追放エンドだと思ったら世界が私を選んだ、元聖女のざまぁ再生記

タマ マコト

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第16話:王国の崩れ、縋れない手

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王都の空気が、日に日に重くなっていった。

朝、窓を開けてもパンの匂いより先に、薬草の匂いが入ってくる。
露店の前には、果物よりも乾燥した根や粉末の小瓶が並ぶ。
咳の音が、会話の間に挟まる。
笑い声が短くなる。
人の歩幅が早くなる。――怖いものから逃げる歩幅。

「南の麦が死んだって」
宿の主人が小声で言った。
「雨が変なんだよ。降るときだけ降って、降らないときはカラッカラ。畑が割れる」

不作。
その言葉は、腹の底を冷やす。

そして病。
貧民街で燃えた火種は、もう街の中心へ薄く伸びている。
貴族の馬車が通る石畳にも、咳が落ちる。
金の刺繍の袖にも、熱が移る。

「聖女さまは何をしているんだ」
通りの男が吐き捨てる。
「祈れば終わるだろ、祈れよ」

祈れ。

その声は、罵声じゃないふりをしている。
でも、結局は同じ。
期待という名の鎖。
責任という名の首輪。

私は宿の階段を下りる足を止め、息を整えた。
喉が冷える。
あの白い回廊が、背中に薄く触れる。

「聞くな」
ルシアンが言った。
私の隣に立って、視界の端に入る。
背中じゃない。横。
逃げ道を示す立ち方。

「聞いてない」
私は言った。
嘘だ。全部聞こえている。
でも、聞こえてないふりをするのも、もう慣れてしまった。

外へ出ると、王都の中心部はいつもよりきらきらしていた。
きらきらしているほど、焦っている。
貴族が派手な衣装を着るのは、世界が崩れる前の癖だ。

馬車の列。
香水の濃さ。
宝石の光。
それらが、病と不作の匂いを上から塗りつぶそうとしている。

「教会が呼んでる」
宿の主人がまた言った。
「今度は“正式な招待”だってさ。断ったら、街の空気が変になるよ」

断れば、敵。
応じれば、鎖。

私は指先を握りしめた。
そのとき、扉が開く。

黒衣の修道士が二人。
前よりも数が少ないのが、逆に怖い。
“力”じゃなく“権威”で押し切る準備ができた顔。

「エリシアさま」
修道士が頭を下げる。
「お迎えに上がりました」

迎え。
その言葉が、丁寧な刃になる。

「行かない」
私は言った。
声は落ち着いていた。
落ち着いているほど、自分でも驚く。

修道士の片方が僅かに眉を動かす。
「……聖女としての責務を」

「私は聖女じゃない」
言い切ると、空気が一瞬止まった。
「少なくとも、あなたたちの言う聖女じゃない」

修道士が笑顔を作る。
その笑顔は、練習した角度。
アデルの笑顔と同じ種類の、作られた優しさ。

「神が選んだのです。あなたが否定しても、世界は否定しません」
声は柔らかい。
でも中身は命令だ。

私は息を吸い、吐いた。
胸の奥に、青白い火が揺れる気がする。
でも今日は、揺れに飲まれない。

「……世界は、あなたたちの命令じゃ動かない」
私は言った。
「もう、見たでしょう」

修道士の顔が僅かに歪む。
大聖堂で、貧民街の子どもに光が落ちた。
あの瞬間、教会の権威はひび割れた。

だからこそ、彼らは焦っている。

「では」
修道士が声を低くした。
優しさを捨てた声。
「民が死んでもいいのですか」

その言葉が、私の肺を叩いた。
脅し。
責任転嫁。
前世と同じ手口。

――あなたが祈らないから、死ぬ。

私は目の奥が熱くなるのを感じた。
怒り。
泣きたさ。
吐き気。

でも私は、泣かない。
怒鳴らない。
崩れない。

「民を人質にしないで」
私は言った。
声は静かだった。
静かな声のほうが、刃になるのを私は知っている。

修道士が言い返す。
「人質ではありません。現実です。聖女なら従え」

聖女なら従え。
その言葉は、鎖の音そのものだった。

その瞬間――宿の外の通りで、咳き込む声が響いた。
子どもの咳。
乾いた咳。
胸を裂くような咳。

修道士たちが一斉に視線を向ける。
私は反射でそちらを見る。

貧しい服の女が、子どもを抱えてしゃがみ込んでいた。
子どもの顔は赤く、唇が乾いている。
母親の目は焦りで濡れている。
周囲の人は距離を取って、恐れるように見ている。

誰も助けない。
助けたら病が移るから。
その合理が、弱い命を切り捨てる。

私は喉が鳴った。
胸が痛い。
あの子を助けたい。
でも、助けるために祭壇に縛られるのは違う。

私は一歩、外へ出た。
ルシアンがすぐ隣に来る。
修道士が腕を掴もうとして、ルシアンの視線に止まる。

女が私を見る。
目が大きく揺れる。
祈ってくれ、という目。
でも声にならない。
声にしたら、周囲が彼女を責めるから。

私は子どもの前にしゃがんだ。
祈りの形は取らない。
ただ、目を合わせる。

「苦しい?」
私は言った。

子どもは答えない。
息が苦しくて、声が出ない。

私は胸の奥で、あの言葉を探した。
リオに言った言葉。
自分にも言った言葉。

「大丈夫」

ただ、それだけ。

その瞬間、空気がふっと柔らかくなった。
私の周囲だけ、匂いが薄くなる。
音が遠のく。

光が落ちる――のを期待した人が、息を呑んだ。
修道士が身を乗り出す。
「ほら見ろ、聖女の――」

でも、光は落ちなかった。

落ちたのは、少し離れた場所だった。

路地の影。
そこにうずくまっていた老人の肩に、ふわりと白い光が降り注ぐ。
老人が咳を止め、目を見開く。
さらに、別の角で倒れていた男の足元に、細い光が落ち、腫れが引く。

ばらばらに。
選ぶように。
教会の号令とは関係なく。

人々がざわめく。

「今、あっちで……!」
「こっちもだ!」
「え、聖女さまはここにいるのに!」

私は息を呑んだ。
世界が選別している。
私の言葉をきっかけにしたのかもしれない。
でも、降りる場所は私が決めていない。

世界が救いたいものを救う。
その法則が、王都の路地でも露わになった。

子どもの呼吸は、まだ苦しそうだった。
でも、胸の上下が少しだけ落ち着く。
熱が僅かに下がった気配。
完全な癒しじゃない。
でも、死の縁から引き戻された。

母親が泣きそうな顔で私を見る。
私は首を横に振った。
褒められたくない。
崇められたくない。
ただ、生きてほしいだけ。

「医者に」
私は母親に言った。
「今なら行ける。薬草屋でもいい。抱えて走って」

女は震える手で頷き、子どもを抱き直して走り出した。

その背中を見送った瞬間、修道士の声が耳を刺した。

「見ましたか」
修道士は冷たい声になっていた。
「あなたが従わないから、奇跡が安定しない。秩序が崩れる」

秩序。
崩れる。
責任転嫁は形を変えるだけで同じだ。

私はゆっくり立ち上がった。
膝が震えない。
胸は痛い。
でも崩れない。

「逆だよ」
私は言った。
「あなたたちが縛ろうとするほど、奇跡は遠のく」

修道士の目が細くなる。
「口を慎みなさい」

「慎まない」
私は言った。
声は氷みたいに透明だった。
冷たくて、曇りがない。

そのとき、馬の蹄の音が近づいてきた。
護衛の列。
金属の匂い。
王権の匂い。

人波が割れ、アルベルトが現れた。
今日も整った顔。
今日も冷たい目。
でもその冷たさの下に、焦りが薄く見える。

不作と病。
そして奇跡が中心から離れていく。
王太子にとって、それは国の骨が崩れる音だ。

アルベルトは修道士を一瞥し、私を見る。
視線は定規。
でも今日は、その定規に苛立ちが混じっている。

「話がある」
アルベルトが言った。
声は丁寧だ。
でも拒否を想定していない声。

ルシアンが一歩前に出る。
「ここで?」

アルベルトはルシアンを無視した。
無視の仕方が上手い。
存在を削る無視。

「エリシア」
アルベルトが私の名を呼ぶ。
「君の行動は、王都全体に影響している。……協力してほしい」

協力。
その言葉は優しい形をしている。
でも中身は取り込みだ。

「条件は?」
私は聞いた。
声は落ち着いていた。

アルベルトは一瞬だけ眉を動かす。
交渉の言葉が返ってきたことに。
彼はすぐに答えた。

「保護、住居、身分、必要な人員」
淡々と列挙する。
「君が望むなら、王宮内に部屋を用意する。教会の干渉も減らせる」

減らせる。
減らすだけで、消えるとは言わない。
つまり管理する。

私は微笑まない。
作られた笑顔を返したら、そこに握られる。

「丁寧に断る」
私は言った。

アルベルトの目が細くなる。
「理由は」

理由。
彼はいつも理由を求める。
理由を掴めば、管理できるから。

私は息を吸って、吐いた。
そして、言った。

「私は、私の意思でしか動かない」

その言葉は刃じゃなかった。
怒鳴り声でもなかった。
氷みたいに透明で、冷たい。
触れたら手が痛くなる冷たさ。

アルベルトは一瞬、黙った。
その沈黙の中で、彼の合理が答えを探す音がする。
脅せば? 褒美を積めば? 守れば? 囲えば?

でも、どれも今は効かない。

アルベルトの口角が僅かに下がる。
苛立ち。
支配できないものに対する苛立ちが、初めて顔に滲んだ。

「意思で動かないものは、国を壊す」
彼は低い声で言った。

私はまっすぐ見返す。
怖い。
でも、逃げない。

「国が壊れるなら」
私は言った。
「それは、私のせいじゃなくて――縛ろうとする側のせいだよ」

アルベルトの目が硬くなる。
言い返したいのに、言い返せない。
今の路地で起きた奇跡が、彼の理屈を少しだけ削っている。

そのとき、遠くでまた咳が響いた。
次は貴族の馬車の中から。
絹のカーテンの向こうで、誰かが苦しそうに咳をしている。

王都の中心が、病の匂いを隠しきれなくなる。
奇跡は中心を選ばない。
救いが中枢から離れていく。

私はそれを感じた。
世界が選ばなくなった、その音。
誰も剣を振らないのに、誰も怒鳴らないのに、
王国が“縋れない手”になっていく音。

アルベルトは小さく息を吐いた。
冷たい息。
そして、丁寧すぎる声で言った。

「分かった。今日は引く」
引く。
でも諦めたわけじゃない。

「だが覚えておけ」
アルベルトの目が私を刺す。
「君が国の外側に立つほど、国は君を内側に引きずり込む」

私は微笑まないまま頷いた。
否定もしない。
現実だから。

アルベルトが去り、修道士が唇を噛み、貴族の馬車が慌ただしく動く。
王都の空気がまた一段重くなる。

ルシアンが私の横に立ち、低い声で言った。

「疲れたか」

私は首を振った。
疲れている。
でも、まだ折れない。

「……怖い」
正直に言った。

ルシアンは短く頷く。
「怖いなら、なおさら息をしろ。今は生きろ」

私は息を吸った。
薬草の匂いと、石畳の熱と、春の冷たい風。
王都の崩れの匂い。

その中で、私は自分の意思を握りしめた。
縋らせない手で、縋れない国を見つめながら。
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