平凡メイドの私が追放された結果、女神の加護を独占して国が騒然

タマ マコト

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第16話「新しい日々と、慣れない溺愛」

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 王宮で迎える朝は、どうしてこんなに“静かにうるさい”のだろうと思う。

 窓の外からは、遠くの噴水の水音と、衛兵たちの交代の足音。
 近くからは、控えめに歩く侍女たちの気配と、銀食器の触れ合う小さな音。

 ユナ・アークレットは、その真ん中で、ふかふかすぎるベッドに沈みながら、目をぱちぱちさせていた。

(……なんか、まだ慣れない)

 天井は高くて、カーテンは分厚くて、シーツはやたらといい匂いがする。
 枕は雲みたいに柔らかいのに、背中が落ち着かなくて、夜中に何度も寝返りを打った。

「ユナ様、お目覚めでしょうか?」

 扉の向こうから、控えめなノックと声。

 “様”と呼びかけられるのにも、まだ全然慣れていない。

「あ、はいっ。起きてます!」

 慌てて返事をして、ばっと起き上がる。

 寝癖を手ぐしで整えながら立ち上がると、床に敷かれた厚い絨毯が足裏をやわやわと包み込んだ。

(これ、絶対に食べ物より高いよね……)

 そんな庶民的な感想を胸にしまっているうちに、侍女が二人、静かに入室してくる。

「本日のご予定をお伝えいたしますね」

 にこやかに、でもどこか緊張した表情。

 王宮付きの“女神の巫女”――それが、ユナに与えられた新しい立場だった。

 王家と神殿、両方の庇護下にある「特別な客人」。
 肩書きだけ聞けばすごいのに、本人は未だに“元メイド”の感覚から抜け出せていない。



 午前中は、「相談の時間」だった。

 王族や重臣、その家族。

 そして、特別に王宮への入城を許された市井の人々。

 彼らが順番に部屋を訪れ、病や悩みを打ち明ける。

 場所は、王宮の一角に用意された小さな謁見室――ユナ用に整えられた、落ち着いた空間だ。

 派手な装飾はなく、丸テーブルと椅子が二つ。
 窓からは庭の緑が見え、白いカーテンが柔らかく揺れている。

 ユナはそこに座り、緊張した手を膝の上で組んだ。

「そんなに硬くならなくても大丈夫ですよ、ユナ様」

 隣に控えるのは、神殿から派遣された若い巫女――ミアだ。

 大人しそうな見た目とは裏腹に、口調は意外とくだけている。

「“様”やめてください……ユナでいいです」

「いえ、それはさすがに怒られます」

「ですよね……」

 そんな会話をしていると、最初の相談者が案内されてきた。

 年配の女官。

 歩く姿勢はしゃんとしているのに、瞳には疲れが滲んでいる。

「ユナ様……いえ、ユナさん、とお呼びしても……?」

「はい、どちらでも。えっと、今日はどんなご相談でしょうか」

 女官は少し迷ってから、話し始めた。

 最近、眠れないこと。
 長年仕えている王宮で、若手との世代交代が進み、自分の居場所が分からなくなりつつあること。

 病、と言うほどではない。

 けれど、心の疲れは、どんな薬でも簡単には癒せない。

 ユナは、彼女の言葉を一つひとつ拾いながら、そっと手を伸ばした。

「失礼しますね」

 女官の手を包む。

 柔らかく、皺の寄った手。

 胸の奥に意識を向けると、《癒しの雫》が静かに落ちていく。

 体の痛みではなく、心のきしみへ。

 黒い靄は少ない。

 ただ、長い年月でうっすら溜まった灰のような疲れが、じわじわと光に溶けていく。

 ユナの鼻先に、ほのかな花の香りが広がった。

(あ、この人……本当はまだ、“ここにいたい”って思ってる)

 諦めではなく、名残惜しさと、少しの誇り。

 その香りを感じながら、ユナは微笑む。

「……少しだけ、楽になりましたか?」

「ええ……胸の重さが……なんだか、軽く……」

 女官は、目尻に涙をにじませた。

「まだ、ここにいていいんでしょうかね、私」

「“もういい”って言い切るのは、きっと女神様でも難しいです。

 でも、“まだいたい”って思ってるなら――その気持ちは、大事にしていいと思います」

 言いながら、自分にも言い聞かせていると気づく。

 “ここにいていいのかな”と迷うのは、自分も同じだから。

 女官の周りに、花の香りは確かに濃くなった。



 相談相手は、次から次へと変わっていった。

 腕を怪我した兵士。

 恋愛に悩む若い侍女。

 嫉妬心をどう処理していいか分からない、小貴族の娘。

 ユナは、一人ひとりの手を取り、《癒しの雫》と《真実の香》で、少しずつ心と体を軽くしていく。

 心の中では、いつも同じ言葉がぐるぐるしていた。

(私の力でできることなんて、本当に少しだけ。

 でも、その“少し”だけでも、ちゃんと届けたい)

 そんなふうに集中していたせいか――

「……あれ、ユナ様?」

 相談時間が一通り終わった頃、ミアに声をかけられた。

「え、はい?」

「椅子の下……何をなさってるんです?」

 ミアの視線の先には、椅子から半分身を乗り出して、黙々と床の隅を拭いているユナの姿があった。

「えっと……あの、ほこりが……」

 さっき、女官が椅子を引いたとき、ふわっと舞い上がったそれがどうしても気になってしまったのだ。

 気づいたら、手元のハンカチでごしごしやっていた。

「ユナ様、やめてください!」

 ミアが慌てて駆け寄る。

「床掃除は侍女の仕事です! 女神の器が四つん這いになってどうするんですか!」

「でも、ほこりが――」

「ほこりくらい、女神様は気にしません!」

(いや、エリュシア様はわりと細かいところ気にするタイプだけど……)

 心の中でツッコみながらも、ユナは大人しく立ち上がった。

 別の侍女が青ざめた顔で駆け込んでくる。

「ユナ様、本当にやめてください……!

 床を拭くの、私たちの仕事なんですから……!」

「ご、ごめんなさい……癖で……」

 本気で謝るユナに、侍女たちはものすごく困った顔をした。

「癖で床を拭く巫女って、聞いたことないですよ……」
「でも、嫌味じゃなくて本気でやってくださってるのが、逆に心に刺さる……」

 変な方向で感動されてしまった。



 午後。

 ユナは、自室に戻っていた。

 午前中の相談対応で、じわじわと疲れが溜まっている。

(精神力って、ちゃんと消耗するんだな……)

 ベッドに倒れ込むのは気が引けて、窓際のソファに身体を預けた。

 そのとき。

「ユナ」

 ノックとほぼ同時に、聞き慣れた声。

 王太子ルシアン。

 最近、彼はやたらとこの部屋に顔を出すようになっていた。

 自分の病状がだいぶ落ち着いたから――という理由もあるけれど、それだけじゃないのは、《真実の香》のせいでよく分かってしまう。

「どうぞ」

 扉が開く。

 今日は簡素なシャツ姿に、上から軽くマントを羽織っているだけだ。

 王太子らしい華やかさよりも、年相応の青年らしさが出ていて、ユナは目のやり場に少し困った。

「午前中の相談、終わった?」

「はい。なんとか倒れずに」

「倒れたら困る。

 俺の命綱なんだから」

 さらっと言う。

 心臓に悪い。

「そんな重いもの、私の肩に乗せないでください……」

「実際、もう乗ってるからね」

 ルシアンは部屋に入り、当たり前のようにユナの向かいのソファに腰掛けた。

 距離が近い。

 彼は、じっとユナの顔を見つめる。

「……今日は、ちゃんとご飯食べた?」

「え?」

「朝食。

 配膳した侍女は、“箸があまり進んでいなかったような”と言っていたけれど」

(情報網えぐいなこの人)

 ユナは内心ひきつつ、視線をそらした。

「えっと、相談前は緊張してて、あんまり入らなくて……」

「ほら」

 ルシアンが、ほんの少し眉をひそめる。

「ちゃんと食べないと、力も出ない。

 癒しも、真実の香も、結局は君の身体を通して使うんだから」

 それは、怒られているわけではないのに、妙に胸に刺さる言い方だった。

「……今度から、頑張ります」

「“今度から”じゃなくて、今からね」

 そう言って、ルシアンは机の上に布包みを置いた。

「これは?」

「厨房から分けてもらった。

 昼食まで我慢しろと言いたいところだけど、君の場合、それまでに血糖値が落ちそうだからね」

 包みを開けると、小ぶりなサンドイッチと焼き菓子が入っていた。

 香ばしい匂いがふわっと立ち上る。

「……おいしそう」

「だろう? 王宮のパン職人は、王家の数少ない自慢の一つだから」

「自分で作ったわけでもないのに、さらっと誇ってません?」

「王家の宣伝も仕事のうち」

 そんな軽口を交わしながらも、ルシアンの視線はずっとユナの手元を見つめている。

「食べないの?」

「食べます。食べますけど……殿下がそう見つめてると緊張して味分かんなくなるので、少し視線を逸らしていただけると……」

「なるほど」

 ルシアンはわざとらしく顔を背け、天井を見上げた。

「これでどう?」

「それはそれで食べづらいです」

 結局、妙な笑いがこみ上げて、ユナは少し肩の力を抜いてサンドイッチにかぶりついた。

 パンはふかふかで、中の具材は優しい味がした。

 胃がほっとする。

 それを見て、ルシアンの表情もすこし緩む。

「疲れたらすぐ言えよ」

「言ってますよ、ちゃんと」

「“大丈夫です、たぶん”とか、“まだいけます”は、“そろそろ限界です”の亜種だからね」

「読むの早すぎません?」

「君、顔に出やすいから」

「うう……」

 図星すぎて反論できない。

 《真実の香》なんてなくても、この人にはだいぶ心を見透かされている気がする。

「……でも、ありがとうございます」

 ユナは、小さく頭を下げた。

「殿下がそう言ってくださるのは、本当に心強いです」

「“殿下”って呼ぶの、そろそろやめてほしいんだけどな」

「無理です」

「即答」

 ルシアンは笑った。

 その笑顔を見るたび、胸の奥がきゅ、と掴まれる。

 甘くて、少し苦くて、どう扱えばいいか分からない感情。

(……これが、恋ってやつなのかな)

 名前をつけてしまったら、戻れなくなる気がして、あえて言葉にはしない。

 代わりに、心の中でそっと呟いた。

(でも私は、まだ“誰かに守られるだけ”の存在じゃない)

 女神の加護を受けて。
 王宮で新しい役目をもらって。

 守られている事実は、ちゃんと分かっている。

 それでも。

 誰かの痛みに手を伸ばせる自分でいたい。

 ただ守られるだけじゃなく――自分も、誰かの支えでありたい。

 胸の奥で、癒しの雫が静かに光を放っていた。



 その夜。

 ユナは、妙に疲れた頭を抱えながらベッドに倒れ込んだ。

「うわぁ……ふかふかすぎて沈む……」

 贅沢な文句をぼやきつつ、ふんわりとした布団に体を委ねる。

 瞼が重くなり、意識がだんだんと遠のいていく――

 ……気づいたら、またあの場所にいた。

 森の中の、小さな泉。

 月光が水面に落ちて、銀色の波紋を描いている。

 夜の空気は冷たいはずなのに、肌に触れる風は優しい。

「やっぱり、ここが一番落ち着くかも」

 ユナが呟いたそのとき。

「ふふ、随分と“王宮生活”に馴染んでるみたいじゃない」

 背後から、聞き慣れた声。

 振り向くと、白銀の髪を揺らしながら、女神エリュシアが泉の縁に座っていた。

 相変わらず人間離れした美しさ。

 月光と同じ色の髪。
 星の光を集めたような瞳。

 でも、その目元には、妙に人間くさい感情の光が宿っている。

「エリュシア様」

 ユナは自然と笑顔になった。

「お久しぶりです」

「本当? 私の感覚では、“ちょっと目を離した隙に”くらいの時間だったけれど」

「こっちは毎日が濃くて、もう一週間くらい経った気がします……」

「でしょうね」

 エリュシアは、唇の端を上げる。

「人間界の王宮なんて、感情の渦と見栄と打算の塊みたいな場所だもの。

 そこにいきなり放り込まれたら、そりゃあ疲れるわ」

「言い方が辛辣なんですよね、女神様」

「事実を言ってるだけよ?」

 目を細めながら、エリュシアはちらりとユナを見た。

「……でも、よくやってるじゃない」

 その一言に、ユナの胸がじんわり温かくなる。

「相談を受けて、癒して、ちゃんと“自分の言葉”で答えてる。

 私が口出ししなくても、あなたはあなたのやり方で、世界とちゃんと向き合ってる」

「……ありがとうございます」

 褒められることに慣れていないせいで、頬がむず痒くなる。

 エリュシアは、わざとらしくため息をついた。

「まあ、一つだけ、ちょっと引っかかることがあるとすれば――」

「なんですか?」

「人間の王子様に、やたら距離を詰められてることかしらね」

 びしっと急所を突かれた。

「ル、ルシアン殿下は、別に、ただ……」

「“俺の隣にいてほしい”って言ってきた相手を、“ただ”で片づけようとするあたり、あなた、ほんと鈍いのか頑固なのか分からないわね」

「なんであの場面ご存知なんですか」

「祝福の器のことを見てないわけないでしょ、私が」

 エリュシアは頬杖をつきながら、じとっとユナを眺めた。

「いいわね、人間の王子様。

 真面目で、頑固で、死にかけてもまだ意地だけは残ってるタイプ」

「褒めてます?」

「最大級に褒めてるわよ」

 女神の好みがわりと分かりやすくて、ユナは思わず笑ってしまう。

「……でも、ちょっと嫉妬するわね」

「え?」

「だって、あなたのこと、一番近くで見ていたのは、ずっと私だったのに」

 さらっと爆弾を投げ込んでくる。

 ユナは一瞬、言葉を失った。

 泉の水が、静かに揺れる。

 エリュシアは、月光を背にしながら、少し寂しそうに笑った。

「あなたが孤児院でこっそり泣いてたときも。

 誰かの傷を撫でながら、“少しでも楽になりますように”って祈ってたときも。

 雨の夜に震えながら、“ごめんなさい、私そんなにいけなかったのかな”って呟いたときも。

 全部、私が一人で見てたのよ」

 胸の奥が、じわりと熱くなる。

 誰にも届かないと思っていた言葉が、全部届いていた。

 それを知って、今さら泣きそうになる。

「なのに、今は――」

 エリュシアは、少しだけふくれっ面になった。

「王子様が、『ちゃんとご飯食べた?』『疲れたらすぐ言え』なんて言いながら、真っ先にあなたを気にかけてる」

「あ、見てたんですね、あれも」

「見てたわよ。

 “王太子としての責任”みたいな顔してるくせに、香りは完全に“好きな子に構いたい”のそれだったわ」

「やめてください、言葉にしないでください……」

 顔から火が出そうだ。

 エリュシアは、そんなユナの反応を楽しそうに眺めている。

「いいわね、人間の王子様」

 さっきより少し柔らかい声で、もう一度そう言った。

「あなたの恋心を突っつきたくなるのも、女神としての性よね」

「性ってなんですか」

「本能?」

 笑い合う。

 でも、その笑いの奥で、ユナの心は本当に揺れていた。

「……エリュシア様」

「なに?」

「もし、私が――」

 一度言いかけて、唇を噛む。

「もし、私が誰かを好きになって、その人の隣にいたいって思ったら……それでも、エリュシア様は私を祝福してくれますか?」

 聞いてしまった。

 自分でも、びっくりするくらい真っ直ぐな質問だった。

 エリュシアは、少し目を丸くしてから、ふっと微笑む。

 その笑みは、女神というより、“少し大人の友達”みたいな優しさを含んでいた。

「当たり前でしょ」

 即答だった。

「あなたの幸せは、私の祝福そのものだから」

 その言葉が、胸の中にすとんと落ちる。

「女神の娘が、誰かを好きになって、誰かと一緒に笑って、生きようとする。

 それのどこが“間違い”だっていうの?」

 エリュシアは、軽く肩をすくめた。

「もちろん、“自分だけ”を見て周りを踏みつけ始めたら、そのときは全力で小突きに行くけど」

「ですよね……」

「でも、あなたはそういう恋はしない。

 自分の恋より先に、相手の心配をするような子だから」

 図星すぎて、何も言えない。

 泉のほとりに座り込みながら、ユナは空を見上げた。

 夢の中の空は、現実よりも星が多い。

 それが全部、女神の目みたいににじんで見えた。

「……ありがとう、ございます」

 小さく呟くと、エリュシアは満足そうに目を細める。

「さて。

 王宮生活二週目、人間の王子様との距離感に悩むあなたを、どこまで見守っていようかしら」

「それは……ほどほどでお願いします」

「無理ね」

 きっぱりと言われて、ユナはまた笑ってしまった。



 泉の光景が遠のいていく。

 目を覚ますと、王宮の天蓋付きベッドの上。

 カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいた。

 胸の中には、エリュシアの声の残り香がまだ残っている。

『あなたの幸せは、私の祝福そのものだから』

 それを反芻しながら、ユナはそっと自分の胸に手を当てた。

(ちゃんと、ご飯食べて。

 ちゃんと寝て。

 ちゃんと、誰かの痛みに触れて)

 そして、たぶん――

(ちゃんと、誰かを好きになって、生きていく)

 それが、女神の娘としての「新しい日々」で。

 まだ慣れない溺愛に戸惑いながらも――

 ユナは今日も、王宮という世界の中で、小さく、でも確かな一歩を踏み出していくのだった。
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