追放エンドだと思ったら世界が私を選んだ、元聖女のざまぁ再生記

タマ マコト

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第10話:神託の乱れ、「一度、聖女は失われた」

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図書塔を出たとき、夜の空気がやけに冷たかった。
春のはずなのに、頬を撫でる風が冬の刃みたいに薄く痛い。

私は外套の襟を握りしめた。
ルシアンの外套は、まだ少しだけ彼の体温を残している。
その温度に縋るみたいに、指先に力が入った。

「帰るぞ」
ルシアンが言う。

私は頷いた。
頷いたけれど、心臓の奥にまだ図書塔の静けさが残っている。
ヴァイスの眠たげな目。
深海みたいに重い視線。
軽い口調で投げてくる、刺さる言葉。

――魂に、時間の焼け跡。

あれは脅しじゃなかった。
断定でもなかった。
でも、私の身体が一番分かってしまった。

私は、戻ってきた。
“裂け目”を通って。

答えに近づいたぶん、怖さも増えた。
知らなかった時より、世界が大きくて、薄い。
触れたら破れる膜みたいに思える。

宿へ向かう途中、王都の通りは妙に騒がしかった。
昼間の賑わいとは違う。
楽しげじゃないざわめき。
不安が混ざったざわめき。

「聖堂が慌ただしいらしい」
道端の男が言う。
「神託が……変なんだってよ」

「変?」
別の女が顔をしかめる。
「神託が変って、なにそれ。神さま、酔ってんの?」

笑い声が起きた。
でも笑いは続かない。
すぐに空気が重くなる。

「ふざけんなよ……」
誰かが呟いた。
「神託が頼りなんだぞ」

神託。
その言葉が、私の胃を掴んだ。

聖女選定の前兆として降りる神託。
神が次の聖女を示す――そのための“合図”。

今までは、いつもそうだった。
鐘が鳴り、火が揺れ、司祭が跪き、神託が落ちる。
そして聖女が選ばれ、祈りが始まる。

その仕組みの中で、私は削られて死んだ。
だからこそ、その仕組みが壊れる気配は、怖い。

宿に戻ると、主人が入口で首を突き出していた。
私とルシアンを見るなり、声を落とす。

「お客さんたち、聖堂に近づかないほうがいいよ。今夜は……なんか変だ」

「変だって、どう変だ」
ルシアンが聞く。

主人は唇を舐めた。
「司祭が走り回ってる。鐘が鳴って……でも、祈りの鐘じゃない。警告みたいな鳴り方」

私は喉が乾く。
警告。
聖堂が。

「……行く」
気づいたら言っていた。

ルシアンの目が私を見る。
「行く?」

私は頷いた。
怖い。
でも、逃げたくない。
逃げていたら、また“知らないまま”奪われる。

「行くなら一緒だ」
ルシアンが即答する。

「……うん」

夜の聖堂へ向かう道は、人が少ない。
でも、静かじゃない。
遠くで鐘が鳴り、足音が走り、どこかで祈り声が漏れている。

聖堂の前の広場に着くと、既に人だかりができていた。
信者。商人。貴族の使用人。
皆、同じ方向を見上げている。

祭壇のある大聖堂の扉が開いている。
中から、青白い光が漏れていた。

「……火の色が」
誰かが呟く。
「おかしくない?」

私も見た。
本来、祭壇の火は金色に揺れる。
神の祝福の色だと教えられてきた。

でも今夜の光は、青白い。
病んだ月明かりみたいに冷たい。

胸の奥がきゅっと縮む。
あの雪の夜の白に似ている。
冷たくて、終わりの色。

「中に入るな!」
衛兵が叫ぶ。
「神託の最中だ! 邪魔をするな!」

でも人は引かない。
神託が乱れるなんて、王都の人間にとっては日常の裂け目だ。
誰もが覗き込みたがる。

ルシアンが私の肩を軽く押した。
「押されるな」

私は頷き、人波の端に留まる。

大聖堂の中は、音が割れて聞こえた。
司祭たちの声が重なり、祈りが途切れ途切れになっている。

「……聖なる導きを……」
「神よ、どうか……」
「火が……火が安定しません!」

そして、耳を刺すような“ノイズ”。

言葉にならないざらざらした音。
祈りの声がその中に混ざり、擦り切れ、意味を失っていく。

私は身体が硬直した。
祈りが意味を失う瞬間を、私は知っている。
祈りがただの音になったとき、人は救われない。

「これは……」
私の隣で、誰かがぼそりと呟いた。

振り向くと、そこにいたのはヴァイスだった。
いつの間に。
相変わらず眠たげな目で、群衆の隙間に立っている。
白銀の髪が青白い光を吸って、さらに冷たく見えた。

「……なんでここに」
私は思わず言ってしまう。

ヴァイスは肩をすくめた。
「研究対象が勝手に燃え始めたら、そりゃ見に来るでしょ」

「言い方……」
私は眉を寄せる。
腹が立つのに、今はそれどころじゃない。

ヴァイスは聖堂の光を見つめ、ぼそりと言った。

「世界が“失敗”を覚えてる」

その言葉が、背骨に冷たい針を刺した。

失敗。
覚えてる。
誰が? 世界が?

私は唾を飲み込む。
喉が鳴る音がやけに大きい。

「……何の失敗」
私は聞いた。声が震えないように。

ヴァイスは答えない。
ただ、目だけが深くなる。

そのとき、聖堂の中の祈りが途切れた。

一瞬、完全な静寂が落ちた。
ざわめきさえ止まる。
風の音も消えたように感じる。

そして――火が揺れた。

青白い炎が、まるで誰かに掴まれたみたいにねじれ、上へ伸びる。
炎の先が裂け、空気が歪む。

次の瞬間、祭壇から声が落ちてきた。

人の声じゃない。
男でも女でもない。
音というより、重み。
頭ではなく骨に響く言葉。

「――一度、世界は聖女を失った」

その言葉が空気を叩いた瞬間、広場中の人間が凍りついた。
誰も息をしない。

私は自分の心臓の音だけを聞いた。
ドクン、ドクン。
うるさい。
世界の声よりうるさい。

「……今、なんて?」
誰かが掠れた声で言った。

「聖女を……失った?」
別の声。
「でも、聖女は今もいるだろ?」

「アデルさまがいるじゃないか!」
焦ったような叫び。
「候補はいる! 失うって何だよ!」

「神託が狂ったんだ!」
「不吉だ……!」

ざわめきが爆発する。
恐怖が、人の口を勝手に動かす。

司祭が扉の奥からよろよろと出てきた。
顔が真っ白で、唇が震えている。
彼は何度も首を振りながら、呟く。

「ありえない……そんな神託は……」

ありえない。
そうだ。ありえない。

だって、まだ失っていない。
この時間軸では、聖女は死んでいない。
追放も、雪原も、まだ起きていない。

――でも私は、失った側の記憶を持っている。

胸が痛い。
吐き気が込み上げる。
胃がねじれる。

「エリシア」
ルシアンが私を呼ぶ。
肩に手を置きそうで置かない距離で、声だけが近い。
「顔色が悪い」

私は頷こうとして、うまくできない。
視界が少し揺れる。
青白い炎が、まだ揺れている。

ヴァイスが私の横で、静かに言った。

「ほらね。覚えてる」

その言い方が腹立たしいのに、私は言い返せない。
言い返す余裕がない。
だって世界が言った。
世界が“失った”と言った。

その瞬間、広場の反対側がざわめいた。
護衛の騎士たちが道を開ける。
人が押しのけられ、頭が下がる。

アルベルトが来た。

昼間よりも近い距離で、彼の顔が見える。
整った顔。冷たい目。
でも今夜、その目がほんの僅かに揺れていた。

――顔色が変わっている。

私は気づく。
彼だけが、この神託を“ただの不吉”として聞いていない。
彼の頭は既に走っている。
合理の歯車が回り始めている。

アルベルトは司祭に近づき、低い声で問うた。

「今の神託、記録は?」

司祭が震える手で頷く。
「は、はい……祭壇の紋が……刻みました……」

「刻みを見せろ」
アルベルトの声は冷たい。
でも、その冷たさがいつもより鋭い。
恐怖を押し潰すための冷たさ。

司祭が案内しようとするが、足がふらつく。
アルベルトは一瞬だけ眉を寄せ、護衛に命じた。

「支えろ」

そして、彼は一歩踏み出す前に、広場を見回した。
その視線が、また私に刺さる。

昼間と同じ定規の視線。
でも今夜のそれは、“測る”というより“照合する”目だった。

失われた聖女。
奇跡の噂。
時間の裂け目。

彼の目が言っている。
何かが繋がりかけている、と。

私は息が詰まる。
逃げたい。
でもこの広場のどこにも逃げ場はない。
神託が落ちた場所から、私は逃げられない。

ルシアンが私の前に立った。
昼間と同じように。
さりげなく、でも確実に、アルベルトの視線を遮る。

アルベルトはそれを見て、目を細めた。
一瞬だけ、興味の色が濃くなる。

でも彼は何も言わず、聖堂の中へ入っていった。
青白い光に飲まれる背中。
その背中が、王都の未来を背負っているように見えた。

広場のざわめきは止まらない。
不安が波みたいに広がっていく。

「聖女が失われるって、どういう意味だよ!」
「次の選定はどうなる!」
「疫病が戻るのか!?」

声が乱れ、祈りが崩れ、噂が生まれる。
王都の夜が、傾いていく。

ヴァイスが欠伸みたいに息を吐いた。
「いいね、混乱。……世界が揺れる音がする」

「よくない」
私は絞り出した。
声が震える。
「怖い」

ヴァイスは私を見て、眠たげなまま言った。

「怖いでしょ。君のせいじゃない。……でも君に関係ある」

関係ある。
それが一番怖い。

ルシアンが短く言った。
「帰る」

私は頷いた。
足が重い。
石畳が冷たい。

背後で鐘が鳴った。
いつもの祈りの鐘じゃない。
警告の鐘みたいな、焦げた音。

私は振り返らない。
振り返ったら、青白い火の中に吸い込まれそうだったから。

ただ胸の奥で、世界の言葉が反響し続ける。

――一度、世界は聖女を失った。

失っていないはずの世界が、失ったと知っている。
その矛盾が、王都全体を不穏に染めていく。

そして私の中で、冷たい確信が育っていった。

この街は、もう安全じゃない。
神託が乱れた瞬間から、何かが始まってしまった。
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