平凡メイドの私が追放された結果、女神の加護を独占して国が騒然

タマ マコト

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第14話「真実の香が暴く罪」

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 王宮の大広間は、朝からざわめいていた。

 高い天井には紋章入りの旗がいくつも掲げられ、壁には歴代の王の肖像画が並んでいる。
 光を受けてきらめくシャンデリア。
 磨き上げられた床。

 今日は祝宴でも舞踏会でもない。

 ――“女神の祝福の顕現”と、“その器の確認”のための、半ば臨時の公式の場。

 王族、重臣、各家の当主、神殿の代表。
 そこに、やや場違いなほど素朴な少女が、一人立たされていた。

 ユナ・アークレット。

 胸の前で手を揃え、慣れないドレスの裾を踏まないように気をつけながら、必死に背筋を伸ばしている。

(帰りたい……じゃない、逃げたい……)

 心の中で小さく駄々をこねながらも、顔には出さない。

 髪は王宮の侍女に整えられ、淡いクリーム色のワンピースドレスを着ている。
 レースも装飾も控えめで、「客人」としての立場にふさわしい、地味すぎず派手すぎない恰好。

 それでも、周囲の貴族令嬢たちの煌びやかな衣装と比べれば、彼女はどうしても“異物”だった。

 視線が、突き刺さる。

 好奇心。
 懐疑。
 嫉妬。

 それらが混ざった匂いが、まるで霧のように広がっている。

(匂い、濃いなあ……)

 《真実の香》は、容赦なくユナの鼻腔に感情の色を届けてくる。

 湿った土。
 鉄。
 そして、ところどころに咲いている、小さな花の香り。

(花の香り……クラリスさんたちかな)

 使用人席の方を見ると、何人か知った顔がこちらを見ていた。

 オルフェリア侯爵家で一緒に働いていた年長メイドのクラリス。
 厨房の少年だったリオとマルク。

 彼らは、緊張しながらも、どこかほっとしたような目をしていた。

 その視線だけが、ユナの心を少しだけ落ち着かせてくれる。



 高い壇上。

 国王と王妃、その少し横に王太子ルシアンが座っている。

 ルシアンの顔色は、以前よりずっと良くなっていた。

 まだ完全ではない。
 けれど、目の奥にははっきりした光が戻っている。

 その視線が、時折ユナに向く。

 それだけで、胸の奥の不安が少し溶けた。

(大丈夫、大丈夫。

 私は、ここにいる理由があるって、殿下が言ってくれた)

 あの言葉を何度も反芻する。

 王族席の反対側には、神殿の代表――巫女長セラフィナと数人の巫女たちが並んでいた。

 セラフィナは静かな目でユナを見ている。

 そこにあるのは、監視でも嫉妬でもない。

 ただ、「見届ける」という責任の光。

 ディランは、王宮騎士たちの列の最前列に立っていた。

 腕を組み、無表情を装っているが、その実、目は常に周囲とユナを見張っている。

(ちょっとでも暴走したら止めに走ります、って顔だ……)

 心の中で苦笑する。

 そんな中。

 控えの侍従が、声を張り上げた。

「――オルフェリア侯爵家、ご入場」

 低いざわめきが、波紋のように広がった。

 ユナの胸が、ぎゅっと縮む。

(来た……)

 大広間の扉が、ゆっくりと開く。

 そこから現れたのは――

 オルフェリア侯爵夫妻と、その一人娘エレナ。

 侯爵は、相変わらず威厳ある顔つきをしている。
 侯爵夫人は華やかなドレスに身を包み、薄く微笑んでいた。

 そしてエレナは。

 完璧だった。

 乱れ一つない金の髪。
 宝石をちりばめた淡いブルーのドレス。
 柔らかな笑み。

 遠目から見れば、誰もが「さすがオルフェリア家の令嬢」と感嘆するだろう。

 ……なのに。

 ユナの鼻先には、はっきりと鉄の匂いが届いていた。

 錆びついた鉄。

 嫉妬と怒りと、こじれたプライド。

 それが、エレナの周囲の空気にしつこくまとわりついている。

(前より……濃くなってる)

 ユナは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。

 懐かしさと、怖さと、申し訳なさと。
 いろんな感情が同時に押し寄せてくる。

 エレナは、彼女を一瞥した。

 視線が触れ合う。

 一瞬だけ、感情の塊がぶつかるような衝撃があった。

 でも、エレナはすぐに表情を整え、にこりと「社交界の笑顔」を浮かべた。

(あの笑い方……)

 ユナは、胸の奥がきゅっとなる。

 あの笑顔の下に隠されている本音を、自分は知っている。

 そして今は、《真実の香》が、それをさらに鮮明にしてしまう。



 儀礼的な挨拶がひと通り済んだあと。

 国王が、重々しく口を開いた。

「本日の議題は、“女神エリュシアの祝福の顕現”と、その器であるユナ・アークレットの扱いについてである」

 ざわめきが、一瞬で静まり返る。

 王の声は、その場にいる誰よりも重く響いた。

「女神自ら“私が祝福したのはユナ・アークレット、ただ一人”と宣告された。

 この事実を、王家も神殿も無視できぬ」

 セラフィナが静かに頷く。

「しかし同時に――」

 国王の視線が、オルフェリア侯爵家へ向けられる。

「この娘は、つい最近まで、ある侯爵家で“不吉な存在”として扱われていたとも聞く」

 空気の温度が、ほんの少し下がった。

 オルフェリア侯爵は、顔色を変えずに一歩前に出る。

「陛下、その件につきましては、誠に遺憾に存じております」

 遺憾。

 便利な言葉だ、とユナは思う。

「当家にてユナ・アークレットを“追放”という形で手放したのは事実。

 ですがそれは、当時の状況と情報に基づいた判断であり――決して、悪意からではございません」

 柔らかな言葉の下で、鉄の匂いが微かに揺れた。

 完全な嘘、というわけではない。

 自分なりに、そう信じている部分もある。

 だが、そこに「面倒事を避けたい」という打算も混ざっているのを、《真実の香》はちゃんと嗅ぎ分けていた。

 エレナが、その隣で優雅に一礼する。

「ユナとは……少し、行き違いがあっただけなのです」

 甘く澄んだ声。

 社交界で培われた完璧なトーン。

 大広間のあちこちから、「さすがオルフェリアの令嬢」とでも言いたげな視線が送られた。

 だが――

 ユナの周りの空気が、重く変わった。

 鉄。

 湿った土。

 エレナの口から言葉が出るたびに、鉄の匂いがぶわっと強まる。

 それは、ユナの鼻先だけでなく、周囲の人間にも届き始めていた。

「……なんか、ここ、空気がきつくないか?」

 貴族席の一角で、誰かが小さく呟く。

「香の焚きすぎじゃ……いや、違うな」

 説明のつかない「不快感」が、じわじわと広がる。

「ユナは、少し不器用で、誤解されやすいところがありました。

 私も、ついきつく当たってしまって……。

 でも、本当に憎んでいたわけではないんです。ええ、本当に」

 エレナは、申し訳なさそうに目を伏せてみせた。

 その芝居がかった仕草に、周囲の貴族たちの何人かは同情の目を向ける。

「まあ……令嬢と下級メイドの行き違いなんて、どこにでもあることだ」
「そうだな。女神の器になったからといって、過去を掘り返すのも……」

 そんな囁きが漏れ始める。

 だが、そのたびに――鉄の匂いがさらに濃くなった。

 錆びついた鎖を無理やり引きずるような、重くて嫌な匂い。

(うっ……)

 ユナは思わず眉をしかめる。

 自分の加護のせいで、誰も気づかなかった「本音」が、全部現実の空気として可視化されている。

 嘘。
 美化。
 自己正当化。

 それらが、灰色のもやみたいにエレナの周囲に漂っているのが、見えるような気さえした。

 ルシアンが、わずかに目を細める。

 隣のディランが、小声で呟いた。

「……来てるな」

 ルシアンは、彼の言葉に小さく頷いた。

 彼らはもう、《真実の香》の意味を知っている。

 嘘は湿った土。
 嫉妬と憎しみは鉄。

 今、この場でただ一人、露骨に鉄の匂いを撒き散らしている人物が誰なのか――理解するのは難しくない。

 セラフィナも、同じように眉を寄せていた。

「オルフェリア令嬢」

 巫女長が穏やかに声をかける。

「あなたは、ユナ・アークレットに対して、“本当に”どのような感情を抱いていたのですか」

「本当に、とは?」

 エレナは、笑顔を崩さない。

「彼女のことは……そうですね、“妹のように思っていました”と言えばよいでしょうか。

 未熟で、不器用で、時々問題も起こしてしまうけれど、放っておけない……そんな存在でした」

 鉄の匂いが、爆発しそうなほど濃くなった。

 もはや、ユナの周囲だけではない。

 近くにいた貴族たちが顔をしかめる。

「……変な味、しないか?」
「口の中が鉄っぽい……」

 説明できない違和感。

 その中心にいるのは、他でもないエレナだ。

 セラフィナは、静かに息を吐いた。

「――ユナ・アークレット」

 今度は、彼女がユナの名を呼ぶ。

「あなたの力は、“香り”として真実を映し出すのでしたね」

 部屋の視線が、ユナに集まる。

 喉が、からからに乾く。

「はい……」

 小さく頷いた。

「今、この場に漂っている香り――

 オルフェリア令嬢の言葉と、どのように結びついているか。

 あなたの感じていることを、話してもらえますか」

 その問いは、優しくて残酷だった。

 エレナの顔が、わずかに強張る。

「巫女長様、それは……」

 侯爵が口を挟もうとする。

 が、その前にルシアンが静かに手を上げた。

「僕からも、お願いしたい」

 王太子の声。

 その場の誰もが、口を閉ざす。

「ユナ」

 ルシアンは、まっすぐに彼女を見つめた。

「君の見ているものを、教えてほしい」

「……私の、見ているもの」

 ユナは、自分の胸の内に目を向ける。

 エレナの言葉。

 そのたびに強まる鉄の匂い。

 “妹のように思っていた”。

 “行き違いがあっただけ”。

 それらが、どれほど嘘で塗り固められているか。

(言ったら、全部壊れる)

 オルフェリア家と、自分の昔の居場所と。

 でも――


「……話します」

 ユナは、小さく息を吸ってから言った。

 エレナの視線が、鋭く刺さるのを感じる。

 侯爵夫人が、扇で口元を隠した。

「私の力は、“誰が何を考えているか”を全部当てるものではありません。

 でも……感情が、匂いとして伝わってきます」

 言葉を選びながら、ゆっくりと。

「嫉妬は鉄。

 嘘は湿った土。

 誰かを想う優しい気持ちは、花の香りです」

 大広間の空気が、静かに変わっていく。

「さっきから……エレナ様の周りには、鉄と湿った土の匂いが、とても濃く漂っています」

 エレナの肩がぴくりと震えた。

「“妹のように思っていた”と言われたときも。

 “行き違いがあっただけ”と言われたときも。

 花の香りは、ひとつも混ざっていませんでした」

 ざわめき。

 それは、誰かを貶めるための暴露じゃない。

 ただの事実。

 でも、その事実は、エレナのつくろった物語を簡単に崩してしまう。

 ユナは、指先をぎゅっと握る。

「私は……エレナ様が、私を好いていないことくらい、分かっていました。

 でも、“私が悪いからだ”って、ずっと思ってたんです」

 あの日々が、胸によみがえる。

 呼びつけられ、やり直しを命じられ、冷たい言葉を投げられたこと。

 それでも、「私が不器用だから」「私が鈍いから」と自分を責めていた。

「洗濯物に落ちないシミがつけられていたときも。

 私のせいじゃないミスを押しつけられたときも。

 あの、応接室で“ユナは不吉な存在かもしれない”と言われたときも」

 喉が、きゅっと締まる。

 でも、言葉は止まらない。

「私は、“反論したら、もっと迷惑になる”って思って、黙ってました。

 全部、自分が我慢すればいいって……」

 花の香りが、ふわりと広がる。

 それは、クラリスたちの感情。

 「ごめんね」と、「そうだった」と、「やっと言ってくれた」という安堵が混ざっている。

 エレナの周りの鉄の匂いは、さらに濃くなっていた。

「でも、今は違う場所にいます。

 殿下や、ディラン様や、神殿の方々が、“私の力”を信じてくれて、ここまで連れてきてくれました」

 ユナは、ルシアンを一瞬見やった。

 彼は静かに頷く。

「だから……今度は、黙りたくありません。

 また誰かが、“不吉”って言われて捨てられるのを、見たくないです」

 声が、震えながらも、まっすぐだった。

 沈黙。

 その沈黙を破ったのは――使用人席からの、おずおずとした声だった。

「……あたしからも、いいですか」

 クラリスだった。

 年長のメイド。

 オルフェリア家で長年働いてきた、あの穏やかなおばさん。

 今日は、王宮に呼ばれているとはいえ、地味な制服姿だ。

 それでも、その背筋はまっすぐだった。

「クラリス……!」

 侯爵夫人が驚いたように名前を呼ぶ。

 クラリスは一礼してから、口を開いた。

「ユナの言ってることは、本当です。

 あの子が屋敷にいた頃……妙な嫌がらせや、理不尽な叱責が、何度もありました」

 鉄の匂いが、クラリスの周りでは薄くなる。

 代わりに、少しだけ湿った土と花の混じった匂い。

(“全部守ってあげられなかった”って、自分を責めてる匂いだ……)

 ユナは胸が痛くなる。

「エレナ様は……もちろん、表向きは完璧な令嬢でした。

 でも、ユナが誰かに笑顔を向けられるたびに、じっと睨んでおられたのを、あたしは何度も見ました」

「クラリス!」

 侯爵夫人が立ち上がる。

「それは、ただのあなたの印象でしょう!」

「いいえ」

 今度は、別の声が重なった。

 厨房のリオが、緊張で声を裏返しながらも、必死に言葉を絞り出す。

「おれも見ました……。

 ユナがディラン様にパン持ってったときも、その後、エレナ様が怖い顔して睨んでて……」

「リオ、やめなさい!」

 別の厨房係が止めようとする。

 が、その声は別の証言にかき消された。

「私もです!

 ……ユナがいなくなった日の夜、ミレイユ様が、エレナ様と一緒に“これで屋敷は静かになるわね”って笑ってるのを、見てしまいました」

 若い侍女。

 彼女の周りに、湿った土の匂いが少し濃くなる。

 黙っていた罪悪感。

 今、勇気を振り絞っている匂い。

 鉄の匂いが、エレナの周囲でさらに濃くなる。

 もはや、周囲の人間もはっきりと感じていた。

 口の中に、錆びた鉄を含んだような不快感。

 目に見えないはずの匂いが、「ここに嘘がある」と告げているかのようだ。

「やめて……」

 エレナが、小さく呟いた。

 完璧な笑顔が、ひび割れていく。

「やめてよ……そんなの、嘘よ。

 全部、ユナが……」

 「不吉な存在」だと言いかけて、彼女は口をつぐんだ。

 その言葉が、もう通用しないと、本能で分かってしまったから。

 ルシアンが、静かに口を開く。

「オルフェリア令嬢」

 その声には、王太子としての威と、一人の人間としての怒りが混ざっていた。

「あなたがどのような事情や感情を抱えていたとしても。

 “自分が傷つきたくない”という理由で、他人を不吉だと決めつけて捨てていいわけではありません」

 エレナの唇が震える。

 目には涙が溜まりかけている。

 だが、その涙は、悔悟よりも「自分が責められていること」へのショックの方が強かった。

「私は……私はただ、“ふさわしい娘”になりたかっただけなの……」

 かすれた声。

「女神様に、認めて欲しかっただけなのよ」

 その叫びに、セラフィナが静かに応じた。

「“ふさわしい”かどうかを決めるのは、あなたではありません。

 そして、女神はもう決めておられます」

 ユナ・アークレット。ただ一人。

 その宣告は、エレナにとって最も残酷な真実だった。

 彼女の周りに漂う鉄の匂いは、もはや錆びた鎖ではなく――折れかけた刃物の匂いに近かった。

 自分も他人も傷つけかねない、危うい鋭さ。

 国王が、重く口を開いた。

「オルフェリア侯爵」

「……は」

 侯爵は、額に汗を浮かべながら、頭を下げる。

「お前の屋敷で起きていたこと――

 それは、“不吉なメイド”のせいではなく、“人の心の弱さと醜さ”が生んだものだったようだな」

「……返す言葉もございません」

 侯爵の唇がわずかに震える。

 その周りに漂う匂いは、湿った土と、少しの花。

 完全な開き直りではない。

 少なくとも、今この瞬間、彼は自分の責任を半分は認めている。

「ユナ・アークレット」

 今度は、国王がユナの名を呼ぶ。

 ユナは、びくりとしてから、慌てて頭を下げた。

「は、はいっ」

「お前は、オルフェリア侯爵家に対して、いかなる処罰を望むか」

「えっ」

 想定していなかった問いに、頭が真っ白になる。

(処罰……?)

 エレナの顔。

 侯爵夫妻の顔。

 クラリスたちの顔。

 全部が一気に脳裏を駆け巡った。

 復讐。

 ざまぁ。

 この場でオルフェリア家が恥をかく様を、心のどこかで期待している人もいる。

 鉄の匂いが、あちこちで揺れた。

 でも、ユナの胸からは――ふわりと花の香りが広がった。

(私が……望むこと)

 目を閉じる。

 女神エリュシア。

 あの泉で、自分に言ってくれた言葉。

『恨まないなら、それでいい。

 ただ、あなたはもう黙って飲み込むだけの子じゃなくていいのよ』

 ユナは、ゆっくりと顔を上げた。

「処罰は……陛下と、神殿の方々にお任せします」

 その答えに、ざわめきが走る。

「私は、この場で“真実がちゃんと見られた”なら、それで十分です」

 ユナは、エレナたちを見た。

 責める目ではなく、逃げない目で。

「私が黙っていたことで、あの日、間違った判断がされました。

 だから今日は、黙らないと決めていました。

 でも、これ以上誰かを傷つけることを、自分の口で望みたいわけじゃないです」

 鉄の匂いが、少しだけ薄くなった。

 周囲の花の香りが、静かに広がる。

 国王は、しばらくユナを見つめ、それから小さく頷いた。

「……分かった」

 その一言に、この場の空気が大きく息をついた。

「オルフェリア侯爵家については、王家と神殿で改めて調査を行う。

 その結果に基づいて、相応の処分を下すこととする」

「謹んで……お受けいたします」

 侯爵は、深く頭を垂れた。

 その背中には、名門としての誇りと、ひび割れかけた威厳と、かすかな後悔が同居していた。

 エレナは、何も言えなかった。

 膝から力が抜けかけている。

 それでも、ギリギリのところで立ち続けているのは、プライドゆえか、それとも……。

 ユナは、その姿を見て、胸が少しだけ痛んだ。

(エレナ様……)

 鉄の匂いの奥に、ほんのかすかに、花の香りと湿った土が混ざっていた。

 嫉妬と自己愛とプライドの塊の中に、少しだけ残っている、何か。

 それが何なのかは、まだ分からない。

 ただ――

 《真実の香》は、完全な「真っ黒」ではない色を、そこに感じていた。



 儀式のような場は、ゆっくりと終わりに向かう。

 人々は、それぞれの思惑と匂いを胸に抱えて、大広間を後にした。

 ルシアンは、その場に残ったユナに歩み寄った。

「よく……話してくれましたね」

 その声には、心からの労いがこもっていた。

「喉、乾いてませんか? 後で蜂蜜入りのハーブティーでも」

「あ、ほしいです……」

 力が抜けて、ユナは思わず素の声を出してしまう。

 ディランが、少し離れたところからぽん、と親指を立てた。

「言うべきとこで言えたな。

 偉いぞ、ユナ」

「子ども扱いしないでください……」

 口を尖らせながらも、その言葉に少し救われる。

 胸の奥で、エリュシアの気配が静かに揺れた。

 聞こえないはずの声が、ほんの少しだけ耳の奥をくすぐる気がする。

(見ててくれましたか、女神さま)

 ユナが心の中でそっと問いかけると、

 大広間のどこからともなく、ほんの一瞬だけ、優しい風が頬を撫でた。

 それは、まるで――

 「よくやったわね」と言われているみたいな、春の風だった。
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「エリアナ、貴様との婚約を破棄し、この国から追放する!」 聖女としての魔力を使い果たし、無能と蔑まれた公爵令嬢エリアナ。 妹に婚約者を奪われ、身一つで北の最果て、凍てつく「死の森」へと捨てられる。 寒さに震え死を覚悟した彼女が出会ったのは、雪に埋もれていた一匹の小さなしっぽ。 「……ひとりぼっちなの? 大丈夫、私が温めてあげるわ」 最後の手向けに、残されたわずかな浄化の力を注いだエリアナ。 だが、その子犬の正体は――数千年の眠りから目覚めた、世界を滅ぼす伝説の神獣『フェンリル』だった! ヒロインの淹れるお茶に癒やされ、ヒロインのブラッシングにうっとり。 最強の神獣は、彼女を守るためだけに辺境を「極上の聖域」へと作り替えていく。 一方、本物の聖女(結界維持役)を失った王国では、災厄が次々と降り注ぎ、崩壊の危機を迎えていた。 今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくる王子たち。 けれど、エリアナの膝の上には、甘えん坊の神獣様(執着心MAX)が陣取っていて――。 「聖女の仕事? いえ、今は神獣様とのお昼寝の方が忙しいので」 無自覚チートな聖女と、彼女にだけはデレデレな神獣様による、逆転溺愛スローライフが幕を開ける!

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