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第11話:聖女選定の儀、祈らない聖女
しおりを挟む選定の日の朝、王都の空はやけに白かった。
雲が薄く張りついて、光が平たく地面に落ちている。
晴れているのに、気分が晴れない。そんな空。
鐘が鳴る。
昨日の警告みたいな鳴り方ではない。
いつもの、整えられた祈りの鐘。
それが逆に怖かった。
まるで「何もなかったことにしよう」と世界が言っているみたいで。
宿の部屋で、私は指先を見つめていた。
健康な色。小さい手。
でも震えは止まらない。
「行くな、とは言わない」
ルシアンが言った。
剣の帯を締め、外套を整える。いつも通りの動き。
いつも通りを装ってくれているのが分かる。
「でも、無理だと思ったら引き返せ」
彼は続けた。
「俺はお前を引きずってでも連れ帰る」
私は顔を上げた。
「それ、優しい言い方じゃない」
ルシアンは一瞬だけ口元を緩める。
「優しい言い方は下手だ」
「知ってる」
私は小さく言って、深呼吸をした。
行かない選択肢は、ない。
昨夜の神託が落ちた時点で、選定は私の問題になった。
世界が騒ぎ、王都が傾き、アルベルトの視線が私に線を引いた。
逃げたら、追われる。
隠れたら、見つかる。
だったら、見つかる場所で立つしかない。
自分の足で。
大聖堂へ向かう道は、人で埋まっていた。
貴族の馬車が列を作り、信者が祈りを唱えながら歩く。
露店はいつも以上に多く、聖印のお守りや祝福の布が売られている。
「聖女が決まる日だぞ!」
「今年はアデルさまに決まりだ!」
「神託が乱れたって? 関係ない、神は正しい!」
声が飛び交う。
香水と汗と馬糞の匂いが、晴れた空気にべったり絡みつく。
私は吐きそうになった。
でも吐いたら、ここで終わる。
胃を押さえ、歩く。
大聖堂の前に立った瞬間、足が一瞬止まる。
石の階段。白い回廊。金箔の聖画。
あの夜と同じ景色が、皮膚の裏側に爪を立てる。
ルシアンがさりげなく私の横に立ち、視界の端に入る。
それだけで少し呼吸が戻った。
「行ける」
私は自分に言い聞かせるように言った。
ルシアンは短く頷いた。
「なら、俺は後ろにいる」
大聖堂の中は、光が白い。
外の平たい光より、もっと白い。
燭台の火が揺れ、香が焚かれ、空気が甘く重い。
正面の祭壇は高く、階段の上にある。
そこに金の聖印が刻まれた円環があり、その中心に青白い火が灯っていた。
昨夜の火の色が思い出され、背中がぞわりとする。
でも今は、青白いだけじゃない。
金色が混ざっている。
無理やり整えたみたいな色。
司祭たちが並び、聖歌隊が低く歌い始める。
人々は席に座り、貴族は前列へ、信者は後方へ。
祈りのざわめきが、天井へ吸い上げられていく。
私は柱の陰に立った。
目立たない場所。
でも、ここに立つだけで心臓がうるさい。
「聖女候補、入堂!」
声が響く。
白いローブの候補者たちが一列になって歩いてくる。
誰もが緊張で顔が硬い。
でもその中に一人だけ、光みたいに整った人がいる。
アデル・ルミエール。
彼女は今日も完璧に微笑んでいた。
首を傾げる角度、目線の落とし方、歩幅。
すべてが“見られる”ために調律されている。
彼女の視線が、一瞬だけ柱の方――私の方へ向いた。
計測する目。
でもすぐに祈る顔へ戻る。
彼女は祭壇の前に進み、膝をついた。
白いローブが床に広がる。
指先が美しく揃い、唇が祈りの言葉を紡ぐ。
「……神よ、どうか……」
声が震えていない。
完璧な祈り。
それを聞いた人々が、早くも涙を流し始める。
「尊い……」
「もう決まりだ……」
「アデルさま……」
祈りは波になる。
その波が、祭壇へ向かって流れる。
他の候補者も順に祈る。
誰かは声が詰まり、誰かは涙をこぼし、誰かは言葉を噛む。
そのたびに祭壇の火がわずかに揺れ、聖印が淡く光る。
でも――決定的ではない。
司祭長が手を上げ、聖歌隊の声が落ちる。
大聖堂が静まり返る。
呼吸の音まで聞こえそうな静けさ。
「神託により、選定を行う」
司祭長が宣言する。
「候補者たちよ、神の光の前に立て」
候補者たちが祭壇前に並ぶ。
アデルは中央に立つ。
誰もが彼女を中心に置くのが自然だと思っている。
私の胃がきゅっと縮む。
ここからが本番。
私は、祈らない。
祈りたくない。
でも、祈らなければ選ばれないはず。
選ばれたくない。
でも選ばれたら――世界がまた動く。
矛盾が胸を裂く。
そのとき、祭壇の火が揺れた。
青白い炎が一瞬だけ強くなり、金色が薄れる。
冷たい色が勝つ。
昨夜と同じような、嫌な揺れ。
司祭たちがざわつく。
でも司祭長は声を張った。
「神よ、導きを!」
候補者たちが一斉に祈りの姿勢を取る。
アデルは膝をつき、額を床につける。
他の候補者も続く。
祈りの言葉が、また波になる。
私は柱の陰で、息を止めた。
祈らない。
手を合わせない。
私はただ、立っている。
立っているだけなのに、胸の奥が熱い。
聖印が服の下で冷たく鳴っている気がする。
存在を主張するみたいに。
「……エリシア」
ルシアンの声が、背後で小さくした。
振り向かない。
振り向いたら、縋ってしまう。
私は唇を噛んだ。
痛い。
その痛みで今を保つ。
祭壇の火が――今度は、こちらを向いた気がした。
そんなはずない。
火が向くなんて。
でも、空気が動く。
ひゅっ、と。
冷たい風が大聖堂の中を通り抜けた。
香の匂いが一瞬途切れ、燭台の炎が同時に揺れる。
司祭長が息を呑む。
「……なぜだ」
低い声。
恐れが混じる。
候補者たちは祈り続けている。
アデルも完璧に祈っている。
なのに、祭壇の火が安定しない。
そして――光が落ちた。
最初は、小さな光の粒だった。
雪みたいに静かに降りてきて、床に触れる前に消える。
次の瞬間、それが一本の筋になる。
白い光の柱が、まっすぐ落ちてくる。
私の頭上に。
「……え?」
声にならない声が喉で震える。
私は動けない。
足が床に縫い付けられたみたいに。
光が降り注ぐ。
熱くない。冷たくない。
でも、胸の奥に届く。
服の下の聖印が、淡く――いや、強く光った。
布越しに光が漏れ、周囲の影が私を中心に揺れる。
「うそ……」
誰かが呟く。
次々に声が起きる。
ざわめきが一気に爆発する。
「どこだ!?」
「今、光が……!」
「あの子だ、柱の陰の……!」
祈っていた候補者たちが、はっと顔を上げる。
アデルも顔を上げた。
彼女の目が、私を捉える。
その瞬間、アデルの顔から血の気が引いた。
完璧な笑顔が、崩れる。
練習した角度が消える。
ただの、恐怖と衝撃の顔。
「……なんで」
アデルの唇が動いた。
声は聞こえない。
でも、形だけで分かる。
なんで、私じゃないの、と。
司祭長が震える声で叫んだ。
「そ、その者は……誰だ!」
私は答えられない。
光の中で、言葉が溶ける。
祈っていないのに。
ただ立っているだけなのに。
光は強くなる。
大聖堂の天井から、まるで世界そのものが私を指名しているみたいに。
私の周囲だけ空気が澄み、香の匂いが薄れ、音が遠のく。
私は震えた。
怖い。
これは祝福じゃない。
これは捕獲だ。
世界が私を掴んで離さない力。
「祈りなしで……?」
誰かの声が震える。
「ありえない……」
「前例がない……」
司祭の声。
「そんな聖女、聞いたことが……!」
候補者の一人が泣き出した。
観衆の誰かが叫んだ。
「神はあの子を選んだ!」
「でも、あの子、祈ってないぞ!」
「祈ってないのに選ばれるなんて――!」
ざわめきが渦になる。
祝福と恐怖が混ざる。
人々が一斉に私を見て、祈り、疑い、欲しがる。
その中で、一つだけ冷たい視線があった。
アルベルト。
王太子は前列に立っていた。
彼の目が細くなる。
定規みたいな視線が、光の柱の中の私を測る。
でも今、その測り方がいつもと違う。
祈りなしで起きる奇跡。
前例がない。
前例がないものは、管理が難しい。
管理が難しいものは、王国にとって危険。
私は彼の目から、それが伝わってくる気がした。
アルベルトは小さく息を吐き、側近に何か囁く。
言葉は聞こえない。
でもその動きが、既に“次の手”を考えている人の動きだった。
私は光の中で、無意識に一歩後ずさった。
でも光は追ってくる。
逃げられない。
世界が私を選んだ――その事実から。
ルシアンが一歩、光の手前に出た。
彼の背中が私と群衆の間に入る。
光は彼を焼かない。
ただ、彼の影を私に落とす。
「触るな」
ルシアンの声が低く響いた。
「近づくな」
その一言で、人の渦が一瞬止まる。
怖い。
でも、ありがたい。
司祭長が声を震わせながら宣言した。
「神託は……神託は……」
唇が震え、言葉が途切れる。
それでも彼は言わなければならない。
「……光は、その者を指した」
大聖堂が、ざわっと揺れる。
歓声に近い声と、怯えた声が混じる。
神の選定が、形になった瞬間。
私は立っているだけなのに、汗が背中を伝った。
冷たい汗。
喉が渇く。
息が浅い。
祈ってない。
祈りたくない。
祈らないのに、選ばれてしまう。
その矛盾が、私の中の何かを壊しそうだった。
アデルは祭壇の前で固まっていた。
目だけが揺れている。
完璧な光が、影に飲まれかけている。
アルベルトは私を見つめたまま、目を細め続ける。
あの視線が、次に何をするか考えている。
そして私は、光の柱の中で、ただひとつ確信する。
――私はもう、隠れられない。
祈りの姿勢を取らずに、世界に見つけられてしまった。
この王都で、私の名前はもう、噂じゃなくなる。
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