平凡メイドの私が追放された結果、女神の加護を独占して国が騒然

タマ マコト

文字の大きさ
6 / 20

第6話「女神エリュシアとの邂逅」

しおりを挟む


 ――水の音がする。

 ぽちゃん、ぽちゃん、と。
 静かな夜の中で、小さな音だけが規則正しく揺れている。

(……ここ、どこ……)

 重たかったまぶたを、ユナ・アークレットはゆっくり持ち上げた。

 最初に見えたのは、淡い光だった。
 ろうそくでもランプでもない。天井からではなく、どこか遠くの空から、ひたひたと降りてくるような光。

 体の下は、泥ではなかった。
 柔らかい草と、乾いた土。ひんやりしているのに、不思議と冷たくない。

 目が慣れてくると、自分のいる場所が分かってきた。

「……森?」

 周りには、背の高い木々が取り囲んでいる。
 葉の隙間から、夜空がちらちら覗いていた。

 さっきまでいたのは、たしか街道のはずれ。雨の降る泥だらけの道。
 そこから、いつの間に森の奥まで運ばれたのか――ユナには、まったく心当たりがなかった。

「夢……?」

 思わずこぼれた声が、夜の空気に溶けていく。

 その時。

 視界の端で、星が揺れた。

 ――と思ったら、それは星じゃなかった。

 月だ。
 木々の隙間から覗く月の光が、すぐ近くの水面に反射している。

 ユナは、ようやくそれに気づいた。

 自分が今いるのは、森の中の小さな泉のほとりだった。

 まるで地面にぽっかり穴が開いて、夜空を丸ごと落とし込んだみたいな泉。
 水は驚くほど透明で、底の小石まではっきり見えるのに、表面には月が一つ、くっきり浮かんでいる。

 ユナがぼんやりそれを見つめていると、その月の光がすっと陰った。

(……え?)

 誰かが、水面に影を落とした。

 ユナはゆっくり顔を上げる。

 そこに、「彼女」はいた。

 ――白銀の髪の女。

 腰まで届く長い髪が、風もないのにさらさら揺れている。
 まるで月の光そのものを糸にして編んだみたいな色。

 薄い布を幾重にもまとった衣は、水のように体の線をすべって流れ、泉に映る彼女の姿は、現実より少しだけ幻想的に見えた。

 でも、いちばん人間離れしていたのは、その目だった。

 淡い紫とも青ともつかない色の瞳。
 そこには、遥かな時間を越えた静けさと――人間みたいな情念が、同時に宿っていた。

 優しさも、哀しみも、怒りも、全部知っている目。
 高みにいるくせに、下界の感情にどっぷり浸かったことがある目。

 ユナは、息をするタイミングを忘れた。

 世界の音が、全部遠のいていく。
 泉の水音も、葉の擦れる音も、全部、彼女の輪郭の外側に押しやらたみたいだった。

「……ようやく、目を覚ましたわね」

 女はごく自然に、そう言った。

 耳に落ちてくる声は、風鈴みたいに涼しいのに、芯はやけにあたたかい。

「えっと……」

 ユナは、何から聞けばいいのか分からなかった。

 ここはどこですか?
 あなたは誰ですか?
 どうして私、濡れてないんですか?

 本当なら聞きたいことが、喉のところで全部団子みたいに詰まっている。

 代わりに、女の方が動いた。

 す、と。

 白い指が伸びてきて、ユナの頬に触れる。

「……あ」

 冷たいと思った。
 見た目があまりにも静かで、どこか水みたいだったから。

 でも、違った。

 その指先は、火にかける手前の湯みたいに、程よくあたたかかった。

「こんなに冷たくなって。あのまま雨の中に捨てられてたら、あと一時間も持たなかったでしょうね」

 女は、ほんの少しだけ眉を寄せる。

 怒っているような。
 哀しんでいるような。

「やっと見つけた。あなたを手放したあの屋敷、本当に見る目がないわ」

 さらっと言われたその台詞に、ユナの思考が一瞬止まる。

「……見つけた?」

「そう。見つけた。追いかけて、追いついて、やっと“触れられた”」

 女は、言葉を噛みしめるみたいにゆっくり喋る。

「あの重たい石の屋敷の中じゃ、どうしても近づけなかったのよ。妙な祈りと、形だけの信仰で壁を作られてたから」

 その言い方には、ほんの少し棘があった。

 オルフェリア侯爵家の、立派な祈祷室と女神の絵を思い出す。
 毎朝毎晩、決められた文章を唱えていた巫女たち。
 エレナの部屋にあった女神エリュシアの絵。

(“妙な祈り”って……)

 ユナが混乱している間に、女はくすっと笑った。

「自己紹介がまだだったわね」

 白銀の髪が、さらりと揺れる。

「私はエリュシア」

 その名前を聞いた瞬間、ユナの背筋に電流が走る。

「……え?」

「たぶん、あなたもどこかで聞いたことがあるはずよ。この国の人間なら誰でも」

 エリュシアは、肩をすくめてみせる。

「“慈しみと加護の女神エリュシア”。祈祷室で毎日呼ばれてた名前」

 あまりにも簡単に言われて、逆に現実味が追いついてこない。

「えっ……えっ……え?」

 ユナは、動転すると語彙力が急激に落ちるタイプだった。

「お、女神、さま……?」

「そう言われることが多いわね。一応、女神をやっているつもりだけど」

 “つもりだけど”って何、女神ってそんなノリなの? とツッコミかけて、ユナは慌てて口を閉じる。

 でも、目の前の存在は、たしかに“人間じゃない”。

 触れている指のあたたかさは、人間のそれに近いのに。
 その背後にある気配の深さが、人とはまるで違っていた。

「……夢、じゃないんですか?」

「あら。夢の中でここまで寒くなるのは、ちょっとホラーじゃない?」

「たしかに……」

 そんな会話をしている自分にもびっくりだ。

 女神。
 本当に目の前にいるのだとしたら、もっと膝を折ってひれ伏すとか、まともな祈りの言葉を口にするとか、やることがある気がする。

 でもユナの頭は、そこまで気が回らなかった。

 さっきまで、“不吉なメイド”として追い出された記憶でいっぱいだったから。

「……あの」

 ようやく言葉を選ぶ余裕が出てきて、ユナはゆっくり口を開いた。

「私なんて、ただのメイドなのに。女神さまが“見つけた”って言ってくれるような、そんな……」

 そんな価値ある人間じゃない。

 言い切る前に、エリュシアが小さく息を吐いた。

「そういうところよ」

「え」

「“私なんて”って前置き、何回した? 今までの人生で」

 ぐさっと刺さる質問だった。

「えっと……」

 思い返すまでもなく、心当たりしかない。

 孤児院で。
 メイドとして働き始めてから。

 ユナの口癖は、いつでも「私なんて」だった。

「私は“ただの”メイドで。
 私は“平凡な”子で。
 私は“特別じゃない”から、って」

 エリュシアは、ユナの額にそっと指を当てる。

「誰に教わったの? そんなふうに、自分を小さく小さく包んでしまう癖」

「え、いや、その……」

 ユナは言葉に詰まる。

(誰って言われても……)

 孤児院の先生?
 周りの子どもたち?
 オルフェリア侯爵家で、何度も自分の立場を教え込まれたせい?

 どれでもあるし、どれでもない。

「“ただのメイド”が、雨の中で気絶するまで歩き続ける?」

 エリュシアの声が、少しだけ低くなる。

「“平凡な子”が、くたくたに疲れてても、誰かの皿を支えて、自分のことは後回しにする?」

 胸の奥を、そっと撫でられた気がした。

「ねえ、ユナ。あなた、本当に自覚ないのね」

「……なにが、ですか」

「自分が、どれだけ“特別扱い”されてきたか」

「特別扱い……?」

 それだけは、本気で意味が分からなかった。

 どちらかというと、逆だ。
 ずっと「分相応でいろ」と言われてきた。
 線を引かれ、枠を決められ、その内側に押し込められてきた。

 そんな自分が、“特別”なんて――

「あなた、覚えてない?」

 エリュシアは、泉の方に視線を向ける。

 水面が、ふわりと揺れた。

 波紋の中に、景色が浮かぶ。

 ――小さな木造の建物。

 雨漏りする屋根。きしむ床。
 だけど、どこかあたたかい、懐かしい光景。

「これ、孤児院……」

 ユナが息を呑む。

 波紋の中で、小さな女の子が走り回っていた。
 ぼさぼさの髪に、ほつれた服。
 でも、目だけはきらきらしている。

 ――幼い頃の自分だ、とすぐに分かった。

「このとき、あなた、熱出して倒れたわよね」

 エリュシアが淡々と言う。

「布団も足りなくて、薬も手に入らなくて。先生たちは、夜通し冷やした布を取り替え続けてた」

「……はい」

 覚えている。
 あのとき、本当に苦しかった。

 うわごとの中で、“ごめんなさい”と“ありがとう”を何度も繰り返した気がする。

「あのとき、あなた、一度心臓が止まってるのよ」

「え」

「本当なら、あそこで命の糸はぷつんって切れてた」

 ユナは目を見開く。

「でも、戻ってきた。
 自分で、こっち側に戻ってきた」

「自分で、ってそんな……」

「あの先生が、涙でぐしゃぐしゃになりながら“ユナを連れて行かないでください”って祈ってたの、ちゃんと聞いてたわよ」

 エリュシアが、少しだけ寂しそうに笑った。

「“連れて行かないで”って。
 私、まだ何もしてないのに」

 その言い方に、ユナは気づく。

「その……ときから、見てたんですか」

「もっと前から」

 あまりにも自然に返された。

「あなたが生まれたときから。
 いや、生まれる前からかしらね」

 冗談みたいなことを、まっすぐな目で言われると、笑えない。

「孤児院の裏庭で、小さい子に押されて階段から落ちかけたこと、あったでしょう」

「……あります」

 あのときは、たまたま段の途中で転んで済んだ。
 頭を打たずに済んだのは、運が良かったと思っていた。

「運じゃないわよ」

 エリュシアが、さらっと否定する。

「あなたを押した子は、何度も謝ってたわね。あなたは“大丈夫だよ、痛くないよ”って泣きそうなのに笑ってた」

 波紋はまた景色を変える。

 膝をすりむいて、涙目で笑う小さな自分。
 後ろで泣きじゃくる子。その頭をぽんぽん叩く先生。

「“ごめんね”って泣いてる子を慰める方を優先するから、あなた、いつも自分の傷は後回し」

 エリュシアは、まるで自分自身のことみたいに言う。

「転んでも。
 熱出しても。
 お腹が空いても。
 あなた、自分の痛みはいつも“自分でがまんできる”って思ってたでしょう」

「……だって、みんなも、痛いし、苦しいし」

 ユナは、視線を落とした。

「誰かが泣いてるの見る方が、苦しくて。
 私より、その子の方が辛いって思っちゃって」

「そういうの、普通は一回か二回で折れるのよ」

 エリュシアはあきれたように言う。

「なのにあなた、何回死にかけても、何回心折られそうになっても、同じこと繰り返した」

 言われてみれば、たしかにそうだ。

 孤児院でも。
 メイドとして働き始めてからも。

 ユナは、何度も何度も、他人の方を先に見てきた。

「だから言ったの。“特別扱い”されてたって」

 エリュシアの瞳が、少しだけ柔らかくなる。

「あなたの体は、何度も壊れる寸前までいったけど、そのたびに踏みとどまった。
 偶然なんかじゃない。

 ……私が、しがみついてたのよ」

「え……」

「“まだ連れて行かない。まだこの世界に置いておく。
 だって、まだ見ていたいから”って」

 その言葉は、情けないくらい正直で。
 ユナは、息を呑んだ。

 女神の声の奥に、妙に人間くさいわがままが混ざっている。

「あなたが、泣きそうになりながらも誰かの手を握るたびに。
 自分のことなんて後回しにして、“大丈夫だよ”って笑うたびに。

 私は、“ああ、この子、まだ壊しちゃダメだ”って思ってた」

 エリュシアは、指先でユナの涙の跡をなぞる。

 ここに来るまで自分が泣いていたことに、ユナはその時ようやく気づいた。

(ずっと、誰にも言えなかったことを……)

 雨の中、ひとりでこぼした本音。
 「ごめんなさい」と「そんなにいけなかったかな」の間に挟まっていた、言葉にならない感情。

 それを、全部見られていたのだとしたら。

「孤児院でだって、あなた、いつも“しんどい子の隣”にいたでしょう」

 エリュシアが続ける。

「熱が出た子。家族の夢を見て泣き出した子。怪我して不安でいっぱいな子。
 その子たちの隣に座って、一緒に泣いて、一緒に笑って、“大丈夫だよ”って肩をさすってた」

 その光景は、ユナの中でも宝物だった。

 しんどいはずなのに、「ありがとう」と言ってくれた子たちの顔。
 先生に「助かったわ」と言われたときの、胸の奥のあたたかさ。

「それ、全部――」

 エリュシアは、泉の水面に視線を落とす。

 水面には、ユナの背中と、彼女の周りに座る子どもたちの姿。
 それが、淡い光をまとって見えていた。

「私の加護の、片鱗よ」

「…………」

 ユナは、言葉を失った。

 加護。

 そう聞くと、もっと分かりやすい奇跡を想像していた。
 火の玉を飛ばすとか、空を飛ぶとか。

 でも、エリュシアの言う「加護」は、もっとささやかなものだ。

 しんどい子の心を、ほんの少し軽くする。
 重たい空気を、ほんの少しだけ柔らかくする。

 そういう、“目に見えないけれど、たしかにあるもの”。

「じゃあ……私が誰かの隣にいると、ちょっと楽になるって言われてたのって」

「全部、私のせい」

 エリュシアは少し得意げに胸を張る。

「あなたが“誰かの隣にいたい”って願うから、その願いに私が合わせてあげてたの」

「せい、って……悪いことみたいに言わないでください」

 ユナが思わず突っ込むと、エリュシアは目を細めて笑った。

「ふふ。そうね。悪いことじゃないわ」

 笑みの奥に、ほんの少しだけ毒が混ざる。

「悪いのは――あなたを見ようともしなかった連中の方」

 声の温度が、一瞬で変わった。

 オルフェリア侯爵家。
 エレナ。
 ミレイユ。

 さっきまで頭の中に渦巻いていた顔が、ぱっと浮かぶ。

 エリュシアの瞳に、はっきりとした怒りの色が乗った。

「自分たちの都合で、“不吉”だって決めつけて。
 “屋敷の平穏のため”なんて綺麗な言葉で包装して。

 自分たちが選べなかった光を、平気で捨てた」

 吐き出す言葉は鋭いのに、その奥には、悔しさみたいな感情が見え隠れしていた。

「あなたを見ようとしなかった彼らなんて、どうでもいい」

「……どうでも」

「ええ。どうでもいい」

 エリュシアは、迷いなく言い切る。

「私から見れば、あの屋敷は“あなたの価値を理解できなかった人間たちの集まり”に過ぎないもの。
 あなたと私の間に、壁を作っただけの存在」

 ざっくりと切り捨てるその言い方に、ユナは戸惑う。

「そんな、言い過ぎですよ……。皆さんだって、忙しくて、余裕がなくて……」

「まだ庇うの?」

 エリュシアは、呆れたように目を細めた。

「追い出されたのよ? 雨の中に捨てられたのよ? “不吉”の烙印押されて。

 ねえ、ユナ」

 声のトーンが、少し静かになる。

「それでもあなたは、あの屋敷を恨まないの?」

 真正面から刺すような問い。

 ユナは、息を止めた。

 喉の奥に、何かがひっかかる。

 あのとき。
 応接室で。
 皆の視線が自分に突き刺さったときの感覚。

 “真偽なんてどうでもいい”と言った侯爵の声。
 半分の給金。
 「屋敷の平穏のため」と言い切られたあの瞬間。

 思い出すだけで胸が痛い。

 悔しくないわけがない。
 悲しくないわけがない。

 でも――

「……恨む、って」

 言葉を転がしながら、ユナはうつむいた。

「恨んだら、私、もっと苦しくなりそうで」

「苦しくなるのが嫌だから、恨まないの?」

「違います」

 ユナは首を振る。

 ゆっくりと顔を上げると、エリュシアと視線がぶつかった。

 女神の瞳は、じっとこちらを探るような光を宿している。

「たしかに、あのときは……すごく、辛かったです。
 “どうして私ばっかり”って、思いました」

 認めると、胸の奥がじくじくした。

「何回も、“いけなかったのかな”って、自分に聞きました。
 謝らないといけない人、いっぱいいる気がして」

「そうね」

 エリュシアは否定しない。

 それでも、ユナは続けた。

「でも、さっき……ここに来る前、女神さまが見せてくれた孤児院の景色、見て思ったんです」

 声が、少しだけ震えながらも前に進む。

「先生たちや、子どもたち――私に“助かったよ”“ありがとう”って言ってくれた人たちがいて。
 オルフェリア侯爵家でも、クラリスさんとか、厨房のみんなとか、優しくしてくれた人もいて。

 それに……」

 ふっと、胸の奥が温かくなる感覚があった。

 雨の中で「ごめんなさい」と繰り返したとき。
 最後の最後にこぼれそうになった本音。

「誰かの役に立てた瞬間のことを思い出すと、まだ――私、ここにいてもいいのかな、って思えるんです」

 自分で言って、少し照れくさい。

「だから、その……」

 ユナは、握った拳をぎゅっと膝の上で丸めた。

「あの屋敷を恨んで、そこばっかり見て生きるよりは。

 恨むより……誰かの役に立てる場所が、欲しいです」

 言いながら、目の端に涙が溜まる。

「私が“いらない”って言われた場所のこと、ずっと抱えて生きていくより。
 “いてくれて良かった”って言ってもらえる場所を、もう一回探したいです」

 ぽたり、と雫が落ちる。

 泉じゃない。
 地面でもない。

 ユナの頬からこぼれた涙が、手の甲に落ちて、じんわりと広がった。

「うまく言えないですけど……」

 声がかすれていく。

「恨んだままだと、きっと、笑えなくなるから。
 笑えなくなったら、誰かの隣に座っても、安心させてあげられなくなるから。

 それが、いちばん嫌なんです」

 言い終えた瞬間。

 森の空気が、すっと変わった。

 風が、柔らかく葉を揺らす。
 泉の水面に、小さな波紋がいくつも広がる。

 エリュシアは、しばらく何も言わなかった。

 月の光を背負ったまま、じっとユナを見つめている。
 その瞳の奥で、何かが大きく揺れているのが分かった。

「……ほんと、ずるいわね、あなた」

 ようやく口を開いた女神の声は、かすかに掠れていた。

「え?」

「恨んでくれた方が、楽なのに」

 エリュシアは、ため息まじりに笑う。

「“あの屋敷なんて滅びればいいのに”って言ってくれたら、私は喜んで落雷の一つや二つ落としたのに」

「それは、それで大惨事なのでやめてください」

 思わず突っ込むと、エリュシアの表情がふわっと緩んだ。

「人間は、傷つけられたら傷つけ返すものだと思ってた。
 恨みを数えて、生きる理由にして、世界を呪うって」

 その言い方は、どこか他人事じゃない。

 もしかしたら、この女神も昔、そういう生き方をしたことがあるのかもしれない――と、ユナはぼんやり思う。

「なのにあなたは、そこから目を逸らして、“誰かの役に立てる場所が欲しい”なんて言う」

 エリュシアは、ゆっくりと手を伸ばした。

 今度は、頬じゃなくて、胸のあたり。

 ユナの心臓の上に、そっと掌を重ねる。

「そんなの……放っておけるわけ、ないじゃない」

 その一言には、女神としてじゃなく、ひとりの“女”としての感情が詰まっていた。

「あなたのそういうところが、私は大嫌いで――大好きなのよ」

「感情が忙しいですね、女神さま」

「うるさいわね」

 言いながらも、エリュシアは微笑んでいる。

 その笑みは、さっきよりずっと近くて、少しだけ切なかった。

「決めた」

 ぽつりと、エリュシアが言う。

「ユナ・アークレット。

 あなたに、正式に“私の加護”を授ける」

「授ける……?」

「今までは、ただの“片鱗”だった。
 あなたが自分で選んで、自分で傷ついて、自分で誰かを守ろうとしていたから、私は遠くから“ちょっとだけ手伝う”ことしかできなかった」

 視線が絡む。

「でももう、遠くから眺めてるだけなんて、我慢できそうにないから」

 エリュシアは、ユナの胸の上に置いた掌に、少しだけ力を込めた。

 その瞬間。

 ユナの体の奥で、何かがふっと灯った。

 冷たい雨で固まっていた心が、じわじわ溶け始めるような感覚。

「ここから先は――」

 女神の声が、静かに沈んだ。

「あなたが“女神の娘”として生きるか、“ただのメイド”として記憶を捨てて眠り続けるか。
 どちらかを、ちゃんと選んでもらうわ」

 突きつけられた選択。

 でも、その答えは。

 ユナ自身の中で、もうとっくに決まり始めていた。

 泉に映る月が、ふたりの影をゆらゆらと揺らしながら、静かに見守っていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

大自然を司る聖女、王宮を見捨て辺境で楽しく生きていく!

向原 行人
ファンタジー
旧題:聖女なのに婚約破棄した上に辺境へ追放? ショックで前世を思い出し、魔法で電化製品を再現出来るようになって快適なので、もう戻りません。 土の聖女と呼ばれる土魔法を極めた私、セシリアは婚約者である第二王子から婚約破棄を言い渡された上に、王宮を追放されて辺境の地へ飛ばされてしまった。 とりあえず、辺境の地でも何とか生きていくしかないと思った物の、着いた先は家どころか人すら居ない場所だった。 こんな所でどうすれば良いのと、ショックで頭が真っ白になった瞬間、突然前世の――日本の某家電量販店の販売員として働いていた記憶が蘇る。 土魔法で家や畑を作り、具現化魔法で家電製品を再現し……あれ? 王宮暮らしより遥かに快適なんですけど! 一方、王宮での私がしていた仕事を出来る者が居ないらしく、戻って来いと言われるけど、モフモフな動物さんたちと一緒に快適で幸せに暮らして居るので、お断りします。 ※第○話:主人公視点  挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点  となります。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

普段は地味子。でも本当は凄腕の聖女さん〜地味だから、という理由で聖女ギルドを追い出されてしまいました。私がいなくても大丈夫でしょうか?〜

神伊 咲児
ファンタジー
主人公、イルエマ・ジミィーナは16歳。 聖女ギルド【女神の光輝】に属している聖女だった。 イルエマは眼鏡をかけており、黒髪の冴えない見た目。 いわゆる地味子だ。 彼女の能力も地味だった。 使える魔法といえば、聖女なら誰でも使えるものばかり。回復と素材進化と解呪魔法の3つだけ。 唯一のユニークスキルは、ペンが無くても文字を書ける光魔字。 そんな能力も地味な彼女は、ギルド内では裏方作業の雑務をしていた。 ある日、ギルドマスターのキアーラより、地味だからという理由で解雇される。 しかし、彼女は目立たない実力者だった。 素材進化の魔法は独自で改良してパワーアップしており、通常の3倍の威力。 司祭でも見落とすような小さな呪いも見つけてしまう鋭い感覚。 難しい相談でも難なくこなす知識と教養。 全てにおいてハイクオリティ。最強の聖女だったのだ。 彼女は新しいギルドに参加して順風満帆。 彼女をクビにした聖女ギルドは落ちぶれていく。 地味な聖女が大活躍! 痛快ファンタジーストーリー。 全部で5万字。 カクヨムにも投稿しておりますが、アルファポリス用にタイトルも含めて改稿いたしました。 HOTランキング女性向け1位。 日間ファンタジーランキング1位。 日間完結ランキング1位。 応援してくれた、みなさんのおかげです。 ありがとうございます。とても嬉しいです!

編み物好き地味令嬢はお荷物として幼女化されましたが、えっ?これ魔法陣なんですか?

灯息めてら
恋愛
編み物しか芸がないと言われた地味令嬢ニニィアネは、家族から冷遇された挙句、幼女化されて魔族の公爵に売り飛ばされてしまう。 しかし、彼女の編み物が複雑な魔法陣だと発見した公爵によって、ニニィアネの生活は一変する。しかもなんだか……溺愛されてる!?

【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】 佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。 新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。 「せめて回復魔法とかが良かった……」 戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。 「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」 家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。 「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」 そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。 絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。 これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。

身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」 魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。 鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。 (な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?) 実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。 レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。 「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」 冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。 一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。 「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」 これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。

辺境薬術師のポーションは至高 騎士団を追放されても、魔法薬がすべてを解決する

鶴井こう
ファンタジー
【書籍化しました】 余分にポーションを作らせ、横流しして金を稼いでいた王国騎士団第15番隊は、俺を追放した。 いきなり仕事を首にされ、隊を後にする俺。ひょんなことから、辺境伯の娘の怪我を助けたことから、辺境の村に招待されることに。 一方、モンスターたちのスタンピードを抑え込もうとしていた第15番隊。 しかしポーションの数が圧倒的に足りず、品質が低いポーションで回復もままならず、第15番隊の守備していた拠点から陥落し、王都は徐々にモンスターに侵略されていく。 俺はもふもふを拾ったり農地改革したり辺境の村でのんびりと過ごしていたが、徐々にその腕を買われて頼りにされることに。功績もステータスに表示されてしまい隠せないので、褒賞は甘んじて受けることにしようと思う。

婚約破棄された「無能」聖女、拾った子犬が伝説の神獣だったので、辺境で極上もふもふライフを満喫します。~捨てた国が滅びそう?知りません~

ソラ
ファンタジー
「エリアナ、貴様との婚約を破棄し、この国から追放する!」 聖女としての魔力を使い果たし、無能と蔑まれた公爵令嬢エリアナ。 妹に婚約者を奪われ、身一つで北の最果て、凍てつく「死の森」へと捨てられる。 寒さに震え死を覚悟した彼女が出会ったのは、雪に埋もれていた一匹の小さなしっぽ。 「……ひとりぼっちなの? 大丈夫、私が温めてあげるわ」 最後の手向けに、残されたわずかな浄化の力を注いだエリアナ。 だが、その子犬の正体は――数千年の眠りから目覚めた、世界を滅ぼす伝説の神獣『フェンリル』だった! ヒロインの淹れるお茶に癒やされ、ヒロインのブラッシングにうっとり。 最強の神獣は、彼女を守るためだけに辺境を「極上の聖域」へと作り替えていく。 一方、本物の聖女(結界維持役)を失った王国では、災厄が次々と降り注ぎ、崩壊の危機を迎えていた。 今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくる王子たち。 けれど、エリアナの膝の上には、甘えん坊の神獣様(執着心MAX)が陣取っていて――。 「聖女の仕事? いえ、今は神獣様とのお昼寝の方が忙しいので」 無自覚チートな聖女と、彼女にだけはデレデレな神獣様による、逆転溺愛スローライフが幕を開ける!

処理中です...