婚約者に捨てられた夜、異世界で猫と運命が再起動!猫がいるので全部うまくいきます

タマ マコト

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第12話:政治の駒、召喚者の鎖

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 相沢と鉢合わせしてから、書庫の空気は少しだけ重くなった。
 重いのは、紙の湿気じゃない。
 あかりの胸の奥に残った“戻りかけた自分”の残滓だ。

 朝、ミラの台所でスープを飲んでも、匂いが完全に白くならない。
 白の中に、薄い灰が混じる。
 嘘の灰じゃない。
 「うまくやった」って言い聞かせる灰。
 心が自分を守るためにかぶる薄い煤。

「今日のあかり、静か」

 ミラが鍋をかき混ぜながら言った。
 明るい声。
 でも目の端の恐怖はいつも通り、消えない。

「静かっていうか……整理中」

「なにそれ、司書っぽい」

「司書じゃないって」

「でも書庫にいる時点で半分司書!」

「知らんけど?」

「知らんけど!」

 二人で笑いかけて、あかりはすぐに笑うのをやめた。
 笑うと、喉の奥が痛い。
 昨日の声が、まだ残っている。

 そこへセレスが来た。
 いつも通りの顔。
 感情の色が薄い、透明の人。
 でも今日は、透明の奥に硬い青がある。
 仕事の青。危険の青。

「別室で話す」

 セレスはそれだけ言って、あかりを呼び出した。
 ミラが「あかり、無理しないでね」と言いかけて、言葉を飲み込む。
 言葉を飲み込む匂いが苦い。
 でも、その苦さが優しい。

 書庫の奥、閲覧室から外れた小さな机。
 紙の匂いが濃い場所。
 人の願いの残り香が薄く漂い、感情が勝手に整列しやすい場所。
 セレスはそこに座ると、最初から結論を落とした。

「相沢は貴族派閥に囲われた」

 あかりの胸が、ひゅっと冷える。
 昨夜の路地で見た相沢の目。
 縋る匂い。
 止まった灰色。

「……囲われたって」

「“異界知識”を搾り取られている」

 搾り取る。
 その言葉が生々しくて、あかりの胃がきゅっと縮んだ。
 人の中身が、知識として抜き取られる。
 声も、経験も、ただの資源になる。

「どうして分かるの?」

「書庫には情報が入る。王都の縁はここへ流れ込む」

 セレスは机に指を置き、円を描く。
 縁が巡る図みたいに。

「召喚儀式を推進した貴族派閥がいる。王宮内の主導権争いだ。異界人は格好の切り札になる」

「……相沢は、切り札」

「そう、道具だ」

 セレスの言い方は冷たい。
 でも、その冷たさは、現実に必要な温度だ。
 熱い言葉で覆うと、またあかりは“昔の自分”に戻ってしまう。

 あかりは指先を握りしめた。
 爪が手のひらに食い込む。

「相沢、逃げたいって言ってた」

「当然だ。彼は異界人だ。友も地盤もない。しかも契約を結ばされた」

「契約……」

 その瞬間、あかりはルゥの言葉を思い出す。
 “軽く頷くと縛られる”。
 この世界の契約は、鎖になる。

「縁の契約で拘束されている。鎖のように」

 セレスは淡々と続けた。

「逃げようとすると胸が焼ける。嘘をつくと灰色が絡む。約束を破ろうとすると、縁が首を締める」

 あかりの喉が痛くなった。
 聞くだけで苦しい。
 相沢の胸元に漂っていた停止痕。
 あれは、欠損だけじゃなく、この鎖の影も混じっているのかもしれない。

「……助けたほうがいいのかな」

 言った瞬間、あかりは自分の言葉に驚いた。
 助けたい?
 本当に?

 セレスの目が、少しだけ鋭くなる。
 責めない。
 ただ、切るように言う。

「助けたら、君がまた“使われる”可能性がある」

 あかりの背中が冷たくなる。
 使われる。
 婚約者だった頃の自分。
 彼の正しさのために、彼の笑顔のために、彼の未来のために――更新ボタンになっていた自分。

「君の棄却の印は、彼の欠損を握っている。君が彼に近づけば、貴族派閥は君にも興味を持つ」

「……私にも」

「当然だ。“欠損を埋める鍵”は、使える」

 鍵。
 使える。
 価値の値札。
 また貼られる。
 あかりの胃が、ぞわっとした。

「でも……」

 言いながら、胸がざわざわする。
 助けたい、わけじゃない。
 相沢を救いたい、なんて言葉は、口にしたくない。
 なのに、足元が揺れる。

 なぜ?

 答えは、嫌なほど分かっている。

 “見捨てたら私が悪者になる気がする”――あの癖。
 罪悪感という名の鎖。
 優しさの皮をかぶった自己罰。

 ルゥが机の上に飛び乗り、あかりの腕に前足を置いた。
 肉球の圧が、現実を押し付けるみたいに重い。

「それ、きみの癖」

 ルゥが短く切った。

「優しさじゃなくて、自己罰」

 言葉が釘みたいに刺さる。
 あかりの胸が痛んだ。
 護符の下で裂け目が熱を持つ。
 痛みは、過去が暴れる痛み。
 “いい子でいれば愛される”の残骸が蠢く痛み。

「……自己罰」

 あかりは小さく繰り返した。
 口の中で、その言葉は苦かった。
 でも苦いからこそ、真実の味がする。

 セレスは、あかりの表情を見て、さらに現実を突きつける。

「君が助ければ、相沢は一時的に救われるかもしれない」

「……」

「だが君が捕まれば、君の人生はまた他者の道具になる。今度は貴族派閥の」

 あかりは目を閉じた。
 暗闇の中で、路地の相沢の目が浮かぶ。
 縋る目。
 助けを求める目。
 そしてその奥に、まだ自分の責任を手放していない匂い。

 相沢は可哀想だ。
 でも、それは彼が選んだ道の結果でもある。
 縁を切った瞬間に、運命が欠けた。
 そして欠けたまま、政治の手に引っかかった。

「……私、どうしたいんだろ」

 声が震える。
 震えは恥じゃない。
 でも、この震えは怖さだけじゃない。
 自分が自分を見失いそうな震え。

 ルゥが、あかりの手の甲を前足でぎゅっと押さえる。
 その圧が、昨日の路地の境界線を思い出させる。

「助けたいなら、助けたいって言っていい」

 ルゥが言う。

「でも、助けたいじゃないなら、助けなくていい」

 簡単な言葉なのに、あかりの胸に刺さる。
 “助けなくていい”。
 それを許されたことが、今までなかった。

 あかりはゆっくり息を吸って、吐いた。
 紙とインクの匂いが肺に入る。
 願いの残り香が、胸の中の散らかった感情を少しだけ整える。

 そして、気づく。

 自分の中に鎖がある。
 古い鎖。
 誰かを見捨てたら自分が悪になる、と勝手に自分を縛る鎖。
 それは優しさじゃない。
 自分を罰して、相手を救った気になって、関係を延命させるための鎖。

 あかりは、その鎖の冷たさを初めて“自分のもの”として触った。
 触った瞬間、涙が出そうになった。
 痛い。
 でも、痛いのは生きてる証拠だ。

「……私、助けたいんじゃない」

 あかりは言った。
 声が小さい。
 でも、正直の匂いが白く広がる。

「私が怖いのは、助けない自分を許せないこと」

 言葉にした瞬間、胸の裂け目がじくっと痛んだ。
 でもその痛みは、昨日までの痛みと少し違う。
 痛みの奥に、光がある。
自分を理解する光。

 セレスが静かに言う。

「なら、まず君自身を助けろ」

 あかりは目を上げた。
 淡い灰色の目が、逃げずに見てくる。
 冷静な目。
 取引の目。
 でも、そこにあるのは“利用”ではなく、現実的な配慮だ。

「君の鎖を外さない限り、誰を助けても君はまた鎖に繋がれる」

 あかりの喉が鳴った。
 その通りだ。
 相沢を助けたら、今度は貴族派閥の鎖。
 助けなかったら、自己罰の鎖。
 どっちにしても鎖なら――まず鎖の構造を見なきゃいけない。

 ルゥが短く言う。

「きみの人生、きみのもの」

 あかりはその言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じた。
 熱は怒りじゃない。
 自分のための火。
 小さくても、確かに燃える火。

 それでも、あかりは揺れた。
 相沢が鎖に繋がれていると聞いて、胸が痛む。
 痛むこと自体が嫌だった。
 痛むと、また自分が“更新ボタン”に戻りそうで怖い。

「……私、弱いね」

 ぽつりと言うと、ルゥが鼻を鳴らした。

「弱いのは罪じゃないって、言ったでしょ」

 あかりは笑いそうになって、泣きそうになった。
 弱さは罪じゃない。
 でも、弱さを理由に自分を罰する癖は、鎖だ。

 セレスは机の上に一枚の紙を置いた。
 薄い地図。
 王都の区画と、貴族街の位置。
 そして、王宮の一角に赤い印。

「相沢はここにいる可能性が高い」

 あかりの指が地図に伸びそうになって、止まる。
 触れたら縁が動く気がした。
 紙の上の赤い印が、まるで檻の位置みたいに見える。

「……見に行く?」

 あかりが口にすると、セレスは首を横に振る。

「今は行かない。行くなら準備を整えてからだ。君の護符も、もっと強くする」

 準備。
 逃げるにも、助けるにも、準備。
 準備をすることは、衝動に鎖を渡さないこと。

 あかりは地図から目を離し、胸元の護符に指を当てた。
 紙の薄さ。
 でもこの薄さが、今の自分の境界線だ。

 ――古い鎖を見つけてしまった。
 痛い。
 恥ずかしい。
 でも、見つけたなら外せる可能性がある。

 あかりは息を吸って、静かに言った。

「……私、まず自分の鎖を外したい」

 ルゥが喉を鳴らす。
 セレスが短く「そうしろ」と言う。

 窓の外では、王都が今日も動いている。
 噂は膨らみ、貴族派閥は笑い、召喚者の鎖は鳴る。
 その中で、あかりは自分の胸の中にある鎖の冷たさを、確かに握りしめた。

 握ったからこそ、外す順番が見える気がした。
 痛みの中で、あかりは初めて“自分のための選択”を探し始める。
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