追放エンドだと思ったら世界が私を選んだ、元聖女のざまぁ再生記

タマ マコト

文字の大きさ
2 / 20

第2話:凍える終焉と、世界の拒否

しおりを挟む

馬車が止まった音は、妙にあっけなかった。
雪を踏みしめる馬の蹄の音が止み、車輪の軋みが止み、代わりに聞こえてきたのは――風。

ひゅう、と細い笛みたいな音。
木箱の隙間から入り込んで、私の皮膚を舐める。

扉の外で鍵が外される。金属が擦れる音。
次の瞬間、扉が乱暴に開き、白い光が一気に流れ込んだ。

眩しさに目が痛い。
でも、それ以上に寒い。

「降りろ」

騎士の声。今日一日で聞き飽きた、冷えた命令。

私は立ち上がろうとして、膝が言うことをきかない。
足先の感覚が薄い。血が流れているのかも分からない。
それでも、腕を掴まれて外に引きずり出される。

雪が膝まである。
風が頬を殴る。
瞬間的に涙が出たけれど、それすら凍りつきそうだった。

「ここから先は歩け。王都の慈悲はここまでだ」

騎士はそう言って、私を雪の上へ投げ出した。
背中が雪に沈む。冷たさが衣を通して心臓に触れる。

私は喘ぐ。

「……ここ、どこ……」

声が小さくて、風にさらわれる。

騎士は答えない。答える価値がないみたいに鼻で笑って、馬車へ戻る。
扉が閉まる。鍵がかかる。
馬のいななき。
そして、車輪が雪を噛む音。

馬車は去っていく。
遠ざかっていく音は、私を置き去りにすることに迷いがない。

私は起き上がろうとして、腕に力が入らないことに気づく。
指先が、じんわりと痛い。いや、痛いというより――痺れている。
見下ろすと、手袋もない指が雪の上に突き出ていた。

白い雪。
その上で、私の指先だけが紫に変わっていく。

「……あ、これ」

ぼんやり思う。
凍傷、ってやつ。
知識としては知っている。治療もしたことがある。
でもそれが“自分の身体”に起きているのを見るのは、初めてだった。

面白い。
そう思ってしまうくらい、感覚が鈍い。

喉の奥が熱い。
咳き込むと、口元に温かいものが広がった。
手の甲で拭う。赤い。

「……血」

血だけが、妙に温かかった。
その温かさが、今の私には唯一の“生きてる証拠”みたいに感じる。

涙が出た。
でも涙は、頬を滑る途中で冷え、肌に貼りつく。
温かくない。
泣いているのに、身体は冷たいまま。

私は空を見上げた。
雪雲が低く垂れ込めて、空の色は灰色に濁っている。
神さまのいる場所って、もっと青いと思っていた。

「……帰りたい」

言ってから、どこに帰るのか分からなくなる。
王都? 大聖堂? あそこはもう“帰る場所”じゃない。

じゃあ――私の家はどこ?

胸の奥が、すうっと空になる。
寒さとは別の冷たさが、内側から広がっていく。

「……祈らなきゃ」

口が勝手に言う。
癖だ。反射だ。
祈れば奇跡が起きる。奇跡が起きれば救われる。

そうやって生きてきたから。

私は手を合わせようとした。
でも指が動かない。動かそうとすると、皮膚が割れるような痛みが走る。
痛いのに、どこか遠い。

「……っ」

声にならない吐息が漏れた。

雪の上に膝をつく。
膝が沈み、冷たさが衣を染みてくる。
祈りの姿勢。いつも通り。
いつも通りにすれば、きっと。

「……神さま……」

声が出ない。
喉が凍っているみたいに、音が詰まる。
空気を吸うと、気管の奥が痛い。
吐くと白い息がすぐに散る。

「……お願い……」

出たのは、掠れた息だけ。
言葉にならない。祈りにならない。

そのとき、風の音の隙間に、妙な声が混じった気がした。

「もう祈らなくていい」

え?

私は顔を上げる。
周囲は白い雪原だけ。木も家も人もない。
馬車の音はもう聞こえない。

なのに確かに、耳元で囁かれた。

「……誰……?」

声が震える。
怖いというより、信じられない。

返事はない。
でもその言葉だけが、暖炉の火みたいに胸の奥で残る。

もう祈らなくていい。

そんなこと、言われたことがない。
祈れ、としか言われなかった。
祈り続けろ、祈れないなら価値がない、と。

なのに、もう祈らなくていい?

私は笑いそうになる。
だって、それは私がずっと欲しかった言葉だ。
なのに、今さら?

笑えない。
唇が凍って、裂けそうだ。

体が震え始める。
小刻みな震え。止めようとしても止まらない。
寒いから。怖いから。疲れたから。
全部。

「私……どうしたら……」

独り言が雪に吸い込まれる。
返ってこない。
返ってくるのは風だけ。

時間の感覚が曖昧になっていく。
雪が降っているのか、止んでいるのかも分からない。
まぶたが重い。
眠ったらだめだ、とどこかで聞いた気がする。凍死するから。

でも、眠い。
眠いというより、意識が滑っていく。

私は指先を見る。
紫が濃くなっている。
自分の指なのに、誰かのものみたいだ。

「……私、死ぬのかな」

その言葉は、意外とすんなり出た。
怖くないわけじゃない。
でも、驚くほど現実味がある。

死ぬ。
追放された聖女の終わり。
みんなが望んだ結末。

そう思った瞬間、胸がちくりと痛んだ。
悔しい。
悔しいのに、怒る力も残っていない。

「……助けて」

誰に?
神さまに?
誰かに?

助けて、と言ったところで、誰も来ない。
それを知っている。

それでも、口が動く。

「……助けてよ……」

涙がまた出た。
でも涙は冷たい。
温かいのは喉の血だけ。

私は倒れ込んだ。
雪が頬に貼りつく。
冷たいのに、だんだん感じなくなる。

不思議だ。
痛みが消える。寒さも薄れる。
身体が軽くなる。

あ、これ。
いけない。
この感じは、いけない。

知識が遅れて追いつく。
凍えて感覚が麻痺するのは、危険な兆候。
眠気は死の入り口。

「……だめ……」

言いながら、まぶたが落ちる。
落ちる。
落ちる。

世界が白くぼやける。
雪の粒が、光の点みたいに滲む。
音が遠のく。

そして――静寂。

死が確定するはずの静寂。

そのはずだった。

きぃ……と、どこかで軋む音がした。

最初は幻聴だと思った。
でも違う。
それは、耳ではなく骨で聞く音だった。
世界そのものが、歯ぎしりしているみたいな、嫌な軋み。

「……なに……」

声にならない。

静寂の中に、耳鳴りみたいな“拒否”が走る。
ぎゅん、と頭の奥を締め付ける音。
まるで、世界が叫んでいる。

違う。

それは違う。

私は目を開けようとした。
でもまぶたは動かない。
代わりに、意識だけが引きずり上げられる。

誰かに首根っこを掴まれて、無理やり起こされるみたいに。

「……いや……」

嫌だ。
もう疲れた。
このまま眠らせて。
終わらせて。

なのに、終わらない。

世界が、終わりを許さない。

軋みが大きくなる。
雪の白が、亀裂を入れられた陶器みたいにひび割れていく感覚。
視界が割れる。音が割れる。時間が割れる。

私は理解できないまま、ただ恐怖だけが湧き上がる。

「何……これ……っ」

声は出ないのに、心の中で叫ぶ。
叫びが、ひび割れた世界に吸い込まれる。

白い雪原が、裂ける。

裂け目の向こうは黒だった。
夜みたいな黒。
深海みたいな黒。
星明かりみたいな点が、遠くでちらついている。

私はそこに落ちていく。
落ちるというより、引き込まれる。
魂だけを掴まれて、身体ごと剥がされるみたいな感覚。

怖い。
痛い。
でも痛い場所がどこか分からない。

「……やだ……」

そのとき、また囁きが聞こえた。

「失うわけにはいかない」

誰の声か分からない。
男でも女でもない。
人間の声じゃないのに、言葉だけが理解できる。

「……誰……」

返事はない。
ただ、拒否の力が強くなる。

時間の歯車が、逆転する音がした。
ごり、ごり、と巨大な機械が回るみたいな。
世界が後ろへ引っ張られる。

雪の粒が逆に舞い上がる。
風が逆向きに流れる。
私の血の温かさが、喉の奥へ戻っていくような錯覚。

息が止まる。
意識が千切れそうになる。

「……っ」

叫びたかった。
でも叫ぶ口もない。
私はただ、闇へ沈む。

沈みながら、最後に思った。

追放って、終わりじゃなかったの?

終わりにしたかった。
終わりにしてほしかった。

でも世界は、それを拒否した。

白い世界が完全に割れ、
私の意識は星明かりの闇に飲み込まれていく。

音も匂いも消えた。
ただ一つだけ残るのは、胸の奥で灯る言葉。

――もう祈らなくていい。

その言葉の意味も分からないまま、
私は深い闇の底へ落ちていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ゴースト聖女は今日までです〜お父様お義母さま、そして偽聖女の妹様、さようなら。私は魔神の妻になります〜

嘉神かろ
恋愛
 魔神を封じる一族の娘として幸せに暮していたアリシアの生活は、母が死に、継母が妹を産んだことで一変する。  妹は聖女と呼ばれ、もてはやされる一方で、アリシアは周囲に気付かれないよう、妹の影となって魔神の眷属を屠りつづける。  これから先も続くと思われたこの、妹に功績を譲る生活は、魔神の封印を補強する封魔の神儀をきっかけに思いもよらなかった方へ動き出す。

公爵令嬢は結婚式当日に死んだ

白雲八鈴
恋愛
 今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。 「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」  突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。 婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。  そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。  その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……  生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。  婚約者とその番という女性に 『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』 そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。 *タグ注意

「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます

七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。 「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」 そう言われて、ミュゼは城を追い出された。 しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。 そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……

欠席魔の公爵令嬢、冤罪断罪も欠席す 〜メイリーン戦記〜

水戸直樹
ファンタジー
王太子との婚約――それは、彼に恋したからでも、権力のためでもなかった。 魔王乱立の時代。 王も公爵も外征に出ている王都で、公爵令嬢メイリーンは“地味な婚約者”として王城に現れる。 だが、王太子は初顔合わせに現れなかった。 にもかかわらず、記録に残ったのは「公爵令嬢の欠席」。 抗議はしない。 訂正もしない。 ただ一つ、欠席という事実だけを積み上げていく。 ――それが、誰にとっての不合格なのか。 まだ、誰も気づいていない。 欠席から始まる、静かなるファンタジー戦記。

婚約破棄された私が辺境で薬師になったら、元婚約者が後悔し始めました

たくわん
恋愛
病弱で役立たずと侮られ、婚約破棄されて辺境の寒村に追放された侯爵令嬢リディア。しかし、彼女には誰も知らない天才的な薬学の才能があった。絶望の淵から立ち上がったリディアは、持ち前の知識で村人たちの命を救い始める。やがて「辺境の奇跡の薬師」として名声を得た彼女の元に、隣国の王子レオンハルトが研究協力を求めて現れて――。

冤罪で殺された聖女、生まれ変わって自由に生きる

みおな
恋愛
聖女。 女神から選ばれし、世界にたった一人の存在。 本来なら、誰からも尊ばれ大切に扱われる存在である聖女ルディアは、婚約者である王太子から冤罪をかけられ処刑されてしまう。 愛し子の死に、女神はルディアの時間を巻き戻す。 記憶を持ったまま聖女認定の前に戻ったルディアは、聖女にならず自由に生きる道を選択する。

【完結】陛下、花園のために私と離縁なさるのですね?

ファンタジー
ルスダン王国の王、ギルバートは今日も執務を妻である王妃に押し付け後宮へと足繁く通う。ご自慢の後宮には3人の側室がいてギルバートは美しくて愛らしい彼女たちにのめり込んでいった。 世継ぎとなる子供たちも生まれ、あとは彼女たちと後宮でのんびり過ごそう。だがある日うるさい妻は後宮を取り壊すと言い出した。ならばいっそ、お前がいなくなれば……。 ざまぁ必須、微ファンタジーです。

【完結】聖女と結婚するのに婚約者の姉が邪魔!?姉は精霊の愛し子ですよ?

つくも茄子
ファンタジー
聖女と恋に落ちた王太子が姉を捨てた。 正式な婚約者である姉が邪魔になった模様。 姉を邪魔者扱いするのは王太子だけではない。 王家を始め、王国中が姉を排除し始めた。 ふざけんな!!!   姉は、ただの公爵令嬢じゃない! 「精霊の愛し子」だ! 国を繁栄させる存在だ! 怒り狂っているのは精霊達も同じ。 特に王太子! お前は姉と「約束」してるだろ! 何を勝手に反故してる! 「約束」という名の「契約」を破っておいてタダで済むとでも? 他サイトにも公開中

処理中です...