追放エンドだと思ったら世界が私を選んだ、元聖女のざまぁ再生記

タマ マコト

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第4話:祈らないのに、奇跡が起きる

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朝の村は、音がやさしい。
鶏の鳴き声、井戸の軋み、パンを焼く香りと一緒に混ざる笑い声。王都の鐘の音みたいに、胸を縛る音がない。

マルタの店先に立つと、焼き立ての熱が頬を撫でた。
小麦の甘い匂いが、まだ慣れない私の胃をくすぐる。

「ほら、エリシア。これ運んでくれる?」
マルタが籠を差し出す。中には丸パンがぎっしり。

「うん」
私は頷き、両腕で籠を抱えた。重い。でも嫌じゃない。祈りで骨が軋む重さじゃなくて、ちゃんと“生きる”重さだ。

店の前の道を、子どもたちが走り抜けていく。
泥だらけの膝、小さな靴。春の陽射しを跳ね返す髪。彼らの声は、空気を軽くする。

「見て見てー! 僕、乗れるんだよ!」
一番声の大きい少年が叫んだ。

茶色の小さな馬――いや、ポニーに近い。村の荷運び用の気のいい馬にまたがって、少年は得意げに胸を張る。頬は赤く、目がきらきらしていた。

「リオ、やめときなって! まだ危ないよ!」
同い年くらいの女の子が手を振って叫ぶ。

「平気だよ、平気! ほら、手も離せるし!」
少年――リオは、両手を広げた。

その瞬間、胸の奥がひゅっと冷えた。
嫌な予感が、理由もなく指先に絡みつく。

「……リオ、手、戻して」

小さく呟いたつもりだった。
でも声は風に混じって消えたみたいで、リオには聞こえなかった。

馬の足が石に滑った。
ほんの一瞬のことだった。
蹄がつまずき、馬の体が傾き、リオの身体が投げ出される。

「わっ――」

声が途中で切れた。
鈍い音。
骨と地面がぶつかる音は、春の音の中で異物みたいに響いた。

「リオ!!」

女の子が叫び、村の人が振り向く。
パン籠を持った私の腕から力が抜けそうになった。籠が傾き、パンが転がる。誰かが拾い集める声がするけれど、耳に入らない。

リオは地面に転がり、足を抱えて泣いていた。
泣き声が、ただの痛がり方じゃない。
骨が折れたときの泣き声だ。

私は息を呑んだ。
世界が一瞬、白くなる。
あの回廊の白。
あの祭壇の白。

「どいて! どいてってば!」
マルタがエプロンのまま駆け寄り、リオのそばにしゃがみ込む。

「リオ、どこ? どこが痛い? 見せて!」
彼女の声が震えている。母親じゃないのに、母親みたいだ。

リオは鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにして、左脚を抱えた。
膝の下あたりが、妙な方向に曲がっている。

「う、うわ……」
誰かが呻いた。
周囲がざわつく。
「折れてる」「医者は?」「この村に医者いないよ」
声が重なっていく。

私の身体が勝手に動いた。
近づいて、しゃがみ込んで、手を伸ばして――

そして、途中で止まった。

手を合わせる形になりかけた指。
祈りの姿勢。
反射。
呪い。

喉の奥が熱くなる。
あの鉄の味が、舌の奥に蘇る。
祈ったら、また削られる。
祈ったら、また……。

私は手を引っ込めた。
指が震えて、膝の上で痙攣みたいに跳ねる。

「エリシア?」
マルタが私を見る。
「どうしたの、顔色……」

どうしたのじゃない。
今、ここで私が奇跡を起こせば、すべてが始まる。
聖女。器。期待。拘束。祈れ。救え。死ね。

心臓が喉にせり上がる。

「……医者、呼んで」

言った。
声が小さすぎて、マルタの眉が上がる。

「医者なんて……この村にいないよ! 隣村だって半日だよ!」
マルタは叫びそうな声で言い、リオの髪を撫でる。
「リオ、ねえ、我慢して。今、板持ってくるから。足、動かしちゃだめ――」

「痛い、痛いよぉ……!」
リオは泣きながら暴れる。足がぶるぶる震えて、余計に痛そうで、見ていられない。

私は視線を逸らしたくなった。
でも逸らしたら、同じだ。
あの夜、みんなが私から目を逸らしたみたいに。

……違う。私は違う。

私は息を吸い込む。
春の空気は甘いのに、胸の奥だけ凍っている。

「リオ」

名前を呼ぶ。
自分の声が、思ったより落ち着いて聞こえて驚いた。

リオが涙の膜越しに私を見る。
「う……エ、エリシア……痛い……」

私は彼の足を見た。
骨の向き。皮膚の張り。
痛みの量を想像しただけで、自分のすねの内側がぞわっとする。
でも、それより怖いのは――祈りだ。

私は祈れない。祈りたくない。

……じゃあ、どうする?

頭の中が必死に回る。
固定。止血。運搬。
でも折れ方が悪い。
このまま運んだら、神経が――

「お願い……助けて……」
リオが嗚咽混じりに言った。

その言葉で、胸がきしんだ。

助けて。
あの雪原で、私も言った。
誰も助けてくれなかった。

私は唇を噛んだ。
血の味はしない。
でも噛む癖だけが残っている。

私は、手を伸ばした。
祈りの形じゃない。
ただ、リオの額に触れるように。

でもその直前で、また怖くなって止まる。
触れた瞬間、何かが始まる気がしたから。

そのとき、自分でも驚くほど自然に言葉が落ちた。

「大丈夫」

ただ、それだけ。

祈りの言葉でもない。
神の名も、祝詞も、聖句もない。
ただの、慰めの言葉。

なのに――空気が変わった。

ふわ、と。
春風が一段柔らかくなったみたいに、場の温度が変わる。
泣き声の尖りが、ほんの少し丸くなる。

「……え?」

マルタが目を見開く。
周囲のざわめきが、喉を塞がれたみたいに止まった。

リオの脚が、ゆっくりと――戻っていく。

曲がっていた角度が、まるで見えない手に導かれるみたいに正しい位置へ戻り、骨が肌の下で“カチリ”と収まる感覚が、見ているだけの私の足にまで伝わった気がした。

次に、皮膚の下の紫色の腫れが、潮が引くように薄くなる。
赤みが引き、歪みが消える。
そして――傷口が塞がる。そもそも裂け目がなかったみたいに。

「……え、えええ?」
誰かが声を漏らす。

リオの泣き声が止まった。
止まったというより、泣く理由が消えたみたいに、口がぽかんと開いた。

「……あれ?」

リオは恐る恐る足を撫でる。
さっきまで地獄みたいな痛みだった場所を、指で押してみる。

「……痛く、ない」

その言葉が落ちた瞬間、世界が一拍遅れて爆発する。

「うそでしょ!?」
「今……見た?」
「骨、折れてたよな?」
「え、今、治った……?」

声が重なり、波になる。
人が寄ってくる。
リオの足を覗き込む。触ろうとする。
マルタが思わずリオを抱きしめた。

「よかった……よかったぁ……!」
彼女の声が涙に溶ける。

私は、動けなかった。

全身が震えている。
春なのに寒い。
指先が冷たい。
心臓が痛いほど跳ねる。

「……私、なに、した……?」

自分の声が、他人の声みたいに遠い。

祈ってない。
祈りの姿勢も取ってない。
聖句も唱えてない。

ただ「大丈夫」と言っただけ。

なのに、奇跡が起きた。

そして――私は削られていない。

喉が痛くない。
血が出ない。
視界が暗くならない。
膝が崩れない。

それが、怖かった。

私はゆっくり立ち上がり、後ずさる。
人の輪の外へ。
誰かが私に気づいて、指をさす。

「エリシアが……?」
「今の、エリシアがやったの?」
「え、あの子……何者?」

何者。
その問いが、胃の奥を締め付けた。

やめて。
見つけないで。
期待しないで。
聖女にしないで。

私は唇を開きかけて、言葉が出ない。
言えば、始まる。
言わなくても、始まってしまった気がする。

マルタがこちらに向かってきた。
手を伸ばして、私の肩を掴む。

「エリシア……今の……」

彼女の手は温かい。
でも私は、その温かさにすら怯えた。
温かい手が、いつか鎖になるかもしれないから。

「わ、わかんない……」
私はやっと言った。
声が震える。
「私……わかんないの」

嘘じゃない。
本当に分からない。

マルタは一瞬言葉を失い、それでも私を責めない。
ただ、瞳を濡らして言った。

「……でも、リオを助けてくれた。ありがとう」

ありがとう。

その言葉に、胸が痛くなる。
ありがたいと思われるのが怖い。
ありがとうの次は、きっと“もっと”になる。
もっと祈って。もっと救って。もっと。

私は手を握りしめた。
爪が掌に食い込む。
痛みで正気を保つ。

リオがよろよろ立ち上がった。
ほんの少し足を引きずりそうになって、でも普通に歩けた。
彼は私を見上げ、目を丸くして言った。

「エリシア……すごい……魔法使い?」

魔法使い。
その言葉は、聖女より少しだけ楽だ。
でも、どちらにしても“特別”だ。

私は笑えなかった。
笑ったら、彼らの希望に火をつける気がしたから。

「……今日は、帰って休んで」
やっと言えたのは、そんな逃げる言葉だった。
「転んだの、怖かったでしょ」

リオはこくこく頷いた。
「うん……でも……痛くない……」

マルタがリオの背中を叩いた。
「ほら、母ちゃんに言ってきな! 心配してるよ!」

リオが走り去る。
その背中を見送る村人たちの顔が、だんだん私へ向き始める。
興奮と驚きと、期待。

それが――怖い。

私は一歩、さらに後ろへ下がった。
そして、マルタの袖を引いた。

「……お願い。今のこと、言わないで」

マルタが目を瞬かせる。
「え……?」

「広めないで。お願い……」
声が掠れそうになるのを必死で抑える。
「私、……怖いの」

マルタは困った顔をした。
でもその困り方は、冷たくない。
わからないなりに、私を見ようとしている。

「……分かった。分かったよ」
マルタは小さく頷いた。
「でもね、エリシア。村の人って口軽いから……完全には無理かもしれない」

それでも、彼女は私の肩を軽く抱いた。
母親みたいに。
その腕の中は温かくて、私は泣きそうになった。

「……私、どうしよう」

マルタは少し考えてから、私の髪を撫でた。
「とりあえず、今日は店の裏にいな。人が落ち着くまで。いい?」

私は頷く。
その場から逃げるように、店の裏へ回った。

裏庭の土は柔らかく、草が短く生えている。
私は壁にもたれ、座り込んだ。
膝を抱え、呼吸を整えようとする。

でも無理だった。
心臓がうるさい。
手が震える。

「祈ってないのに……」

口から漏れる。
誰も聞いていない。
だからこそ、言ってしまう。

「どうして……」

目を閉じると、白い回廊が浮かぶ。
金箔の笑み。
冷たい宣告。
“結果が全てだ”という声。

私は、ずっと“私の意志”で奇跡を起こしていた。
だから削られた。
だから壊れた。
だから捨てられた。

でも今の奇跡は、違った。

私が頑張って引き出したものじゃない。
私が祈って掴み取ったものじゃない。

まるで、世界が勝手に直した。

壊れた骨を、壊れてないことに戻すみたいに。
“当然の修復”みたいに。

その発想が、ぞっとするほど優しくて、ぞっとするほど怖い。

……私は、何?

夜。
マルタの家の小さな部屋。
布団に潜り込んでも、体は落ち着かなかった。

暗い天井。
木の匂い。
昼の騒ぎ声が、耳の奥でまだ回っている。

私は唇を噛んだ。
痛い。
でも痛みが足りない。
前世みたいに喉から血が出るほどの痛みなら、分かりやすいのに。

目を閉じると、雪の冷たさが蘇る。
指先が紫になっていく感覚。
喉の血の温かさ。
涙の冷たさ。

胸の奥がむかむかする。
吐き気。
胃がひっくり返るみたいに気持ち悪い。

「……っ」

私は布団の中で身を丸めた。
肩が震える。

怖い。
奇跡が起きたことが怖い。
自分が特別だと知られるのが怖い。

そして一番怖いのは――また奪われること。

今の生活。
パンの匂い。
マルタの手の温かさ。
春の音。

それらを、また“聖女”の名前で奪われること。

私は布団の端を握りしめた。
指先に力を込める。
爪が布に食い込み、微かな裂け目ができる。

「……今度は」

声が震える。
でも言う。
言わないと、私はまた流される。

「今度は、奪わせない」

誰に向けた言葉でもない。
神でもない。
王でもない。
村人でもない。

自分自身に向けた誓い。

胸の奥に、小さな火が灯る。
大きな炎じゃない。
でも消えない火。

私は目を開けた。
暗闇の中で、呼吸が少しだけ整う。

外で風が鳴いた。
冬の風じゃない。春の夜風。

その風に混ざって、昼間の奇跡の光が、まぶたの裏でまだ微かに揺れていた。
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