから、ずっと守られてばっかりだったけど」

「……」

「最近ようやく、ちょっとは“隣に立ててる”のかなって、思うときがあるんだ」

 魔導士団本部襲撃のとき。

 王都防衛戦のとき。

 客員魔導士として、王宮の魔導障壁の調整に関わったとき。

 まだまだ、アークには遠く及ばない。

 それでも、“いないと困る”と言われる場面が、少しずつ増えている。

「気のせいかな」

「気のせいではない」

 アークは、きっぱりと言った。

「君がいなければ、今の王都の魔導障壁は成り立っていない」

「それは言い過ぎ」

「計算上の事実だ」

 理屈で返されると何も言えない。

 ノワリエは、照れ隠しに星空を見上げた。

「……ねぇ、アーク」

「ん」

「もしさ」

 言葉を選ぶ。

 胸の奥が、少し痛くなる。

「もし、私がこの先、どこかに行きたいって言ったら、どうする?」

 王都の魔導士団に常駐するとか。

 ルキアンの提案で、王宮に住むことになるとか。

 別の国の魔導研究所に行くとか。

 いろんな可能性が、あり得る未来として少しずつ形を持ち始めている。

 塔にずっといる選択も、悪くない。

 でも、“外”に出る道も、確かに広がっている。

 そのとき、アークはどうするんだろう。

 そう思った瞬間、自分の中の何かがざわっと騒いだ。

 アークは、少しだけ黙った。

 風の音だけが流れる。

 ノワリエが「やっぱり変なこと聞いた」と後悔しかけたころ。

「――たとえば」

 アークが、ぽつりと言葉を紡いだ。

「王宮に住みたいとか、ルキアン殿下の側に仕えたいとか、そういう話か?」

「……そういうのも、含めて」

 ルキアンの名前が出た瞬間、ノワリエの心臓は別の意味でもざわついた。

 アークの横顔は、いつもより暗がりの中で読みにくい。

 星の光が、金の瞳にうっすらと映っている。

「もし君がこの先、どこかへ行きたいと望んでも」

 アークは、夜風に紛れそうな声で続けた。

「僕は、簡単には手放せないだろうな」

 時間が、すとん、と落ちた。

 冗談みたいな口調でもない。

 軽いからかいでもない。

 ただの“事実”として、そこに置かれた言葉。

「……アーク?」

 名前を呼ぶ声が、少し震えた。

 アークは、視線を空から外さない。

「君は塔の魔力を安定させている。研究のサポートも、王都との窓口も担っている。実務的にも、いなくなられると困る」

「そ、そういう意味?」

 思わずツッコむ。

「全部それだけ?」

「……」

 そこで、アークが初めてノワリエのほうを見た。

 金の瞳。

 夜の中で、淡く光る。

 そこに宿っていた“熱”と“影”に、ノワリエの呼吸が止まる。

「それだけではないが」

 とても、静かな声。

「それ以上のことを、今ここで言葉にする勇気は、まだない」

 胸の奥を、ぎゅっと掴まれたみたいだった。

 アークの目は、逃げていない。

 冗談にして笑い飛ばせる余地が、一ミリもない。

(やめてよ……)

 心の中で、思わずそう呟く。

(そんな顔で、そんなこと言わないでよ)

 アークのことを、大事だと思っているのは本当だ。

 恩人で、師匠で、家族みたいで。

 でも、それだけじゃ足りない気持ちが、最近ずっと胸の中で暴れている。

 名前をつけるのが怖くて、見ないふりをしてきた。

 そこに、今みたいな本音をぶつけられたら――この曖昧な距離は、もう続けられなくなる。

「……塔の仕事、そんなに増やした覚えないんだけどな」

 だから、ノワリエは笑った。

 軽口で、どうにか空気を薄めようとする。

 アークも、ふっと口元だけで笑った。

「まだ足りないくらいだ」

「え、それはそれで嫌だな」

 言葉だけは日常のやり取りに戻った。でも、胸の中の何かは、さっきから戻れていない。

 視線を逸らして、バルコニーの奥にある窓をちらりと見る。

 部屋の中。

 アークの机の上。

 書類の山の中に、ひときわ目立つ一角がある。

 王宮からの招待状。

 ルキアンの紋章入りの封筒が、何通も何通も、開封もされずに積み上がっている。

(……また増えてる)

 ノワリエは、ため息を飲み込んだ。

「ねぇ、アーク」

「何だ」

「どうして、そんなにルキアン様を嫌がるの?」

 呼吸が、また少しだけ重くなる。

 嫌がっているのは、目に見えて分かる。

 招待状を机の端に追いやる手つき。

 ルキアンの名前が出るたびに、ほんの少しだけ眉間に皺が寄る表情。

 会えば会ったで、やり合いながらもちゃんと話はするくせに。

「嫌がってはいない」

「嫌がってるよ!」

 思わず声が大きくなる。

「招待状、ほとんど開けてもないじゃん。ルキアン、ちゃんとアークのこと頼りにしてるのに」

「頼りにされすぎるのは負担だ」

「素で言うなそういうこと」

 アークは、机の上の封筒たちにちらりと視線を送った。

「ルキアン殿下は、真面目すぎる」

「それは分かる」

「王太子として、国のことを誰よりも考えている。だからこそ、頼りすぎる」

「……それって嫌う理由にはならないと思う」

「嫌ってはいない」

「じゃあなに?」

 問い詰めるような声になってしまった。

 アークは、少しだけ目を細める。

 夜風が二人の間をすり抜けていく。

「――俺がルキアン殿下を避けているように見えるのなら」

「見える」

「……その一部は、君のせいだ」

 思ってもみなかった言葉に、ノワリエは固まった。

「……え?」

「殿下が君に向ける視線が、分かりやすいからな」

「はい?」

「君に好意的で、興味を持っていて、政治的な意味でも“手放したくない”と思っている」

「ちょ、ちょっと待って、一気に情報が多い」

 頭の中で“ルキアン”“好意”的”“手放したくない”がぐるぐる高速回転する。

 アークは、淡々と続けた。

「それは王太子として正しい。君の力は、この国にとっても大きな価値がある」

「……うん」

「だが、それだけではない色も混ざっている」

 ノワリエの耳が熱くなる。

「それを理解したうえで、殿下と距離を詰めることに、俺は慎重にならざるを得ない」

「……」

 やっと、少しだけ分かった気がした。

 アークは、ルキアンが“王太子として”ノワリエを見ることも、“一人の少年として”ノワリエを見ることも、どちらも見抜いている。

 そのうえで、自分の感情ごと、全部抱え込もうとしている。

「だから、招待状を開けないの?」

「面倒だからだ」

「そこは素直!」

 笑いながらも、胸の奥は苦かった。

(私、どっちのことも大事って思ってるのに)

 アークのことも、ルキアンのことも。

 同じ“好き”って言葉で括れないくらい、形は違うけど。

 その全部を、今みたいに笑って誤魔化せる時間は、そう長くない気がした。

 バルコニーに、再び沈黙が落ちる。

 星が、遠くで瞬いている。

 同じ塔の下で、同じ空気を吸って、同じ時間を過ごしているのに。

 アークとの距離は、半歩。

 その半歩が、甘くて、苦しくて、重かった。

 ――ひとつ屋根の下のこの日常は、じわじわと、限界を迎えつつある。

 その予感だけが、星の瞬きよりもはっきりと、ノワリエの胸に刺さっていた。
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