平凡メイドの私が追放された結果、女神の加護を独占して国が騒然

タマ マコト

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第15話「ざまぁの瞬間と、新しい立場」

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 宣告の場は、朝よりも重く沈んでいた。

 同じ王宮の大広間。
 同じ天井の高さ。
 同じシャンデリア。

 でも、今この空間を満たしているのは、音楽でも笑い声でもなく――張り詰めた緊張と、誰かの破滅を予感するざわめきだった。

 王族席。

 国王が玉座に腰掛け、その隣に王妃。
 少し下がった席に、王太子ルシアン。

 神殿側からは巫女長セラフィナと、数名の巫女たち。
 騎士団長ディランは、いつでも動けるよう前列に立っている。

 その中央に、告げられる運命を待つ者たちがひざまずいていた。

 オルフェリア侯爵家。

 侯爵。
 侯爵夫人。
 そして令嬢エレナ。

 昨日まで「名門」と呼ばれていた家族が、今はひとつの被告のように扱われている。

 石畳の上に突き刺さる視線。
 それは、容赦がなかった。



「――事実関係は、王家と神殿の共同調査により、ほぼ明らかとなった」

 国王の声が、静かに広間に落ちた。

 昨日の証言から一夜。

 王家直属の監査官と、神殿の巫女による聴取が、オルフェリア家の屋敷で徹夜で行われていた。

 帳簿。
 使用人の証言。
 取引先からの報告。

 そのどれもが、「不吉なメイド」の存在ではなく、「屋敷の中の歪み」を指し示していた。

「王都での評判の悪化、取引先との破談。

 使用人への不当な扱い、内部での横領の見逃し。

 そして、女神の祝福を宿す娘を“不吉な存在”と決めつけ、追放処分にしたこと――」

 国王は、一つひとつ言葉を区切る。

 そのたびに、侯爵の肩が小さく震えた。

「侯爵、何か弁明はあるか」

 問いに、オルフェリア侯爵は顔を上げる。

 その表情には、疲労と屈辱と、微かな悔しさが混ざっていた。

「……いいえ、陛下。

 家の長として、全ては私の責任。

 当時の判断が、浅はかであったことは否定いたしません」

 湿った土の匂いと、少しの花の香りが混ざる。

(……ちゃんと、自分の非を認めてる)

 ユナは、少しだけ胸が痛んだ。

 彼は最低な人間ではなかった。
 ただ、“面倒事を嫌う大人”で、ちゃんと見るべきものを見ようとしなかった。

 そのツケを、今払っている。

「しかし……」

 侯爵は、続けた。

「娘に関しては……どうか、多少の酌量を――」

「酌量?」

 国王の声が一段低くなる。

 その横で、ルシアンがわずかに目を伏せた。

 昨日の「真実の香」によって露わになったエレナの行為。

 嫉妬に駆られ、いじめを主導し、嘘を重ね、挙げ句の果てに「不吉」と断じて追放を促した令嬢。

 それを「少しの行き違い」で済ませるには、もう遅すぎた。

「巫女長」

 国王は視線をセラフィナに向ける。

「女神エリュシアの祝福と、その器に対する扱いについて、神殿の見解を聞こう」

「はい」

 セラフィナは席から立ち上がった。

 白い衣が、音もなく揺れる。

「女神エリュシアは、ご自分でお決めになりました。

 “私が祝福したのはユナ・アークレット。ただ一人”と」

 その宣告が、再び場の空気を震わせる。

「祝福の器を“不吉”と断じ、追放した行為は、女神の意思に反するものです」

 セラフィナの声は静かだが、その奥にしっかりした怒りが宿っていた。

「神殿としても、このまま見過ごすわけにはいきません」

 侯爵夫人が、ハッと顔を上げる。

「で、ですが……それは結果論であって、当時は誰もユナが女神の器だと知らず……」

「知らなかったとしても――」

 セラフィナは、侯爵夫人の言葉をぴしゃりと遮った。

「弱き者を“不吉”と決めつけ、罪を押しつけ、切り捨てる行為が正当化されることはありません」

 花の香りが、ユナの周りで静かに広がる。

 それは、セラフィナ自身の感情の匂いだった。

(この人、私のこと……本気で守ろうとしてくれてる)

 そう思った瞬間、胸がじんわりと温かくなる。



「その上で――」

 国王は、冷静な目をオルフェリア家に向けた。

「王家としての処遇を告げる前に。

 ユナ・アークレットに、最後に確認しておきたいことがある」

「……私、ですか」

 いきなり名前を呼ばれて、ユナはびくりとした。

 大広間の視線が、一斉に彼女へ向かう。

 喉がからからだ。

(今日、何回“皆の前で話す”イベントあるの……)

 心の中で半泣きになりながらも、前へ一歩出る。

 国王の視線は、先ほどより柔らかくなっていた。

「昨日、お前は“処罰は王家と神殿に任せる”と言ったな」

「はい……」

「それは今も変わらないか。

 オルフェリア家を、どう“して欲しい”と望むか――心からの願いを、もう一度聞いておきたい」

 国王の問いは、ただの儀礼ではない。

 “女神の器”となった娘が、どういう感情を抱いているのか。

 それを確かめることは、この先の国と神殿の在り方にも関わる。

(私の……願い)

 ユナは、オルフェリア家を見た。

 侯爵。
 侯爵夫人。
 そしてエレナ。

 エレナは、唇を噛んだまま、何かに耐えるように俯いている。

 彼女の周りの鉄の匂いは、昨日よりさらに濃くなっていた。

 プライドと嫉妬と、自分でも持て余している怒り。

 それが、錆びついた刃物みたいに空気を切り裂いている。

(本当は……)

 ざまぁ、って思いたい気持ちも、ゼロじゃない。

 あの日の雨。
 冷たい言葉。
 「不吉」と決めつけられたあの瞬間の、どうしようもない痛み。

 全部思い出せば、“見返してやった”と言いたくもなる。

 けれど――

 ユナは、胸に手を当てた。

(でも、私が望むのは……)

「……二度と、同じことを繰り返さないでほしいです」

 静かに言葉が落ちた。

 国王が、わずかに目を細める。

「“不吉な存在”だとか、“運が悪いから”とか、そんな言葉で誰かを捨てることを、しないでほしい。

 それだけ……です」

 それは、復讐でも赦しでもない。

 ただの、願い。

 花の香りが、一気に広間に広がった。

 ルシアンの胸からも。
 ディランの胸からも。
 クラリスたちの胸からも。

 セラフィナは、目を閉じて、その香りを受け止めた。

(やはり――女神は、よく見ておられる)

 心の中で小さく呟く。

 もしこの娘が、「もっと苦しめてほしい」と願うタイプだったなら。

 女神は、器として選ばなかっただろう。



「オルフェリア侯爵家」

 国王が、改めて名を呼ぶ。

 その声には、決定の重みが宿っていた。

「王家と神殿の協議の結果――

 お前たちの処遇を、以下のように決定する」

 大広間の空気が、ぴん、と張り詰める。

「一つ。

 オルフェリア家の爵位は、侯爵より伯爵へと格下げとする」

 ざわめき。

 侯爵の顔から血の気が引いた。

 名門オルフェリア侯爵家。

 王都でも指折りの家柄が――一段階、下へ落とされる。

 それは、単なる名誉の問題ではない。

 政治的な発言力も、扱いも、全てが変わる。

「二つ。

 王都に所有している屋敷および資産の大部分は没収し、王家管理とする。

 代わりに、地方の一領地を与え、そこでの生活を命じる」

 事実上の追放。

 王都から、社交界から、中心から、遠ざけられる。

 侯爵夫人が、小さく悲鳴を上げた。

「そ、そんな……!

 わたくしたちが、王都から追い出されるなんて――」

「追放ではない」

 国王は、淡々と告げる。

「“地方での統治に専念せよ”という命だ。

 王都は、お前たちが“積み上げてきたもの”を、自浄する時間を必要としている」

 オルフェリア家に向けられる視線。

 そこには、哀れみも、ざまぁ的な快感も、両方が混ざっていた。

 名門が堕ちる瞬間。

 多くの貴族にとって、それは他人の不幸であり、どこか甘い娯楽でもある。

 鉄と花の匂いが、入り混じる。

「そして三つ目」

 国王の声が、一段低くなる。

「オルフェリア令嬢、エレナ・オルフェリア」

 ピクリ、とエレナの肩が跳ねた。

「あなたは、女神の器を“不吉”と断じ、いじめを主導し、虚偽の証言を重ねた。

 これは、王家の秩序だけでなく、神殿の権威も冒涜する行為である」

 エレナの顔から、血の気が引いていく。

「本来ならば、軟禁や修道院送りも検討すべきところだが……」

 大広間に、ざわりと不穏な空気が走る。

 エレナは、唇を震わせた。

「しかし、今回は――」

 そのときだった。

「ま、待ってください!」

 エレナが、突然声を張り上げた。

 侯爵と侯爵夫人が驚いて彼女を見る。

 国王も、目を細めた。

「……何か、言いたいことがあるか」

「あります!」

 エレナは、必死に立ち上がろうとして――足がもつれて、膝を石畳に打ちつけた。

 それでも、顔だけは上げる。

 その瞳は、涙で濡れていたが――それは悔悟の涙ではなかった。

「ユナは……ユナは、私の幸せを奪ったんです!」

 ざわっ、とざわめきが広がる。

 鉄の匂いが、一気に濃くなった。

 ユナの胸がぎゅっと痛む。

(……まだ、そう思うんだ)

 エレナは、かすれた声で続けた。

「私がどれだけ努力してきたか、誰も分かってくれない!

 完璧な令嬢であろうとして……女神様にふさわしい娘になろうとして……

 全部、全部頑張ってきたのに――」

 それはたしかに、本音だった。

 湿った土と鉄が混ざった匂い。

 捻じれた努力と報われなさ。

「なのに、女神はあの子を選んだ。

 ただのメイドのくせに、何の努力もしていないのに……!

 そんなの、間違ってる……女神だって、間違うことはあるはずよ!」

 その瞬間。

 大広間の天井から差し込んでいた柔らかな光が――ふっと消えた。

 誰かが息を飲む。

 空気の温度が、一気に数度下がったように感じられた。

 ユナの背筋に、ぞくりと冷たいものが走る。

(……エリュシア様)

 空間そのものが、一瞬、固まった。

 その沈黙を破ったのは、風鈴よりも冷たく、刃物よりも鋭い――女神の声だった。

『――間違っているのは、お前の方よ』

 音でもなく、言葉でもなく。

 脳髄の奥に直接響いてくるような声。

 大広間にいる全員が、一斉に息を止めた。

 エレナの体から、力が抜ける。

 膝から、崩れ落ちるように床に手をついた。

「……え」

 顔を上げる。

 天井には、光はない。

 けれど、女神の気配だけが、はっきりそこにあった。

『努力をしたと言うのなら、それはそれで結構。

 でもね――』

 声音が、ほんの少しだけ、嘲るように歪む。

『他人を踏みつけにすることでしか自分の価値を確かめられない努力は、“信仰”とは呼ばないの』

 エレナの瞳から、涙がぽろぽろ溢れた。

『自分を飾るために祈るなら、それはただの自己愛。

 私を見上げるふりをしながら、実際には鏡に映った自分しか見ていない娘を――

 どうして、私が選ぶと思ったのかしら』

 冷たい。

 あまりにも冷たい声音。

 けれど、その一言一言は、エレナの心の一番痛いところを、容赦なく突いていた。

「ち、が……私は……」

 エレナのかすれた言葉は、途中で途切れる。

 反論したくても、できない。

 女神は、彼女の内側を、誰よりも知っている。

 見透かされた自分の醜さ。

 向き合いたくなかったもの。

 それを全部、言葉にされてしまっていた。

『ユナを羨んだことも、憎んだことも、全部知っているわ。

 それ自体を責めはしない。人間だもの。

 でも――自分の中の醜さから目を逸らしたまま、「私を選べ」と言うのは、傲慢よ』

 ふっと、気配が薄くなった。

 最後に、ほんの少しだけ、柔らかさを含んだ声が聞こえる。

『少し、頭を冷やしなさい。

 それができたら――また、どこかで話をしましょう』

 そして、完全に静かになった。

 天井から、再び淡い光が戻り始める。

 だが、その光はユナの方へと優しく流れ、エレナには一切触れなかった。



 大広間の空気は、凍りついたような沈黙に包まれていた。

 誰もが動けない。

 神殿の巫女たちは、その場で膝をつき、「女神よ……」と震える声で呟いている。

 セラフィナでさえ、息を詰めて目を閉じていた。

 女神エリュシアが、これほど露骨に、個人を名指しで叱責することは、ほとんど前例がない。

 エレナは、震える手で床を掴んだまま、立てなかった。

 プライドは粉々に砕かれた。

 でも、それでも彼女は――完全に“折れる”ことができなかった。

 心の奥に残った、消えない嫉妬と自己愛が、彼女に最後の見苦しさをまとわせていた。

「……ユナが……」

 かすれた声が漏れる。

「ユナが、いなければ……」

 それ以上、言葉にならない。

 床に落ちた涙は、誰にもすくい上げられない。

 みじめさだけが、濃い影のように彼女の上に落ちていた。

 ユナは、その姿を見て――静かに目を伏せた。

 勝ち誇らない。
 笑わない。
 罵倒もしない。

 ただ、目を閉じて、胸の前で小さく手を組む。

(エリュシア様……)

 女神の言葉は、正しい。

 でも、それでも。

 ユナの心は、少しだけ痛んでいた。

 エレナがしてきたことを、決して許せるわけではないけれど。

 女神にあそこまで言われて、膝から崩れ落ちている姿を見て――胸がぎゅっとなるのを止められなかった。

 そんなユナの心の動きを、《真実の香》は誰よりも正直に広げていた。

 花の香り。

 それは、彼女が憎しみよりも先に、相手の「終わり方」を気にしてしまう優しさの匂い。

 その優しさは、逆にエレナの惨めさを際立たせる。

 勝者が笑ってくれた方が、まだ楽だった。

 罵倒してくれた方が、まだ自分を“悪役”として消化できた。

 けれど、ユナはそれをしない。

 自分を傷つけた相手の落ちる姿を見ても、ただ静かに目を伏せるだけ。

 そのことが――

 エレナにとって、最も残酷だった。



 国王は、女神の声の余韻が完全に消えるのを待ってから、静かに口を開いた。

「……今のが、女神エリュシアの“答え”だろう」

 誰も反論しなかった。

 誰もが、今の声を聞いた。

 誰もが、女神がどちらに肩入れしているかを理解していた。

「オルフェリア令嬢については、修道院送りは見送る。

 だが、王都への出入りは禁止とする。

 地方の領地で、己の生き方を見つめ直すがよい」

 柔らかくもないが、極刑でもない。

 女神の「少し頭を冷やしなさい」という言葉を、現実の処遇に落とし込んだ形。

 侯爵は、深く頭を垂れた。

「……ありがたきお言葉」

 エレナは、何も言えなかった。

 膝をついたまま、視線を床に落とし続けている。

 その背中は、折れているようでいて、どこか意地だけで立っている感じがした。

(……さよなら、エレナ様)

 ユナは、心の中でだけ呟いた。

 彼女の“今後”について、何かを望む権利は、もう自分にはない。

 女神と、自分自身と、そして新しい土地が――彼女をどう変えていくのか。

 それは、別の物語だ。



 処遇の宣告が一通り終わり、オルフェリア家が護衛に連れられて大広間から運び出されていく。

 ざわめきは少しずつ収まり、代わりに新しい空気が流れ始めていた。

 重苦しい断罪の空気から、次へ進むための呼吸へ。

 そんな中。

「――ユナ・アークレット」

 再び、国王の声が名を呼んだ。

 ユナは、背筋を伸ばして振り向く。

「はい」

「お前の立場について、ここで正式に宣言しよう」

 宣言。

 その言葉の重さに、胸がどきんと鳴る。

 国王は、ゆっくりと立ち上がり、彼女を見下ろした。

「女神エリュシアは、お前を“祝福の器”として選ばれた。

 王太子ルシアンは、お前の力によって命を繋ぎ止められている。

 神殿もまた、お前が女神にとって特別な存在であることを認めている」

 セラフィナが、静かに頷いた。

 視線が、一斉にユナへと向けられる。

 貴族たちの眼差し。
 騎士たちの眼差し。
 使用人たちの眼差し。

 そのどれもが――「もう、ただのメイドではない」と告げていた。

「ゆえに――」

 国王は、はっきりと言った。

「ユナ・アークレット。

 お前を、王家と神殿、両方の庇護下に置きたい」

 大広間に、ざわめきが広がる。

「両方の……?」

 ユナは、思わずオウム返しに口にしてしまった。

「それはつまり……」

「王家の“客人”であり、神殿の“特別な守護対象”でもある、ということだ」

 国王の言葉に、セラフィナも続ける。

「神殿としても、異論はありません。

 むしろ女神の器を、王家と共に見守ることができるのは、心強いこと」

 “王家にも神殿にも属さず、しかし両方から守られる存在”。

 それは、前例のない立場だった。

 ただのメイドだった少女には、あまりにも大きな役割。

「女神の娘として」

 国王は、静かに言葉を重ねる。

 その言い切り方に、周囲がまたざわついた。

「この国を見てくれないか」

 女神の娘。

 その言葉に、ユナの心が大きく揺れた。

(私が……この国を?)

 森でエリュシアと出会った夜。

 「あなたをずっと見ていた」と言われた。

 あのとき、自分はただ、「誰かの役に立てる場所が欲しい」と願っただけ。

 まさかそれが――「国全体を見ること」になるなんて、想像もしていなかった。

「も、もし私が、何かを間違えたら……」

 思わず本音が漏れる。

 国王は、ふっと口元をほころばせた。

「そのときは、王家と神殿、両方で全力で止める。

 お前一人に、国の全部を背負わせるつもりはない」

 その言葉が、少しだけ救いになった。

 そして――

 隣の席から、もう一つの声が落ちてくる。

「それに」

 ルシアンだ。

 彼は椅子から立ち上がり、王族席から一段降りて、ユナの方へ歩み寄ってきた。

 近くで見ると、彼の顔色は以前よりずっといい。

 息も、そんなに苦しそうではない。

 それが、ユナには何よりうれしかった。

「俺もいる」

 ルシアンは、ユナの目の前で立ち止まり、小さな声で囁いた。

 周囲には聞こえないくらいの、近さ。

「王太子として――じゃなくて、一人の人間として、言わせてほしいんだけど」

 その前置きに、ユナの心臓が変な鼓動を刻み始める。

 ルシアンは、ほんの少しだけ照れたように笑ってから、言った。

「俺の隣にいてほしい」

 時間が、一瞬止まった気がした。

 大広間のざわめきも、視線も、全部遠くなる。

 耳に届いているのは、自分の鼓動と、ルシアンの声だけ。

「女神の娘としてでも、ただのユナとしてでも、なんでもいい。

 俺は――君が側にいてくれたら、たぶん、何回でも立ち上がれる」

 言葉の端々に、本音が滲んでいる。

 花の香りが、二人の間にふわりと咲いた。

 《真実の香》が告げている。

 この人は、本気でそう思っている、と。

(……ずるい)

 ユナは、心の中で小さく呟いた。

 こんな場で。
 こんな重大な話の流れの中で。

 「俺の隣にいてほしい」なんて。

 返事をどうすればいいかなんて、すぐには出てこない。

 女神の娘として。
 王太子の命の恩人として。
 そして、一人のユナとして。

 それぞれの「自分」が、胸の中でぐるぐると踊り始める。

「……考えさせてください」

 やっと出てきた言葉は、それだけだった。

 ルシアンは、ふっと笑った。

「うん。その返事なら、今の俺には十分」

 彼は一歩下がり、王族席に戻る。

 ディランが、遠くから親指を立ててニヤニヤしているのが見えた。

「団長、うるさいです……」

 小さく呟いてから、自分でも笑ってしまう。

 大広間には、先ほどまでの重苦しさとは違う空気が漂っていた。

 断罪の終わり。
 ざまぁの余韻。
 そして、新しい物語の始まりの気配。

 ユナの胸の奥で、女神の祝福が静かに揺れた。

 世界はまだ、痛みだらけだ。

 不運も、不条理も、これからだって山ほどある。

 でも――

 追放されたメイドは、もう“ただの不吉な存在”ではない。

 女神の娘として。
 王家と神殿の庇護下にある、少しだけ特別なユナとして。

 この国を、誰かの痛みを、自分の目で見て、自分の手で触れていく。

 その役目を、今まさに引き受けようとしていた。

 揺れ続ける心を抱えたまま。
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––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。  忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。  「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」 「白い結婚ですか?」 「実は俺には……他に愛する女性がいる」   それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。 私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた ――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。 ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。 「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」 アロルド、貴方は何を言い出すの? なにを言っているか、分かっているの? 「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」 私の答えは決まっていた。 受け入れられるはずがない。  自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。    ◇◇◇ 設定はゆるめです。 とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。 もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!

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