平凡メイドの私が追放された結果、女神の加護を独占して国が騒然

タマ マコト

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第17話「国中に広がる光と、見えてしまう影」

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 変化は、ある日突然「ここから」と線が引かれるものじゃなかった。

 春と夏の境目みたいに、気づいたときにはもう、空気が変わっていた――そんな感じだった。



 まず、疫病が止まった。

 王都から少し離れた南方の町で、子どもたちの間に熱病が流行った。
 高熱、咳、衰弱。
 それまでなら、何人かは当たり前のように命を落としていた病だ。

 でも、この国には女神エリュシアの祝福を宿した娘がいた。

「ユナ様、こちらです!」

 小さな診療所みたいな建物の中に案内されて、ユナ・アークレットは思わず息を呑んだ。

 狭い部屋いっぱいに並んだ簡易ベッド。
 汗まみれでうなされる子どもたち。
 不安そうに見守る親たち。

 空気は、熱と心配と、わずかな諦めで重かった。

(……匂い)

 《真実の香》が、すぐに反応する。

 湿った土の匂い――「きっと、この子は助からない」という親の諦め。
 鉄の匂い――医師が自分の無力さに抱く自己嫌悪。
 かすかな花の香り――「それでも救いたい」と願う気持ち。

 それらが、複雑に混ざり合っていた。

「だ、大丈夫ですか、ユナ様……?」

 同行してきた神殿の巫女・ミアが心配そうに覗き込む。

 ユナは、小さく頷いた。

「……うん。大丈夫。

 できるところまで、やるから」

 そんなに派手なことができるわけじゃない。

 でも、《癒しの雫》は、確かにここにある。

 一人、また一人とベッドの隣に座り、小さな手を握る。

「痛いの、少しでも楽になりますように」

 祈りは、癖になっていた。

 ユナの胸から流れ出した光は、子どもたちの身体に吸い込まれていく。

 黒い靄が、するすると剥がれ落ちるように消えていった。

 全員を一度で治すことはできない。

 けれど、命の線を少しずつ太くしていくことはできる。

「熱が……引いてきてる……!」

 母親の驚きの声。

「さっきまで息も荒かったのに……」

 父親の震える声。

 それらを聞くたびに、ユナの胸にも少しずつ光が灯っていく。

 彼女の存在は、「奇跡」という派手な言葉ではなく、じわじわと広がる「希望」として、国中に染み込んでいった。



 次に、収穫の話が変わった。

 干ばつ続きだった西の村に、久しぶりの雨が降った。

 祭壇の前でユナが祈ったあと、空にゆっくり雲が集まっていき――やがて、優しい雨粒が畑を打った。

「ユナ様のおかげだ!」
「女神様が、また俺たちを見てくださった……!」

 村人たちは口々にそう言った。

 でもユナは、首を振る。

「ここまで畑を守ってきたのは、皆さんですよ。

 女神様も、それを見てたから、“じゃあちょっと水あげようか”って」

 彼女にとって、加護は「ご褒美」ではなく、「一緒に頑張ったね」の延長線上だった。

 そんなユナの言葉ごと、希望は人から人へ伝染していく。

 「どうせ駄目だ」と諦めていた人たちが、「もう一度だけやってみよう」と思うようになった。

 その小さな変化が、国全体の空気を静かに変えていく。



 ――けれど、光が強くなればなるほど、影も濃くなる。

 そんな当たり前のことを、ユナはだんだん痛いほど思い知らされていった。



 ある日。

 ユナは、王宮の小謁見室で、一組の夫婦の相談を受けていた。

 夫は立派な外見の商人。
 妻は、少しお疲れ気味の柔らかな雰囲気の人。

「最近、夫の帰りが遅くて……体のことが心配で、ユナ様に診ていただけたらと」

 妻が、少し怯えたような声で言う。

 夫は、苦笑いを浮かべた。

「いや、そんな大したことじゃないんですよ。

 仕事が立て込んでいるだけで――」

 その瞬間。

 ユナの鼻先に、湿った土の匂いが強く広がった。

 生乾きの洗濯物みたいな、不快な湿り気。

(……嘘)

 《真実の香》が告げる。

 夫の言葉の中には、「仕事」だけではない別の予定が混ざっている。

 優しい笑顔の裏に、べったりと付いた裏切りの影。

 ユナは、思わず喉が詰まりそうになる。

「……ご主人、最近、体調に変化はありませんか?」

 苦心して、当たり障りのない質問を投げる。

 商人は、少しだけ目を泳がせた。

「え、ええ。まあ、疲れやすくはなりましたが……年のせいでしょう」

 ユナの中で、湿った土がさらに濃くなる。

 これは、ただの「疲れ」ではなく――別の誰かとの夜の付き合いのせいだ。

 でも、ここで「浮気してますよね?」なんて言えるわけがない。

 妻の心に、どれだけの傷を刻むことになるか。

 自分の役目は、「真実を暴くこと」なのか、「真実とどう付き合うかを手伝うこと」なのか。

 分からなくなる。

(全部、言えばいいってものじゃない……)

 結局。

 ユナは、夫には疲労回復の癒しを、妻には「ご自身の心が潰れないように」と穏やかな光を流すことで、その場を終わらせた。

 帰り際。

 妻は何度も頭を下げた。

「本当に、ありがとうございました……」

 その花の香りが、余計に苦かった。



 別の日。

 父親に付き添われてやってきた、十代半ばの少年がいた。

「この子が、どうにも真面目に働こうとしなくてですね……

 ユナ様から“しっかりしろ”と一言言っていただければ、きっと改心すると思うのですが」

 父の言葉には、少しの苛立ちと、打算が混ざっていた。

 息子を心配する気持ちも、本物。

 だが、それ以上に、「女神の娘に諭してもらった」という箔をつけたい欲も、匂いで分かってしまう。

 少年は、俯いたまま口を開かない。

「……働きたくないの?」

 ユナが柔らかく尋ねると、少年はビクリと肩を揺らした。

「……どうせ、全部親が決めた仕事だ」

 絞り出すような声。

 その周りには、濁った香りがまとわりついていた。

 金の匂い。
 搾取の匂い。

(この子……)

 ユナは、父親の方を見る。

 父親の周囲には、「金」の匂いが強く漂っていた。

 家の借金。
 商売の失敗。

 それらをごまかすために、「息子を働かせて穴埋めさせよう」としている。

 それも、一部は仕方のない事情だ。

 生活は楽じゃない。

 でも、その下にある、「自分の失敗を認めたくない」という自己保身の匂いも、はっきりと感じられてしまう。

(……見たくなかったな)

 少年の「働きたくない」は、怠けではなく、抵抗だ。

 でも、それを全て暴けば、この親子の関係は一度壊れる。

 修復できるかどうかは、分からない。

 ユナは、唇を噛んだ。

(全部の真実に、私が決着をつけられるわけじゃない)

 結局その日も、ユナは「二人でちゃんと話してみてください」としか言えなかった。

 癒しの雫は、少年の心に少しだけ届いていたけれど――それで十分だったのかどうか、分からない。



 さらに、厄介なのは、王宮の貴族たちだ。

 ある日、華やかなドレスを身にまとった男爵夫人が、猫なで声でユナの手を取ってきた。

「まあまあ、ユナ様、お美しい。

 女神の器ともなると、やはりオーラが違いますわねぇ」

 口ではそう言いながら――

 彼女の周りには、いくつもの匂いが入り混じっていた。

 嫉妬の鉄。
 打算の湿った土。
 「自分の娘を近づければ、王太子とのコネができるかも」という計算の臭み。

「今度、うちの娘をお見せしたいですわ。

 ユナ様のような方とお話させて、良い影響を受けさせたいと申しますか……」

 ユナの脳内で、《真実の香》が「警報」のベルを鳴らす。

(あ、この人、“利用できるものは何でも利用したい”って思ってる……)

 鼻の奥にまとわりつく悪臭。

 笑顔の裏に隠された「打算」が、嫌でも見えてしまう。

 こういう人は、一人ではない。

 女神の娘。

 王家と神殿の庇護下。

 その肩書きに群がる視線は、決してきれいなものばかりではなかった。



 夜。

 ユナは、自室のベッドの上で丸くなっていた。

 膝を抱え、額を乗せる。

 部屋には誰もいない。

 だから、弱音を吐いてもいい――そう思える、数少ない時間だった。

「……全部、見なきゃよかった」

 ぽつりと、声が漏れる。

 《真実の香》は、便利な力だ。

 嘘を見抜き、人を守ることもできる。

 でも、それは同時に、見たくないものまで見える力でもある。

 妻を裏切る夫。
 親を金で利用する子ども。
 ユナを“踏み台”にしようと近づく貴族。

 世界は、優しさと同じくらい、醜さでできている。

 その両方が、同じ強さで匂ってくる。

「全部、知らなかったら……もっと楽だったのかな」

 そんなことを考えてしまう夜が、前よりも増えた。

 女神の娘になったからといって、心の強さが勝手にレベルアップするわけじゃない。

 昔と同じように、情けなくて、弱くて、すぐに泣きそうになる自分が、ここにいる。

 コンコン。

 不意に、ノックの音がした。

 ユナは慌てて顔を上げる。

「は、はい」

「俺だ。入っていい?」

 ルシアンの声。

 ユナは、慌てて体勢を整えようとするが――間に合わなかった。

 扉が少し開き、隙間からのぞき込んだ王太子は、ベッドの上で膝を抱えたままのユナと目が合った。

「……」

「……」

 数秒の沈黙。

 先に口を開いたのは、ルシアンだった。

「タイミング、悪かった?」

「いえっ!? あの、その……」

 パニックになりそうな頭を、なんとか働かせる。

 変に取り繕っても、バレる。

 《真実の香》を抜きにしても、この人にはだいたい顔でバレる。

「ちょっと、考え事をしてただけで……」

「“ちょっと”じゃなさそうな顔してる」

 ルシアンは部屋に入り、扉を閉めた。

 椅子には座らず、そのままベッドの近くまで歩いてくる。

「座っても?」

「ど、どうぞ……」

 ベッドの端に腰掛ける距離感に、ユナの心臓がドクドクと騒ぎ出す。

「……今日も、相談が多かった?」

「はい。

 病気の人も、心の悩みを抱えてる人も、たくさん来てくれて……」

 そこまではいい。

 問題は、その先だ。

「で、見えた?」

 ルシアンの言い方は、妙にストレートだった。

 ユナは、苦笑いを浮かべる。

「……見えました。

 見なくていいところまで、全部」

 言葉にしたら、涙が出そうになるから、ゆっくり吐き出す。

「浮気してるのにごまかしてる人とか、

 自分の失敗を認めたくなくて、全部子どものせいにしようとしてる人とか、

 私に取り入ろうとしてる人とか……」

 膝をぎゅっと抱きしめる。

「“女神の娘”って呼ばれるのに、心の中では、“うわ、この人やだな”って思ってる自分がいて……

 そんな自分も、すごく嫌で……」

 声がかすかに震えた。

「全部、見なきゃよかったって、思っちゃうんです」

 ルシアンは、しばらく黙っていた。

 否定も肯定もしない沈黙。

 やがて、彼は小さく息を吐いて、ユナの頭にそっと手を置いた。

 ふわり、と撫でる。

 その手つきは、驚くほど優しかった。

「……それは、しんどいな」

 ようやく出てきた言葉は、それだけだった。

 「大丈夫」とか、「気にするな」とか、そういう安っぽい慰めを一切使わない。

 ユナは、少しだけ肩の力を抜いた。

「俺もさ」

 ルシアンは、自分の胸に手を当てる。

「王太子になってから、いろんな“本音”を見てきた。

 俺の地位や立場を利用しようとする人。

 俺が倒れたら得をする人。

 表面では笑いながら、心の中では“早く終わればいいのに”って思ってる人」

 鉄と湿った土の匂いが、彼の記憶の中にまだ残っている。

「それを全部見て、それでも“王太子様”って顔をしなきゃいけないのは、結構しんどい」

「……はい」

「だから、君がしんどいのも、少しは分かるつもりだ」

 その「分かる」という言葉が、変に重くないのがありがたかった。

 同情でも、上からでもない。

 「俺もまだ途中だけど」という目線。

 ユナは、膝の間から彼を見上げる。

「ルシアン殿下は……どうして、それでも耐えられるんですか?」

「耐えてるというより、諦めてるだけかもしれないけどね」

 小さく笑ってから、彼は続けた。

「全部は救えないって」

 その一言が、胸にすとんと落ちる。

「君もそうだよ」

 ルシアンは、ユナの髪をくしゃっと乱暴に撫でた。

「《真実の香》があるからって、見えた全員を救おうとしたら、君が先に潰れる。

 世界中の醜さを、全部自分一人の責任みたいに抱える必要なんてない」

「でも……見えちゃうから……」

「見えるからこそ、選べばいい」

 ルシアンの目が、まっすぐユナを捉える。

「君が手を伸ばしたいと思える相手を、ひとりずつでいいから守ってやってくれ」

 その言葉は、優しくて、少しずるい。

 「全部やれ」とは言わない。

 「何もしなくていい」とも言わない。

 その中間。

「完璧な聖女なんて、いらない。

 そんな人間、この世にいないしね」

 皮肉を交えながら、ルシアンは肩をすくめる。

「“この人は、どうしても放っておけない”って、君が思った人がいたら――そのときに全力で手を伸ばせばいい。

 それだけで、十分すぎるくらい価値がある」

 花の香りが、ふわりと広がった。

 ルシアンの胸から。
 ユナの胸から。

 《真実の香》が、二人の感情をそっと混ぜていく。

(全部は、救えなくていい……)

 頭の中で、その言葉を何度も反芻する。

(私が、“助けたい”って思える人を、ひとりずつ)

 完璧な聖女には、なれない。

 そもそも、なりたくない。

 誰にでも優しくできる万能な存在じゃない。

 嫉妬もするし、嫌いな人もできるし、面倒くさいと思うことだってある。

 でも、その不完全さごと、自分なのだ。

「……私、聖女には向いてないですよね」

 ユナは、ちょっとだけ笑って言った。

 ルシアンも笑う。

「うん。向いてない」

「即答!」

「でも、“ユナには向いてること”がある」

 ルシアンの表情が、少し真面目になる。

「誰かの手を握って、“大丈夫ですよ”って言えること。

 誰かが間違いそうになったとき、“それは違います”って震えながらでも言えること。

 倒れそうになってる人に、“もう少しだけ一緒に立ってみませんか”って言えること」

 それは、昔からユナがやってきたことだ。

 孤児院でも。
 オルフェリア家でも。
 そして今、王宮でも。

「完璧な聖女にはなれないかもしれないけど」

 ユナは、自分で言葉をつなげる。

「私だからできることは、きっと、あるんですよね」

「その通り」

 ルシアンは、満足そうに頷いた。

「女神の娘だからじゃなくて、ユナ・アークレットだからできること。それをしてほしい」

 胸の奥のざわめきが、少しずつ静まっていく。

 全部救えない。

 全部分かって、全部抱え込む必要はない。

 その真ん中で、自分にできることだけを選ぶ。

 それは、逃げでも諦めでもなく――

 “人間としての限界を自覚したうえでの、前向きな選択”だ。



 ルシアンが部屋を出ていった後。

 ユナは、窓を開けた。

 夜風が、優しくカーテンを揺らす。

 王宮の庭の向こうに、王都の灯りが見える。

 そこには、きっと今日も、いろんな感情が渦巻いている。

 幸せ。
 不安。
 嫉妬。
 希望。

 その全部が、花や土や鉄の匂いになって、混ざり合っている。

「……全部、見えるのは、たぶん一生慣れないけど」

 ぽつりと呟いた。

「それでも、“手を伸ばしたい”って思えた人にだけでも、ちゃんと届くように――」

 自分の胸に、そっと手を当てる。

 癒しの雫が、静かに波打った。

 女神の祝福の光が、じんわりと広がる。

「完璧な聖女じゃなくていい。

 私だからできることを、ひとつずつ」

 そう思い直したその夜。

 ユナは、少しだけ軽くなった心で、眠りに落ちていった。

 夢の中で。

 きっと、女神エリュシアが「そう、それでいいの」と笑っている――そんな気がして。
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