追放エンドだと思ったら世界が私を選んだ、元聖女のざまぁ再生記

タマ マコト

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第17話:ヴァイスの執着、救済と破滅の境目

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夜の図書塔は、昼より静かだ。
静かすぎて、紙が呼吸している音がする。
インクの匂い、古い革の匂い、石の冷たさ。
それらが肌に貼りついて、心の熱だけを浮かび上がらせる。

王都の崩れが始まってから、私は眠りが浅くなった。
目を閉じるたび、咳の音が聞こえる。
畑の割れる音が聞こえる。
白い回廊の足音が聞こえる。

逃げるように、私は塔へ来た。
逃げ場を探すみたいに。
でも本当は、逃げ場じゃなく、答えの形が欲しかった。

螺旋階段を上がる。
青白い灯りが揺れない火で壁を照らし、影だけを揺らす。
上へ行くほど空気が冷え、胸の奥が少しだけ落ち着く。

読書室の扉を押すと、そこにいた。

ヴァイス・アストラルは、いつものようにだらしなく椅子に座っていた。
白銀の髪は少し乱れて、眠たげな目は半分閉じている。
机の上は相変わらず紙の海。
星図、裂け目の計算、神託の写し。
そして、奇妙なくらい新しい羊皮紙――文字がまだ乾ききっていない。

「遅い」
ヴァイスが言った。
責める声じゃない。
むしろ、待っていた人の声。

私は頬の内側を噛んだ。
「呼んだのはあなたでしょ」

ヴァイスは軽く笑った。
「うん。君に見せたいものがある」

ルシアンが一歩、部屋の中へ入る。
外套の裾が石床を撫でる音。
剣の気配が、部屋の空気を少し硬くする。

ヴァイスはそれを見て、面倒くさそうに眉を動かした。
「今日も護衛付き。過保護だね」

「必要だからいる」
ルシアンが淡々と言う。
「用件だけ言え」

ヴァイスは肩をすくめ、机の上の羊皮紙を指で押さえた。
その仕草が、子どもが秘密を隠すみたいで妙に幼い。

「ねえ、エリシア」
ヴァイスは私を見た。
眠たげなのに、視線だけは深海みたいに重い。
「君、今の世界……嫌い?」

嫌い。
好き。
どっちでもない。
ただ、怖い。
ただ、痛い。

私は言葉を探している間に、ヴァイスが先に続けた。

「君が世界に選ばれたならさ」
彼は軽い口調で言う。
「世界の改変もできる」

改変。
その二文字が、胸の奥で硬い音を立てた。

「……何言ってるの」
私は声を低くした。
怖いから、怒りっぽくなる。

ヴァイスは怒りを気にしない。
まるでそれが当然だと知っているみたいに、淡々と言う。

「未来を変えるってこと。君が通った裂け目……あれは“戻る”だけじゃない」
彼は指で机上の図をなぞった。
布みたいな線。裂け目。縫い目。
「縫い直せる。……好きな形に」

好きな形。
それは――甘い。

雪の追放も。
血の祈りも。
凍える終焉も。
あの夜の孤独も。

アデルの裏切りも。
アルベルトの冷たい宣告も。
全部、なかったことにできる。

その誘惑が、舌の上に砂糖みたいに広がった。
甘い。
一瞬で溶けて、身体の奥へ落ちる。
楽になれる気がする。

「例えば」
ヴァイスはさらっと言う。
「未来の追放を消す。アデルの裏切りを消す。アルベルトが切り捨てる決断を消す。……全部、“なかったこと”にする」

ルシアンの気配が強くなる。
部屋の空気が刃物みたいに尖る。

「ふざけるな」
ルシアンが低い声で言った。

ヴァイスは眠たげに瞬きをする。
「ふざけてない。真面目。僕、こういうときは割と真面目」

私は喉が鳴った。
心臓が早い。
息が浅い。

「……それ、できるの?」
自分でも驚くくらい、小さな声が出た。

ヴァイスの口角が上がる。
嬉しそうでもあり、怖いほど純粋でもある。

「可能性は高い」
彼は言った。
「君は世界の修復機構に触れた。触れたどころか、“選ばれた”。世界は君を通して縫い直そうとしてる」

縫い直す。
その言葉が、救いに聞こえる。
でも同時に、ぞっとする。

縫い直すって、切るってことだ。
切って、捨てて、なかったことにするってことだ。

「……楽になるよ」
ヴァイスが言った。
声が少しだけ柔らかい。
「君の傷も、痛みも、ぜんぶ消える。誰も君を追放しない。誰も君を裏切らない。君は……あったかい場所にいられる」

あったかい場所。
その言葉が、胸の奥の小さな部分を撫でる。
ずっと欲しかった場所。

私は指先を見た。
震えている。
世界が崩れる音を聞くたび、私は震える。
その震えがなくなるなら、どれだけ楽だろう。

私は、少しだけ前へ出そうになった。
ヴァイスの手が、机の上で軽く動く。
私を招くみたいに。

その瞬間、ルシアンが言った。

「君が苦しんだ事実まで消したら、君は誰になる?」

その問いは、刃じゃなかった。
熱だった。
胸の奥を焼く熱。

私は息を呑む。
喉が痛い。

“苦しんだ事実”。

雪原で倒れたこと。
吐いた血の温度。
涙が冷たかったこと。
祈るたび、何かが削れていったこと。
誰も守ってくれなかったこと。

それらは、私を壊した。
でも同時に、私を作った。

それがなかったら、私は“私”じゃない。
今の私は、エリシアじゃなくなる。
ただの、何も知らない、何も傷ついていない、別の誰かになる。

「……でも」
私は絞り出す。
「痛みがなくなるなら……」

口にした瞬間、胸が苦しくなった。
情けない。
でも本音だ。

ヴァイスが静かに頷いた。
「なくなるよ。君は救われる。……それでいいじゃん」

いいじゃん。
その軽さが、怖い。

彼の目は純粋だ。
人を救いたい純粋じゃない。
“世界を変えたい”純粋。
その純粋は、爆薬みたいだ。
善悪より先に爆発する。

「エリシア」
ルシアンが私の名を呼ぶ。
低い声。
支える声。

「君は痛かった。苦しかった。……それを消したら、君が今ここで掴んでる意思も消える」
彼は言った。
「意思がない君は、また誰かの道具になる」

道具。
その単語が、私の背中を冷やす。

私は思い出す。
祈りが強制された日。
優しい言葉で縛られた日。
笑顔で削られた日。

痛みを消しても、構造が残るなら、私はまた同じ場所に戻る。
何も学んでいない分、もっと簡単に折れる。

ヴァイスは肩をすくめた。
「道具にならない未来も作れるよ。君が強く設定すればいい」

設定。
その言葉が、私の中で嫌な音を立てた。
人間を“設定”で作り直す。
それは救済じゃなく、改造だ。

私はゆっくり首を振った。
喉が震える。
目が熱い。

「……私は」
声が掠れた。
それでも言う。

「痛いまま、ここにいる」
私は言った。
「痛いから、守りたいものが分かる。……痛いから、選べる」

ヴァイスの目が、ほんの少しだけ細くなる。
残念そうに。
でも、怒ってはいない。

「もったいない」
彼はぼそりと言った。
「君なら世界を塗り替えられるのに」

私は一歩、ヴァイスの机に近づいた。
そして、彼の差し出しかけた手を見た。

その手を取れば、甘い未来が開くかもしれない。
すべてがなかったことになるかもしれない。

私は指先を伸ばし――止めた。

取らない。

「……ごめん」
私は言った。
謝る必要なんてないのに、言ってしまった。
彼の純粋を否定するのが怖かったから。

ヴァイスは軽く笑った。
「謝るの、変だよ」

「変でも言う」
私は息を吸う。
「私は、私のまま生きたい」

ルシアンが、ふっと息を吐く。
安堵の匂いがする。
でも彼は何も言わない。
言わない優しさ。

ヴァイスは椅子に深く座り直した。
眠たげな目を細め、遠いところを見るみたいに言った。

「……じゃあ、次は別の手を考える」
その声が、妙に楽しそうで、怖かった。

私は背筋がぞわりとした。
この男は諦めない。
救済と破滅の境目を、楽しそうに歩く。

私は机から離れ、扉の方へ向かった。
ルシアンが隣につく。

扉を開ける前に、ヴァイスがぼそりと呟いた。

「でもさ、エリシア」
軽い声。
でも、深海の重さが戻っている。

「君が選ばれたってことは、世界は君に“決めろ”って言ってるんだよ」
一拍。
「救うか、壊すか。……どっちを選ぶ?」

私は振り返らなかった。
振り返ったら、深海に落ちそうだったから。

ただ、胸の奥で燃える問いを抱えたまま、図書塔の冷たい階段を降りた。
痛みを消さない選択は、楽じゃない。
でも、私の足で歩くための選択だった。
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